「猿の惑星 Planet of the Apes」 1968年

- フランクリン・J・シャフナー Franklin J. Schaffner、ピエール・ブール Pierre Boulle -

<知られざる全体像>
 1968年、この年公開のSF映画といえば映画史に残る名作「2001年宇宙の旅」があります。一度見たぐらいでは到底理解できないといわれた「2001年宇宙の旅」については、多くの人が解説を試みてきたので、今ではそれほど難解な映画とは思えなくなってきました。それに比べると、「猿の惑星」は、かなりわかりやすいストーリーです。ラストの「自由の女神像」のシーンなどはかなり分かり易く撮られていたように思います。しかし、この映画は実は以外に奥が深いのです。この映画には続編が4本作られているのですが、それらは実に見事につながっていて、まるで一本の巨大な超大作のように作り上げられているのです。さらには、それぞれの物語には実際の物語や実在の人物を象徴する部分が多く含まれていることに驚かされるでしょう。
 「猿の惑星」は1960年代末の世界をSFというよりは寓話によって描きなおしたタイム・カプセルのようなものです。ただし、そのタイム・カプセルは初めから意図して作られたのではなくシリーズの製作に関わった人々が、それぞれ悪戦苦闘しているうちに出来上がってしまった偶然の産物だというのがまた面白いところでもあります。しかし、なぜそれがうまい具合に出来上がったのか?その経過もたどってみたいと思います。

<原作「猿の惑星」>
 「猿の惑星」の原作者ピエール・ブールはフランス人の小説家です。しかし、彼はSF作家ではありません。彼にとって最大の代表作はデビッド・リーンによって映画化され、数々のアカデミー賞を受賞した「戦場にかける橋」です。彼は第二次世界大戦中、プランテーションを経営してた東南アジアで日本軍の捕虜となり、そこで奴隷なみの扱いを受けました。そして、その時の体験をもとにして「戦場にかける橋」を書き上げたのです。
 ということは、次に彼が発表した小説「猿の惑星」で描かれている「猿」とは?当然、日本人のことなわけです。もし、第二次世界大戦で日本軍が勝利をおさめていたとしたら?という想定に基づいて書かれた作品だったわけです。ちなみに、同じ想定で書かれたSF小説としてフィリップ・K・ディックの「高い城の男」という作品があります。それはあくまで平行世界をテーマに描かれたSFでしたが、「猿の惑星」はあえてそうした限定とせず寓話としての広がりをもたせました。そして、そのことが「猿の惑星」を時代を越えた作品にした最大の理由だったのかもしれません。

<原作との違い>
 実は、原作では猿たちは現在の人間よりも遥かに進んだ文明をもち未来都市に住んでいることになっていました。そして、舞台となった場所も未来の地球ではなくまったく別の惑星という設定でした。
 ところが、この作品を映画化した20世紀フォックスは、当時破産寸前の状態にあり原作どおりの未来都市のセットを作る予算は到底ありませんでした。そこで、脚本家が考え出した案が、舞台を核戦争によって破壊され文化が退行してしまった地球にしようというものだったのです。確かにこれなら低予算で作ることが可能なわけです。しかし、この大幅な変更は映画化を可能にしただけではなく、もっと大きな意味をもっていました。それはこの変更によって「猿の惑星」は中途半端な未来世界を描かずにすみ、そのため絵的に古くなるという危険性から回避することができたということです。そして、ラストのあの衝撃的なオチも生まれることがなかったはずです。

