20世紀 哲学・思想史
Philosophy of 20th


- 20世紀の思想家は何を考えていたのか?-

<はじめに>
 20世紀は、それまで限られた人々のためのものだった「文学」、「音楽」、「映画」などの「芸術」が大衆化され世界中に広まっていった時代でした。それは誰もが芸術家になれる時代の到来でもありました。そうした時代だからこそ、人々は「人生とは何か?」、「美とは何か?」、「愛とは、命とは何か?」など、数々の疑問に思い悩むようになっていったのでしょう。その意味で、20世紀は「哲学」もまた大衆化した時代だったといえるかもしれません。それではプロの哲学者たちはどんなことを考えていたのでしょうか?

 かつて思想家はあらゆる分野の普遍的な現象を研究対象としていました。アリストテレスやピタゴラスは、哲学者であると同時に科学者でもあったことは有名です。しかし、時代が進むにつれて、彼らが扱う分野はしだいに広くなり、専門化が進み始めました。今や、哲学は学問の中のほんの一部となりました。しかし、優れた哲学者は現代でも、数学から自然科学、文学まであらゆるジャンルの学問を把握する天才ばかりです。ただし、彼らが扱う分野は、かつてのように普遍的で抽象的な現象ではなく現在を生きる人々の生活に直接影響を与える現象へとしぼられてきているようです。

「結果的に、哲学者は、恒久的に存在するものとは何かについて語ることを望まなくなりました。しかし、哲学者は、現在起こっていることが何であるのかを語るという、もっとも困難な、もっともとらえにくい義務を持っているのです。・・・・・」
ミシェル・フーコー

 それぞれの時代、それぞれの場所で生きた思想家たちは、その時代、その場所で必要とされ、なおかつ自分が興味をもちうることに目を向け、それを取り扱ってきました。したがって、ほとんどの思想家は彼らが生きた時代を映し出す鏡のような存在だったといえるでしょう。ただ、その中でも時代の変化に左右されない革新的かつ普遍的な思想を残した者だけが未だに読み継がれているわけです。もちろん、過去のものとなった思想も、それがなぜ当時は信じられていたのかを知ることにより、その時代を知る重要な鍵となりうるということも忘れてはいけないでしょう。それは新しい思想を生み出す原動力となりうるのです。だからこそ、「歴史」は学ぶに値するのです。

 残念ながら「哲学」という「学問は難しすぎて僕たちには理解困難な部分も多々ありそうです。しかし、わかりやすい解説本(「現代思想のすべて」湯浅赳男著など)を参考にしながら20世紀の哲学史を追ってみようと思います。

 歴史に残る思想家たちは、それぞれが生きた時代にどんなことを考えていたのか。その変遷をなんとなくでも分かってもらえればと思います。もちろん、哲学をちゃんと学んだ方にはご不満もあると思いますが、これはあくまで入門編とお考え下さい。それにしても、優れた思想家たちが示した未来予測がもう少し社会、大衆に理解され受け入れられていたら、世界はもう少しましになっていたのかもしれません。現実には、どんなに優れた哲学者の思想も、一般大衆に直接伝わることはめったにありません。それでも、サルトルやフーコーなど一時代を築いた思想家たちは間違いなく多くのアーティストたちに影響を与えました。そして、彼らの多くはその印象から生まれた歌や映画、文学を生み出し、それが僕たちへと届けられることとなりました。だからこそ、「哲学」もまた間違いなく「ポップの世紀」の主役のひとりだったのです。
 そして、何により哲学もまた、かつてロック・ミュージックがそうだったように、既成概念を変えようという思想そのものなのです。

「・・・もし、哲学が、すでに知っていることを認めさせるかわりに、今とは違ったやり方で考えることが、どのように、どこまで可能なのか知ろうと企てないのなら、哲学とは何だろうか?」
ミシェル・フーコー

 パスカルのあまりに有名な言葉もご紹介しておきましょう。この言葉は、「人間論」であると同時に「宇宙論」にもなっています。もしかすると、彼の中では「人間の脳」の中の世界と「宇宙」は同じような存在に見えていたのかもしれません。だとしたら、パスカル恐るべし・・・。
「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない」
ブレーズ・パスカル「パンセ」(1662年)

 哲学が生まれたのは紀元前500年頃のギリシャと考えていいと思います。「こういうものが哲学だ」という一種の決まりの中でものを考えて表現するという一つの型がその頃にできたわけです。他の世界には経由してヨーロッパに定着し、ヨーロッパの学問のもとになった、哲学とはヨーロッパの表現の型であって、イデアを表現するものです。・・・
 日本人が「思想家」という特殊な言い方を発明しtれ、利用してきたのですけれども、それはヨーロッパで言う哲学とはちがうものです。ヨーロッパの人にとっては、ものを考えることが哲学とイコールになっています。しかし、アジア人、ことに日本人にとっては、そうではない。哲学と思想とは分けておかなければいけません。
・・・日本にはその意味ではアカデミズムの中に「哲学者」は大勢いらっしゃいますが、「思想家」はほんのわずかです。つまり哲学のゲームのルールに則って思考したり表現したりすることに長けている人たちはいる。

中沢新一「惑星の風景」より

 それでは、20世紀の哲学の道をまずは、1900年に亡くなった偉大な思想家ニーチェから歩み始めたいと思います。(人名索引はこのページの最後にあります)
1900年 1910年 1920年 1930年 1940年 1950年 1960年 1970年 1980年 1990年

1900年 フリードリヒ・ウィルヘルム・ニーチェ(1844年〜1900年)が死去
 フリードリヒ・ウィルヘルム・ニーチェ Friedrich Wilhelm Nietzscheは、キリスト教は奴隷の「生」に対するルサンチマン「恨み」を隠している奴隷道徳である、と嫌っていました。キリスト教が絶対的存在だったヨーロッパでこう言い切るだけでも、彼はすでに19世紀の人ではなかったのかもしれません。彼が信じたのは「永劫回帰」の実感であり、「超人」として生きる理想の生でした。彼は人が神に近づける瞬間を体感し、そこに向かう者だけが救われると信じる孤独な宗教指導者だったともいえます。
 こうして超人的な「力」を求め続けた彼は、皮肉なことに梅毒によって正気を失って死んでゆきました。そして、19世紀を生きた壮絶な彼の死から20世紀が始まることになります。
「誰にしろ、どこに住んでも構わないというものではあるまい。ことに全力を振りしぼることが必要である。大きな使命を果たせなければならない者は、この点できわめてわずかな選択しか許されていない」
 ニーチェという思想家は、リゾート地を季節にあわせて移動しながら、それぞれの場所、それぞれの場所、それぞれの季節の影響を受けつつ、哲学し続けた。常に病いに悩まされながらも、逆にそこから深い思想を生み出せたのは「自由」であり続けられたからなのでしょう。

「夢判断」ジークムント・フロイト(1856年〜1939年)
 ジークムント・フロイト Sigmund Freudは、現在のチェコに位置するガリチアにユダヤ商人の子として生まれました。ウィーン大学の医学部を卒業して医者になり、その後神経の病を治療することを専門とするようになります。そこでの研究の中で、彼は心の奥深くに意識(倫理や常識)によって抑えられた深層=無意識があることに気づきました。そこから彼が創始した精神分析とは、これを探し出し本人に意識化させることで神経の病を治療するという手法です。そのバイブルとなったのが、1900年に発表された「夢判断」です。
 人格を形成する最も重要な部分は自己表現をするエネルギーの源となるリビドーである。リビドーは「性欲」とも呼べるが、幼少時それは異性の親に向けられる。それが無意識のうちに抑えつけられることで、エディプス・コンプレックスもしくはエレクトラ・コンプレックスが生まれます。人間はこうしたリビドーによる「エス」の段階と「自我」の段階、さらに社会性を身につけた「超自我」の段階3つからなると分析しました。
 さらに彼はこの考え方を社会、宗教、芸術などの分野にも拡張してゆき、その後多くの科学者、思想家、医学者たちが彼の考えをもとに自らの研究を展開してゆくことになります。
 哲学者ではないにも関わらず彼ほど20世紀の思想家たちに影響を与えた人物はいないかもしれません。もちろん、その影響は科学や思想だけには限りませんでした。20世紀が生んだ音楽、映画、文学、美術などへの影響の大きさも多大なものがあります。死してなお、彼が発見した「無意識の世界」は人々を捕らえてはなさずにいるのです。

「笑い」アンリ・ベルグソン
「論理学研究」エドムント・フッサール
夏目漱石が英国に留学
「武士道 Bushido The Soul of Japan」新渡戸稲造
<パリ万国博覧会とアール・ヌーヴォー>パリ万博を彩ったアール・ヌーヴォーの美学
1901年 エルンスト・フォン・ヴォルツォーゲンがベルリンのアレクサンダー広場に「多彩劇場(超寄席)」を開設。ベルリンにおける芸術キャバレーの先駆けとなる
「二十世紀之怪物」 帝国主義」幸徳秋水
「西洋哲学史要」波多野精一
1902年 ルドルフ・シュタイナーが神智学協会ドイツ支部長に就任
1903年 「論理学説研究」ジョン・デューイ(1859年〜1952年)
 ジョン・デューイ John Deweyは、ニューイングランド生まれのアメリカ人哲学者です。哲学を学ぶため、ジョンズ・ホプキンス大学に入学。カントやヘーゲルなどドイツ哲学の王道を研究した後、哲学の教授となりました。しかし、実践的で素朴な典型的なヤンキー・タイプの彼は、頭でっかちな観念論よりも人間性を育てる教育学を重んじました。20世紀初めに発表した「論理学説研究」(1903年)からはプラグマティスト(実用主義者、実際主義者)として活躍するようになります。彼は「概念」とは「道具」であり、実際の生活や仕事の役に立たなければ意味がないというアメリカ人的立場で哲学と教育学を結び付けました。
 時代的にソ連の社会主義にも関心をもつがスターリンの登場以降は、その独裁政治を批判する側に回りいち早くその矛盾を指摘してゆきます。最もアメリカ人らしい思想家のひとりであり、古き良きアメリカのイメージを生み出す原点となったともいえる存在。「パパは何でも知っている」のパパは、こうしたプラグマティズムの教育が生んだ理想のアメリカ人だったといえそうです。

社会民主労働党がボルシェビキ、メンシェビキに分裂(露)
内村鑑三が「聖書之研究」などを通じ、日露戦争の開戦に反対
幸徳秋水らが平民社を設立、「平民新聞」創刊へ
1904年 「営利企業の理論」ソースタイン・ヴェブレン(1857年〜1929年)
 ソースタイン・ヴェブレン Thorstein Veblenは、ジョン・デューイと並ぶアメリカ人らしい思想家。ノルウェー移民の子としてウィスコンシン州の田舎街で生まれました。シカゴ大学、スタンフォーど大学などで教授を勤め、「生産者の立場に立った哲学」を基本とする著作を発表し続けました。
 最初のプロテスタント系移民がアメリカを開拓するために各地のフロンティアへと苦闘の旅を続けたのに対し、20世紀に入ってからやって来たアイルランド系、ユダヤ系、イタリア系移民たちの多くは都会に住みつき、彼らが新しいアメリカ人の都会的なライフ・スタイルを生み出すことになりました。そして、彼らはその後、アメリカ経済を左右することになる企業の理念を少しずつ変えてゆくことになります。
「営利企業の理念」(1904年)
 この著作の中で彼は、企業による経済活動は、ビジネス(金儲け)とインダストリー(産業)に分けることができるとしています。ビジネスにおいては、利益を得ることが目的なので消費をあおるためなら何でもやらざるを得なくなると指摘。それに対してインダストリーは、有効なものを効率的に作ることを目的としており、それは倫理的に正しい方向といえます。残念ながらアメリカだけでなく世界全体の経済活動において、前者(金儲け)の傾向がどんどん強まっているのは明らかです。彼は、だからこそ「インダストリーの社会改革」が必要であると主張していました。
 彼は、古き良きアメリカ、映画「素晴らしき哉、人生」における「愛のある経済学」の必要性をいち早く説いていたわけですが、残念ながらその意見に耳を傾ける者は、ごくわずかだったようです。

「共産党宣言」(幸徳秋水、堺利彦訳、平民新聞刊)が発禁となる
1905年 「認識と誤錨」エルンスト・マッハ(1838年〜1916年)
 音速を示す「マッハ」でも知られる20世紀初頭を代表する天才マルチ思想家のエルンスト・マッハ Ernst Waldfried Joseph Wenzel Machは、当時オーストリア領だったモラヴィアのキルリッツで生まれました。ウィーン大学で学び、同大の教授に就任。専門は物理、数学だったが、研究対象は哲学、科学史、心理学、生理学など幅広かった。彼の重要な主張として「要素一元論」があります。
 カントなどによる理性によって世界を把握するという考え方ではなく、直接的体験をもとに世界を把握することを主張しました。物体や自我はどちらも実態ではない。しかし、感性的諸要素(色、熱、音、圧力など)からなる複合体として把握することは可能と考えました。
 「因果関係」もまたそれらの現象の間の関数関係としてとらえることができる。物理学と心理学は根本的に異なるわけではなく観点が異なるだけというわけです。彼の考え方は、ニュートン力学における絶対空間という考え方を否定することでアインシュタインの相対性理論が登場する可能性をいち早く示していたことでも重要です。
 20世紀の科学は、例えば物理なら量子力学、天文学、相対論など、それぞれの専門分野へとどんどん細分化されてゆくことになります。そう考えると、彼は人類史上最後のマルチ・サイエンティストであり思想家でもあったのかもしれません。

エドムント・フッサールがゲッティンゲン大学やミュンヘン大学の学生による研究会を開き、そこで初めて「現象学的還元」の考えを示した
アルバート・アインシュタインが「特殊相対性理論」「光量子仮説」を発表

< 物理学が美学だった頃>アインシュタイン、ボーアら天才物理学者たちの時代
1906年 フェルディナン・ド・ソシュール(1857年〜1913年)がジュネーブ大学で「一般言語学講義」を開始。(1911年まで行われる)
 フェルディナン・ド・ソシュールFerdinand de Saussureは、スイスの言語学者で初めて言語学を科学的に分析した学者です。それまで言語について行われていた研究は、その変化の歴史を時間軸にそって追跡・分類・比較・研究する歴史比較言語学でした。彼はその分野の優秀な研究者としてスタートしたが言語全体にわたり、時間軸を横切りして法則性を追求する新しい分野に挑戦しました。
 彼は言語とは、「ラング」と「パロール」とからなるとしました。「ラング」とは、「文法」という法則をもち、言語を使う人間の頭の中に存在する「制度的」なもの。それに対し、「パロール」とは、「ラング」をもつ人が実際に口を動かして発する「言葉」のことです。そして、「パロール」は一つのシステムに基づいて組み立てられた言葉の集合体によって「意味」を伝えます。彼はこの言葉を「単語」に分解、その「単語」の構造を分析しました。彼はすべての単語を「シニフィアン」(記号表現)と「シニフィエ」(記号内容)とに分けて分析しています。
 「シニフィアン」とは、「SINIFIAN」という発音の音であり、「S」や「I」など、さらに細かな音素の集合体です。「シニフィエ」とは、その言葉がさす「意味」のことです。「シニフィアン」と「シニフィエ」を結びつける法則は存在しません。しかし、他の言葉との区別をつけるための「差異」が必要ため、「シニフィアン」という「違った音」をもつ「名前」が必要なのです。
 人間はあらゆることを表現するため、このシニフィアンとシニフィエを用いているが、そのことを意識しているわけではありません。さらにこのことは、言語以外の社会ルール全般にもあてはまります。人間が行動している社会ルールにも意識している表面の制度の下に無意識の構造が隠れているのです。こうした考え方から、この後「構造主義」が生まれることになります。
 19世紀の時点でいち早く言語を科学として扱うという新しいジャンルを切り開いたという点で20世紀後半に登場する構造主義の元祖ともいえる存在でした。今では当たり前に思える言語の機能を明確化したことで言語学が「学問」として新たな段階に入ったのでした。

