「気狂いピエロ Pierrot Le Fou」 1965年

- ジャン=リュック・ゴダール Jean=Luc Godard、ジャン=ポール・ベルモンド Jean=Paul Belmondo -

<ゴダールを語るなんて>
 ジャン・リュック・ゴダールの作品を語るなんて、かなり無謀な試みかもしれません。彼について書かれた評論集や本を読むと、それは彼の作品以上に前衛的で、文章も難しくわけがわかりません。こりゃ、無理かもしれない。彼の作品について語るには数々の専門用語を理解する必要があるかもしれません。例えば、「マオイズム」とか「メタ映画」、「分断と再構築」、「ジガ・ヴェルトフ集団」、「ソニマージュ」などなど、難しい・・・。しかし、20世紀の映画を語るのに彼の作品を取り上げないわけにはゆきません。それならば、せめて誰にも判りやすい作品を取り上げようというわけで「気狂いピエロ」を取り上げてみることにしました。(もうこの時点で、ゴダール・ファンに総スカンかもしれません)初期のこの映画ならテーマはわかりやすうからです。なにせ、この映画の中でゴダールにとっての英雄の一人サミュエル・フラー監督がゴダールに代わってこう語っているからです。それはこの映画の主人公フェルディナンがパーティー会場で彼に、映画とは何ですか?と答えたものです。
「映画とは戦場だ。愛だ。憎悪だ。行動だ。暴力だ。死だ。感動だ。・・・・・」

 なんと判り易い説明でしょう。そして、この映画もまさにそんな映画の定義そのままに作られているのです。この頃のゴダールの作品は観客が映画に求める要素をすべて詰め込んだ映像娯楽作品だったのだと僕は思います。そして、そこで用いられているヌーヴェル・ヴァーグの基本的な手法、即興演出、同時録音、ロケ撮影重視などが、それぞれ有効に機能することで多くの観客を楽しませることができるヌーヴェル・ヴァーグの代表作が誕生したのです。

<この映画の特徴>
 彼がこの映画や「勝手にしやがれ」を発表した時期の作風、それは1990年代にクエンティン・タランティーノがやってみせたB級娯楽映画の解体と再構築に近いものがあります。ただタランティーノは哲学的、芸術的要素を極力隠し味にとどめ、娯楽に徹し、複雑でありながらも物語には破綻がありませんでした。(初期の作品はけっこう哲学的でしたが・・・・)それに対して、ゴダールは娯楽映画として必要な物語の首尾一貫性を無視、自ずと前衛的な内容になっていました。
「わたしが望んだのは、ありきたりの物語からスタートして、すべての映画が成し遂げたことを、ちがうふうにリメイクすることだった」
ジャン=リュク・ゴダール

 当然「勝手にしやがれ」同様、アメリカ製犯罪映画の影響は、この映画にも大きなものがあります。特にビリー・ワイルダーの「深夜の告白」(1944年)で一躍世の男性にその名を知られることになった冷酷かつ魅力的な悪女「ファム・ファタール Femme Fatale(フランス語で『運命の女』)としてこの作品に登場するマリアンヌの存在感は主役のフェルディナン以上です。
 この「運命の女」ことマリアンヌを演じたアンナ・カリーナは、デンマーク出身の女優で、当時25歳。もともとはモデルとして活動していましたが、ゴダールの第二作「小さな兵隊」に主演後、ゴダールと結婚し、「ヌーヴェル・ヴァーグの華」として活躍することになりました。ただし、お飾り的な女優ではなく、ゴダールと共同プロダクション「アヌーシュカ・フィルム」を設立して活動全般に参加。1965年に二人は離婚してしまいますが、その後もアーティストとして協力関係を保ち続けます。ちなみに、この映画はその離婚後に発表されています。モデル出身だけありスタイルも良く、可愛くて悪女とゴダールの好みにピッタリだったようです。
 それ以外にも、クラーク・ゲーブルとクローデット・コルベールのアカデミー賞受賞作「或る夜の出来事」(1934年)で代表されるアメリカ映画お得意のロード・ムービーの要素もこの映画にはたっぷりと収められていて、海辺の林の中では、ミュージカルのワンシーンもが再現されています。(ちなみにこの年あの「サウンド・オブ・ミュージック」が公開されていますが、その影響か?)考えてみると、人里はなれた海辺での生活も、なんだか「トム・ソーヤー」の物語を思わせます。

