- ザ・ポーグス The Pogues -

<ポーグ・マホーン>
 「ポーグス The Pogues」は、当初「ポーグ・マホーン Pogue Mahone」という名前でスタートしています。「ポーグ・マホーン」とは、彼らの故郷アイルランドを中心とするケルト文化圏の言葉、ゲーリック語で「Kiss My Arse ケツにキスしやがれ!(クソ食らえ!)」という意味です。そのことを知ったイギリスのBBC放送が、昼間のラジオ放送から彼らの曲を閉め出したため、彼らは仕方なく名前を縮め「ポーグス」としたということなのです。それでも懲りない彼らは、後に自らのレーベルを立ち上げる際、またもや「ポーグ・マホーン」の名を用いています。もしかすると、この名前ほど彼らの個性、音楽性を的確に表している言葉はないのかもしれません。

<アイリッシュ・ファイティングマン>
 バンドのヴォーカルでありリーダー格のシェイン・マガウァンはアイルランド生まれで、6歳の時に家族とともにロンドンへと移住しました。学生時代の彼はロンドンのパンク系のクラブで、名うての暴力的ファンとしてその名を知られていたといいます。その頃の名残りは、彼のめちゃくちゃな歯並びに勲章として残されています。(アイリッシュにとって、喧嘩は社交手段のひとつとも言われています。かつて、アメリカから生まれたボクシングの世界チャンピオンが、ほとんどアイリッシュだった時代もあったほどです。ジョン・フォード監督の傑作、映画「静かなる男」のジョン・ウェインもその好例です)

<ポーグ・マホーン誕生>
 シェインは、80年代にはいり、アイリッシュ系の飲み仲間たちを集めてバンドを結成し、82年に「ポーグ・マホーン」の名前で活動を開始します。デビュー当時の彼らのサウンドは、アイリッシュ・トラッドに用いられるアコースティック系の楽器を用いたスピード全開のパンク・ロックで、シェインの同類たちが集まる過激なパンク系のクラブで、身も心も鍛えながら独自のスタイルを築き上げて行きました。

<デビュー、そしていきなりのブレイク>
 1984年「赤い薔薇を僕らに」でデビューした彼らは、いきなり注目を集め、エルヴィス・コステロのツアーで前座に抜擢されるなど、早くもイギリスでの人気を獲得します。彼らのことをいたく気に入ったエルヴィス・コステロは、自らプロデューサーをかって出て、セカンド・アルバム「ラム酒、愛、そして鞭の響き」を制作します。サード・アルバムでは、この当時ピーター・ガブリエルXTCU2などのプロデュースで人気No.1だったスティーブ・リリーホワイトが、これまたプロデューサーをかって出て、彼らの最高傑作とも言われる「墜ちた天使」が発表されることになります。スティーブ・リリーホワイトは、次に発表されたこれまた傑作の「ピース&ラブ」でもプロデューサーを務め、ポーグスの音楽性をより幅広いワールド・ミュージックへと広げて行きました。アラブ圏のサウンドやカリビアン・リズム、テックス・メックスなど世界各地の音楽が違和感なく吸収されたそのサウンドは、いよいよ世界の注目を集める存在となります。 さらに、次の作品「ヘルズ・ディッチ」では、一時期ポーグスのメンバーとしても活躍していた元クラッシュジョー・ストラマーが、プロデューサーを務めるなど話題にはことかかない存在となりました。(この頃、彼らはアレックス・コックス監督の映画「ストレート・トゥ・ヘル」にも全員で出演しています)

<ポーグス独特の世界>
 彼らの音楽の魅力は、その音楽性の高さもさることながら、それぞれの曲のもつドラマ性、文学性の高さにもよるところ大です。
 彼らの代表作「墜ちた天使」からのヒット曲、「ニューヨークの夢」は、アイルランドからアメリカに移住した夫婦が、かつての夢にあふれていた時代を振り返る実にノスタルジックな歌です。今や夢破れて寂しい老後を迎えようとしている二人ですが、それでも、「お前がいてくれるから俺はやってゆける」と弱音をはく夫。まるで、映画のワンシーンを思わせる、思わずほろりとさせられる名曲なのです。(この曲で、シェインとデュエットしている女性は、かつてイギリスでトラッド復興運動の中心として活躍したイワン・マッコールの娘、クリスティー・マッコール。彼女はプロデューサーだったスティーブ・リリーホワイトの奥さんです)
 同じく「墜ちた天使」の中の「Thousands Are Sailing」もまた実にドラマチックです。アイルランドからアメリカへ船に乗って移住していった人々の物語を力強く歌い上げたこの曲は、聞く人にいつでも勇気を与えてくれる本当に素晴らしい曲です。

<アイリッシュと移民>
 ここで、アイリッシュと移民について、ちょっと書いておきます。このことは、彼らの音楽、文化を語るとき、欠かせないことだからです。
 アイルランドという国は、土地がやせているため昔から飢饉におそわれやすい国でした。そのため、昔からイギリスへ移住するアイルランド人は多かったようです。そして、その後宗教的な違いの問題もあり、(アイルランドはカトリック、イギリスはプロテスタントです)アイルランドはイギリスの植民地となってしまいます。それはまるで、かつての日本と沖縄のような関係でした。第二次大戦後、イギリスからの独立運動が盛んになり、現在のアイルランドが成立したわけですが、その時アイルランドの一部に残ったイギリス領北アイルランドの独立問題が未だ解決せず、テロ事件が後を絶たない状況が続いているわけです。
 なお、1845年から1848年におきた「ポテト飢饉」でも多くの餓死者がでて、その時はアメリカへの移民が激増しました。(この時の、移民たちの物語があの映画「ギャング・オブ・ニューヨーク」へとつながって行くわけです)今や、アメリカにおいてもアイリッシュは、全人口の17%を越えています。(1980年時点)

<独り言>
 僕は以前、台風の中を船で八丈島に行ったことがある。島の測候所にいた友人を訪ねスキューバ・ダイビングをするのが目的だった。木の葉のように揺れる船の甲板で聴いた「Thousands Are Sailing」の素晴らしかったこと!是非、そんな状況で聴いていただきたい曲です。ちなみに、その時のダイビングで、僕は生まれて初めて鮫を間近で見ることができた。海の底ですぐ上を泳いでいった鮫を見つめる僕の頭の中で鳴り響いていた曲もまたこの曲だったことは、言うまでもないでしょう。

<アイリッシュの伝統、物語の語り手としての存在>
 ポーグスの魅力はまだあります。彼らの歌には、アイルランドの家庭で昔から子供たちを寝かしつける時に語られていた怖い話しやミミズが墓場をはい回る不気味なホラー・ソングなどがあったり、西部劇のヒーロー、ジェシー・ジェームスの伝記物語、第一次世界大戦でのトルコにおけるオーストラリア軍の悲劇を描いた「ワルツィング・マチルダ」など、史実に基づく物語にも優れたものが多いのです。
 それはまるで、世界的にも有名なケルトの民話集のように、聴くものを飽きさせないドラマに満ちています。
 アイルランドのパブで、黒ビールとアイリッシュ・ウイスキーを飲みながら語られる涙あり、笑いあり、怒りありのほら話の数々、そんな場所にぴったりの飲んだくれ野郎たち、だからバンド名は「ポーグ・マホーン」がぴったりなのです。

<締めのお言葉>
「疲れた学校教師と霊感を受けた逸話の語り手のどちらかを友人に選ぶとしたら、逸話の語り手を選ぶ方がましというものだ」 ブライアン・オールディース

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