ドイツの生物学者エルンスト・ヘッケルがハンブルクで「一元論同盟」を結成。宇宙のすべての謎は「物質の原理」「エネルギーの原理」「進化論」、三つの原理によって解明可能とした。
マハトマ・ガンジーが南アフリカで非暴力の抵抗運動を組織
堺利彦らによって日本社会党設立
1907年 エドムント・フッサール(1895年〜1938年)が「現象学の理念」の講義が行われ「現象学的還元」を解説。
 エドムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサール Edmund Gustav Albrecht Husserlは1906年にゲッチンゲン大学の教授となり1916年からはフレイブルク大学の教授として活躍。フライブルク大学をドイツ哲学の中心都市にした人物です。優れた人物でありながらユダヤ人であったために教授の地位を奪われることになります。
 世界は意識によって構成されていると説明する「現象学」を生み出したドイツを代表する哲学者であり、サルトルらフランス人の哲学者にも多大な影響を与えた彼の考え方はざっくり書くとこんな感じでしょうか。
(1)世界を描き出すための論理を人間の心のあり方から考えるのは間違っている。そうした心理学的要素とは切り離した「超越した論理」。それ自体を記述しなけらばならない。
(2)人間は世界を認識する際、ある種の偏見を通して見ており、それは「幻想」である。(これを自然的態度と呼ぶ)
 世界をより正確に認識するためには、常に立ち止まり「判断中止」(エポケー)をしながら、思い込みを取り除きつつ、それでも残された究極の真実に近づく作業が必要である。この思考の手順を「現象学的還元」と呼ぶというわけです。
 ただし、こうした作業を行っても完璧な客観性は得られません。そこにはそうした思考を行う「能動的な意識」が存在しているからです。逆に考えると、「世界」とは意識によって構成されているということもできます。そして、この世界を構成し創造する純粋な自我を「超越論的主観性」と呼びます。「世界」を構成する無数の意識がもつ主観性はそれぞれが自覚的になり他者との共同を行う「間主観性」を生み出すことで、世界にとって有効な思想になりうる、というわけです。(ちょっと難しいかもしれませんが・・・)
 こうして生み出された「現象学」という考え方は、その後、20世紀の哲学の中心思想のひとつとしてもてはやされることになります。

「創造的進化」アンリ・ベルグソン
「プラグマティズム」ウィリアム・ジェームズ
小山内薫が「新思潮」を創刊
1908年 「新フランス評論」(NRF)第1号刊行(1909年の第二号にアンドレ・ジッドの「狭き門」が掲載され話題になる
1909年 フィリッポ・トマーゾ・マリネッティが「未来派宣言」を発表
1910年代
1910年 「数学原理」バートランド・ラッセル(1872年〜1970年)共著アルフレッド・N・ホワイトヘッド
 バートランド・ラッセル Bertrand Arthur William Russellは、名門貴族出身の由緒正しいイギリス人思想家です。当初はヘーゲルらのドイツ哲学を学んでいたが、その曖昧さよりも数学の正確さに惹かれるようになり、論理学や数理学へと方向を転換。事物を分析するには、その事物を構成する最小単位(原子)にまで掘り下げる必要があると考えるようになります。論理学を数学的に分析、研究することにこだわり続けました。第二次世界大戦後、原子爆弾が広島、長崎に落とされて、その悲惨さが明らかになると核廃絶運動に力を注ぎ、生涯平和運動に尽力しました。
 科学、数学の分野から世界を把握しようと試みた量子力学が発達した時代、それは原子爆弾というあまりに危険な発明を生み出してしまいました。そのおかげで彼の人生は大きく変えられることになったわけです。科学者ではなかったものの、彼は量子力学の時代を象徴する存在となりました。

「意思と表象としての世界」ショーペンハウエル著、姉崎正治訳が日本で出版される
大逆事件(幸徳秋水ら12名に死刑判決、天皇暗殺計画の罪)
1911年 スヴァルト・シュペングラーは世界大戦を予知。1918年に出版されベストセラーになる「西洋の没落」の執筆開始
「科学的管理法」フレデリック・ウィンスロー・テイラー
歴史研究家ハイラム・ビンガム(英)がマチュ・ピチュ遺跡を発見
W・カンジンスキーが青騎士を結成
アンデパンダン展にキュビズム派の追随者が登場(フェルナン・レジェ、マルセル・デュシャン、フランシス・ピカビアなど)
1912年 「変容と象徴」カール・グスタフ・ユング(1875年〜1961年)
 カール・G・ユング Carl Gustav Jungは、フロイトの弟子ながらユダヤ系ではなくゲルマン系のスイス人。少年時代から幻視体験をしていたせいもあり、超心理現象に興味をもつようになり、バーゼル大学で医学を学ぶと精神病について研究し始めました。その過程でフロイトの歴史的名著「夢判断」を読み、作者であるフロイトとも交流が始まりました。フロイトの弟子となった彼ですが、もともと超常現象に興味があった彼は神秘主義的傾向が強く、しだいに路線の違いが明らかになります。その影響もあってか、彼が1912年発表した名著「変容と象徴」をフロイトはあまり評価せず、ついに二人は別々の道を歩み始めることになりました。
 フロイトが「性欲」にすべてを還元しょうとすることにユングは反発。彼はリビドーの向かう方向こそが重要であるとして、「内向性」「外向性」を重視しました。さらに大きな二人の違いは、彼が「集合的無意識」の概念を非常に重要視した点です。ここでいう「集合的無意識」とは、個人の無意識の奥に潜む祖先たちが積み上げてきた膨大な記憶(元型)のことで、それが人間の感情などを形成し、神話や神秘思想の原点にもなっていると彼は考えました。
 あくまでも理論にこだわる学者であり続けたフロイトの弟子でありながらダークサイドへと導かれてしまったのがユングかもしれません。しかし、「性欲」にこだわり続けたフロイトより、「集合的無意識」という超現実的存在にこだわり続けたユングの方が魅力的に思える人はけっこう多いのではないでしょうか?(ちなみにロック界でいうと、フロイトがミック・ジャガーなら、ユングはキース・リチャーズいやブライアン・ジョーンズか?)
「人間にとって決定的な問いとは、自分が限りなきものとつながっているかどうか、ということである」

「私は理解されない芸術家だった」


「変身 Die Verwandlung」フランツ・カフカ
アルフレッド・ウェゲナーが大陸移動説を発表
「憲法講話」美濃部達吉
1913年 「精神病理学総論」カール・ヤスパース(1883年〜1969年)
 カール・テオドール・ヤスパース Karl Theodor Jaspersは、ドイツの精神医学者であり、ハイデガーと並ぶ実存哲学者です。ここで用いている「実存」とは、人間がそこから行動したり思索したりする自己存在の根源。「実存」は主観的な存在であるがゆえに、他には存在しない超越的なものになりうると考えられます。そして、その超越的な自己に到達するためには、「世界」を超越し、超越者(はつて、人はそれを神もしくは預言者と呼びました)と関係する必要がある。ただし、それを実現させるためには、人は限界状況、もしくは危機的な状況に追い込まれなければならない。そしたう状況に置かれて初めて人は超越者と結びつく暗号を解読することができるのです。
 「誕生」や「死」のような非理性的なものと出会うことで初めて究極の理性が働きだすということは、それらの非理性的なものとれ性的なものを同時に世界に存在させる包括者が存在するということです。この包括者こそが真の超越者であり、神だというわけです。
「軸の時代」
 彼は人類の歴史の中で非常に重要な時代として「軸の時代」をあげています。これは時代的には紀元前5〜6世紀ごろにあたるもので、ほぼ同時期に世界の何箇所かで今日にまで影響を及ぼしている偉大な哲学者たちが現れているというのです。
 ソクラテスらのギリシャの哲学者たち、イザヤなど旧約聖書に登場するイスラエルの預言者たち、孔子など中国の思想家たち、それにガンジス川流域の都市国家に生まれたゾロアスター教の修行者たち
 問題は、再び新たな「軸の時代」が到来することはあるのか?ということです。人類の生き方を根本的に変えるような革命的な思想家が現れなければ、我々に22世紀を向けるチャンスはないのではないか?僕はそんな気がしているのですが・・・。

「失われた時を求めて」第一部「スワンの恋」作者マルセル・プルーストによる自費出版として刊行される。この後の作品はガリマール社から10年以上の歳月をかけて発表されることになる

アンリ・ベルグソンがロンドンの心霊研究協会で講演会開催し、心霊学の重要性を強調。この団体には詩人のテニソン、批評家ラスキン、心理学者のW・ジェームス、物理学者のJ・J・トムソンらが参加しており、心霊学を科学的に検証することができると考えていた。
1914年 アルバート・アインシュタイン「一般相対性理論」を発表
マハトマ・ガンジーらインド人知識人が対英協力声明を発表(将来の独立に向け)
1915年 「帝国主義論」ウラジミール・レーニン
1916年 「一般言語学講義」フェルディナン・ド・ソシュール(その後の人文諸科学に大きな影響を与えることになる著書)
スイスのチューリッヒにて、ドイツ人芸術家フーゴ・バルが開設した「キャバレー・ボルテール」で行われた夜会からチューリッヒ・ダダがスタート。新聞にはこう書かれた
1917年 ロシア革命起きる(ニコライ2世が退位しロマノフ朝が終わる)
アメリカ人ジャーナリスト、ジャック・リード「世界を揺るがした十日間」を発表(ロシア革命のルポ)
「泉」マルセル・デュシャン(20世紀のアートに、最も大きな影響を与えた作品とも言われる前衛アートの原点)
ワシーリー・カンディンスキーがモスクワ芸術文化研究所の館長に就任
[ダダの時代]
バーンホフシュトラーセのコレイ画廊で「第一回ダダ展」開催。その成功をうけて「ダダ画廊」が開業。ダダは世界各地のアバンギャルド芸術運動と交流しながら一大ブームとなり、時代の波となってゆきます。
「一般社会学概論」ヴィルフレード・パレート
1918年 ハサン・アル・バンナー(1906年〜1949年)がイスラム同砲団結成
 ハサン・アル・バンナー Hasan al-Bannaは、エジプトの敬虔なイスラム教徒の家庭に生まれました。時計修理の職人だった父親のもとで育ち、優秀な成績でカイロの高等師範学校に入学。中学校の教師となり、教師生活のかたわら、1918年に「イスラム同胞団」を結成します。そして、これがイスラム原理主義組織の原点になります。
 彼らの主張は、「イスラムの進行に基づく国家の建設と社会正義の実現」でした。
「アラーの神は、人間の方で自分の状態を変えないかぎり、決してある民族の有様を変えたりなされない」という教えに基づいて、彼らは社会体制の変革を進めようとしました。そして、彼らは、すぐに植民地支配を行うイギリスに対してテロ活動を行うようになります。そのため、1948年には非合法組織とされ、彼らは地下組織として密かに活動を続けることになります。しかし、彼らに対する徹底的な弾圧は、逆に彼らの存在を他のイスラム諸国にも知らせることになり、イスラム原理主義は世界中のイスラム圏の国々へ広まって行くことになりました。こうして、彼の思想は現在にまで続くイスラム原理主義者によるテロ活動の底流として21世紀へと続くことになるのです。
 今や、アメリカ、西欧の文明に対抗する最大の文明となったイスラム原理主義の誕生は、意外にに最近のことでした。それは初めから弾圧とそれに対抗する抵抗の歴史だったともいえます。そして、そんな彼らの存在を世界中に広めた最大の功労者は間違いなくその最大の弾圧者アメリカだったのです。

「狂人日記」
魯迅
「西洋の没落」オスヴァルト・シュペングラー
「論理哲学論考」ードヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン
1919年 「職業としての政治」マックス・ヴェーバー(1864年〜1920年)
 マックス・ヴェーバーMax Weberはマルクス主義の一大ブームによって忘れかけられたドイツの思想家です。しかし、地味ながら現在でも静かに影響を与え続けている孤高の存在でもあります。
「認識」とは何かについて、彼はこう考えました。
「何かを判断するとき、人間はある枠組み(理念型)を頭の中にもち、それを対象物と比べることで判断を下す」したがって、社会学とは人間行為の様々な「理念型」のカタログのことである。しかし、そうした判断には参考とするべき「価値」の存在が必要。さらにその判断下すためには、もうひとつ客観的に見比べることのできる判断者の「自由」も必要と考えました。
 彼は政治支配の3つの類型を示しました。
「合法的支配」・・・法律、ルールなどにのっとった支配(アメリカなどの民主主義国家の多くは一応これに当たる)
「伝統的支配」・・・伝統によって定められた支配(王や神官などによって支配される国、チベットなど)
「カリスマ的支配」・・・特別な人格的力をもつカリスマ性による支配(ヒトラーのような大衆煽動能力をもつ人物による支配もしくは独裁による。北朝鮮やキューバなど)

「精神分析入門」ジークムント・フロイト(無意識の発見)
「人類の薄明」クルト・ピントゥス(編)(ドイツ表現主義の詩的運動が生んだ作品のアンソロジー。第一次世界大戦がもたらした衝撃を反映した作品が多い)
ドイツ、ワイマールに国立美術工芸学校(バウハウス「建築の家」)(建築家ヴァルター・グロピウスらによる)
1920年代
1920年 [バウハウスの開校]
ドイツのワイマールに開校したバウハウスが「バウハウスの夕べ」を開催
工学建築とモダニズム・デザインの統合を模索していたヴァルター・グロピウスを中心にM・テディ、W・クレム、R・エンゲルマン、D・フレーリヒ、L・ファイニンガーらによって、芸術大学と工芸学校を統合した総合的造型芸術家の養成機関として設立された。1922年にはカンディンスキーも教授陣に参加。モダン・デザイン運動の中心として活躍。1925年デッサウに移転。1933年ナチス・ドイツが政権を掌握したため閉校となる