<ジャン=ポール・ベルモンド>
 「勝手にしやがれ」とこの作品で主役をつとめたジャン=ポール・ベルモンド Jean=Paul Belmondoは、1933年4月9日パリ郊外で生まれました。彼の父親はフランス芸術アカデミーの会長もつとめたことのある画家・彫刻家でしたが、彼自身は勉強よりもスポーツが好きな少年だったようで、特にボクシングではその才能を発揮しました。しかし、ボクサーになることを父親に反対され、演劇の道を選びます。苦労して国立演劇学校に入学した彼は俳優として認められるようになります。1959年、ヌーヴェル・ヴァーグの先駆者クロード・シャブロルの「二重の鍵」に出演して映画界でも注目され、ゴダールの「勝手にしやがれ」で主役に抜擢されました。
 肉体派のアクション俳優と思われがちですが、彼はこの映画のフェルディナンと同じように実は知性派の人物です。彼はあるインタビューでこんなことを言っています。
「僕は、太陽の中で生きるのが好きだ。僕は熱が好きだ。それが僕にはいいんだ。映画を一本撮り終わって、エネルギーを使い果たした時、僕は、世界中のどこか、雨の降っていない土地にむかって出発することにしている・・・・・」

<ジャン・リュック・ゴダール>
 ジャン=リュック・ゴダール Jean-Luc Godardは、1930年12月3日パリのブルジョア家庭に生まれました。母親が銀行家の令嬢だったこともあり、非常に教育熱心で彼はスイスの寄宿学校で学んだ後、ソルボンヌ大学に入学しています。頭が良かったようですが、勉強は嫌いだったようで授業に出席せずにシネマテークに入り浸って新旧の名画を見まくる毎日でした。(結局、大学は中退しています)当初はチューリッヒのテレビ局でカメラマンとして働き始め、演出助手になりますが、長くは続きませんでした。その映画館通いの中で、彼は後のヌーヴェル・ヴァーグの仲間たち、「カイエ・デ・シネマ」(1951年創刊)の編集者、アンドレ・パザンやエリック・ロメール、フランソワ・トリュフォークロード・シャブロルらと出会い、彼らと政治問題や映画論を闘わせながら、映画評論を書くようになります。
 他のメンバー同様、自らも映画を撮ろうと決意した彼は、ダムの工事現場で働きながら資金稼ぎと映画撮影を行い35mmの短編ドキュメンタりー映画「コンクリート作戦」と「コケティッシュな女」を完成させます。(1954年)この作品をもってパリに出た彼は、ジャック・ドニオル・ヴァルワローズが主幹する「カイエ・デ・シネマ」で本格的に働き始めます。そして、彼の先輩たちクロード・シャブロル、フランソワ・トリュフォーらの助けを得て3本の短編を撮ります。「男の子はみんなパトリックという名前である」「シャルロットと彼のジュール」「水の話」、この3作品を撮りながら、彼は即興演出の手法を身につけてゆきました。そして、これが彼のデビュー作「勝手にしやがれ」で大いに役立つことになります。

「”勝手にしやがれ”が、ふつうなら映画を作らないような人生の一時期に、ある映画人によって作られたことは、奇蹟の名に価いする。人は貧窮や悲嘆のどん底にある時には、映画を作ったりしないものだ」
フランソワ・トリュフォー

 1960年に発表した長編デビュー作品「勝手にしやがれ」は、ヌーヴェル・ヴァーグを代表する作品であると同時にその後の映画史を変えた歴史的作品となります。俳優フィリップ・ルロワはゴダールの演出法についてこう語っています。それによると、彼の演出法はけっしてその場の即興ではなく計算されたものがあるようです。
「ぼくはイタリアの監督たちが即興演出するのを見てきた。彼らはカメラをどこに置くかということを決める前に、三時間も討議する。ところがゴダールは彼の小さなノートの中で、彼の即興を考える。彼には常にあらかじめ、どうすべきか分かっているのだ」