<脚本家マイケル・ウィルソン>
 ピエール・ブールの原作をもとに映画用の脚本を書き上げたマイケル・ウィルソンは、同じピエール・ブール原作の「戦場にかける橋」や「アラビアのロレンス」の脚本にも関わった大物脚本家です。(1951年の「陽のあたる場所」と1957年の「戦場にかける橋」彼は二度もアカデミー脚色賞を受賞しています)しかし、彼は1954年から1964年ごろまでアメリカではなく、イギリスやヨーロッパで活動をしていました。それは彼がハリウッドで活動することができなかったからでした。ハリウッド・テンと呼ばれた共産党に関わりをもった映画人がハリウッドから追放されて4年後、ハリウッドでは再び「赤狩り」の第二ラウンドが始まり、彼もまたその対象となりアメリカを離れざるを得なくなってしまいました。彼にとって「猿の惑星」はハリウッド帰還後の二作目の作品でした。多くの進歩派の優秀な映画人が「赤狩り」という現代の魔女狩りによって映画界を追放された暗い時代を生き抜いた彼が描いた猿による人間の裁判、その重みが単なるSF映画を越えているのは当然のことかもしれません。

<悲劇の女優キム・ハンター>
 この作品で進歩主義のチンパンジー、ジーラを演じ、このシリーズにおける重要な役割を担うことになる女優キム・ハンターもまた「赤狩り」の犠牲となった悲劇の俳優です。エリア・カザンの名作「欲望という名の電車」においてマーロン・ブランドの妻を演じ素晴らしい演技を披露した彼女は、1951年に始まったハリウッドにおける「赤狩り」第二弾でハリウッドから追放されてしまいました。1950年代を無駄に過ごすしかなかった彼女は猿のメイクによって、ハリウッドに本格復帰することになったわけです。なんという悲劇!なんという皮肉!

<ジェリー・ゴールドスミス>
 この映画の音楽を担当したジェリー・ゴールドスミス Jerry Goldsmith は、1929年2月29日ロサンゼルスに生まれています。南カリフォルニア大学の音楽部で映画音楽の講義を担当していたミクロス・ロージャに6ヶ月間学び、さらにLA私立大学でオペラや舞台劇のための音楽も学びます。卒業後、CBSに入社した彼は1955年、作曲家として契約を交わします。初めはテレビ・シリーズ「ミステリー・ゾーン」などからスタートした彼は、その後映画音楽の世界で活躍するようになり、大作映画、アクション映画を中心に数多くの作品を残すことになります。
「野のユリ」(1963年)、「いつか見た青い空」(1965年)、「砲艦サンパブロ」(1966年)、「パットン大戦車軍団」(1969年)、「砂漠の流れ者」(1969年)、「パピヨン」(1973年)、「チャイナタウン」(1974年)、「風とライオン」(1975年)、「オーメン」(1976年)、「カプリコン1」(1977年)、「エイリアン」(1979年)、「ランボー」(1982年)、「トータル・リコール」(1990年)

<映画公開時のアメリカ>
 この映画が公開された1960年代末、アメリカでは何が起きていたのか?
 1964年、黒人への差別を撤廃させるための新たな法律、公民権法が成立し、翌年には黒人たちへの参政権が与えられる黒人投票権法も成立します。しかし、現実にはこの法律の効力は発揮されず、逆に南部では黒人に対するリンチや殺人事件が増加し、ついには1967年デトロイトで大掛かりな黒人暴動が起き、軍隊の出動という危機的な状態となりました。さらに、この映画が公開された1968年にはこうした黒人たちの過激化する運動をなんとか平和的なものへと指導していたキング牧師が暗殺されるという悲劇的な事件も起き、事態は悪化の一途をたどろうとしていました。

<「猿の惑星」あらすじ>
 光速を越えるスピードをもつアメリカの宇宙船イカロス号が宇宙の旅を終えて地球に帰って来ました。相対性理論によると彼らは出発時から700年後の地球に着くはずでした。ところが、着いたはずの地球で宇宙飛行士のタイラー(チャールトン・ヘストン)が目にしたのは、猿によって人間が支配されているという信じられない状況でした。タイラーは人間に同情をよせるチンパンジーのコーネリアス(ロディ・マクドウェル)らの手を借りて脱走に成功。この星の秘密を調べるため、猿たちにとっての禁断の地へと向かいます。そこで彼が見たものは?間違いなく、そこが地球だという証拠でした。

