「プラトーン Platoon」

- オリバー・ストーン Oliver Stone -

<「ミッドナイト・スペシャル」の脚色>
 アメリカ映画がベトナム戦争の実態をリアルに見つめ始めたのは、1970年代後半のことです。「ディアハンター」(1978年)や「地獄の黙示録」(1979年)は、ベトナム戦争を本格的に描いた傑作として歴史に残っていますが、そこにはリアルなベトナム戦争が描かれていたわけではありませんでした。それらは現代の戦争を神話的に描いた普遍的な作品だったというべきでしょう。
 それらの映画に対し、「プラトーン」(1986年)という作品は、ベトナムの戦場で実際に戦闘に参加した元兵士がその体験をもとに書き上げた脚本に基づくリアルな戦争映画として画期的な作品でした。
 実は、この映画の監督オリバー・ストーン Oliver Stone は、「プラトーン」の脚本を映画化の10年前、1976年の時点で書き上げていたといいます。しかし、その当時はまだベトナム戦争を扱った映画は興行的にタブーとされていたこともあり、陽の目を見ることがありませんでした。しかし、その出来栄え自体は高く評価されたため、彼は脚本家として他の映画で仕事を与えられることになりました。こうして、彼は「ミッドナイト・エクスプレス」の脚色を担当。見事に1978年度のアカデミー脚色賞を獲得しています。
 「ミッドナイト・エクスプレス」は、トルコで麻薬不法所持の罪で逮捕されたアメリカ人が不当な仕打ちや虐待を受け、ついには監獄から脱獄するという内容でした。公開当時、この映画はスリルとサスペンスに満ちた傑作と高く評価され、そのリアルな描写も高く評価されました。(監督はアラン・パーカー)
 ただし、イスラム教の国の中では民主主義的なトルコにおける警察の腐敗や異常な虐待を描いたことで、トルコを中心にイスラム圏の国々から批判の声が上がり、アメリカ人によるイスラム差別を象徴する作品として、歴史にその名を刻むことにもなりました。実話の映画化ではありましたが、実際に主人公が麻薬の密売に関わったのは事実だし、そのために多くの若者が麻薬中毒となり、そこから多くの犯罪事件が生まれた可能性が高いのも事実です。立場を変えてみれば、主人公のアメリカ人が英雄と見なされるのは、どうかなと思います。今にして思うと、この映画の脚色を担当していたのがオリバー・ストーンだったというのはある意味納得できることです。(個人的に親トルコの僕としても、許せません)

<「プラトーン」映画化へ>
 彼はその後、1983年にはハワード・ホークス監督の名作「暗黒街の顔役」(1932年)のリメイク脚本を担当します。それが、主人公をヒスパニック系のマフィアに移し代え、アル・パチーノを主演にすえた名作「スカーフェイス」(監督はブライアン・デ・パルマ)です。1985年には中国系マフィアを描いた「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」の脚本を担当。いずれも主人公はアメリカ国内の非白人の犯罪者でした。これらの作品がいずれもヒット作となったことから、いよいよ彼に映画を監督するチャンスが巡ってきます。(実は彼は1970年代に監督デビューをしていましたが、まったく評価されず、その後監督をするチャンスが巡ってきませんでした)こうして久しぶりに監督した作品「サルバドル/遥かなる日々」(1986年)での成功の後、彼は次作として自らにとってルーツともいえる脚本「プラトーン」を選びました。
 オリバー・ストーン自身の従軍体験がもとになったこの映画は、彼の分身ともいえる主人公クリス(チャーリー・シーン)の視点からベトナム戦争が描かれています。その中のエピソードのほとんどは、実際に彼の周りで起きたことがもとになっており、登場人物の多くにもモデルが存在するそうです。その点では、まさに「実録ベトナム戦争映画」の決定版ともいえる作品が「プラトーン」だったといえます。
 しかし、どんなに客観的事実を重ねても、それを語る人物の視点によって、物語は180度違って見えてくるものです。記録映画ですらその編集方針によって、映画はまったく異なるものとなるのですから。(かつて映画「羅生門」黒澤明が描いたように・・・)
 では、監督オリバー・ストーンという人物の視点とはいかなるものだったのでしょうか?