 また批評家のミシェル・ジュラックはこう語っています。
「偶然に、キレッパシで作られ、始めも終わりもなく、ミリューもなく、シッポも頭もなくできているように思われる彼の映画は、実際には10回も20回も組み立てられていた。そして最後に、前の20回とは、まったく関係のない21回目の分が撮影されることになるのだ。下書きを訂正し、プランをたて、計算することによって、彼は幾つかのクセを克服するに至るのだ」
(注)「ミリュー」とはフランス語で解説とか意味などの意味

<もてない男の苦悩>
 映画史を変えた天才監督である彼には弱点がありました。それは彼がもてなかったことです。そして、そのことが彼の大きなモチベーションになっていたのかもしれません。
 映画評論家の田山力哉はこう書いています。
 悲嘆のドン底とは、恐らく女にフラれた彼の身を裂く苦悩であったにちがいない。黒眼鏡をかけた、むっつりタイプの陰性の男であるゴダールは、生まれてからまだ、女にモテたことが一度もなかった。そのために彼は、いつも欲求不満で、内心で悩みもだえていたにちがいない。彼が「主演女優とガールフレンドにするための17歳から27歳の間の女性求む」という新聞広告を出したという伝説的エピソードは、極めてゴダールらしい。
 それでも「勝手にしやがれ」のヒットにより、彼はあこがれの女性だったアンナ・カリーナと結婚することができました。(本当は、ジーン・セバーグではなくアンナ・カリーナを主役にするつもりだったようですが、もし彼がイケメンでアンナを主役にできていたら・・・映画のできはどうなっていたか?)
 この後、彼は理想の女優アンナ・カリーナを主役に、「小さな兵隊」(1960年)、「女は女である」(1961年)、「女と男のいる舗道」(1962年)を撮りますが、カリーナの心はその間、いっきに冷めてしまいます。
「どこがいやになったかって、口では言えないわ。要するにジャン=リュックと一緒にいると息がつまりそうなの。彼は決して面と向かって声を荒立てたり、怒ったりはしませんが、彼のインギンな無表情の裏には、鉄のような意思がこめられています。・・・」
アンナ・カリーナ

1963年には、当時を代表するアイドル・スター、ブリジッド・バルドー主演で「軽蔑」を発表。この頃、すでにカリーナとは別居状態にあった彼はなんとか彼女をつなぎとめようとしますが、結局離婚。それでも1965年には彼女をSF映画「アルファビル」の主演に迎えています。なんとも涙ぐましい男です。
「ぼくは愛について、他の人たちとは、まったく異なる概念を持っている。殊に現代のように、人々があらゆるセンチメントを失いつつあるとき、ぼくの考えがズレすぎているかもしれない。ぼくはそれを、この映画で説明してみたいのだ。たとえば、アルファビルに住むこの映画のヒロインは、アンナが演ずるのだが、彼女はもう愛という言葉をきいたことすらない。言っておくが、このままもう50年もしたら、本当にそうなってしまうよ。今でさえ、男と女が一度結婚したら、それは永久のものなのだ、などという考えは時代遅れになっているのだからね」
ジャン=リュック・ゴダール

「要するに、ゴダールは、まったく幸せではないというタイプの男であった。しかし彼はアンナ・カリーナのことは、まったく口にしなかった。だが彼女を失ったことで、彼が大きな悲痛を味わっていることは知っていた。この点に関し、彼は墓のように沈黙を守っていた。ぼくは彼が『男性・女性』のようなフィルム・ルポルタージュを撮りながら、彼は自分の恋の苦痛を忘れようとしているのだということを了解した」
ミシェル・ドボー(「男性・女性」の主演俳優)