「ダダ万歳」ラウール・ハウスマン(独)
「資本論」カール・マルクス著が高畠素之の翻訳で刊行される
「ロボット R.U.R」カレル・チャペック(チェコ)(ロボットの名前の由来となった作品)
「哲学の改造」ジョン・デューイ(プラグマティズムを代表する思想家)
日本初のメーデー、社会主義同盟設立(大杉栄、堺利彦らによる)
1921年 「論理哲学論考」ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン(1889年〜1951年)出版契約成立(1918年には完成していたが、出版社が見つからず、彼は自殺まで考えていた)
 ルートヴィッヒ・ヨーゼフ・ヨハン・ウィトゲンシュタイン Ludwig Josef Johann Wittgenstein は、オーストリアのウィーンに生まれました、。父親はユダヤ人で鉄鋼業界の大物でした。ベルリンの工科大学、マンチェスター大学工学部で学んだ後、数学や論理学の道へと進み、バートランド・ラッセルのもとで学びました。そこで言語学を本格的に研究するようになります。
 彼の考えでは、「言語」とはばらばらな独立した要素であり、他のものとは関係なしに成り立っている。「言語」単体では何も表さず、何かと結びついてはじめてそれは「意味」をもつということです。
 言語によって世界は把握されているのか?することは可能なのか?
 言語は世界を記述するためにだけ存在するのか?
 (非常に面白い問題ですが、ここから先は難しいので解説不能です。またいつか・・・)
 彼は、こうした言語やイメージによる足かせによって狭められている哲学を解放するため、数々の思考実験を展開しました。
 原子の段階にまで世界を分解することで世界を記述しようと考えたバートランド・ラッセル。その弟子でもあった彼は、世界を「原子」ではなく「言語」に還元しようとしました。そのため、彼は「言語」という存在の本質を徹底的に追求したのです。もちろん、それは「原子」の本質が未だにつかみきれていないのと同様、終わりのない挑戦といえるのかもしれません。
「私の言語の限界は、すなわち、私の世界の限界だ」 ウィトゲンシュタイン

「阿Q正伝」魯迅
「われら」エフゲニー・イワーノヴィッチ・ザミャーチン
1922年 「教育と社会学」エミール・デュルケム(1858年〜1917年)
 エミール・デュルケム Emile Durkheimは、フランスのロレーヌ地方エピナール生まれのユダヤ人です。ボルドー大学教授を経て1902年パリ大学の教授となったフランスにおける社会学の巨人です。
 彼の代表作「社会分業論」では、産業革命によってフランスの社会学が大きく変わりつつあることを指摘。「機械的連帯」の社会から「有機的連帯」の社会へと移り変わりつつあることが解説されています。ここでいう「機械的連帯」の社会とは、同じような村落共同体が集まっている社会のことで、その社会はどこを切り離しても同質なため、その影響を受けにくいと考えられます。それに対して、「有機的連帯」の社会とは、それを構成する単位がそれぞれ異なる存在で、それらが分業による相互依存関係を築いています。したがって、どこか一部が失われると、その影響は全体に及ぶ可能性があるわけです。
 21世紀、グローバリズムの世界的な拡大によって、世界は巨大な「有機的連帯」の社会となりました。アメリカで起きた金融破綻がその巨大な社会をいっきに恐慌へと追いやったのは当然のことでした。下り坂の大国アメリカでごく一部の人間たちの欲望を満たすために行われた詐欺的行為が、あっという間に世界を危機へと追い込んだのです。
 二つの社会の移行期におきる急激な変化は、人間たちに大きな混乱をもたらすことになりました。そうした問題に対応するためには、学校教育による人間改革が不可欠であると彼は考えていたようです。やはり最後は人間の心の本質が問われるということなのでしょう。

「世界史概観」H・G・ウェルズ
「夜の太鼓」ベルトルト・ブレヒト
1923年 「歴史と階級意識」ジョルジ・ルカーチ(ヨーロッパ・マルクス主義の古典的名作)
「日本改造法案大綱」北一輝
憲兵大尉甘粕正彦が大杉栄ら共産主義者を殺害
1924年 「魔の山」トーマス・マン
長編第二作となったこの作品は、第一次世界大戦中、ドイツの戦争を肯定していた彼が間違っていたことを反省して書いたとも言われる。しかし、この本にこめられた警告にも関わらず、ドイツはその後ナチズムへと突き進んでいった。
ウラジミール・レーニンが「新国家論」(「国家と革命」)発表
イタリアの総選挙でファシスト党が勝利
<シュルレアリストとファシスト>「わが闘争」アドルフ・ヒトラー、「シュルレアリスム宣言」アンドレ・ブルトン
1925年 「レーニン以後」マックス・イーストマン(いち早くソ連の党内闘争を暴露したルポ)
雑誌「民族」創刊(編、著)柳田國男
ルドルフ・シュタイナー(独)死去
<アールデコと大衆文化の時代>ジョセフィン・べーカーとアール・ヌーヴォーのアーティストのアーティストたち
1926年 ロマーン・ヤコブソン(1896年〜1982年)が「プラハ言語学派」を創立
 ロマーン・ヤコブソン Roman Osipovich Jakobsonは、ロシアのモスクワに生まれ、革命の翌年(1918年)にモスクワ大学を卒業しています。1920年ソ連からチェコに脱出し、プラハで言語学の研究を行い1926年「プラハ言語学派」を創立します。その後、ナチス・ドイツに追われながらデンマーク、ノルウェーへと移住した後、アメリカにたどり着きます。そこで彼は、同じようにヨーロッパから亡命して来たレヴィ=ストロースと出会い、互いに影響を与え合いながら構造主義の中心的思想家として活躍してゆくことになります。
「音韻論」
 彼は言語を分析して、その単位となる音素の体系化を行いながら、音素はどうやって結びつくのか?などについて研究しました。こうした、音の対立の型は、様々な言語において共通する部分が多く、地球上の言語は十数種類に分類できることを彼は明らかにしました。さらに彼は、動詞の形態や名詞の「格」の意味の分析などから「構造言語学」の方法を組み立てる先駆者ともなりました。
 19世紀の天才言語学者ソシュールの理論をもとに、彼は「プラハ言語学派」の理論を組み上げました。そして、その理論を受け継いでさらに発展させたのが「構造主義の父」と呼ばれるレヴィ=ストロースだったわけです。
1927年 「存在と時間」マルティン・ハイデガー(1889年〜1986年)
 マルティン・ハイデガー Martin Heideggerは、ドイツのフライブルク大学で「現象学の父」フッサールから直接学び教授となった実存主義を代表する哲学者です。彼は第二次世界大戦前ナチ党員だったこともあり、ユダヤ人だったために職を奪われたフッサールの後継者となったことでも知られます。ただ、そうしたことがあったにも関わらず、彼の普遍的な思想は誰からも高く評価され、左派の思想家からも認められる骨太の哲学者でした。彼は名著「存在と時間」(1927年)の中心課題でもある「存在」と「時間」について徹底的に考察を行ったことでも知られています。それでは彼の代名詞ともいえる「実存」という言葉の意味するところは何でしょうか?
 「あるものがある(存在する)」とは何か?それは「あるもの」が何なのか、ということではありません。あくまでも「ある」ということの意味を問いかけているのです。
彼はそれを現象学的還元によって明らかにしようとしました。
 例えば、「人」がいる(ある)ということは、どういうことなのでしょうか?それはある時間軸の上、ある状況・条件のもとに「人」が生きているということです。当然、それは「死」までの「時間」と切り離せません。ということは、その終わりにある「死」の存在を受け入れることで、初めて人間は「生きる」ことができるということでもあるのです。さらに「人」が生きているということは、その「人」の所属する民族や家族の歴史がその裏に刻み込まれているということでもあります。こうした、数々の事実があって初めて「人」はそこに「存在」しうるということなのです。

ヴァルター・ベンヤミンがアラゴンの「パリの農夫」を読み、「パサージュ論」の構想を思いつく
ニールス・ボーア「量子論の確立」を発表
「失われた時を求めて」マルセル・プルースト著(仏)
「荒野の狼」へルマン・ヘッセ著
「解放された大地と人間によて支配される自然力」ディエゴ・リヴェラ作(メキシコ壁画運動の代表作)
1928年 「ペルーの現実解釈のための七試論」ホセ・カルロス・マリアテギ(1894年〜1930年)
 ホセ・カルロス・マリアテギ Jose Carlos Mariateguiは、ペルー社会党の創立者となったが、元々は学校にも通えずに新聞社の植字工見習いから出発した苦労人。彼は校正係から記者へ、その後は新聞、雑誌の編集者から評論家、小説家、詩人となり、幅広いアーティストとして活躍しました。
 1918年頃から労働運動に力を入れるようになり、「ラ・ラソン(理性)」紙を創刊。反体制運動を支持する記事を発表しました。しかし、政府によって国外追放となり、ヨーロッパ各地を旅しながらマルクス主義やシュルレアリスムを吸収しました。1923年に帰国後、1928年にペルー社会党を結成。現実に根ざした彼の共産主義思想は、ソ連の中央集権的なものではありませんでした。元々が小さな自立する農家の集合体であるペルーの農家は、ソ連の農奴とは異なる条件にあり、同じ理論が通用しないのは当然のことでした。そのため、彼は「ペルーの現実解釈のための七試論」(1928年)においてソ連の社会主義とは異なる思想を展開しています。
 20世紀の初めにいち早く民族主義と社会主義を融合させるという離れ業に挑んだ早すぎる英雄でもあった彼は、1930年、35歳の若さでこの世を去りました。彼はまた、ペルー国民にとって伝説的な英雄でもあります。

「三文オペラ」ベルトルト・ブレヒト(独)
治安維持法が改正、適用され共産党員、社会主義者への弾圧開始
1929年 ウォール街(ニューヨーク証券所)での株価大暴落から世界恐慌始る
ベルリンで共産主義者の暴動発生
トロッキーが国外追放される、スターリンの独裁体制スタート
エルサレムでアラブ人、ユダヤ人が衝突し流血騒ぎとなる。(嘆きの壁事件)
「過程と実在(コスモロジーへの試論)」アルフレッド・N・ホワイトヘッド
「蟹工船」小林多喜二
1930年代
1930年 「大衆の反逆」ホセ・オルテガ・イ・ガセット(1883年〜1955年)
 ホセ・オルテガ・イ・ガセット Jose Ortega y Gassetは、スペインのマドリッドに生まれました。ドイツに留学した後、マドリッド大学の教授になりました。1914年第一次世界大戦直前に「スペイン政治教育連盟」を創設。1931年には王制が倒れ共和国へ以降し自らも国会議員となります。しかし、その後国内は混乱し内乱とともに彼は亡命を余儀なくされました。1945年の終戦後、やっと帰国することができました。彼はそうした激動の人生の中、名著「大衆の反逆」(1930年)を発表。その中でこんな内容のことが書かれていました。
「大衆」とは、「自分ではものを考えず、皆と同じであると感じることによって安心する人間類型」である。
 ただし、彼は大衆がそうなってしまうのには「知識人」にも責任があると考えていました。それは大衆を導くべき「知識人」の多くは専門知識はあっても知恵をもたない専門馬鹿になってしまい、「大衆」はそれを真似ているにすぎないというのです。こうしたオルテガの考え方は、ヒトラーやスターリンの登場によって証明され、その後も中国の文化大革命、カンボジアにおけるポルポト派による大虐殺など、思考停止状態の大衆による恐るべき事件が起きることになります。。
 彼はスペインでの内戦を生きながら、その実体験から「大衆」という恐るべき存在を理解し、それを著作にまとめました。こうして彼はこの後数多く登場することになるファシズムによる大衆煽動の歴史をいち早く指摘することになりました。

ドイツの総選挙でナチスが大躍進
不服従運動の開始、ガンジーが逮捕される
1931年 「中国の経済と社会」カール・アウグスト・ウィットフォーゲル(1896年〜1988年)
 カール・アウグスト・ウィットフォーゲル Karl August Wittfogel1930年代にドイツから亡命し中国で始まりつつあった革命を調査した左派の社会経済学者です。社会主義国について研究した彼は、ソ連と中国の共産主義体制はどちらも東洋的専制主義による国家体制だとしました。この東洋的専制主義の社会とは、・・・
(1)社会や国民の権利よりも国家の権力が上回る。
(2)恐怖政治が民衆を抑圧する社会である。
(3)国家の支配者は国民ではなく国王でもなく官僚階級である。
 したがって、権力を有するかどうかで階級が決まる社会でもある。その原点は、かつてモンゴルによって支配された国々であるところから始まったのではないか?そう考えています。(日本はかろうじて例外にあたるということです)
 彼は文明には、「中心」、「周辺」、「亜周辺」という3つの区分が可能とし、「中心」とは文明を生んだところ、「周辺」とは「中心」にいた国によって支配されたその文明を受け入れることになったところ、さらにその外にあり自由に文明を選択できる位置にあるのが「亜周辺」としました。
 彼はさらに国家や社会を「単一中心社会」と「多数中心社会」に分けました。
「単一中心社会」とは、アジアの多くの国、もしくは共産主義の国で、そこでは政治、経済、芸術などすべての市民生活に国家が指示を発しています。
「多数中心社会」とは、都市国家から生まれたヨーロッパの国々、アメリカのような多民族国家などのこと。そうした国々は社会をまとめるため、民主的なシステムを発展させざるをえませんでした。
1932年 ナチスの議席が38%を上回る(ドイツの第一党となる)
五・一五事件(犬養総理大臣が暗殺される)
1933年 ここから「二十世紀の文化大移動」といわれるドイツ語圏からの頭脳流出が始まる。
K・レヴィンらのトポロジー社会学、L・シュピッツァー、R・ヤコブソンらの言語学、人文科学、多数の精神分析医たちによる心理学、精神医学の研究、J・シュペンターらによる経済学の改革、そのほか数学、化学、物理、生物学などの分野でも優秀な人材がアメリカにわたり、そのおかげでアメリカは第二次世界大戦後、20世紀後半の世界をリードしてゆくことになります。
[エラノス会議]
ドイツの宗教史研究家ルドルフ・オットーの提案により、イギリスのオルガ・フレーベ・カプテインが創設した会。スイスのマッジョーレ湖畔アスコーナにて第一回が開催された。最初のゲストはC・G・ユングで、心理学、神話学、生物学、宗教学などを統合し、生命=有機的なるものの発生の原初へとさかのぼろうとする研究会。その後の参加者としては、M・エリアーデ、J・キャンベル、鈴木大拙、河合隼雄などもいる。

フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策
ナチスによりバウハウスが閉校に追い込まれる
小林多喜二が治安維持法で逮捕され拷問により虐殺される
1934年 「新しい科学的精神」ガストン・バシュラール(1884年〜1962年)
 ガストン・バシュラール Gaston Bachelardは、パリ近郊の農村に生まれ、恵まれた家庭の出身ではありませんでした。中学卒業後、郵便局で働きながら数学の学士号を取得した彼は中学で物理と科学を教えながら自学自習で哲学を研究し始めます。こうして彼は、科学の分野から哲学の分野へと視線を広げることで大きな仕事を成し遂げる思想家となります。
 1930年にディジョン大学に就職。その後、実績を積んだ彼は見事名門ソルボンヌ大学の教授となりました。この頃彼が発表した著作「科学認識論」で彼は、科学の歴史は連続的な理論の進化から成立するのではないと指摘。妨害や障害にぶつかり、それを乗り越える「切断」の後にこそ新しい科学が誕生すると指摘しています。この考え方は、トーマス・クーン1962年に発表する「科学革命の構造」の先駆となるものでした。
 彼は、人間を取り巻く存在である「イメージ」についての考察にも挑んでいます。ここでいう「イメージ」とは、「意識」と「下部意識」の接点に位置づけられており、意識下にあって、うごめきながら意識に影響を与えるものとされていますが、彼は特に我々の生きている宇宙を構成している「水」、「空」、「大地」、「火」の「イメージ」について深く考察しています。
 物事を認識する際、その「障害」となるコンプレックスのもととなるのが「イメージ」でもある。彼はそうも考えていました。これは科学が進化の歴史を進める際に乗り越えなければならない「障害」とも見事に共通しているといえます。

「精神、自我、社会」ジョージ・H・ミード(C・W・モリスがミードの講義録をもとに編集したもの)
1935年 クロード・レヴィ=ストロース(仏)がサンパウロ大の社会学教授として赴任。大学の休暇を利用してアマゾンの原始部族を調査。民俗学研究の道を歩み始める
アドルフ・ヒトラーがヴェルサイユ条約を破棄、再軍備開始
反ユダヤの法律化(ニュールンベルグ法)(独)
美濃部達吉の天皇機関説により不敬罪で告発される
「私小説論」 小林秀雄
1936年 「想像力」ジャン=ポール・サルトル(1905年〜1980年)
 ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル Jean-Paul Charles Aymard Sartre 20世紀後半、激動の1950年代、60年代を代表するフランスの哲学者。一歳の時に父親を亡くしたが、天才少年として育った彼は、フランス最高の超名門校である高等師範学校に入学。卒業後は高校教師となるがフッサールの現象学と出会い、1930年ベルリンに行きフッサールに学びます。1936年「想像力」、1938年小説という表現形式を用いて「実存」とは何かを描いた「嘔吐」を発表し、一躍その名を知られるようになります。
 ここでいう「実存」とは、ある対象の存在から、その対象の本質的な部分を取り去ってなお残る部分のこと。その「実存」を彼は「行動」と結びつけました。人間は実存しているがゆえに自由である。この自由に基づいて自ら行動することで「歴史」をつくることができるというわけです。(1943年「存在と無」)
 第二次世界大戦後、彼は共産党と協力関係をもつようになります。「弁証法的理性批判」(1960年)では、マルクス主義による社会学を実存主義、現象学の概念によって裏付けようとしました。当時の反体制運動の流行とともにこの本は大ヒットすることになり、彼は一躍「時の人」となります。
 しかし、1960年代に入ると彼はレヴィ=ストロースら構造主義の思想家たちから批判されるようになります。それに対抗するように彼は1960年代さらに急進的な左派の支持者となり、毛沢東主義者の過激派の活動を支援するようになりますが、その行動は反体制運動の後退にともないしだいに時代錯誤ととられるようになります。こうして1970年代に入ると、彼の存在は急激に過去のものとなりました。
 僕自身、現代の哲学者として最初に知った名前はサルトルだった気がします。ヌーヴェルバーグの監督たちとの関係も深く、政治だけでなく映画にも大きな影響を与えたポップ・カルチャーの英雄でもありました。しかし、カルト・ヒーローには必ず、その反動がくるものです。早死にしていれば永遠の存在になれたのかもしれませんが、・・・。しかし、実存主義の英雄は確かに自らの人生によって、その思想を体現して見せてくれました。
「いかなる人間でも、生きながら神話化されるには値しない」

「存在の大いなる連鎖」アーサー・O・ラブジョイ(学問のジャンルを超えた議論から生まれた西洋思想史)
「想像力」ジャン・ポール・サルトル
「雇用・利子および貨幣の一般理論」ジョン・メイナード・ケインズ
ソ連で新憲法(スターリン憲法)制定
スペイン内乱始まる
二・二六事件(高橋是清らを軍内部右派が暗殺)
天皇機関説を発表した美濃部達吉が右翼に襲撃される
1937年 「開かれた社会とその敵」カール・R・ポパー(ナチスに追われ亡命したこの時期に執筆された)(1902年〜1994年)
 カール・ライモンド・ポパー Karl Raimund Popperはウィーンで生まれ、ウィーン大学で数学や物理を学んだ後、科学哲学、社会哲学の方向へと進んだ思想家です。一時期はマルクス主義へと傾いたものの、革命を成功させるためには命の犠牲もやむなしとする姿勢に幻滅し、そこから離れました。その後は、マルクス主義のもつ「科学性」の疑わしさを徹底的に追求するようになります。
 彼の重視した点として上げられるのは、「科学的な主張は反証可能なものでなければならない」です。真偽の判定が初めから不可能な理論は化学的とはいえないということです。さらに、彼は「科学の方法は帰納法では不十分であり、仮説を立ててそれによって演繹する方法でなければならない」とも言っています。
(ここでいう帰納法とは、ある問題を解く際、その問題に対する個別の答えから推測することで普遍的な答えを導き出そうというものです。それはある意味推定でしかないともいえます。逆に普遍的な法則を先に見つけ出し、そこから個別の答えを導き出すのが演繹法です)
 左派の哲学者が活躍していた20世紀の後半、マルクス主義は確かに暴走してしまったが、それはスターリンのような異常なファシスト的人物のせいでありマルクスの理論が間違っていたわけではない。それが左派系の学者たちの考え方でした。それに対し、彼はマルクスの考え方は本質的な部分で間違っていると指摘。彼はソ連を中心とする共産圏の国々が近い将来崩壊することをいち早く予見していました。
北一輝の処刑
二・ニ六事件を起こした皇道派を統制派が粛清。皇道派を恐れた政府は統制派の言いなりになり、戦争への道を突き進むことになります。この時、処刑された中に唯一、兵士ではない思想家、北一輝がいました。
「日本改造法案大綱」
3年間の憲法停止、戒厳令の発布、私有財産の制限、銀行・貿易・興行の国有化、華族制の廃止、普通選挙の実施、義務教育の延長、エスペラント語教育の推進、男女同権の徹底・・・
 マルクス主義から極右へと進んだ思想家。しかし、その本質はけっして単純な極右ではなかく、処刑の際も「天皇万歳」と叫ぶことを拒否したといわれます。
アレクサンドル・オパーリン(ソ連)が「生命の起源」を発表
「ゲルニカ」パブロ・ピカソ
1938年 「嘔吐」ジャン・ポール・サルトル
「経験と教育」ジョン・デューイ(米)
「歴史の研究」アーノルド・トインビー(英)
「太平洋地政学」カール・ハウスホーファー(「地政学」とは地理学と政治学の造語。「国家が地上に生活空間を得るために敢行する生存競争における政治活動の科学的基礎)
「ヒトラーは語る」ヘルマン・ラウシュニング

ナチス・ドイツがオーストリアを占領(第二次世界大戦の実質的始まり)
ナチス党員と突撃隊によりユダヤ人への襲撃始まる「水晶の夜」(独)
ドイツ・デュッセッルドルフにて「退廃音楽展」開催
1939年 「経済人の終焉」ピーター・ドラッカー
「怒りの葡萄 The Grapes of Wrath」ジョン・スタインベック John Steinbeck
「音韻論の原理」ニコラス・S・トゥルベツコイ
ドイツ軍がチェコ、ポーランドに侵攻。ドイツに英仏が宣戦布告し、第二次世界大戦が始まる
1940年代
1940年 [スターリンによる粛清]
ロシア・アバンギャルド演劇の演出家、フセヴォロド・メイエルホリドがモスクワで銃殺される
ソ連からメキシコへ亡命していたトロッキーが暗殺される
ナチス・ドイツのユダヤ人狩りを逃れアインシュタインがアメリカへ亡命する
「経営者革命」ジェームス・バーナム
「民族の祭典 オリンピア第一部」(監)レニ・リーフェンシュタール〈撮)ハンス・エルトル、ワルター・フレンツ他
「美の祭典 オリンピア第二部」(監)レニ・リーフェンシュタール〈撮)ハンス・エルトル、ワルター・フレンツ他
1941年 「自由からの逃走」エーリヒ・フロム(ナチ体制成立の秘密を社会的な精神分析で解き明かした最初の書)
「生物の世界」今西錦司(生物の棲み分け理論を展開した著作)
真珠湾攻撃から太平洋戦争始まる
1942年 「行動の構造」モーリス・メルロ=ポンティ
「異邦人」アルベール・カミュ
1943年 「存在と無」ジャン=ポール・サルトル
「星の王子さま」サン=テグジュペリ
1944年 「大転換」カール・ポランニー(1886年〜1964年)
 カール・ポランニー Karl Polanyiは、オーストリアのウィーンで生まれたユダヤ人の経済学者です。第一次世界大戦後、ハンガリー革命に参加して、オーストリアに亡命。その後、イギリスを経由してアメリカに渡り、さらにはカナダへと移住したという放浪の研究者でもありました。
 従来の経済学においては、「経済行為とは最小コストで最大収益を狙う行為」とされていましたが、それは誤りである。そう彼は指摘しました。さらに、彼は経済についてこう定義しています。
「経済とは、人への贈り物とそのお返しである「互酬」から始まり、そこから生まれた社会的な絆に基づいてその中心となった人物(王や村長)からの「再分配」として行われるようになった行為のこと」
 さらにその行為において、より便利な貨幣という存在が登場し、「市場交換」が始まったわけです。誕生当初の貨幣は一部の人々がそれぞれの目的で使用する特殊な存在でしたが、それが歴史と共により使用目的が拡大され、カードのような特殊な貨幣も登場してきました。
 彼は、経済行為というものを、人類の歴史の中ではるかな昔からとらえ直し、その原点を定義しました。それにしても、人間の生き方は昔も今も大して変わらないものです。ただちょっとだけ便利になり、そのおかげで「まごころ」を失ってしまったということのようです。(経済の原点は、「お歳暮」、「お中元」にありということのようです)
代表的な著作としては、「大転換」(1944年)、「経済と文明」(1966年)があります。

「アメリカのディレンマ」カール・G・ミュルダール
「ゲームの理論」フォン・ノイマン、オスカー・モルゲンシュテルン
連合国軍ノルマンディーに上陸、パリ解放の後ローマを解放
「中央公論」、「改造」編集者が検挙され言論弾圧が進む
1945年 「知覚の現象学」モーリス・メルロ=ポンティ(1908年〜1961年)
 モーリス・メルロ=ポンティ Maurice Merleau-Pontyは、フッサールの「現象学」をさらに推し進めつつ左傾化するサルトルと袂を分かち、いち早くソ連を批判する側に回った時代の変遷を象徴する思想家です。
 彼はサルトル、ボーヴォワールと高等師範学校の同級生で、卒業後も活動を共にしました。情熱的で行動を重視するサルトルに対し、それと好対照の冷静な人物としても知られていました。1930年に教授資格を取得後、高校の教師を務めながら博士論文を執筆、戦争によって中断を余儀なくされながら1942年に「行動の構造」として発表。さらに1945年「知覚の現象学」を発表し、一躍哲学界での注目を集めるようになります。彼はその中で、人間の行動を発達論の視点からとらえ直そうと試み、「知覚」という言葉に注目しています。ここでいう「知覚」とは、人間が世界や他者とを取り結ぶ基本的関係の総体のこと。
 第二次世界大戦後、彼はサルトルらとグループを結成し雑誌「現代」を編集、創刊しました。その中で彼は、当初共産党支持の立場を表明します。しかし、その後、スターリンのファシスト的政治に幻滅し、政治活動から離れ、1955年に発表した「弁証法の冒険」では、なおも共産党支持の立場を取り過激な政治活動を続けるかつての仲間サルトルを批判しています。

「開かれた社会とその敵」カール・R・ポパー
「動物農場」ジョージ・オーウェル
原子爆弾が日本に投下される(広島、長崎)、東京大空襲、沖縄に米軍上陸
ドイツ、日本が無条件降伏
1946年 「サイバネティックス会議」(第一回)
(ニューヨークのベックマン・ホテルにて開催。コンピューター、人口頭脳研究の先駆となった会議で、参加者としては、生態学者グレゴリー・ベイトソン、生理学者A・ローゼンブルース、人工頭脳の権威ノーバート・ウィーナー、人類学者マーガレット・ミード、ゲシュタルト心理学者クルト・レヴィン、数学者のクルト・ゲーデル、科学史家のG・サンティラナらとそうそうたる顔ぶれがそろった)

「ミメーシス」エーリッヒ・アウエルバッハ(2000年にわたるヨーロッパ文学における現実描写を分析した大著)
「ドイツの悲劇」フリードリヒ・マイネッケ(ドイツ民族反省の書)
「堕落論」坂口安吾
ジョン・モークリーとプレスパー・エックハートがコンピューターENIACを開発
チャーチルの対ソ連演説の中で「鉄のカーテン」発言
社会主義インターナショナル結成(20ヵ国参加)
1947年 <ハリウッドを追われた人々の物語>非米活動委員会による赤狩り激化

「啓蒙の弁証法」テオドール・W・アドルノ、マックス・ホルクハイマー
なぜ人類は互いに人間的な状態に踏み入る代わりに、一種の新しい野蛮状態へ落ち込んで行くのか?ヒトラーのナチズムとアメリカの大衆文化を批判したこの本は、1960年代末アメリカで再評価されました。
「カリガリからヒトラーへ」ジーク・フリート・クラカウアー(映画の進化からプロパガンダ映画までを分析した作品)
「サイバネティックス - 動物と機械における通信と制御」ノーバート・ウィーナー
「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」の表紙に核兵器による人類の終末を予測する時計が登場する
1948 「通信の数学的理論」クロード・シャノン
通信路・符号化と複合化・ノイズと信頼性・サンプリングという文脈でコミュニケーションをモデル化した情報科学の古典的著作
「サイバネティックス - 動物と機械における通信と制御」ノーバート・ウィーナー
性についての衝撃的調査、キンゼー報告発表される
1949年 「第二の性」シモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908年〜1986年)
 シモーヌ・ド・ボーヴォワール Simone Lucie-Ernestine-Marie-Bertrand de Beauvoirhaは、ジャン・ポール・サルトルと高等師範学校の同級生で、その後は結婚こそしないものの晩年まで愛人関係を続けた女性哲学者です。
 1949年、彼女は「第二の性」を発表。そこで彼女は女性解放運動における新しい理論を展開してみせました。
「女性は絶対的な他者であって主体となることが妨げられている」
「人間性とは男性のことであり、男が女をそれ自体としてではなく、彼との関係において定義する。つまり、女性は独立した存在として見なさいのだ」
「女性の解放とは、これまで男がひとりじめにしてきた人間的価値を女が取り戻すことなのである」
「女性の解放とは、実存としての人間として、自由をめざすために投企(前進)することが必要」
 さらに彼女はこうも書いています。
「農耕が始まる以前、人間は男性中心の社会を構成していた。しかし、人類文化の進化にともない女性の社会における位置は変化している。将来必ず、女性は主体性を手に入れることができるはず」
 1970年代アメリカなどで盛り上がった過激なウーマンリブ運動とは一線を画し、彼女はフェミニズムを単なる男女同権の主張から哲学にまで深めたとも言われています。その根底には、彼女がサルトルを生涯愛し続けていたという事実があるのかもしれません。