<人種問題の投影>
 「猿の惑星」はアメリカ人が主役だったので、当然日本人と白人の関係ではなく、白人と黒人を中心とするアメリカの人種問題を意識して作られることになりました。さらに人種問題をより現実に近づけるため「猿族」をさらに分け、あきらかにユダヤ人を意識したと思われるインテリで差別に反対するチンパンジー族や英国系白人(WASP)意識したと思われる支配階層のオランウータン族などが創造されています。その他、軍隊を形成するゴリラ族もいるのですが、彼らは顔の色やその体力からして黒人を意識していたとしか思えません。
 では肝心の人間はどんな民族を象徴しているのでしょうか?
 とりあえず、主役のチャールトン・へストンについては言えることがあります。「アホでマヌケなアメリカ人」を取り続けるマイケル・ムーアの代表作「ボイウリング・フォー・コロンバイン」でアメリカにおける銃使用擁護派の代表として、登場していたのがチャールトン・ヘストンでした。そう考えると、彼を人類の代表に選んだというのはそれなりの意図があったのかもしれません。(彼は当時からすでに銃使用の擁護派として有名でした)彼を人類の代表に選ぶとは、実に皮肉で洒落たアイデアでした。
 この映画を監督したフランクリン・J・シャフナー自身、この映画について「これはSF映画ではなく政治的な映画だ」といったということですから、当然公開当時の観客は、この映画は人種問題についての映画であると受け止めていました。明らかに、この映画は人種問題について直接的に描けない部分を寓話として描くことでよりリアルに描き出していると多くの人が考えたのです。当時、黒人の少年が白人女性に声をかけたことで白人たちに惨殺された悲惨な事件「エメット・ティル殺人事件」のドラマ化がKKKからの脅迫にによって中止されるなど、まだまだ取り上げにくい時代だったのです。しかし、いろいろな読み方ができるとはいえ、結局この映画は娯楽映画として一級の作品に仕上がっていたことで多くの観客の心をとらえ大ヒットとなったのでした。

<フランクリン・J・シャフナー>
 この映画の監督フランクリン・J・シャフナーもまた日本と深い関わりのある人物でした。なんと彼は生まれが日本で、16歳まで日本の東京で育ったという経歴の持ち主だったのです。しかし、宣教師だった父親が亡くなったため、彼はアメリカに戻り、ペンシルバニア州ランカスターのハイ・スクール卒業後、コロンビア大学で政治学を学びました。第二次世界大戦中は海軍大尉として従軍。終戦後、テレビの仕事につき、1949年にはCBSテレビのディレクターとなりテレビ版の「12人の怒れる男」などを演出、エミー賞を4度も受賞しました。さらに1963年にはブロードウェイで「野望の系列」を演出し成功を収めると、いよいよ20世紀フォックスと契約。1963年「七月の女 The Stripper」で監督デビューを果たしました。
 彼は「猿の惑星」で成功後も次々に傑作を作ります。「パットン大戦車軍団 Patton」(1970年)、「パピヨン Paillon」(1973年)、「海流の中の島々 Island in the Stream」(1977年)、「ブラジルから来た少年 The Boys from Brazil」(1978年)などなど、どれも名作ですが、1989年7月2日にこの世を去っています。

<「続・猿の惑星」>
 「猿の惑星」のヒットで味をしめた20世紀フォックスは、当然続編を企画します。しかし、「続・猿の惑星」は人種問題とは別のテーマとして「核戦争」という次なるテーマを扱っています。1962年のキューバ危機以降、核兵器がこれ以上世界中の国に広まることは人類の破滅を意味するという認識のもと核拡散防止条約が締結されたのが1968年。しかし、同年アメリカでは水爆を搭載した飛行機が墜落事故を起こしたり、原子力潜水艦スコーピオン号が行方不明になり、翌年には原子力空母エンタープライズが爆発事故を起こすなど、核がからんだ事件が多発。人々の間には核兵器に対する不安が今以上に高まっていました。

