君はP・F・スローンを知っているか?


- P・F・スローン P.F.Sloan -
<忘れられたソングライター>
 R・C・サクセションの名盤「COVERS」は、ボブ・ディランビートルズらの名曲を独自の日本語訳によってカバーしたアルバムでした。歴史的名曲が並ぶそのアルバムに、「明日なき世界」と「シークレット・エイジェントマン」の2曲が収録された作曲家。それがP・F・スローンです。しかし、残念ながら、彼の名前は今ではロックファンの多くにも忘れられています。
 同じシンガー・ソングライターとして多くのヒット曲を残したジミー・ウェッブは、1970年のアルバム「Words and Music」収録の「P・F・スローン」という曲でこう歌っていました。

 P・F・スローンを最後に見た時、彼は疲れ果てていた。
 人生の曲がり角を曲がったというのに、彼はまだ歌いづ続けていた。
 P・F・スローンをずっと探し続けているのだが、誰も彼の行方を知らない。
 彼の歌など、誰も聴いたことないという

ジミー・ウェッブ「P・F・スローン」より

 皮肉なことに、この歌を歌っていたジミー・ウェッブ自身もまた今や忘れられつつあると言えますが、ここではそのP・F・スローンについてご紹介しようと思います。

<P・F・スローン>
 P・F・スローン P.F.Sloan(本名フィリップ・スローン)は、1945年9月18日にニューヨークで生まれ、その後家族と共にロサンゼルスに引っ越しました。10代でアイドル・ポップグループのメンバーとしてプロとしての音楽活動を開始。同時に作曲家としての活動も始め、60年代初期にスティーヴ・バリとのコンビでスクリーン・ジェムズ社の専属作曲家となりました。最初に彼らの曲をレコーディングしたのは、当時大人気だっただったサーフロック・デュオのジャン&ディーンです。
 その後、名プロデューサーのルー・アドラーに誘われて、二人はインペリアル・レコードと契約。今度は、二人がファンタスティック・バギーズを結成。1964年にシングル「テレム・アイム・サーフィン」でデビューしますが、ヒットには至りませんでした。
 そもそもサーフロックなどティーンズ・ポップにウンザリしていたスローンは、同じ時期に登場したボブ・ディランに衝撃を受けます。名曲「戦争の親玉」などに触発された彼は、社会的なメッセージをこめた曲を書こうと思い立ちます。

<「明日なき世界」>
 1965年、彼が作った曲「明日なき世界 Eve of Destraction」が元ニュー・クリスティー・ミンストレルズのバリー・マグワイアが歌って大ヒット。全米ナンバー1となります。その他にも、タートルズの「You Baby」、サーチャーズの「Take me for What I'm Worth」。それにTVドラマの主題歌「Secret Agent Man」もジョニー・リバースが歌って全米第3位のヒットになりました。
 その間、彼自身もソロ・アルバムを発表して音楽活動を本格化しています。ソロ活動での彼はボブ・ディランを意識したフォーク・スタイルでギターとハーモニカも演奏し、バックのメンバーには、ジョー・オズボーン、ラリー・ネクテル、ハル・ブレインなどの大物スタジオ・ミュージシャンが集められました。しかし、こうしたスタイルでの活動に対し、コンビのバリは批判的で、それまでの路線を継続しようと主張。ついにスローンは、一人ニューヨークへと活動場所を移すことにします。
 彼は、1965年「Songs of Our Times」、1966年「孤独の世界 - 12モア・タイムズ」、1968年「Mejor of Prejor」と3枚のアルバムを発表しましたが、いずれもブレイクには至りませんでした。

<グラス・ルーツ>
 1965年、彼らを見出したプロデューサー、ルー・アドラーは、 ボビー・ロバーツ、ジェイ・ラスカーとダンヒルレコードを設立。スローンとバリのコンビも、ダンヒルの重要な作曲家コンビ、ブレーンとして働くことになりました。そんな中、彼ら二人が企画し、デモテープを制作したのがグラス・ルーツでした。二人が作ったデモ録音を聞いたルー・アドラーは、すぐにダンヒルでレコード化し売り出します。すると、皮肉なことに大ヒットしてしまいます。
 1966年「Where Were You When I Needed You」が全米28位。「Things I Sould Have Said」が全米23位。「Wake Up , Wake Up」が全米68位。そして1967年の「明日を生きよう Let's Live for Today」は全米8位の大ヒットになりました。
 まさかの大ヒットにバンドとしてライブ活動をする必要に迫られ、急遽そのためのバンド「グラス・ルーツ」のメンバーが集められることになりました。スローンにとって、この成功は納得できるものではなく、初期のアルバム3枚に関わって以降、彼はバンドを離れてしまいます。
 1972年に再び彼は、ソロアルバム「レイズド・オン・レコーズ」を発表するもまたもヒットせず、この後、彼はソロ活動を停止してしまいます。

<活動再開>
 1985年、ニューヨークのライブハウス、ボトムラインで彼は復活ライブを行いました。その時、彼がオープニングで歌ったのは、なんとジミー・ウェッブの「P・F・スローン」だったと言います。その後も、彼は地味ながらソロ・アーティストとしての活動を継続します。
 21世紀に入ってからも、彼は活動を続け、2006年にアルバム「Sailover」、2014年にアルバム「My Beethoven」を発表。
 2015年、彼は自身の伝記をS.E. Feinberg と共著「What's Exactly the Matter with me ?Memories of a Life in Music」として発表。
 残念ながら、この時彼はすでに癌に冒されていたようで、2015年11月15日、この世を去ることになりました。
 

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