<ジャムバンド PHISHが伝えた「僕たちの自由」>
- PHISH & 菊地崇、安部英知 -

<遅かった!>
 このページのタイトルにもなっている菊地崇さんのルポ本「『自由』ってなんだ?」を読んだ僕の感想は、ずばり「悔しい!」です。この本に書かれているアメリカのロック・バンド、フィッシュの存在が日本でも一般的に知られるようになったのは、1996年以降、彼らの7枚目のアルバム「ビリー・ブリージズ」が日本で発売されてからのことです。しかし、僕はその頃すでに東京から北海道小樽へと帰った後で、フィッシュについての話題など縁遠い生活を始めていました。結婚して、子供が生まれ、仕事に追われ、大自然の中で遊ぶことを覚え・・・すっかり音楽から離れていた時期でした。
 2000年以降、このサイトを始めてから、再び新しい音楽にも耳が向かうようになりますが、それまでの準備期間中は過去の音楽のみが僕の関心事でした。そんなわけで、フィッシュについて、僕には語る資格があまりなさそうです。しかし、そんなことではこのサイトはやってゆけません。さっそく僕もフィッシュについて勉強しました。まあ、詳しくは菊地さんの本を読んでもらうとして、先ずはフィッシュというバンドについて、ちょっとした解説からどうぞ。

<PHISHというバンド>
 アメリカの北東部にある小さな州ヴァーモント。日本のようにはっきりとした四季があるこの州は、総人口が60万人程度という小さな州でその多くは森林や田園地帯です。仕事を引退した人が老後をすごすために移住してきたり、アーテイストが静かな自然の中の生活を求めて住み着くことの多い土地でもあります。かつてソ連から亡命してきたノーベル賞受賞作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィンもこの土地に住み着いたそうです。
 そんな自然を愛するアーティスティックな土地柄の大学で芸術や哲学について学んでいた学生たち、トレイ・アナスタシオ Trey Anastasio(Gui)、ジョン・フィッシュマン Jon Fishman(Ds)、マイク・ゴードン Mike Gordon(Bas)の3人が1983年に出会いバンド活動を始めました。1985年、そこにペイジ・マッコーネル Page McConnell(KeyB)が参加。不動のメンバー4人がそろいロック・バンドPHISHが完成します。

<活動開始>
 活動開始当初から彼らはライブをその活動の中心としており、グレイトフル・デッドフランク・ザッパなどの影響を強く受けた即興演奏を売り物に、少しずつその人気を広めて行きます。
 1988年発表のデビュー・アルバム「Junta」は自主制作で、まだまだ彼らの知名度は全国レベルでは低いままでした。しかし、1990年に全国ツアーを開始する頃には、彼らの名はロック・ファンの間で知る人ぞ知る存在になっていました。そして、1991年ついに彼らはメジャー・レーベルElektraと契約。3枚目のアルバムであり、メジャー・デビュー・アルバムとなった「Picture of Nectar」を発表します。1995年初ライブ・アルバム「A Live One」を発表した年、彼らはアメリカの音楽雑誌ローリングストーンの特集で「全米最大のアンダーグラウンド・バンド」と称されるまでになっていました。

<フィッシュの音楽性>
 彼らの音楽的特徴は、ロックではあっても、ジャズやファンクの要素にカントリーの要素までも持ち込んだ独特のものですが、そのセンスは彼らによって再構築されたカバー曲の数々にもよく現れています。ニール・ヤングやフランク・ザッパはもちろん、ジャズ界の大物ディジー・ガレスピーの「Manteca」からトーキング・ヘッズの初期のナンバー「Cities」、そして映画「2001年宇宙の旅」で有名な「ツァラトストラはかく語りき」(この曲は、原曲のリヒャルト・シュトラウス版ではなくデオダートのポップ・ヴァージョンのほうのカバーと言うべきなようです)までが彼らならではの解釈によって取り上げられています。
 僕の印象としては、彼らのサウンドは「Cities」の入ったアルバム「Fear of Music」を発表したころ、まだあの強力なリズム部隊を参加させる前の4人組トーキング・ヘッズを感じさせます。同じようにギター中心のホワイト・ファンク・バンドですが、ドラムがよりジャズっぽく、ギターの腕が上手で、デッド風のカントリーっぽさを加えるとフィッシュに近くなりそうな気がしました。ただし、これはあくまでスタジオ録音盤を聞いての感想です。(それも1998年発表の「The Story of The Ghost」を聞いての感想です)