1984年ジョージ・オーウェル George Orwell
「菊と刀」ルース・ベネディクト
毛沢東が主席となり中華人民共和国成立
ソ連が核兵器保有を宣言
1950年代
1950年 「発生的認識論序説」ジャン・ピアジェ(児童の世界観の形成の秘密を解明)
「新しい社会と新しい経営」ピーター・ドラッカー
小説「ライ麦畑でつかまえて」J・D・サリンジャー著)出版
警察予備隊発足(後の自衛隊)
共産党幹部の追放、レッドパージの嵐が吹き荒れる
1951年 「孤独な群衆」デイヴィッド・リースマン(アメリカにおける新しい産業社会の構成員となった膨大な新中間層の社会的性格を描き出し話題となる
「ホワイト・カラー - 中産階級の生活の研究」チャールズ・W・ミルズ
「哲学探究」ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン
ジャック・ケルアックが「路上」を書き上げる(発表は1957年)
1952年 「ゴドーを待ちながら」サミュエル・ベケット
「モロイ」「マロウンは死ぬ」「名づけられぬもの」と続いた小説3部作完成後、息抜きとして書かれた作品
黒人作家ラルフ・エリソンの「見えない人間」が発表される
作家ウイリアム・バロウズ William S. Burroughsが「ジャンキー」を発表
ビート・ジェネレーションの中心の一人)
ジャクソン・ポロックの抽象表現主義絵画をハロルド・ローゼンバーグが「アクション・ペインティング」と名づける。それは、カンヴァス上の絵(Picture)ではなく事件(Event)であるといった。
最新型コンピューターUNIVACがアメリカの大統領選挙で大活躍(コンピューター時代始まる)
1953年 「零度のエクリチュール」ロラン・バルト(1915年〜1980年)
 ロラン・バルト Roland Barthesは、長い期間にわたりサナトリウムで過ごすなど病と闘いながらの青春時代を送りました。その後、健康を回復すると大学で古代演劇を研究するグループに所属して上演活動を行い、卒論ではギリシャ悲劇と呪術を研究しています。その後も彼は演劇的なものにこだわり続けながら哲学を研究。1953年「零度のエクリチュール」を発表。
 ここでいう「零度」とは、記号としての意味をもたない文章の一部のことです。例えば、言葉や句の省略、コロン、セミコロンなどもそれにあたります。それ自体に意味はなくても、エクリチュールとしては意味をもつ。「エクリチュール」とは、「音声言語」を意味する「パロール」と対をなす言葉ということで、「文字言語」という意味にあたります。彼はこうした考え方に基づく記号論を用いて文学論を展開しました。
「自分自身によるミシュレ」(1954年)
 フランスの歴史家ミシュレについて、文章(エクリチュール)から記号論、構造主義に基づいて、その人物像を描き出そうという試み。この手法は、この後のフランス思想界に大きな影響を与えました。
 彼は元々が芸術畑出身の思想家なだけに構造主義を芸術の楽しみ方に適用することで、その楽しみ方の幅を広げてくれた最高の評論家でもありました。

「終末時計」が20世紀で最も危険な位置2分前となる(核戦争の危機迫る)
米国、マッカーシー旋風吹き荒れる (いわゆる赤狩りにより多数の共産党支持者が人生を奪われる)
ジェームス・ワトソン、フランシス・クリックがDNA(遺伝子)の二重螺旋構造を発見
1954年 「歴史の研究」第十巻発刊(第一巻は1934年発刊)アーノルド・J・トインビー(1889年〜1975年)
 アーノルド・J・トインビー Arnold Joseph Toynbeeは、イギリスの外交官だったが歴史研究に興味を持ち、文明学の建設者となった異色の思想家です。彼は歴史研究に有効な単位として「国家」ではなく「文明」という概念を提案しました。
[文明の誕生]
 いくつかの未開社会が文明を生み出すことができたのは、・・・「創造的少数者」が存在し、「適度の刺激」からの挑戦、障害に対抗する中で少しずつビルドアップされたからである。
[文明の成長]
 「前進的で累積的な文明の内面的な自己決定ないし自己分節化」によるものである。地理的拡大とは異なるので要注意。それは刺激に対抗するカリスマ的指導者が出現、引退、復帰を繰り返すことで可能になる。
[文明の挫折]
 創造的少数者が勝利に溺れて偶像化。同じ型の繰り返ししかできなくなる中で離反者が現れ、挫折にへの道が始まる。
[文明の解体]
 離反者に対し力で対抗するようになった指導者に対し、その「世界国家」内に「内的プロレタリアート」が生まれる。そして、彼らの苦しみを解決するため「世界教会」が生まれる。その頃、その国家の外側にが「外的プロレタリアート」が接近。三者の対立、衝突によって文明は解体へと向かう。
 文明という単位で歴史を見るという彼の考え方は、その後の歴史研究に大きな影響を与えることになりました。彼のそうした発想の元には、外交官として彼の海外体験があったのかもしれません。

「希望の原理」エルンスト・ブロッホ
「自分自身によるミシュレ」ロラン・バルト
「悲しみよ、こんにちわ」フランソワーズ・サガン著(仏)
「蝿の王」ウィリアム・ゴールディング著(英)
「ブリキの太鼓」ギュンター・グラス著(独)
アメリカの最高裁でブラウン判決が下される。(教育の現場における人種隔離を違法とする判決)
リチャード・ライト著「ブラック・パワー」出版
1955年 「悲しき熱帯」レヴィ=ストロース(1908年〜)
 クロード・レヴィ=ストロース Claude Levi-Straussは、「構造主義の父」といわれるフランスの文化人類学者です。サルトルほどもてはやされなかったものの、21世紀に入りその知名度、影響力はサルトルをも超えているといえます。彼は当初は哲学を研究していましたが、人類学に転向。第二次世界大戦が始まる直前、彼はブラジルのサンパウロ大学で教えることになり、その休暇を用いてアマゾン流域に住むインディオのボロロ族の生活を調査、研究。この体験をもとに発表した「悲しき熱帯」(1955年)が一躍注目を集めました。
 戦争が始まると、ユダヤ人だった彼はアメリカに亡命し、そこでロマーン・ヤコブソンと出会います。ヤコブソンから構造主義につながるヒントを得た彼はその理論化を進め、1949年構造主義の理論を民族学の分野にあてはめた著書「親族の基本構造」を発表します。
「親族の基本構造」
 原始的な部族社会において行われている婚姻は、「近親相姦はタブーである」という暗黙の決まりごとの上に成立している。これと同じように社会における人間関係だけではなく思考、行動パターンを決める裏には無意識ではあっても確固たる深層構造が存在している。さらにこの理論的構造をもとに書かれたのが、彼の代表的著作「野生の思考」(1962年)です。この著作は文化人類学というジャンルの壁を越えて、多くの学問に影響を与える20世紀を代表する名著と呼ばれることになります。
(実存主義と構造主義)
 サルトルの実存主義においては、社会や歴史を作るのは人間の意志と行動であるとされていました。しかし、構造主義においては、人間が意識していない構造によって規定されていることになり、ヒューマニズムは過去のものと考えられます。ポスト構造主義は、この考えを否定することになります。
<構造主義を生み出した野生思考の思想家>レヴィ=ストロースについてより詳細なページへ

「知識人の阿片」レーモン・アロン
ビート詩人アレン・ギンズバーグが「吠える」を発表
1956年 「怒りをこめてふりかえれ」ジェームス・オズボーン初演(この劇から「怒れる若者」という呼び名が生まれた)
「パワー・エリート」チャールズ・W・ミルズ(支配の構図が政治、経済、軍部3分野のエリートたちの癒着から生まれていることを明らかにした著作。21世紀にアメリカを暴走させる軍産複合体の正体をいち早く暴露)
「もはや戦後ではない」中野好夫(文芸春秋)
バスの人種差別に対して違憲判決が言い渡される
スエズ動乱(エジプトによるスエズ運河の国有化宣言、イスラエル軍のエジプト侵入)
ハンガリー動乱(反ソ運動に対するソ連軍侵攻、ブタペストの惨劇)
1957年 「エロティシズム」ジョルジュ・バタイユ(1897年〜1962年)
 ジョルジュ・バタイユ Georges Albert Maurice Victor Batailleは、多くの哲学者が初めから天才として名門学校を出ているのに対し、自学自習で多くのことを学びながら思想家となった叩き上げの人物です。さらに彼は家庭的にも恵まれず、崩壊した状況の中で自らカトリックの信者になったという苦労した子供時代を過ごしていました。彼は国立古文書学校を卒業後、国立図書館に勤務し、そこですべての学問を身につけてゆきました。当初は小説家として作品を発表、ロジェ・カイヨワらと交流しながら人類学、社会学の分野に進出。その後、ドイツの哲学者ヘーゲルやニーチェ、マルクスなどの影響を受けながら哲学者の道を歩み始めました。
 彼は「人間性」には二つの側面があると指摘してます。
(1)生を保存し、維持するための生命活動の諸部分としての人間性
(2)呪われるべき死との関わりを求め、腐敗、汚職、不吉な領域に恐怖しながらも入り込もうとする部分(この「呪われた部分」は、悪の存在とも呼べる)
 「呪われた部分」は、地球上に「過剰」を常にもたらし、それによって社会、文明、人間は「破壊」、「消費」、「戦争」、「遊び」などにより、「死」、「崩壊」、「衰退」へと必然的に向かうと指摘。成長曲線を描く経済学は「特殊経済学」であり、「一般経済学」は崩壊へと向かう必然を見すえたものであるとも指摘しています。この指摘は、地球温暖化を止められない21世紀の地球にそのまま現れているといえそうです。

「統語構造」ノーム・チョムスキー「言語理論の論理的構造」を書き改めコンパクトにしたもの。言語界に大きな衝撃を与えた)
ジャック・ケルアック「路上 On The Road」発売される(書かれたのは1951年)
「ドクトル・ジバゴ」B・パステルナーク
(1958年にノーベル文学賞受賞、しかし、作家同盟からの圧力により受賞辞退に追い込まれます。原因はスターリンへの批判が描かれていたから!)
リトルロック暴動(アーカンソー州リトルロック・セントラル高校に9人の黒人学生が入学。連邦軍の護衛で登校)
公民権法成立(黒人の投票権を保証する法律)
1958年 「電子計算機と頭脳」ジョン・F・ノイマン
ワシントンで公民権運動のための大規模デモ開催
1959年 「裸のランチ」ウイリアム・バローズ
キューバ革命(カストロ首相に就任)
チベットで反乱、ダライ・ラマ氏インドに亡命
1960年代
1960年 「イデオロギーの終焉」ダニエル・ベル(1919年〜)
 ダニエル・ベル Daniel Bellは、アメリカ、ニューヨークのスラム街で生まれ、図書館で本を読みながら勉強する中で社会主義者となり、ジャーナリストとなった異色の人物です。ジャーナリスト時代の体験を生かした著作「イデオロギーの終焉」(1960年)が大ヒットし、世界的な存在となりました。その中で彼はこう指摘しています。
「イデオロギーが人間を動かす時代は完全に終わった。これからは予測や計画といった技術が重要視される時代が来ようとしている」
さらに「脱工業化社会の到来」(1973年)において、彼はこう指摘しています。
「これからの社会は、政治家というよりは技術者であるテクノクラートを中心とするシビル・ポリティクスの時代である。工業化は重要な課題ではなくなり、経済は第三次産業が中心となり、知識層による管理部門が大きな役割を担うであろう」
 脱工業から情報化の時代へという未来予測は見事に21世紀を予見していたといえます。ネオコン大国アメリカの未来を見事に当てたその先見性は見事!でも、それが本当に人類のために役に立ったのか?9・11の同時多発テロ事件と2008年のアメリカの経済破綻、この二つの事件が起きてしまった後では、どんな理論にも価値が感じられないのです。
 どんな素晴らしい理論も、結局はそれを用いる人間の心の問題にかかってくるのでしょう。やはり経済学よりも教育学を優先すべきなのでしょう。やはりジョン・デューイは正しかった。

「弁証法的理性批判」ジャン=ポール・サルトル
雑誌「テル・ケル」創刊
(P・ソレルス、J・ディボードーらの編集により1960年代フランス文学をリードする)
「第一機械時代の理論とデザイン」レイナー・バンハム(デザイン評論の先駆け)
南ヴェトナム民族解放戦線設立(ヴェエトコン)
安保阻止国民運動(6・15事件)全国で580万人が参加。この際デモ隊と右翼団体が衝突し樺美智子さんが死亡
1961年 「狂気の歴史」ミシェル・フーコー(1926年〜1984年)
「狂気の歴史」(1961年)「言葉と物」(1966年)「知の考古学」(1970年)「監視と処罰(監獄の誕生)」(1975年)「性の歴史」(1976年〜未完)
詳細は別ページにて<知によって権力に挑んだ孤高の思想家>


「ベルリンの壁誕生」東ドイツが東西ベルリンの境界を封鎖
1962年 「公共性の構造転換」ユルゲン・ハーバーマス(1929年〜)
 ユルゲン・ハーバーマス Jurgen Habermasは、ドイツのデュッセルドルフに生まれ、ボン大学で博士号を取得しています。哲学の分野で最先端を走っていたドイツは、第二次世界大戦中、多くのユダヤ人とともに優秀な思想家をほとんど失ってしまいました。そんな中、大戦後の社会の変化を詳しく分析し続けてドイツの
哲学界をリードし続けた貴重な存在。それがハーバーマスといわれています。
 彼はその代表作である「公共性の構造転換」(1982年)において、こんな内容のことを書いています。
「民主主義はかつての輝きを失いつつある。それはなぜか?」
(1)マスコミの発達や政治不信により、世論が政治に関心をもたなくなり、政治に対する影響力をもたなくなってきた。
(2)資本主義体制が進化する中、国際市場で経済を安定させるために国家が経済活動に干渉するようになってきた。
 他国に先んじるため、研究・技術開発に対し国家行政が援助する傾向が強まり、日本のようにそれに成功した国も現れます。ただし、自国の利益追求を優先する中で、社会全体、国家全体、国民全体が拝金主義へと進むようになり、自由経済とは名ばかりの民主主義とはほど遠い社会へと変質しつつあるのではないか。彼はそう警鐘を鳴らし続けました。
 確かに21世紀の世界経済はそうした利益優先の果てに大恐慌を迎えることになったといえるでしょう。