<「続・猿の惑星」あらすじ>
 「猿の惑星」で行方不明になった宇宙飛行士タイラー(チャールトン・ヘストン)を探し新たな宇宙船に乗ってやって来たジョン・ブレント(ジェームス・フランシスカス)は、禁断の地域に侵入し、その地下でかつてのニューヨークの街を発見します。しかし、そこにはかつて地上に住んでいた人類の生き残りであるミュータント族が住み、そこで最後に残った強力なコバルト爆弾を神と崇めていました。しかし、人間たちを追ってきた猿族の軍隊もミュータント族の基地を発見、彼らはミュータント族を絶滅させるため地下への進入します。タイラーとブレントはやっと出会いますが、すでにミュータント族と猿族の戦闘が始り、不毛な戦闘の中傷ついたタイラーは自らの手でコバルト爆弾のスイッチを入れてしまいます。こうして地球は一瞬にして宇宙から消え去ったのでした。

<「新・猿の惑星」>
 2作目もまた救いのないラストでしたが、1作目の大ヒットのおかげで再びヒットを記録。おまけに20世紀フォックスはさらに経営状態が悪化。ドル箱となった「猿の惑星」を終らせるわけにはゆきませんでした。しかし、前作で地球が消滅してしまったからには、もうお話を続けようがありませんでした。ところが、前作の脚本を書いたポール・デーンは、究極のSF的手法を用いることで見事に20世紀フォックスからの依頼に答えたのでした。それが第3作目となった「新・猿の惑星」(1971年)だったのです。

<「新・猿の惑星」あらすじ>
 前作で地球は消滅してしまいましたが、その時かろうじてチンパンジーのコーネリアスとジーラが宇宙船に乗って地球を脱出していました。そして光速を越えることで、彼らは過去の地球、それも人類が支配してた時代へと戻ってきました。彼らは当初言葉をしゃべることのできる猿として大人気となります。しかし、彼らが現れた理由について疑問をもった科学者たちの調査により、二人の子孫が人類を征服するとわかったことで彼らは命を狙われることになります。危険を知らされた彼らは、一時サーカスに預けられそこでシーザーという名の赤ちゃんを生みました。コーネリアス夫妻は人間たちについに見つかり、殺されてしまいますが、二人はシーザーを逃がすことに成功します。そして、その赤ちゃんが、「ママ、ママ」としゃべったところでこの映画は終わります。
 この映画は、舞台を現代のアメリカに移したことでさらに予算を少なくすることに成功しました。要するに、この作品は1作目の裏返しなのですが、サーカスの馬小屋で生まれたシーザーは明らかにイエス・キリストを意識した存在でした。王による暗殺を逃れたイエスによる革命、これが次回作の柱となります。(王による暗殺を逃れ、人々を奴隷状態から救い出すという設定は、出エジプト記のモーゼともよく似たものでもあります)

<「猿の惑星・征服」あらすじ>
 「猿の惑星・征服」(1972年)で登場する地球では、新種の病原菌によって犬や猫などのペットが死滅。その代わりとして、アフリカから猿が大量に輸入され、賢い猿はしだいにペットから労働力へと進化。かつて、アフリカから連れてこられた黒人たちが奴隷として扱われたのと似た状況が生まれ始めます。そして、そんな奴隷扱いに対して反抗する者も現れ始めます。そして、その運動のリーダーとなったのがコーネリアス夫妻の子シーザーでした。彼は猿たちをまとめると革命軍を組織し、人類に対して反乱を企てます。こうして、シーザーは人類の皆殺しを指示し、いよいよ我々の時代の始まりであると力強く宣言をします。その後、彼らの暴動はしだいに世界中へと広がり始め、ついには人類が核兵器を用いて事態の収拾を図るところまで追い詰められてしまうのでした。