<フィッシュの全体像>
 彼らの全体像はその音楽性だけからは把握しきれないはずです。なぜなら、彼らの特質は音楽以外の部分にあるからです。
 その一つ目の特徴は、インターネットによって広がり、構築された強力なファンのつながり、フィッシュ・ヘッズとも呼ばれるファンの存在でしょう。ほとんどボランティアのような彼らの活動のおかげで、フィッシュの音楽ビジネスは、CDだけでなくグッズも含めた総合的で独自のスタイルを作り上げることに成功しました。海賊版を撲滅するために始めたというライブでの録音自由という制度もまた彼らならではのものです。ファンの間では、この録音テープを無料で交換するシステムができあがっているそうです。
 さらに重要なポイント、それは彼らが究極のライブ・バンドだという点です。巨大なスタジアムや屋外ステージを用いる彼らのライブは常に4時間以上に及ぶロングランでありながら、毎回まったく異なる選曲、異なる演奏が行われていました。(だからこそ、ファンはどのライブの録音も聞きたくなるのです)ライティングも素晴らしいし、コンサート用のパンフやチラシなどのデザインもまた格好いいのです。(菊地さんの本にもその一部の写真が載っていますのでご覧下さい)
 こうして行われる彼らのライブに欠かさずやって来るファンたちが、バンドのメンバー同様フリー・フォームなスタイルをもつ自由にあふれた人たちなのも当然かもしれません。(そんな人々の姿を写したポートレイトもまたこの本の売りの一つです。まるでかつてのウッドストックを思わせるような自由な雰囲気がとらえられています)
 残念ながら、もう彼らのライブを見ることはできないわけですが、この本を読みながら、彼らのアルバムを聴き、頭の中で彼らのステージを勝手に思い描くことは可能です。僕も、今までに見た数々の他のアーティストたちのコンサートを思い出しつつ、彼らのライブの雰囲気を想像してみることにします。あなたにも是非、この本を片手にRHISHの解散コンサートに参加していただきたいと思います。今からでも、けっして遅すぎるということはありません。
 さてこの後は、僕は菊池さんがフィシュというバンドを通して描こうとしている「『自由』とは何か?」について、自分なりに考えてみたいと思います。「自由」について思っていることは、いろいろあったのですが、菊池さんのおかげで良い機会を与えられました。

<「自由」を感じる時とは?>
 僕が今まで「自由」を感じた体験を思い出してみると
「モロッコ一人旅の途中、マラケシュの宿の屋上で青い空の下に見える白い雪をかぶったアトラス山脈を眺めたナチュラル・ハイなひととき」
「インドのベナレスの街を流れるガンジス川のほとりに、緑にあふれた素晴らしい河原をみつけ思わず全景360度をカメラに収めた至福のひととき」
「小笠原から船で2時間半のケータ列島、その海中で大きなマグロやウミガメたちと泳いだ感動のひととき」
「トルコの奥地に位置する巨大な塩水の湖ヴァン湖に水中メガネをつけてただ一人潜った冒険少年気分のひととき」
「台風あけの八丈島の沖で尾長ザメに遭遇し、エラが動くのが見えるほどの距離でお互いににらみ合った緊張のひととき」
「アラスカの海の上、カヤックに乗って、ザトウクジラが現れるのを待ち続けた静けさに包まれた希望と緊張にあふれたひととき」(アラスカ・ホエール・ウォッチング・ツアー
やはり冒険ほど「自由」を感じさせてくれる体験はありません。
しかし、音楽体験もまた「自由」を感じさせてくれる瞬間を何度も与えてくれました。
「佐渡島の北端、二つ亀でキャンプのしながら見に行った野外ライブ。憂歌団と御太鼓座を聞きながら日本の夏を感じたひととき」
「法政大学の屋上で行われた韓国の民族音楽グループ、サムルノリのライブ。いつしか観客とメンバーと一体となった踊り回った素晴らしい日韓交流のひととき」
「中野サンプラザで行われた伝説のレゲエ・ヒーロー、ボブ・マーリーのライブ。ここまで音楽に僕がのめり込むきっかけにもなったカリスマとの出会いのひととき」
「国際アフリカ年を記念してやって来たキング・サニー・アデのライブ。アリーナで踊りまくる人々によって、代々木の第一体育館が揺れ動かされた衝撃のひととき」
「池袋のサンシャイン・プラネタリウムで行われたあがた森魚のライブ。星空の下、僕の奥さんとロマンチックなデートをさせてもらった幸福なひととき」
残念ながら、最近はそんな体験が少なくなくなってきました。それでも
「我が家の長男と見に行った忌野清志郎のライブ。女の子とのデートでもないのに、本当に幸福なひとときでした」
「小樽運河のそばの倉庫を改造した建物で行われたDJパーティー。久しぶりに朝帰りとなった帰り道に見た海は美しく光り輝いていまいした」
 昔より、不自由さが増したぶん逆に「自由の喜び」を感じる感受性は増してきたかもしれません。そのうち、お風呂に入って目を閉じただけで至福の状態に入れるようになるかも・・・。