<失恋から左翼へ>
 この後、ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちの中では最もアバンギャルドで思想的にもバリバリの左派だった彼は、トリュフォーらとともに政治活動にも積極的に参加。1968年、パリ5月革命に参加した彼はトリュフォー、クロード・ルルーシェルイ・マルらとともにカンヌ映画祭の保守的な姿勢を糾弾、中止に追いこみます。しかし、この後、ヌーヴェル・ヴェーグのメンバーはそれぞれ異なる方向へと歩みだし、バラバラになって行きます。1967年7月21日に彼はアンヌ・ヴィアガムスキーと結婚しますが、1970年に彼女に家出されてしまいます。再び、彼は敗れた恋を忘れるかのように、次々と作品を撮り始めます。

 トリュフォーはフランス映画の主流派となる道を選び、逆にゴダールはより急進的な左派へと向かいながら「中国女」(1967年)、「東風」(1969年)、「イタリアにおける闘争」(1969年)などの作品を発表した後、しばし完全に商業映画の現場から離れてしまいます。

「ハリウッド、チネチッタ、モスフィルム、パインウッドなどの巨大な映画帝国の真っ只中に、第二、第三のヴェトナムを造らなければならない。」
ジャン=リュック・ゴダール

<即興演出と同時録音>
 即興演出こそゴダール映画にとって最大の特徴かもしれません。彼は出世作となる「勝手にしやがれ」を撮る際、通常の脚本と呼べるものを用意せず、わずか20枚程度の簡単なあらすじと台詞集だけを使いました。この映画の撮影でも、台詞はほとんどアドリブで、俳優たちは常に悩みながら演技をしていたといいます。マリアンヌ(アンナ・カリーナ)が川の中を歩きながら何度も「私は何をしたらいいの?」と繰り返すシーンなどは、彼女が完全にテンパってしまい、それしか言えなくなってしまったのだそうです。しかし、そんなシーンこそ、見ていて魅力的なのですから面白いものです。

 ジャン=リュック・ゴダールのやり方を見て、自由奔放に何でもデタラメに撮るのがヌーヴェルヴァーグだとみなされてきたきらいがあるけれども、彼が天才だってことをみんな忘れている。いかにも気ままに、その場の思いつくままに撮っているように見えるので、それなら誰にでもできると思って、みんながまねしようとした。それはじつは誰にもまねできない真にユニークな天才の神業であることがわからなかったのですよ。ゴダール流につくろうとしてひどい映画ばかりが氾濫した。ジャン=リュックは人が言うようにデタラメに映画をつくったのではない。そのつくりかたにはつねにある種のロジックがあった。映画の何たるかに精通し、技術のことも誰よりもよく知っていた。・・・・
ラウル・クタール(ゴダール作品のカメラマン)

<ロケ撮影の重視>
 ヌーヴェル・ヴァーグ作品にとって、最大の魅力はカメラをスタジオから街へ持ち出したことでしょう。そして、あえて手振れを認め、ジャップ・カットを多用したことで、さらに作品に臨場感、リアリティーが与えられました。ただし、この作品の場合、そうしたゴダール的で動きの多いシーンとは別に南仏の美しい海をいかに観客に見せるのかもまた重要な要素でした。パリで撮影された夜のパーティーのシーンに対して、彼らが旅する南仏の海岸はその対極にあります。この「光と影」ともいえるシーンの対比も、この映画の魅力のように思えます。
 そんな美しい海の映像を撮ったカメラマンのラウル・クタールの存在もゴダール作品になくてはならない存在です。
 1924年9月16日生まれの彼は、報道カメラマンとして活動を始め、インドシナ戦線で写真班として働いた後、そのままサイゴンに残りました。「タイム」や「ライフ」の特派員として活躍した後フランスに帰国、その後ゴダールと組むようになり、映画のカメラマンとして活動するようになりました。「戦場」という究極のアウトドアで撮影を行ってきた彼の経験は、「旅」、「愛」、「海」そして「爆発」を描いたこの作品にとってぴったりの存在でした。