<「猿の惑星・征服」とワッツ暴動>
 当初は、このシーザーによる勝利宣言で映画を終らせることになっていました。しかし、それではあまりに救いがなさすぎるという上層部からの批判があり、しかたなくラストには変更が加えられることになりました。それは、シーザーによる人類皆殺し宣言に対し、彼の恋猿のリサが、生まれて初めて人間の言葉で「やめて!」と叫ぶことで人類の未来を救うというものでした。シーザーはその言葉によって、心を改め、人類との共存の道を探ろうと考えることになるのです。しかし、ここでシーザーが穏健派となると「猿の惑星」の最初のストーリーが変わってくる可能性がでてきます。SF小説で有名な平行世界と言う概念によれば、未来は無数に枝分かれしたいるもの、したがって「猿の惑星」は異なる未来に向けて進むことになってきたわけです。そして、続編がこの設定から生まれることになります。
 この映画で注目したいのは、ラストで展開する暴動と1965年にロサンゼルスのワッツ地区で起きたアメリカの歴史上最大の黒人暴動「ワッツ暴動」との関連性です。5万人の黒人たちが蜂起し、州の軍隊までもが出動したワッツ暴動の衝撃はそれから8年たっていたとはいえ、まだ消えたわけではありませんでした。黒人たちの置かれた社会的状況は大きな変化があったわけではなく、現実に1980年代になるとあのロドニー・キング事件を発端としてワッツ暴動を越えるロス暴動が起きることになります。そんな状況だっただけに、この映画は黒人の観客には大うけだったといわれています。
 黒人たちによって作られた黒人たちのための映画「黒いジャガー」が1971年にヒットして以降、映画界ではブラック・スプロイテーション・ムービーと呼ばれる黒人向けアクション映画がドル箱のひとつになっていました。「猿の惑星・征服」はそんな時代の流れに見事に乗っていたともいえそうです。逆に当時の白人観客はこの映画をどんな気分で見たのでしょうか?

「最後の猿の惑星」あらすじ>
 さていよいよシリーズは最終章を迎えることになります。
 「最後の猿の惑星」(1973年)は、ここまで作り上げてきた歴史の輪の切れ目をつなぐことで物語をついに終らせることになりました。
 核兵器が使用され、地球上は廃墟と化しましたが、再び文明が蘇ろうとしていました。そんな中、進化した猿たちは着々と地球を支配下におきゴリラ族を中心とする右派勢力はわずかに生き残った人類の殲滅作戦を計画していました。
 しかし、シーザーは今は亡きジーラが残したビデオにより、このままでは再び核兵器が使用され、地球は完全に消滅してしまうということを知ります。そこで彼は人類と穏健派の猿族たちを和解、共闘させ、ゴリラ族とミュータント族を倒すことにより、新たな体制を作ります。こうして誕生した猿と人間の共存する社会は、タイラーがかつて見た世界とはまったく異なるものでした。人類と猿、そして地球はこうしてなんとか全滅の危機を免れることができたのです。

<原罪>
 映画のラスト近く、シーザーはゴリラ族のリーダーを木から落として殺します。実は、この殺人(殺猿)もまた大きな意味をもっています。このシリーズ中、猿たちは人間と違い種族同士で殺し合うということを一度もしていませんでした。このことは、猿たちのもつ最大のタブーであり、人間たちの愚かさと一線を画する部分でもありました。しかし、シリーズの最後に来て彼らのリーダーが自らそのタブーを犯してしまったわけです。
 アメリカ人もしくはキリスト教文化圏の人々なら、これが聖書における「原罪」のことだとすぐにわかるでしょう。神に守られた「エデンの園」に住んでいたアダムとイブが禁断の果実を食べたためにその地を追われたこと、そしてそこを出た後、その息子のカインが弟のアベルを殺した最初の殺人。人間が人間であるということは、あらかじめ罪を犯した存在であり、その罪を購うために生きるのだという考え方、それがキリスト教的な考え方なわけです。こうして人間の最初の罪いわゆる「原罪」という言葉が誕生したのです。
 したがって、このラストの殺猿によりついに猿もまた人類と同等の原罪を背負ったことになったわけです。こうして、見事にも「物語の輪」がつながりました。
 映画のラスト・シーン、人と猿が共存する平和な世界(まるでキング牧師があの有名な演説で語っていた差別のない平和な社会を思わせる場面です)に立つシーザーの銅像の目から流れ落ちる涙は、猿たちが犯してしまった罪を悲しんでいるからであり、人間たちによって磔の刑にされたイエス・キリストが流した血を表わしているのでしょう。