<オリバー・ストーン>
 オリバー・ストーン Oliver Stoneは、1946年9月15日にニューヨークで生まれています。彼の父親はユダヤ系の株式コンサルタントで真面目を絵に描いたような人物でした。しかし、けっして一攫千金を狙う山師タイプではなく、自分自身は堅実に暮らすタイプの人物でした。第二次世界大戦では、そんな真面目で愛国心に熱い彼の父親は自ら志願してヨーロッパへ出征。そこで知り合った年下の美しいフランス人女性と結婚します。その二人の間に生まれたのがオリバー・ストーンでした。
 ゴリゴリの共和党支持者だった右派の父親の影響により、彼もまた愛国主義的で真面目な青年として育ちました。ところが自由奔放で人生を楽しむタイプの母親とストイックに仕事に熱中する父親の関係は長くは続きませんでした。
 全寮制の学校に入れられ家族から離れて生活していた彼は、ある日突然両親が離婚し、母親がフランスに帰ってしまったことを知ります。両親に捨てられたと感じた彼は、父親の後を継ぐ気にはなれず、東南アジアへと一人冒険旅行に出かけます。旅行中、ベトナムのサイゴンで英語の教師として働いた後、彼は憧れの作家ジョセフ・コンラッドのように船乗りになり世界中を船で旅します。一年後にアメリカに戻った彼は、作家になることを決意。そして、父親の反対を無視して大学を中退してしまい、自伝的な小説を書き始めます。
 しかし、自信をもって書いたそれらの小説は、どの出版社からも無視され、いよいよ彼は生きる目的を失いかけます。そこで彼が選んだのはベトナム戦争へ志願兵として向かうことでした。当時は大学生ならば、兵役を逃れることは可能だたのですが、彼は自殺するつもりでベトナム行きを望んだのです。こうして彼は、1967年9月16日、ベトナムの地に降り立ったのです。ここから先の彼のベトナムでの体験はそのまま映画に描かれているといえます。

<あらすじ>
 志願兵としてベトナムにやって来た青年クリス・テイラー(チャーリー・シーン)は、彼以外の兵士たちがほとんどアメリカ各地の田舎の出身で高校も出ていないことに驚かされます。大学生の彼は部隊唯一のインテリ兵士として仲間たちから浮いた存在でしたが、行軍が始まるとそんな違いなどすぐにどうでもよくなります。泥と森の中を這いずり回り、行軍と戦闘を続ける彼らは常に周りからの奇襲攻撃にさらされており、村人を装うゲリラからの攻撃や味方による誤射にも注意しなければなりませんでした。いつしか自分は何のため、誰のために闘っているのか?それすらわからなくなった彼は、ただ命令に従って黙々と歩き続けるだけになってゆきます。
 そんな状況が続く中、新兵の彼らに的確な助言を与えてくれるベテラン軍曹のエリアス(ウィレム・デフォー)は、彼にとっての英雄でした。しかし、彼の部隊にはエリアスとはまったく正反対の戦闘マシーン、バーンズ曹長という伝説的英雄もいて、彼を中心とする二つの派閥に部隊は分かれてゆきます。
 ところが、バーンズが無抵抗の村人を大量に殺害したことを知ったエリアスは、それを上層部に報告しようとしてバーンズに撃たれてしまいます。そして、負傷した彼は戦場に置き去りにされてしまいます。
 その後、戦況はどんどん悪化し、彼らの部隊はべトコンのゲリラによって山中に追い込まれてしまいます。すると隊の上層部は彼らを犠牲にしてベトコンを殲滅しようと爆薬により地上を焼き尽くす作戦にゴーサインを出します。彼らの運命は?

<裏側を描いた作品>
 この映画の中では、部隊内における麻薬乱用。部隊内における対立、人種差別から生じる殺人。武器をもたない一般人の虐殺。味方の兵士を囮にした米軍による攻撃など、様々な戦争の裏側を描き出されています。そのため、この映画は撮影の際、米軍からの協力を得ることができませんでした。こうして、この作品はコッポラの「地獄の黙示録」と同じようにフィリピンの軍隊の協力によりタイの森林地帯を舞台に撮影が行われました。
 当時、ブルース・スプリングスティーンが貧しい労働者の立場に立って、アメリカの下層階級の生活描いた名曲を数多く作ったように、この映画は一兵士の立場からリアルな戦場を描いた作品としてアメリカの一般大衆の心をとらえ、見事にアカデミー作品賞を獲得。オリバー・ストーンの名は一躍世界中に知られることになります。
 しかし、その名作と言われた映画を見て僕は大きな違和感を感じました。映画の見せ場となった場面、エリアスがまるで十字架にはりつけにされたイエス・キリストのように死んでゆく場面は確かに感動的でした。(二枚目とは言いがたいウィレム・デフォーは、それまで二枚目俳優として正義の味方ばかりを演じていたトム・ベレンジャーと役柄を入れ替えたことで、一躍人気俳優となりました)
 そしてこの後、映画はクリスによるバーンズへの復讐の物語となり、最後にクリスの有名なセリフによりエンディングを迎えることになります。

「僕が戦ったのは敵じゃなかった。自分自身だったのだ。敵は僕らの内にいた。僕の戦争は終わるが、戦いは一生終わらない・・・・・」

 え!そんなセリフで終わっていいわけ?
 僕は正直驚きました。
 自分たちで勝手に他所の国に攻め入って、そこでさんざんその国の一般人を殺しておいて、今さら敵は心の内にいた!?
 ベトナム戦争が軍産複合体を中心とするアメリカのごく一部の人々のための戦争だったのは今や明らかなことです。
 それを「敵は僕の内にいた」じゃ、ベトナム人の犠牲者はどうなるの?