<ソニマージュ>
 彼の作品について「ソニマージュ」という言葉が使われることがあります。元々その名前はゴダールがカメラマンのアンヌ=マリー・ミエグルと設立した制作会社の名前から来ています。「ソン=音」と「イマージュ=イメージ」を合成した言葉であり、彼の映画に対する姿勢を表わす言葉ともなりました。それは、音をつむぐことで音楽を生み出すように映像の断片から映画を作り上げるという一般的な映画製作の手法とは異なり、音と映像を等価の存在として作品を作ろうという試みのことです。映画音楽だけが音楽の役目ではなく、音楽のために映像が存在することもあるし、どちらも対等の立場で物語が作られる場合もありうるのです。
 ローリング・ストーンズが「悪魔を憐れむ歌」を作り上げる過程を撮った「ワン・プラス・ワン」は、まさにそうした音と映像の共同作業を描いた作品だったといえるでしょう。

<「ワン・プラス・ワン」>
 1968年、最も過激だった時期のゴダールと同様最も危険なロック・バンドだったローリング・ストーンズが手を組んだドキュメンタりー映画「ワン・プラス・ワン」。僕にとって、ロック史における名曲ベスト5に入る「悪魔を憐れむ歌」が、どのように生まれたのか、その過程をゴダールがカメラに収めていたということ自体感動ものです。ただし、さすがはゴダールです。この映画の中で主題となる曲「悪魔を憐れむ歌」は、その断片が聴かれるだけで全体像を見せてくれないのです。ラストにやっとその曲を聴くことができるのですが、それは実はプロデューサーがゴダールに断りなく勝手に付け加えたらしく、ゴダールはそれを知って大激怒したそうです。彼にとって、ストーンズもストーンズの曲も作品の素材であって、完成した曲はどうでもよかったのでしょう。そんなわけで、ストーンズ・ファンの方はこの映画、期待して見ない方が良いでしょう。だから、ゴダールは凄いのでしょう。第一、彼の作品に「完成」という言葉は似合わないのです。
 彼は「ワン・プラス・ワン」の発表後、数年間商業映画の世界から離れます。復活したのは、1979年「勝手に逃げる/人生」そして、映画の製作現場をとらえた新しいスタイルの映画内映画「パッション」(1982年)、「カルメンという女」(1983年)、カトリック教会から強烈な批判を浴びたゴダール版聖書物語「ゴダールのマリア」(1984年)と次々に問題作を発表し、見事に復活を果たします。それまでとは異なる第二期黄金時代を築くことになりました。
 1983年、ベネチア映画祭に出席した彼は、インタビューでこう宣言しています。
「私が死ぬ時、映画も死ぬ」

 彼の人生はまさに映画であり、だからこそ彼の映画は彼の頭の中から生まれているのです。彼の映画の台本は彼の頭の中にだけ存在し、俳優たちはその時彼の頭の中にある宇宙=映画を覗くことで台詞を生み出してゆかなければならないのです。あーやっぱりゴダールのお話しは難しくなってしまった。でも、芸術を語ることは楽しいことです。話し相手さえ間違えなければ!

「気狂いピエロ Pierrot Le Fou」 (1965年公開)
(監)(脚)ジャン=リュック・ゴダール
(製)ジョルジュ・ド・ボールガール
(撮)ラウル・クタール
(音)アントワール・デュワメル
(出)ジャン=ポール・ベルモンド、アンナ・カリーナ、サミュエル・フラー、ジャン=ピエール・レオ