<原罪と「スターウォーズ」>
 「原罪」により物語の輪がつながったといえば、映画「スター・ウォーズ」シリーズが思い起こされます。シリーズの最終回、ルークの父親がなぜダーク・サイドに落ちてダース・ベイダーになってしまったのか?これもまた彼の犯した「原罪」が原因だったことが明らかになるわけです。「原罪」と言う概念は、キリスト教文化圏だけの概念ではなく多くの神話世界で見られるものです。極論をすると「原罪」とその罪を許してもらうための贖罪の行為がなされて初めてドラマは成立する、そう言い切ることも可能かもしれません。
 「猿の惑星」シリーズが凄いのは、一本一本の作品はその場しのぎの予算とアイデアによって作られたにも関わらず、最後に五話完結の巨大な神話体系が出来上がっていたことかもしれません。このシリーズを通して見た人はそうはいないでしょう。それぞれ一本ずつを見ると、一作目以外はB級映画の域を出ていないかもしれません。しかし、60年代から70年代にかけての世界の混乱がゴッタ煮的に詰め込まれたことで、このシリーズは「タイム・パラドックスについてのSF」というよりは「差別についての寓話」として長く残るパワーを獲得することになったのです。

「猿の惑星 Planet of the Apes」 1968年公開
(監)フランクリン・J・シャフナー
(原)ピエール・ブール
(脚)ロッド・サーリング、マイケル・ウィルソン
(製)アーサー・P・ジェイコブス、モート・エイブラハムズ
(撮)レオン・シャムロイ
(特効)L・B・アボット(特メイク)ジョン・チェンバース
(音)ジェリー・ゴールドスミス
(出)チャールトン・ヘストン、キム・ハンター、ロディ・マクドウォール

「続・猿の惑星 Bneath the Planet of the Apes」 1970年公開
(監)テッド・ポスト
(製)アーサー・P・ジェイコブス
(原案)(脚)ポール・デーン
(原案)モート・エイブラハムズ
(出)ジェームス・フランシスカス、キム・ハンター、チャールトン・ヘストン

「新・猿の惑星 Escape from the Planet of the Apes」 1971年公開
(監)ドン・テイラー
(製)アーサー・P・ジェイコブス
(脚)ポール・デーン
(出)キム・ハンター、ロディ・マクドウォール、リカルド・モンタルバン、ブラッドフォード・デイルマン

「猿の惑星・征服 Conquest of the Planet of the Apes」 1972年公開
(監)J・リー・トンプソン
(製)アーサー・P・ジェイコブス
(脚)ポール・デーン
(撮)ブルース・サーティーズ
(音)トム・スコット(なんとあのトム・スコットが担当でした!)
(出)ロディ・マクドウォール、リカルド・モンタルバン、ドン・マレー

「最後の猿の惑星 Battle for the Planet of the Apes」 1973年公開
(監)J・リー・トンプソン
(製)アーサー・P・ジェイコブス
(原案)ポール・デーン
(脚)ジェイス・フーバー・コリントン、ジョン・ウィリアム・コリントン
(出)ロディ・マクドウォール、ジョン・ヒューストン、クロード・エイキンズ、ポール・ウィリアムス