 まさか、この映画がアカデミー賞の最優秀作品賞に輝くなんて!
 アカデミー賞を選んでいる人々の多くはベトナム戦争に反対だったはずですが、彼らが戦争に反対したのはたぶんベトナム人の立場に立ったからではなく、アメリカ人の若者を無駄死にさせることに反対しただけなのでしょう。
 考えて見ると、僕がオリバー・ストーン作品で面白いと思った「トーク・レディオ」という映画は、アメリカ中を敵にまわして暴言を吐き続けるラジオDJの話で、ある意味「アメリカ人によるアメリカ人へのブラック・ジョーク集」のような内容でした。それが見ていて違和感をあまり感じなくてすんだのは、自分たちのことを攻撃する分には彼の作品は許せるからなのかもしれません。
 しかし、自分以外、特に異なる民族を扱う時、彼の頭の中の客観性の欠如は救いがたいものになるように思えます。あらゆる創作者は、自分が理解できない題材に手を出すべきではありません。例え分からなくても、それを理解しようと努力することを怠ってはいけないはずです。戦争だったと思っているのと同じく、彼の体験もまた視点を変えると残念ながらナンセンスな行為にみえてしまうのかもしれないのです。(ロバート・アルトマンの「マッシュ」はまさにそんな映画でした)
 愛国心に基づいて行われているイスラム過激派によるテロ行為を世界中の多くの人々が愚かな行為と考えているのと同じように、ベトナムでのアメリカ軍の戦争もまったく愚かな戦闘と見られても仕方ないのです。
 オリバー・ストーンの作品は力強さに満ち、人間のある種の本質を描いたものとして観客をひきつけます。しかし、その独りよがりな感覚は、「世界の警察」を自称していたアメリカという国の体質と一緒でもあります。娯楽映画、歴史の記録映画としての価値はあっても、アメリカ人以外は感情移入することができない。(感情移入させられたはいけないはずです)それが彼の作品なのかもしれません。最後にアメリカ人であっても僕と同じように彼の作品に違和感を感じている小説家ジョン・アーヴィングの言葉を記しておきます。

 彼はオリバー・ストーンがあるインタビューの中で、O・J・シンプソン事件について「殺人事件を考えることと、殺人を犯すことのあいだに、それほど大きな差異はないんだ」と発言しているのを読んで、こう語ったそうです。

「ストーンの意見は、そのあほうさのゆえに、まさに聖書的と言ってもいいくらいだ。汝の隣人の妻によこしまな考えを抱くのは、その女を犯したのと同じことだていう例のやつさ」とアーヴィングは言う。
「勃起をしたことのある男なら、そこにある違いはわかるはずだ。よくもまあそんな無責任なことが言えるものだ。それは彼の映画の薄っぺらさと通底したものであるように僕には思える。・・・」

ジョン・アーヴィング

<追記>(2017年2月)
 この映画公開時、僕はかなりこの映画に批判的で、オリバー・ストーンも嫌いでした。しかし、彼の映画や作品はその後、変化していると思います。そのことは、彼がピーター・カズニックと共著で発表したアメリカの近代史「オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史」3部作からもわかります。今、彼はこの映画をもう一度撮ったらきっと違う映画になるのではないかとも思います。
 それに彼にとっては、こうした戦場で戦った者の視点から見た映画を撮ることは、やらなければならないことだったことも理解できる気がします。

・・・IWTという言葉がある。”I Was There”の略。「オレはそこ(ヴェトナム)にいた」。これは強い。オリヴァー・ストーンの強さはここにある。クリントンやブッシュのように徴兵のがれをしていない。ストーンがどれだけ反アメリカ的な映画を作っても、誰も文句がいえないのは、彼がIWTだから。ヴェトナム戦争そのものは批判しえても、そこで戦った(戦わされた)兵士のことは批判できない。ストーンの強みである。
川本三郎「映画の戦後」より

「プラトゥーン Platoon」 1986年
(監)(脚)オリバー・ストーン
(撮)ロバート・リチャードソン
(音)ジョルジュ・ドルリュー
(出)チャーリー・シーン、トム・ベレンジャー、ウィレム・デフォー、ケヴィン・ディロン、フォレスト・ウィテカー、ジョニー・デップ

20世紀名画劇場へ   トップページへ