<あらすじ>
 テレビの仕事をしていたフェルディナン(ジャン=ポール・ベルモンド)は企業家の父親をもつお嬢様育ちの妻をもち、何不自由ない生活を送っていました。しかし、テレビ局の人間と喧嘩して仕事をやめてしまうなど、自分の生き方に疑問を感じる日々を送っていました。そんな時、彼の家にベビーシッターとして来ていたマリアンヌ(アンナ・カリーナ)を家まで送り届けることになり、そこから二人の関係が始まります。フェルディナンのことをピエロと呼ぶ彼女の生活は謎めいていて、武器の密売に関わっていた兄のせいで殺人事件に巻き込まれ、犯人として追われることになります。こうして、二人の逃亡生活が始まることになります。
 二人は自分たちの足跡を消すため、逃亡に使っていた車を事故にみせかけて燃やしてしまいますが、その時、車に積んでいた大金も燃やしてしまいます。彼らはその後、南仏にいるはずのマリアンヌの兄を探すためヒッチハイクや詐欺などをしながらの旅を続けます。ついに南仏の美しい海岸にたどり着いた二人は、そこで無人島に流れついた漂流者のような生活を始めます。フェルディナンは、毎日本を読み、詩や日記を書きながら彼女との自由気ままな生活を楽しみます。しかし、マリアンヌはそんな生活にしだいに飽きてきます。その頃、二人の前に謎のアルジェリア人が現れます。ところが、二人を危機に追いやったはずのその男とマリアンヌは恋に落ち、フェルディナンは捨てられてしまいました。フェルディナンは二人を追い、マリアンヌを射殺すると自分の身体にダイナマイトを巻きつけ導火線に火をつけたのでした。

その後のゴダールの作品
 「さらば、愛の言葉よ」



「明日に生きる」〈監)〈脚)マリオ・モニチェリ〈脚)フェリオ・スカルペソ、インクロッチ・アゲジェノーレ〈出)マルチェロ・マストロヤンニ
「アルジェの戦い」〈監)ジロ・ポンテコルヴォ〈脚)フランコ・ソリナス(音)エンリオ・モリコーネ(出)ジャン・マルタン、ヤセフ・サーディー
「いそしぎThe Sandpiper」(監)ヴィンセント・ミネリ(音)Johnny Mandelアカデミー歌曲賞「君がほほえみの影」
「いつか見た青い空 A Patch of Blue」(監)ガイ・グリーン(音)Jerry Goldsmith(シドニー・ポワチエの感動作、シェリー・ウィンタースがアカデミー助演女優賞
「気狂いピエロ」(監)ジャン=リュック・ゴダール(出)ジャン=ポール・ベルモンド、アンナ・カリーナ
「キャット・バルー Cat Ballou」(監)エリオット・シルバースタイン(リー・マーヴィンがアカデミー主演男優賞
「熊座の淡き星影」(監)ルキノ・ヴィスコンティ(出)クラウディア・カルディナーレ(ヴェネチア映画祭金獅子賞
「コレクター」(監)ウイリアム・ワイラー〈原)ジョン・ファウルズ(出)テレンス・スタンプ、サマンサ・エッガー(カンヌ映画祭主演男優賞、主演女優賞
「サウンド・オブ・ミュージック The Sound of Music」(監)ロバート・ワイズ (音)Arwin Costal アカデミー編曲賞アカデミー監督賞、作品賞、「ドレミの歌」「すべての山に登れ」など名曲ぞろい)
「砂漠のシモン」(監)ルイス・ブニュエル(出)クラウディオ・ブルック(ヴェネチア映画祭審査員特別賞
「真実の瞬間」〈監)〈脚)フランチェスコ・ロージ(出)ミゲール・マテオ・ミゲラン
「素晴らしきヒコーキ野郎」〈監)〈脚)ケン・アナキン〈脚)ジャック・デイヴィス〈出)スチュアート・ホイットマン、セラ・マイルズ
「戦争は終った」〈監)アラン・レネ〈脚)ホルヘ・センプルン(撮)サッシャ・ビェールニー(出)イブ・モンタン、イングリッド・チューリン
「戦争と平和 第一部」〈監)(製)〈脚)〈出)セルゲイ・ボンダルチュク〈原)レフ・トルストイ〈出)リュドミラ・サベーリワ
「ダーリング Darling」(監)ジョン・シュレシンジャー(出)ジュリー・クリスティー、ダーク・ボガート
アカデミー主演女優賞受賞、とにかく美しかった)
「ドクトル・ジバゴ Doctor Zhivago」(監)デヴィッド・リーン(音)Maurice Jarre アカデミー作曲賞(「ララのテーマ」とジュリー・クリスティーの美しさが目に焼き付いています)
「ナック」(監)リチャード・レスター(音)ジョン・バリー(カンヌ映画祭パルム・ドール受賞)
「何かいいことないか子猫チャンWhat's New, Pussycat」 (監)クライブ・ドナー(音)Burt Bacharach (バカラック映画音楽デビュー作)
「バルジ大作戦 Battle of the Bulge」(監)ケン・アナキン(出)ヘンリー・フォンダ、ロバート・ショー、ロバート・ライアン(音)Benjamin Frankel (ゲルマン魂がかっこいいマーチ!)
「ビバ!マリアViva Maria !」(監)ルイ・マル(音)Georges Delerue (ブリジッド・バルドーの代表作)
「Help ! 4人はアイドル Help」(監)リチャード・レスター(出)ザ・ビートルズ
「マンハッタンの哀愁」(監)マルセル・カルネ(出)モーリス・ロネ、アニー・ジラルド(ヴェネチア映画祭主演女優賞