「科学革命の構造」トーマス・クーン(1922年〜1996年)
 トーマス・クーン Thomas Samuel Kuhnは、ハーバード大学物理学科を卒業したアメリカの科学思想家です。もともとは量子力学の形成史を研究。20世紀前半の物理学における量子力学の誕生と発展を調査する研究者でした。しかし、その歴史的な転換期には科学全般に通じる新理論誕生のドラマがあったことに気づき、それを「科学革命の構造」(1962年)として発表します。その中で彼が指摘していたのは、下記のような内容でした。
「ものの考え方の基本的な枠組み(パラダイム)が大きく変わる時(科学革命)、人間の頭の中の枠組みもまた一新されなければならない」そして、彼はこれを「パラダイム・シフト」と呼びました。革命とは、科学的事実が積み重ねられることで少しずつ起きるのではなく、アインシュタインやパウリのような天才たちの頭の中などにおいて一気に起きるもので、その証明や実験による確認は、その後で着いてくるものにすぎないというわけです。
 当然、この考え方は科学者だけに限ったことではなかったため、彼の著作は科学界の枠を超え、世界中で読まれることになりました。この著作自体が人類の考え方に革命をもたらしたともいえるでしょう。
 「科学革命の構造」は物理を勉強していた僕が科学史に興味をもつようになってから出会った思い出の本でもあります。古本屋で見つけ、元の値段より高い金額を支払った記憶があります。それは僕が大学4年になって、科学の面白さにやっと気がついた頃のことでした。
「パラダイム」とは?
「一般に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与えるもの」
「パラダイム・シフト」がもたらすのは・・・?
「パラダイム変革が起きる時は世界自体もそれと共に変革を受ける・・・新しいパラダイムに導かれて、科学者は新しい装置を採用し、新しい土地を発見する。さらに重要なことは、革命によって科学者たちは、これまでの装置で今まで見なれてきた場所を見ながら、新しい全く違ったものを見るということである。・・・」
トーマス・クーン

「野生の思考」レヴィ=ストロース
「沈黙の春」レイチェル・カーソン(ニューヨーカーに連載開始後、単行本として発売される)
アメリカがキューバに対して海上封鎖を実施。「キューバ危機」へと発展する
1963年 「いわゆる悪 - 攻撃の自然誌」(邦題は「攻撃」)コンラート・ローレンツ(動物行動学の父)
「アメリカにおける人種間対立激化」
米国アラバマ州バーミンガムで人種暴動が起き、連邦軍が出動
人種差別反対を訴えるワシントン大行進が行われ20万人が参加(マヘリア・ジャクソン、オデッタ、ハリー・ベラフォンテ、ジョーン・バエズ、ボブ・ディラン、ピーター・ポール&マリーらも参加)この時、キング牧師のあの有名な「アイ・ハブ・ア・ドリーム…」の演説が行われた
人工衛星による世界同時テレビ中継開始(ケネディー暗殺事件が世界中に同時発信される)
南アフリカで、ネルソン・マンデーラ氏ら黒人指導者が逮捕される(この逮捕にはCIAが関与)
1964年 「メディアの理解 - 人間の拡張」マーシャル・マクルーハン
「社会学的思考の主要な流れ」レーモン・アロン
「されどわれらが日々」柴田翔
民主党全国大会開催
(民主党内の公民権法反対派(ミシシッピー州民主党)について、党内、白人黒人間に亀裂が生じる。黒人側の過激派誕生のきっかけとなった事件)
カリフォルニア大バークリー校で「フリー・スピーチ運動」が始まる。これはヴェトナム反戦運動など、学内での政治活動禁止に対する反発で、ここから学生運動が世界中に広まって行くことになります。
1965年 「マルクスのために」「資本論を読む」ルイ・アルチュセール(1918年〜1990年)
 ルイ・アルチュセール Louis Althusserは、1918年当時フランスの植民地だったフランスで生まれています。1939年高等師範学校に合格するものの第二次世界大戦により学業を中断し、戦場へと向かいました。しかし、戦闘中にドイツ軍の捕虜となり、収容所で精神病となってしまいます。そして、この精神病は彼の人生をその後再び大きく狂わせることになります。
 1947年、彼はパシュラールの指導のもとで哲学の教授となりました。熱心なカトリック教徒だった彼は、マルクス主義との両立を目指していたのですが、再び精神病に苦しむ中で共産党に入党し、教会から離れる道を選択します。
 1965年、彼は「マルクスのために」、「資本論を読む」を発表。これらの著作は左翼が勢いをもっていた当時、多くの人に読まれ、世界中の知識人に影響を与えることになりました。彼は思想とは連続的に進展するのではなく、あるところで急激に切り替わる時期があると考えていました。(これを「認識論的切断」と呼びます)
 フーコーら多くの思想家を育てた優れた指導者でもありましたが再び精神病が悪化し、1980年自分の妻を絞殺してしまい、その後は生涯精神病院に閉じ込められる生活を送ることになってしまいます。
 熱心なカトリック教徒から共産主義者へ、そして妻殺しの精神障害者へ、振れ幅の異常に大きな人生を送ったにも関わらず、多くの行進を育てる面倒見の良さがあったのは、彼の優しさゆえのこと。しかし、その優しさが彼の精神を壊す原因となったのかもしれません。
(ふと、戦争の混乱の中で街に出てきた精神病患者たちのつかの間の物語を描いたフランス映画幻の名作「まぼろしの市街戦」のことを思い出しました)
1966年 「エクリ」ジャック・マリー・ラカン(1901年〜1981年)
 ジャック・マリー・ラカン Jacques-Marie-Emile Lacanは、ポスト構造主義の哲学者であると同時にフロイトの精神分析を再評価、応用することで精神医学だけでなく哲学、人類学、文学、芸術など多方面から評価された。学位論文では犯罪性の精神病患者と面会を重ねてその病歴を分析。「人格との関係から見たパラノイア性精神病」
 彼はフロイトについての研究を進める中で「鏡像段階の理論」を発表。そこで書かれていることは、というと・・・。
 人間は、感覚器官の発達途上にある幼児期においては、手足の感覚を統一することが困難である。しかし、鏡に映る自分を見ることで、その感覚を身につけることが可能になる。このことから、自己の存在を発見することで客観的に自己を分析、認識することが可能になるのだと考えられます。それは、「現実界」から「想像界」へと人間の意識が変化、移行したと考えるとわかりやすいかもしれません。さらにもうひとつ、人間には「象徴界」という言語によって生み出すことのできる架空の世界もあると考えられます。
 彼のフロイトへのこだわりは非常に強く、最後には国際精神分析学界と対立してしまい、自らパり・フロイト派を結成しています。
 ちなみに彼の論文集「エクリ」(1966年)は超難解なことで有名だとのことです。眠れない夜には最適かもしれません。
 フロイトの影響は戦後の哲学者ほとんどに及んでいたといえますが、元々医師だった彼はより大きな影響を受けていたといえます。「遅れてきたフロイトの後継者」と呼ぶべき存在なのかもしれません。

「批評と真実」ロラン・バルト
「否定の弁証法」テオドール・アドルノ
「インダストリアリズムに関する三つのテーゼ」レーモン・アロン
「経済と文明」カール・ポランニー
黒人解放運動の過激化
ストークリー・カーマイケルらにより、ブラック・パンサー党設立
キング牧師に次ぐ黒人解放運動の指導者ジェームス・メレディスが狙撃される
フラワームーブメントの盛り上がり
サンフランシスコに数千人のヒッピーが集合し、「ラブ・イン」開催
「共同幻想論」吉本隆明
中国で文化大革命始まる
1967年 「声と現象」ジャック・デリダ(1930年〜2004年)
 ジャック・デリダ Jacques Derridaは、当時フランスの植民地だったアルジェリアに生まれたユダヤ人です。植民地アルジェリアで育ち、ユダヤ人であることは、当時大きなハンディーとなっていました。しかし、そうしたアウトサイダー的存在だったからこそ、西洋の哲学を客観的に分析することが可能だったのかもしれません。第二次世界大戦が終わり1949年にパリに出てきた彼は1952年、見事フランスの最高峰である高等師範学校に合格します。よほどの天才だったのでしょう。幸いにして、フランスではこの学校に入学できた者は人種の差別などなしに認められます。そこで彼は自由に哲学について研究できるようになります。
 彼が主張したのは、西ヨーロッパの哲学は、ロゴス中心主義(言葉、理性、合理性、論理性中心の考え方)に陥っていて、人間本来の「生」から離れてしまっている、ということでした。言語を論理によって説明しようとした構造主義の言語学者ソシュールの考え方もまた、ロゴス中心主義に陥っていると彼は指摘しています。こうした考え方から脱却するために、彼は「脱構築」(ディスコンストラクション)を主張しました。それは、対象物を既存の方法で分析しながらも、そこからまったく新しい手法によって抜け出そうという考え方です。
 しかし、このあたりの説明は難しすぎます・・・。ギブ・アップ!

「新しい産業国家」ジョン・K・ガルブレイス(軍産複合体として成長するアメリカの国家独占資本主義体制の告発)
ヴェトナム戦争反戦運動激化
キング牧師がヴェトナム反戦を初めて主張する(それまでは、黒人は国家の防衛に参加することで平等を勝ち取ろうという意識が強かったため、反戦を支持してはいなかった)
アメリカでヴェトナム反戦週間、ワシントンでの集会は10万人規模となる
デトロイトなどアメリカ国内で黒人による暴動が多発、過去最大規模に発展。この後3年間で101の都市で暴動が起き、130人が死亡することになります。
(この年は「長く熱い夏」と言われるようになる)
アメリカを中心とするフラワー・ムーブメントが世界中でピークを迎える
モハメッド・アリが徴兵を拒否し、ヘビー級の世界タイトルを剥奪される。
キューバ革命の英雄チェ・ゲバラ、ボリビアで死亡
1968年 [五月革命]
ダニエル・コーンバンディを指導者とする学生と大学当局が対立。5月3日パリ大学を学生が占拠したため学校が閉鎖され、警官隊が動員され学生600人が逮捕される。11日解放区を作るため学生たちがカルチェラタンに侵入し警官隊と衝突。ドゴール政権を揺るがす大事件となる

<1968年という年>
「1968年がどんな年だったかを、一言で言うのは難しい。そして、1968年とは、その説明の”ややこしさ”がとても重要な意味をもつ年なのである」
「・・・1968年の大学闘争の多発は、実のところ、「70年安保の接近」とはあまり関係がない。そうであってもしかるべきところに、「様々な問題」が日本の大学には起こった。〜これが、1968年の日本に大学闘争が多発した最大の理由である。・・・」
 学生達は、戦前の古い体質のままの大学の管理体制や学費の値上げ、人事の不正など、具体的な大学の姿勢に対して反抗したのであって、けっして革命が目的だったわけではなかったのだということを忘れてはならないでしょう。そうでなければ、あれだけ多くの学生を動員することは不可能だったはずです。
「(東大と日大)両方の闘争に共通するものは、大学当局の”欺瞞”である。それ以上の理屈はない。だからこそ、この闘争は、多くの学生達の支持を集める。この闘争に参加した学生達にとって、すべては明確でわかりやすいのだ。・・・」
橋本治著「二十世紀」より

「アジアのドラマ」カール・G・ミュルダール
「ナット・ターナーの告白」ウィリアム・スタイロン
マーチン・ルーサー・キング牧師暗殺される
ロバート・ケネディー暗殺される
メキシコオリンピックで米国の黒人選手が表彰台で人種問題をアピール
「プラハの春」に対し、ソヴィエトがチェコへ侵攻し民主化の動きにストップをかける
1969年 「差異と反復」ジル・ドゥルーズ(1925年〜1995年)
 ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuzeは、フランス、パリ生まれの哲学者です。彼は、自身の代表作「差異と反復」(1969年)の中で、ジャック・デリダと同じように西ヨーロッパの哲学的思考のもつロゴス中心主義を「同一性の原理」として否定しています。ここでいう「同一性の原理」というのは、ひとつの原理から枝分かれして樹木の枝葉と幹のような形を作っている思想体系のことです。しかし、彼は、実際の人間の振る舞いや制度はそうではなく、リゾーム型を成していると指摘しています。それは、ある種の植物のように地下茎が長く張り巡らされ、絡み合っている状態のことをいいます。彼はこの理論モデルを拡張し、人間の思考だけでなく国家や企業など社会構造全般の背後にも存在しているとしています。
 フェリックス・ガタリとの共著「アンティ=オイディアス」(1972年)、「エル・プラトー」(1972年9からなる「資本主義と精神分析」によれば、近代資本主義社会は、根本のところで誤りがあるため精神的に引き裂かれ妄想にかられていると分析されています。
 要するに、西洋社会が生んだ資本主義社会は根本的なことろに誤りがあるということです。問題は、じゃあどうすれば良いのか?ということです。

「アメリカン・パワーと新官僚」ノーム・チョムスキー(アメリカの外交政策に対する批判の書)
東大安田講堂に立てこもっていた左翼の学生たちが退去させられる。
全米各地でヴェトナム反戦行動(ピース・ナウ)が高まりを見せる
インディアンによるアルカトラス島占拠事件発生(米)
ブラック・パンサーによるシカゴ警察襲撃事件発生
チャールズ・マンソンによるシャロン・テート殺害事件発生
NYのゲイ・バー「ストーン・ウォール」でゲイによる暴動が勃発
(70年代に始まるゲイ革命のきっかけとなる)
アポロ11号、月面着陸に成功
「<意識>と<自然>」柄谷行人
1970年代
1970年 「世界の貧困からの挑戦」カール・グンナール・ミュルダール(1898年〜1987年)
 カール・グンナー・ミュルダール Karl Gunnar Myrdalは、世界の貧困と差別の問題に本格的に取り組んだ最初の経済学者といわれています。(え!じゃあ、それまで誰もやっていなかったんですか!)
 スウェーデン出身の彼は経済学を現場の視点から見つめ直そうと、1960年代に東南アジアでフィールドワークを行い、発展途上国の現状を自分の目と耳で確認。そこから彼は、東南アジアの貧困問題は、地域社会に伝統的に根付いている非合理的な社会構造によるものであると考えるに至ります。その研究をもとに「アジアのドラマ」(1968年)、「世界の貧困からの挑戦」(1970年)を発表。
 その後、彼は先進国における差別の問題にも視線を向け、アメリカにおける黒人差別の現状を調査し、「アメリカのディレンマ - 黒人問題と近代民主主義」(1944年)を発表。その後、第三世界の現状を調査した後、再び公民権運動で盛り上がるアメリカを取材し「アメリカのディレンマ 再見」(1973年)を発表しています。彼はこうして現地を実地調査しながら研究を行いながら、卓上の空論作りにはげむ経済学者たちを批判。
「経済学に道徳的性格を取り戻さなければならない」と主張しました。そして、それまでの経済学を批判した書「反主流の経済学」(1973年)を発表しました。
 経済学は、社会のためにどうすれば役に立てるのか?彼は具体的にそのことを研究。第三世界の国々が経済的に苦しむ原因を正しく分析することは、問題解決のために最も重要なこととして「現状把握」に力を尽くしました。しかし、こうした取り組みは社会が日々変化している現在、常に更新され続けなければならないことです。(残念ながら、金儲けの研究が経済学じゃないことを証明した数少ない経済学者ということなのでしょう)