<この年の映画>

アメリカでレイティング・システムが導入される(検閲による修正に代わり、見られる観客の年齢に制限を加えるやり方の導入)
カンヌ映画祭が中止となる(学生運動、「五月革命」の影響)

「愛すれど心さびしくThe Heart is a Lonely Hunter」(監)ロバート・エリス・ミラー
(音)Jerry Goldsmith (心にしみる良い映画でした)
「イエロー・サブマリン Yellow Submarine」(監)ジョージ・ダニング、ジャック・ストークス
(ご存じビートルズを主役としたアニメ・ミュージカル、サイケです!)
「if もしも・・・」(監)リンゼイ・アンダーソン(脚)デヴィド・シャーウィン(出)マルコム・マクダウェル、デヴィッド・ウンド
「異邦人」(監)ルキノ・ヴィスコンティ(原)アルベール・カミュ(脚)スーゾ・チェッキ・ダミーコほか(出)マルチェロ・マストロヤンニ、アンナ・カリーナ
「ウエスタン C'era Una Volta Il West」(監)セルジオ・レオーネ(出)ヘンリー・フォンダ
「王女メディア」(監)(脚)ピエロ・パオロ・パゾリーニ(撮)エンニョ・グァルニエリ(出)マリオア・カラス、ジュゼッペ・ジェンティーレ
「泳ぐひと」(監)フランク・ペリー(脚)エレノア・ペリー(原)ジョン・チーパー(出)バート・ランカスター、ジャネット・ランガード
「オリバー!Oliver」 (音)John Green アカデミー・ミュージカル音楽賞
(キャロル・リード監督の代表作、アカデミー作品賞、監督賞受賞)
「華麗なる賭けThe Thomas Crown Affair」(監)ノーマン・ジェイソン(音)Michel Legrand アカデミー歌曲賞
(マックィーン、フェイ・ダナウェイのお洒落犯罪もの、主題歌「風のささやき」も大ヒット)
「銀河」(監)(脚)ルイス・ブニュエル(脚)ジャン=クロード・カリエール(撮)クリスチャン・マトラ(出)ポール・フランクール、ローラン・テルジェフ
「個人教授 La Lecon Particuliere」(監)ミシェル・ボワロン(音)Francis Lai (ドキドキ青春恋愛映画でした)
「さらば友よAdieu L'ami」(監)ジャン・エルマン(音)Francois de Roubaix フランソワ・ド・ルーベ
(C.ブロンソンとアラン・ドロンのあの名ラスト・シーンが・・・)
「猿の惑星Planet of the Ape」(監)フランクリン・J・シャフナー(原)ピエール・ブール(音)Jerry Goldsmith (SF映画の最高峰の一つ)
「白い恋人たち13 Jours en France」 (監)クロード・ルルーシュ他(音)Francis Lai
(冬季オリンピックのドキュメンタリー映画、これぞスキー場のスタンダード)
「テオレマ」(監)(脚)ピエロ・パオロ・パゾリーニ(出)テレンス・スタンプ、ラウラ・ヴェッティ(ヴェネチア映画祭主演女優賞
「2001年宇宙の旅」 2001 A Space Odyssey (監)スタンリー・キューブリック(音)Alex North
(「ツァラトストラはかく語りき」「美しく青きドナウ」、20世紀を代表する傑作!)
「ファニー・ガール Funny Girl」(監)ウイリアム・ワイラー
(バーブラ・ストライサンドがアカデミー主演女優賞をK・ヘップバーンと分け合う)
「フィクサー」(監)ジョン・フランケンハイマー(脚)ダルトン・トランボ(出)アラン・ベイツ、ダーク・ボガート
「フェイシズ」(監)ジョン・カサベテス(出)ジョン・マーレイ(ヴェネチア映画祭主演男優賞、イタリア批評家賞
「ブリットBullitt」(監)ピーター・イエーツ(音)Laro Schifrin(マックウィーンの元祖カーチェイス映画)
冬のライオンThe Lion in Winter」(監)アンソニー・ハーヴェイ(音)John Barry アカデミー作曲賞(出)ピーター・オトゥール、キャサリン・ヘップバーン
アカデミー主演女優賞
「まごころを君に Charly」(監)ラルフ・ネルソン(原)ダニエル・キイス(クリフ・ロバートソンがアカデミー主演男優賞受賞)
「レーチェル・レーチェル Rachel.Rachel」(監)ポール・ニューマン(出)ジョアン・ウッドワード(ポール・ニューマンの初監督)
「ローズマリーの赤ちゃん Rosemary's Baby」(監)ロマン・ポランスキー(出)ミア・ファロー、ジョン・カサベテス(ルース・ゴードンがアカデミー助演女優賞)
「ロミオとジュリエットRomeo e Giuletta」(監)フランコ・ゼフィレッリ(音)Nino Rota (正調?ロミオとジュリエットの代表作)(出)オリビア・ハッセー
「One Plus One」(監)(脚)ジャン・リュック・ゴダール(「悪魔を憐れむ歌」を録音するストーンズをとらえたドキュメンタリー)
「女体の神秘」(監)エリック・F・ベンデル(西ドイツ映画)大ヒットでポルノ・ブームが始まる