東映の仁侠映画路線始まる

「赤ひげ」(監)黒澤明〈原)山本周五郎〈脚)井手雅人、菊島隆三他(出)三船敏郎(ヴェネチア映画祭主演男優賞)加山勇三、山崎努(ヴェネチア映画祭サンジョルジョ賞、国際カトリック協会賞
「網走番外地」(監)〈脚)石井輝男〈原)伊藤一(出)高倉健、南原宏治
「怪談」(監)小林正樹(主)三国連太郎、岸恵子(カンヌ映画祭審査員特別賞)(公開は1964年)
「飢餓海峡」〈監)内田吐夢〈原)水上勉(脚)鈴木尚之〈音)富田勲〈出)三国連太郎、小沢昭一、左幸子、伴淳三郎(ブラジル・サッシー賞外国語映画賞主演男優賞
「黒い雪」(監)武智鉄ニ(わいせつ図画頒布の疑いで摘発される)わいせつ裁判の原点
「東京オリンピック」(監)市川崑(カンヌ映画祭特別賞
「にっぽん泥棒物語」(監)山本薩夫(脚)高岩肇、武田敦(出)三国連太郎、緑魔子、北林谷栄
「日本列島」〈監)〈脚)熊井啓〈下炎)吉原公一郎(音)伊福部昭(出)二谷英明、宇野重吉、芦川いづみ

バットマン」 Neal Hefti (人気テレビ・シリーズ始まる)
宇宙家族ロビンソンJohn Williams



<アメリカ>
「アメリカ激動の時代に突入」
アメリカによる北ヴェトナムの爆撃開始(北爆)
ワシントンでヴェトナム反戦平和行進
黒人投票権法(65年公民権法)成立
マルコムX暗殺される、LAのワッツで黒人暴動が起き、死者34名をだす
<アジア>
中国で文化大革命が始まる
インドとパキスタンがカシミールで交戦、印パ戦争勃発
<日本>
朝永振一郎ノーベル物理学賞受賞
日本原子力発電東海発電所が初の営業用原子力発電に成功

<芸術、文化、商品関連>
「ハーツォグ」ソール・ベロウ著(全米図書賞)
ピエール・カルダンが「宇宙ルック」を発表
J・R・R・トールキン著「指輪物語」のペーパー・バック版が発売され、静かなブームが始まる
「おばけのQ太郎」「ジャングル大帝」「11PM」放映開始
「0011ナポレオン・ソロ」日本での放映開始
<音楽関連(海外)>
ビートルズがMBE勲章を受章
ビートルズの主演映画映画「ヘルプ」公開
「イッツ・ゴナ・レイン」 スティーブ・ライヒ
ダンス「ジャーク」がブーム
<音楽関連(国内)>
ベンチャーズ、アストロノウツ、ピーター&ゴードン、アニマルズらが次々来日、エレキ・ブームいよいよ本格化。
フジテレビ系で「勝ち抜きエレキ合戦」スタート
加山雄三主演の映画「エレキの若大将」公開
この年の音楽についてはここから!

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