「社会学の再生をもとめ」アルヴィン・グールドナー
「知の考古学」ミシェル・フーコー
アメリカを中心にウーマン・リブ運動活発化

ナイジェリアにおけるビアフラ内戦が終結
「今もし、ビアフラが人類史の小さな脚注になるのなら、その脚注にはこう書くがよい・・・<彼らは世界に対して、アフリカで最初の近代的な政府を与えようと試みた。彼らの試みは失敗に終わった>」
ビアフラ共和国 エフィオング将軍 カート・ヴォネガット著「ヴォネガット、大いに語る」より
1971年 「構造・安定性・ゆらぎ - その熱力学的理論」P・グランスドルフ、イリヤ・プリゴジン
「生きのびるためのデザイン」ヴィクター・パバネック
「自由の国にて」V・S・ナイポール(ブッカー賞受賞)
「甘えの構造」土居健郎
ドル・ショックにより、国際通貨不安が高まる
1972年 「精神の構造学」グレゴリー・ベイトソン(人類学、精神分析学、進化論、エコロジーなど、多彩な内容を持つ大著)
「アンティ・オイディプス」「ミル・プラトー」ジル・ドゥルーズ
ウォーターゲート事件発覚
ミュンヘン・オリンピックでアラブ・ゲリラによるテロ事件発生
ローマクラブ報告書が「成長の限界」を発表
ストックホルムで開催された国連人間環境会議で人間環境宣言発表
日本赤軍による浅間山荘事件発生
1973年 「脱工業社会の到来」ダニエル・ベル
「反主流の経済学」「アメリカのディレンマ再見」カール・G・ミュルダール
「メタヒストリー - 十九世紀ヨーロッパにおける歴史的想像力」ハイデン・ホワイト
<1973年という年>
 1973年はオイルショックの年である。
「10月6日エジプトとシリアの軍隊はイスラエルに対する攻撃を開始した。第四次中東戦争の勃発である。1967年の第三次中東戦争で負けたアラブ側は、自分たちが輸出する石油を武器として、イスラエルを支援する国の首を締め上げてやろうという作戦に出た。・・・」
橋本治著「二十世紀」より
1974年 「マルクスその可能性の中心」柄谷行人
ウォーターゲート事件により、ニクソン米国大統領辞任
ノーベル文学賞作家ソルジェニーツィン氏、ソ連追放
<1974年という年>
「1974年は、立花隆の『田中角栄研究 - その金脈と人脈』という文章によって、田中角栄が総理大臣を辞任した年である。アメリカでは、ウォーターゲイト事件によって、リチャード・ニクソン大統領が辞任に追い込まれている・・・」
「日本の政治記者と政治家は、それまで"仲間内"同然のようなものだったから、政治記者達には、政治家の不明朗を国民という”外部”に伝える気がなかったのかもしれない。そしてまた、立花隆のレポートも、「政治家の資産形成の不明朗」という、それまで”常識”として見逃されてきたことを詳細に伝えてしまったという点において、前例がないようなものだった。・・・」
橋本治著「二十世紀」より
1975年 「タオ自然学 - 現代物理学と東洋神秘主義の間の並行関係の探究」フリッチョフ・カプラ(ニューエイジ・サイエンスの代表作)
「監視と処罰 - 監獄の誕生」ミシェル・フーコー
「道化の民俗学」山口昌男
ハンナ・アーレント(思想家)死去
サイゴン陥落、ヴェトナム戦争が終結
1976年 「見えざる革命」ピーター・ドラッカー(1909年〜2005年)
 ピーター・ドラッカーPeter Ferdinand Druckerは、オーストリア政府の高官だった父親とフロイトの講義を聞いて医学を学んだ母親のもと、ウィーンで生まれました。1933年に発表したユダヤ人哲学者ユリウス・シュタールについての論文「フリードリッヒ・ユリウス・シュタール - 保守政治理論と歴史的展開」がナチスににらまれたことから、ヒトラーの政権掌握を機にロンドンに移住。その後、アメリカに渡った彼は、1939年「経済人の終焉」を発表。ナチス・ドイツによるホロコーストを予告したこの著作はヨーロッパに衝撃を与えました。
「産業人の未来」(1942年)より
 「かつて、商行為を行うことで経済活動を行っていたヨーロッパ経済の時代は終わった。これからは産業社会の時代である」
(「商行為」とはヨーロッパがかつて黄金時代を築くきっかけとなった貿易活動のこと。「産業活動」とは、物を動かすのではなく、それを作り販売すること)
「新しい社会 - 産業秩序の解剖」(邦訳「新しい社会と新しい経営」)(1950年)より
 「産業社会」の基本単位となる大企業は、単なる経済機能の担い手であるだけでなく、統治機能・社会機能をもつ単位でもある。そこでは企業の利潤は新しい意味をもち、経営者と労働組合の関係も対立するだけのものではない。
「見えざる革命 - いかにして年金基金社会主義はアメリカにやってきたか」(邦訳「来るべき高齢化社会の衝撃」)より
 アメリカにおいて被雇用者による年金制度が量的にも、質的にも発展し、その基金がアメリカの全産業の3分の1を所有し、なお増大しつつあることを指摘。これは年金基金社会主義と呼ぶべき状況である。年金の運用することで成り立つ社会は、生産活動を行うわけではない。その運用を間違えば一気に社会は破綻する。これが2008年に起きることになります。
 「年金社会主義」という言葉は、年金システムが崩壊しそうな現在のアメリカの状況をみるとよくわかります。あのGMが国営になった21世紀のアメリカと社会主義諸国、中国やロシアの差はほとんどなくなったように思えます。

リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」(邦題「生物=生存機械論」)を発表
周恩来、毛沢東死亡、四人組追放事件
天安門事件発生
ロッキード事件発生、日本の政界を揺るがす(田中角栄逮捕)
1977年 「不確定性の時代」ジョン・ケネス・ガルブレイス(1908年〜2006年)
 ジョン・ケネス・ガルブレイス John Kenneth Galbraithは、20世紀後半を代表するアメリカの経済学者です。彼は代表作「新しい産業国家」(1967年)の中で、アメリカの経済は、産業の高度化にともない新しい局面に入ったと指摘しました。
(1)企業間の競争は、かつては価格競争とイコールだった。しかし、現在では科学、技術の競争に移行している。科学技術による革新は、価格の価値以上に商品の価値をかえしてしまいます。(アナログTVから地デジTVへの変化は価格的に高くなる方向ですから、まさに好例といえるでしょう)
(2)かつて市場は不確定なものという前提に基づいて経済活動が行われていた。しかし、現在はそれを予測するだけでなく管理することも可能になり、「需要の計画化」や「価格管理」が常識になっている。(流行色の選定はまさにその象徴的な例です)
(3)企業における意志決定は、一人のトップにゆだねられるのではなく、テクノストラクチャーと呼ばれる専門家集団が担うことになりつつある。このことは、国家レベルの意思決定にもあてはまる。(アメリカは軍産複合企業のトップと高級官僚、それにネオコンなどのコンサルタントたちによって運営されるようになった。21世紀オバマさん、どうか?)
 近代の経済学は、「消費者主権」を自明のこととして成立しています。しかし、消費者の購買意識は、今や宣伝や販促のテクニックによって操ることができるのです。「作り出された消費欲望」=「依存効果」、これは自明の存在となりました。さらに経済学において、自明のものとされている「自由市場においては社会的バランスが機能する」という考え方も、「資源」が公的部門ではなく、依存効果の影響を受けやすい私的部門に集中してしまい、アンバランスが生じるはずと、彼は指摘しています。(実際、世界の南北格差を見れば、そうなっているのは明らかです)
 彼はこうしていち早く自由市場経済の不備を指摘しましたが、結局アメリカは自国の利益(いや正確には経営者個人個人の利益というべきでしょう)のみを優先してその方向性を変えず、21世紀に入り自ら破綻してしまうことになります。(聖書にあるとおり、欲深きものは必ずや滅びるのです)
 彼は、同じアメリカの経済学者ヴェブレンの考え方をさらに時代に合わせて具体的に展開しました。しかし、こうした優れた理論も、結局それを使う人間によっては大きな利益を生む手段にしかならないわけです。

「散逸構造 - 自己秩序形成の物理的基礎」G・ニコリス、イリヤ・プリゴジン
「個体発生と系統発生 - 進化の観念史と発生学の最前線」スティーブン・J・グールド(発生学、生態学、形態学、進化思想史の専門書)
「ダーウィン以来」スティーブン・J・グールド(進化論の入門書として大ヒットした一般向けエッセイ集)
「ポスト・モダニズムの建築言語」チャールズ・ジェンクス(ポスト・モダン・ブームの先駆となった著書)
「ルーツ」(奴隷の歴史からのアメリカの黒人史を描いた大河ドラマミニ・シリーズ)
1978年 「オリエンタリズム」エドワード・W・サイード(1935年〜2003年)
 エドワード・サイード Edward Wadie Saidは、1935年イスラエルの首都エルサレムに生まれたアラブ系の思想家です。しかし、彼の父親は国際的に活躍する銀行マンだったため、14歳までは英語を使用する学校に通っており、西欧文明で成長しました。そのうえ、彼はイスラム教徒ではなく、イギリス国教会の信者(キリスト教徒)であったため、非常に特殊な人生を歩む運命を背負っていたといえます。
 1978年、彼は時代を象徴する著書「オリエンタリズム」を発表します。そこで彼が指摘したのは、・・・。
「欧米人は、主観的には中立かつ客観的であると考えているけれども、彼らは気付かぬ間にヨーロッパ的偏見にとらわれている」
 そして、彼はこうした偏見を「オリエンタリズム」と名づけました。西欧に住むアラブ人としての立場から欧米批判を展開する貴重な存在となりました。こうして、西欧人がもつ偏見を指摘でき、それが説得力を持ちえたのは、彼がキリスト教徒のアラブ人だったからでしょう。そう考えると、2009年アメリカ大統領に就任したバラク・オバマ大統領もまた子供時代はイスラムの国インドネシアで育っており、キリスト教徒ではあってもイスラム教徒を知る初めてのアメリカ大統領となりました。もしかすると、100年後の世界は彼が黒人だあったことよりも、イスラム教徒を知る人物であったことに感謝することになるのかもしれません。是非、そうなってほしいものです。

東和平キャンプ・デービッド会談開催(米、エジプト、イスラエル)
毛沢東批判の壁新聞現れ、近代化路線へ
イギリスで世界初の体外受精児(試験管ベビー)誕生
1979年 「ポスト・モダンの条件 - 知・社会・言語ゲーム」ジャン=フランソワ・リオタール(ポスト・モダニズム思想の招来を告知した書)
「地球生命圏」ジェイムズ・E・ラブロック
地球の全生命圏、すべての生き物は、大気や海、土壌となって、生命圏を存続させるための巨大なシステムを形成している。地球という惑星は、ひとつの巨大な生命体と考えるべきである。

エズラ・ヴォーゲル「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」発表される
小説「風の歌を聴け」村上春樹デビュー
フランスの哲学者ジャンポール・サルトル死去

スリーマイル島放射能漏洩事故発生
イラン革命、ホメイニ氏によるイスラム教主導の政権へ
1980年代
1980年 「パンダの親指」スティーブン・J・グールド
「自己組織化する宇宙」エリッヒ・ヤンツ
「主体性の進化論」今西錦司
「薔薇の名前」ウンベルト・エーコ(記号学の大家が生み出した娯楽推理小説)
ガープの世界ジョン・アーヴィング
24時間ニュースを配信する衛星放送CNN放送開始
イランのアメリカ大使館占拠事件とソ連のアフガニスタン侵攻
イスラム過激派の指導者ホメイニ氏の登場
イラン・イラク戦争
モスクワ・オリンピックのボイコット問題
1981年 アメリカにおいて、初のエイズによる死者が確認される(ニューヨーク・タイムスがエイズ問題を初めて大々的に報道)
「全東洋街道」藤原新也
1982年 「フラクタル幾何学」ブノワ・マンデルブロ(「フラクタル」とは「不規則な断片」のこと。自然界に存在する不規則な現象と定量的かつ厳密に考えるために考察された手法)
「公共性の構造転換」ユルゲン・ハーバーマス
ガルシア・マルケス「百年の孤独」でノーベル文学賞受賞
アメリカ、西ドイツなどで、反核運動が本格化する
米ソ戦略兵器削減交渉(SALT)開始
1983年 西ドイツで「緑の党」が27議席を獲得(反核、環境保護運動から生まれた政治団体)
「構造と力 - 記号論を超えて」浅田彰
「チベットのモーツァルト」中沢新一
「メメントモリ」藤原新也
1984年 「混沌からの秩序」I・スタンジュール、イリヤ・プリゴジン
「複雑性の科学」としての熱力学がゆらぎから生まれる秩序としての自己組織化を生む。これが生物と無生物の境界線である。
「性的差異のエチカ」リュス・エチカライ(フランス・フェミニズムを代表する女性の代表作)
「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ
愛人(ラ・マン)マルグリット・デュラス
宮崎駿「風の谷のナウシカ」がヒットし、宮崎駿時代が始まる
大友克洋「アキラ」コミック発売日本から海外へブームが広がる
1985年 映画「ショアー Shoah」クロード・ランズマン監督作品(ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を記録した約9時間のドキュメンタリー)
映画「未来世紀ブラジル」(監)テリー・ギリアム(ブラック・ユーモアを超えた反体制SF悲劇)
ゴルバチョフによるペレストロイカ、グラスノスチ政策が始まる
1986年 「探究T」柄谷行人
フランスの女流作家、シモーヌ・ド・ボーヴォワール死去
チェルノブイリ発電所で爆発事故発生
 1986年の4月26日、ソ連のテルノブイリ原子力発電所が爆発事故を起こした。
「二十世紀最大のどんでん返しは、その初めに『進むべき正しい道』と信じられていた社会主義が『進歩を阻む保守派』となってしまったのである」
「チェルノブイリの原発事故は、その深刻さゆえに、保守派の介入を一時的に抑えた。ゴルバチョフはペレストロイカ(再建)を公然と推し進め、そして”終わり”もやって来るのである」