「神々の深き欲望」(監)(脚)今村昌平(製)山野井正則(脚)長谷部慶次(出)三国連太郎、沖山秀子、河原崎長一郎」
「黒部の太陽」(監)(脚)熊井啓(脚)井手雅人(原)水本正次(出)三船敏郎、石原裕次郎、宇野重吉
「絞首刑」(監)(脚)大島渚(脚)田村孟、佐々木守ほか(出)佐藤慶、渡辺文雄、戸浦六宏、小松方正
「人生劇場 飛車角と吉良常」(監)内田吐夢(原)尾崎士郎(脚)柳田吾郎(出)鶴田浩二、松方弘樹、辰巳柳太郎
「初恋 地獄篇」(監)(脚)羽仁進(脚)寺山修司(製)藤井知至(出)高橋章夫、石井くに子
「緋牡丹博徒」(監)山下耕作(出)藤純子(シリーズ第一作が大ヒットとなる)
「肉弾」(監)(脚)岡本喜八(製)馬場和男(撮)村井博(出)寺田農、大谷直子、天本英世

野田高梧(脚本家、小津組)死去(74歳)

<1968年の出来事>

核拡散防止条約調印(96ヶ国)
<アメリカ>
ヴェトナム和平パリ会談開催、北爆の全面停止
マーチン・ルーサー・キング牧師暗殺される
ロバート・ケネディー暗殺される
メキシコオリンピックで米国の黒人選手が表彰台で人種問題をアピール
アンディー・ウォーホル狙撃される
<ヨーロッパ>
パリ大学の学生デモから市民全体が参加する大きな政治運動に発展、大統領を退陣に追い込む(五月革命)
「プラハの春」に対し、ソヴィエトがチェコへ侵攻し民主化の動きにストップをかける
<アジア>
インドネシアでスハルト氏が大統領に就任
<日本>
三億円強盗事件発生
在日韓国人、金嬉老13名を人質にとり籠城
70年安保に向け学生運動が激化
小笠原諸島が日本に返還される
川端康成がノーベル文学賞を受賞

<芸術、文化、商品関連>
「ナット・ターナーの告白」ウィリアム・スタイロン著(ピューリツァー賞受賞)
「第八の日に」ソーントン・ワイルダー著(全米図書賞)
「我輩はカモである」ドナルド・E・ウェストレイク著(エドガー賞)
イヴ・サンローランが「サファリ・ルック」発表
大塚食品「ボン・カレー」発売、「巨人の星」放映開始

<この年の音楽>この年の音楽については、ここから!

1968年のページへ   20世紀空想科学史へ   20世紀映画劇場へ   トップページへ