<「自由」とは?>
 僕が考える「自由」とは、先ず第一に「選択肢の多様さ」のことです。より選択肢が多いほど、自由さも増すということです。ただし、僕は「自由であること=選択肢が多いこと」が、幸福に結びつくとは思いません。選択肢が多いこと、すなわち自由であること事態は、それほど重要なことではなく、「自由であることの喜び」を感じられるのは「選択肢が増える瞬間」にこそあると僕は思います。それについては、こんな言葉があります。
「自由であることは何でもない。自由になることが天国的なのである」フィヒテ

 映画「ショーシャンクの空に」を見た方ならわかるかもしれません。
例え牢獄でも、その屋根の上で飲むビールの味は最高だし、スピーカーから聞こえる音楽に魂を奪われる瞬間もまた最高でしょう。
 回りの状況が自由にあふれていると、かえって自由を感じられなくなることもあり得ます。それは人それぞれの心の持ち方しだいです。誰よりも自由でありながら、なおかつ死ぬまで自由な音楽を演奏し続けたフランク・ザッパは、まさにその好例でしょう。(ザッパはフィッシュのメンバーにとってもアイドル的存在のようです)
 逆に、不自由な状況に追い込まれることで、心が押しつぶされ、自由を感じる能力を失ってしまう場合もあります。戦乱の地、イラクやパレスチナに広がる「憎しみの連鎖」は、そんな悲惨な心を生み出し続けています。日本国内で次々に起こる異常な犯罪の数々も、こうした「自由」を感じる能力を失った人々によるものなのだと僕は思います。
 だからこそ、「自由であることこそ、理想である」と考えるのは、大きな間違いのもととなる可能性があります。単に自由に行動することを良しとした時、社会はどうなるのか?もしかすると、それが今のアメリカ社会の姿なのかもしれません。世界的なカオス理論の研究者ブライアン・アーサーはこう言いました。
「・・・だがアメリカにおける理想は、最大限の個人の自由。アーサーはそれを、『すべての人間をジョン・ウェインにし、銃をもって走り回らせること』と言った」
M・M・ワールドロップ著「複雑系」より

 「アメリカ式自由」はそれだけではなく、国家単位でも発揮されています。例えば、地球温暖化対策が自国の経済活動に不都合だと開き直り、アメリカは京都議定書への参加を拒否しました。これもまた、アメリカにとっては、自由主義の下での正しい選択なのでしょう。
「くたばれアメリカ式自由主義!」

<されど、フィッシュを生んだ自由>
 しかし、そんなアメリカ式自由主義が、フィッシュという自由なスタイルのバンドを生んだのもまた事実。彼らの音楽はまさに「選択肢の多様さ」を音楽化したものであり、そのライブはステージの演出や観客一人一人の行動まで含めた総合的な多様性の表現芸術だったということになるのでしょう。ああ、見たかったなあ・・・。
 ふと思いましたが、僕がかつて横浜で見たワールド・ミュージックの世界的お祭り「WOMAD」をひとつのバンドが演じてしまうと、フィッシュのライブに近いのかもしれません。あれは確かに多様性の見本市のようでした。そう考えると、フィッシュの突然の解散は、活動を長く続けることで知らぬ間に多様性が減少してゆくことを回避するための必然的な結論だったのかもしれません。彼らにとっては、「多様性を増やし続けること」こそが喜びであり、音楽活動の原点だったのでしょう。
 もとはと言えば、ロックという音楽の本質もまた既成概念を破壊することで、新しい可能性を切り開くところにありました。その意味でも、フィッシュは、ロックの魂にどこまでも忠実に活動し続けた数少ないロック・バンドとして語り継がれることになるでしょう。
(ロック・アーティストとして伝説となるには、若くして死ぬか、きれいに解散するか、還暦をすぎても活動を続けるか、そのどれかしかないかもしれません)
 それにしても、逃がした魚は大きいなあ・・・。もうちょっと早く菊地さんと知り合っていればライブを見られたかもしれないのに・・・。

<締めのお言葉>
「ひとはよく、『そのうち、良くなるさ』なんて言うけど、良くなるんじゃない、アンダーグラウンドになるんだ。いいものは、アンダーグラウンドになってまた創造性を取り戻す。俺は、音楽が続いてくれることを本当に願うよ」

デリック・メイ(野田努著「ブラック・マシン・ミュージック」より)

[参考資料]
「「自由」って何だ? - ジャムバンド PHISHが伝えた僕たちの「自由」 -」
(文)菊地崇(写真)安部英知
(発行)マーブルトロン(発売)中央公論新社

アーティスト名索引へ   21世紀のための作品集へ   トップページヘ