円相場が高騰、バブルがピークを向かえる
1987年 「ハイデガーとナチズム」ヴィクトル・ファリアス
ロスアラモス研究所で第一回人工生命会議開催
アメリカの株式が86年に続き大暴落(ブラック・マンデー)
ソ連でペレストロイカ(改革)が本格化
国連人口白書、世界の人口が50億人を越えたことを発表
1988年 「フーコーの振り子」ウンベルト・エーコ
 1980年に始まったイラン・イラク戦争が停戦となる。(犠牲者は100万人以上に達した)
「サダム・フセインは社会主義者ではない。彼にとって重要なのは、支配者として自分の地位を守ることであり、近隣アラブ諸国の中における自国の優位を達成することだった。自分の支配体制を危うくするようなシーア派原理主義も、社会主義も、彼には必要がない。彼に必要なものは、自分=自国の優位を飾る「民族主義」という言葉だけなのだ。・・・」
こうして
「1988年にイランは負け、翌年ホメイニ師は死ぬ。支持されて勝ったフセインは、1990年にクウェートへと侵攻し、翌年の湾岸戦争へと至る。・・・」
橋本治著「二十世紀」より
1989年 「同世代人の見た中世ヨーロッパ」アロン・グレーヴィチ
ベルリンの壁撤去が始まる(東、西ドイツ)
学生による民主化要求デモ多発、天安門事件発生
ダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受賞
オゾン層を保護するためのロンドン国際会議開催(フロンガス全廃へ世界が動き出す)
ブラジル「われわれの大自然計画」発表
1990年代
1990年 「遅ればせの革命」ユルゲン・ハーバーマス
「サムライたち」ジュリア・クリステヴァ(バルト、デリダ、ソレルス、フーコー、アルチュセールなどフランスの文芸人たちをフィクション形式で描写)
「ニューメディアの理論」ノルベルト・ボルツ
ドイツが東西統一を達成する(西ドイツによる東ドイツの吸収)
ポーランド大統領にワレサ氏が就任
ロシア大統領にゴルバチョフ就任、市場経済への移行を宣言
同ゴルバチョフ大統領がノーベル平和賞を受賞
1991年 「ライティング・スペース - 電子テキスト時代のエクリチュール」ジェイ・D・ボルター
イラク・米国の「湾岸戦争」勃発、多国籍軍による「砂漠の嵐作戦」開始
南アフリカのアパルトヘイト体制が終結
ミャンマーの民主運動家、アウンサン・スーチー女史がノーベル平和賞を受賞
リーナス・トーバルズがLinuxカーネルをリリース
1992年 「歴史の終わり」フランシス・フクヤマ
ロス・アンジェルスで黒人暴動発生
国連平和維持活動(PKO)法案成立

<1992年という年>
 1992年という年は「バブルがはじけた」と言われることになる年である。
「・・・多くの平均的日本人は、『そもそも自分はバブル経済なんかとは関係がなかったんだ。自分は、バブルなどという下品なものとは無関係に、自分の豊かさを確保したのだ』と思うようにもなった。そうして、『バブルがはじけた』という言葉の意味が自分たちの上にのしかかってくることを回避しようとした。だからこそ、1990年代の日本の惨状はあり、1992年の日本の『相変わらずさ』もあるのである」

「・・・その以前は別として、1972年に総理大臣に就任した田中角栄以来、この日本にまともな総理大臣は、何人いたのだろうか?彼らが日本経済をバブルへと導き、その破綻の以後もまた、政権を掌握し続けるのである。この相変わらずさに対して、日本人は、ただうんざりだけだった。もちろん、うんざりする人間以上に、『それでかまわない』と、政治のあり方を肯定する人間達が多いから、日本の政治は『相変わらず』のままなのである。・・・」
橋本治著「二十世紀」より
1993年 「グーテンベルク銀河系の終焉」ノルベルト・ボルツ
「文化と帝国主義」エドワード・W・サイード
1994年 アイルランド共和国軍、停戦宣言発表でアイルランド紛争休止(1995年まで)
ネルソン・マンデーラ氏、南アフリカ大統領に就任
もの食う人々」辺見庸
1995年 ジル・ドゥルーズが投身自殺

<1995年という年>
 1995年の日本を語るものは、阪神淡路大震災とオウム真理教である。
「1980年代には、宗教ビジネスとしての順調な発展を遂げ、それがバブル経済の終焉と共に壁にぶつかり、自身の手で『破滅への道』を秘かに選択していたということ。サリン製造や武器の密造は、『世界は滅んでも自分たちは生き残るーそのことを実証するために、強引にでも世界を滅ぼす』という無茶苦茶な構想の中から登場してきたものだということが、人にようやく理解される。がしかし、その構図が分かっても、『なぜそんなバカげたことを?』の根本は分からない。・・・」

「・・・1960年代末の『大学闘争』を経過して、大学は平静になった。豊かさへ向かう『日本株式会社』の一員となるためのパスポート発行所となった大学に、もう”思想”はなかった。・・・大学生は『バカ』と言われるようなものとなり、そこで『生きる』ということを考えようとする者に残されていたのは、新興宗教だけだった。『生きる』ということを考えること自体が、『新興宗教』と言われるような事態がやってくる。・・・」


「・・・事件が発生した時、『オウム信者の大半は三十代の人間で、高学歴を誇る優秀な人間達だ』と言われた。それはつまり、1980年代に大学生であった人間達の不幸を語るものでもある。
 彼らは、時代の被害者でもあった。そして、被害者であることを前提にして、彼らは不穏な加害者となった。そうであることを自覚できないまま、彼は時代の被害者、破綻は訪れた。・・・」

橋本治著「二十世紀」より
1996年 「文明の衝突」サミュエル・P・ハンティントン(1928年〜2008年)
 サミュエル・P・ハンティントン Samuel Phillips Huntingtonは、ニューヨーク生まれの国際経済学者。ハーバード大学の教授を経て、アメリカ政府の国家安全保障会議で安全保障政策担当のコーディネーターもつとめた実地派の文明学の専門家。
 1990年、ロシア、共産圏の崩壊について、彼はこう述べています。
「イデオロギーの対立は終わったが、人類の対立、紛争が終わったわけではない・・・・・世界にいくつか存在する文明、多くの領域が絡み合った<文明>というものが正面に出てきて、これからは地球上の文明間で紛争が起こる」

「イスラム文明と儒教(中国文明)は内心では決して欧米文明の優位を承認しておらず、いつかイスラム=儒教の両文明の同盟が欧米文明に正面から突っかかってきたとき、世界は大変な危機に見舞われるだろう」
 この予見は見事、2001年9月11日に現実化することになりましたが、彼は日本文明に両文明の融和役を勤めるよう期待しています。
 彼の働きを考えると、ある意味、哲学もまた国際政治の道具になってきたといえます。それが人類の平和の役に立てばよいのですが、・・・。結局、どの大統領がどんな目的のために使うかによって、学者が変わってしまうだけなのかもしれません。
1997年 地球温暖化防止京都会議開催

<1997年という年>
 1997年8月、タイの通貨バーツが暴落。その後香港の株式市場、ニューヨークの株式市場へと飛び火し、日本、韓国も含め、アジア全体が経済恐慌にみまわれる。
「二十世紀最末葉の地球上には、『金貸し』と『金を借りる必要のない人』と『金がなくて困っている人』の三種類がいて、しかも『金がなくて困っている人達』は、金を借りたくても返すあてがないから、借りることができない。そうなったらどうなるのか?つまりは、金貸しの失業である・・・」

「借りる能力のある人間は、もうそんなにいない。しかい、貸す側には、莫大な資金がある。その資金はどこから来たのか?それは、19世紀帝国主義から続く、二十世紀資本主義の”遺産”なのである」


「世界には資金の需要があって、そこに貸した金は必ず大きな利潤を得て戻ってくるーそれが帝国主義の19世紀から20世紀まで続いた世界経済である。そうして、世界は豊かになった。・・・しかし、二十世紀の最後になって、もう投資の先はなくなってしまった。だからこそ、あまりにも巨額な資金が、『損だけはしないように』という計算式に基づいて、世界中をうろつき回り、経済そのものを混乱させるのである。それが、1990年代に歴然としてしまった経済の形なら、もう我々には、「経済」というものを考える必要がないのだ。そこで考えられるべきことはただ一つ。『まじめに働いている人間の生活を脅かす経済不安を作り出すような、ヘッジファンドを取り締まれ』だけである」
橋本治著「二十世紀」より
1998年 エルニーニョ現象により異常気象発生、世界の気温が観測史上最高となる
地球温暖化防止ブエノスアイレス会議
1999年 NY株初の1万ドル突破、アメリカの好景気が本格化
コロラド州の高校で武装した生徒による無差別殺戮
「日の丸」「君が代」法制化、国旗国家法成立

<1999年という年>
 1999年は「民族問題の年」でもあった。
 ユーゴスラビアのコソボ自治州では、セルビア人によるアルバニア系住民の虐殺が行われていて、1999年には「NATO空軍による爆撃」という事態になった。この年のもうひとつの「民族紛争」は、インドネシアからの東ティモールの独立である。
「二十世紀は、19世紀以来の帝国主義の影を曳いていた。帝国主義はまた、それ以前の長い人類の歴史から生み出された歪みだった。それを克服するために、「二十世紀一杯」という時間が必要だったーそれを教えるのが、東ティモールとユーゴスラビアの『民族問題』でもあろう。その問題が起こるということは、『長い間の歪みが、やっと解決の方向へ進み始める』ということでもあるのだ。既に『解決済み』と思われていた問題を、改めて『正式なる解決』へ導くには、やはり血が流されなければならないのかもしれない。・・・」
橋本治著「二十世紀」より
2004年 抵抗論 国家からの自由へ」辺見庸
「街場の現代史」内田樹
2009年 「今、ここからすべての場所へ」茂木健一郎
2012年 「社会を変えるには」小熊英二 
2014年 「歴史家が見る現代世界」入江昭 
「人類が永遠に続くのではないとしたら」加藤典洋
2015年 「21世紀の資本」トマ・ピケティ 
2017年  西洋の終わり 世界の繁栄を取り戻すために」ビル・エモット 


<最後に:マルクスと柳谷先生>
 マルクスは19世紀の人間です。しかし、彼の書き上げた「資本論」と共産主義の思想ほど20世紀の社会に影響を与えた思想はないでしょう。特に、1917年、革命によってマルクス主義を理想とするソビエト連邦が成立すると、世界中の思想家はその影響を受けることになりました。さらに1960年代、世界中の若者たちが既成概念の破壊を求めていた時代、マルクス主義はその中心的思想だったといえます。
 1980年代のソ連崩壊により、その考え方の根本的矛盾が明らかになりますが、それでもなお、ソ連とは別の路線を選んだ中国やキューバは21世紀もなお元気です。映画「未来世紀ザルドス」の未来世界にマルクス型?乗り物が登場していますが、けっしてありえないことではないかもしれません。
 僕が小学生の時、新任の先生から習ったソ連という国の社会主義体制は素晴らしいものでした。それは1960年代の終わりのことでした。後に先生はその頃の授業について、「悪かった」と後悔していたといいますが、確かに僕らはすっかり社会主義の理想にはまっていました。しかし、僕は当時班での活動を重視する先生の授業がきゅうくつでしかたがありませんでした。そのため、僕は卒業式の日、全然寂しくなくて、やっと自由になれると喜んでいたことを今でも憶えています。そう思っていた生徒は他にもいたようです。小学生ですら、東大の安田講堂でおきていた大学生と機動隊の闘いを見ながら手に汗握っていた時代、1960年代は誰もが熱く燃えていました。しかし、それは一方では自由が狭められた窮屈な時代でもありました。
 ただし、そんな窮屈な思いとは別に、僕はその先生が大好きでした。先生が授業中に、映画「バニシング・ポイント」面白かったぞ!と熱く語っていたことは今でも覚えています。その後、僕は「バニシング・ポイント」をテレビで見て感動。ニューシネマの映画たちを深夜テレビの映画劇場で次々に見たものです。
 考えてみると、このサイトが生まれたのも、そんな先生の口癖だった「何でも見てみろ!でも疑うことは忘れるな!」から始まったのかもしれません。小学生の頃から、僕はそうやって何でも見て聞いて体験してやろうと思いながら生きてきました。そうでなければ、ここまで多くの映画や音楽や本、芸術作品の数々と出会うことはなかったでしょう。
 改めて、僕の小学校時代の担任だった今は亡き柳谷先生に感謝したいと思います。ありがとうございました!

<人名索引>
A アーノルド・J・トインビー Arnold Joseph Toynbee
B バートランド・ラッセル Bertrand Arthur William Russell
C カール・G・ユング Carl Gustav Jung
クロード・レヴィ=ストロース Claude Levi-Strauss
D ダニエル・ベル Daniel Bell
E エルンスト・マッハ Ernst Waldfried Joseph Wenzel Mach
エドワード・サイード Edward Wadie Said
エドムント・フッサール Edmund Gustav Albrecht Husserl
エミール・デュルケム Emile Durkheim
F フリードリヒ・ウィルヘルム・ニーチェ Friedrich Wilhelm Nietzsche
フェルディナン・ド・ソシュールFerdinand de Saussure
G ガストン・バシュラール Gaston Bachelard
ジョルジュ・バタイユ Georges Albert Maurice Victor Bataille
ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze
H ハサン・アル・バンナー Hasan al-Banna
J ジャック・マリー・ラカン Jacques-Marie-Emile Lacan
ジャック・デリダ Jacques Derrida
ジョン・ケネス・ガルブレイス John Kenneth Galbraith
ジョン・デューイ John Dewey
ホセ・カルロス・マリアテギ Jose Carlos Mariategui
ホセ・オルテガ・イ・ガセット Jose Ortega y Gasset
ジャン=ポール・サルトル Jean-Paul Charles Aymard Sartre
ユルゲン・ハーバーマス Jurgen Habermas
K カール・アウグスト・ウィットフォーゲル Karl August Wittfogel
カール・グンナー・ミュルダール Karl Gunnar Myrdal
カール・ポランニー Karl Polanyi
カール・ライモンド・ポパー Karl Raimund Popper
カール・テオドール・ヤスパース Karl Theodor Jaspers
L ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン Ludwig Josef Johann Wittgenstein
ルイ・アルチュセール Louis Althusser
M マックス・ヴェーバーMax Weber
マルティン・ハイデガー Martin Heidegger
モーリス・メルロ=ポンティ Maurice Merleau-Ponty
ミシェル・フーコー Michel Foucault
N ノーム・チョムスキー Noam Chomsky
P ピーター・ドラッカーPeter Ferdinand Drucker
R ロマーン・ヤコブソン Roman Osipovich Jakobson
ロラン・バルト Roland Barthes
S ジークムント・フロイト Sigmund Freud
シモーヌ・ド・ボーヴォワール Simone Lucie-Ernestine-Marie-Bertrand de Beauvoirha
T トーマス・クーン Thomas Samuel Kuhn
トマ・ピケティ Thomas Piketty
ソースタイン・ヴェブレン Thorstein Veblen


[参考資料]
「年表で読む二十世紀思想史」 矢代梓著 講談社
「現代思想のすべて - 人間の(知)と可能性と構想力を探る-」湯浅赳男著 日本文芸社

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