スタジオ・ジブリが生み出した革命的英雄像の変遷

「ルパン三世」から「崖の上のポニョ」へ

- 宮崎駿 Hayao Miyazaki -

<子供と見たい作品>
 この映画は我が家の小学2年生の次男と二人で見ました。中3の兄がいるため、過去の宮崎作品もひととおり見ている次男に終ってから感想を聞くと。
「今まで見た映画で一番笑った!」との答えが帰って来ました。確かにこの映画、宮崎作品の中でも久々の文句なしに楽しく笑える作品でした。それも、誰が見てもわかる「動き」によるギャグというアニメの王道に徹しているのがうれしい作品になっています。自然環境や人類の未来について考えさせるのでもなく、人生の意味について問いかけるのでもなく、とにかく駆けまわり、飛びまわり、暴れまわるハチャメチャな主人公のやんちゃぶりに笑わされ、驚かされ、泣かされる映画。それが「崖の上のポニョ」です。
 もちろん、どんなに楽しい映画でも、やはり宮崎駿作品です。そこには、ちゃんと作者によるメッセージがこめられています。しかし、この映画に関しては素直に子供のように楽しめば良いのだと思います。だからこそ、子供といっしょなら、もっと楽しいのです。そして、それがこの映画で宮崎監督が目指したことであり、だからこそ、彼はこの映画において手描きにこだわり、子供たちの反応にもこだわったのでしょう。それにしても、数多くの名作を生み出してきた宮崎駿監督のアニメが行き着いた先がこの作品となったのは、なぜなのでしょうか?
 見た目以上に奥の深い宮崎監督の作品ですが、ちょっとだけその歴史を振り返りつつ、「崖の上のポニョ」に至る道のりをたどってみたいと思います。

<メッセージ性の高さ>
 宮崎監督は自著「出発点」の中でこう書いています。
「通俗作品は、軽薄であっても真情あふれていなければならないと思う。入口は低く広くて、誰でも招き入れるが、出口は高く浄化されていなければならない。・・・ぼくはディズニーの作品が嫌いだ、入口と出口が同じ低さと広さで並んでいる。ぼくには観客蔑視としか思えないのである」
(残念ながら、アメリカも日本もディズニーを求める人々ばかりになりつつありますが・・)
 もちろん、作品に自らのメッセージをこめようと考えるのはどの作家にも共通することです。問題はそのメッセージが本当に観客に伝わるのかどうか、そして、どれだけ多くの人に伝えられるのかにあるのです。そのうえ、メッセージ性の高さは、観客の心を打ちますが、それが万人に通じるとは限らず、逆に観客層を限られたものにする可能性もあります。実際、かつて「トトロ」に飛びついた小さな子供たちにとって、「もののけ姫」など最近の宮崎映画は怖かったり、難しかったりと近づきがたい部分がありました。大人向けの作品になった分、観客数は増えましたが、それで良いのか?という思いも、彼にはあったのでしょう。もう一度、子供たちに語りかけたい、そんな思いがこめられた映画がこの映画のように思います。

<アニメ作家としてのスタート>
 当然ですが、彼も初めから自らの伝えたいメッセージを作品にこめていたわけではありません。1963年に東映動画に入社した彼は「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968年)で場面設計や原画を担当。アニメーターとして活躍を開始します。その後、「パンダコパンダ」(1972年)では、原案、脚本なども担当し、いよいよアニメ界で注目される存在となります。「アルプスの少女ハイジ」(1974年)「未来少年コナン」(1978年)などをした後、「ルパン3世」第一シリーズの後半などを急遽担当することになります。

「ルパン三世」
 大人向けのアニメ作品を目指した「ルパン3世」は、後に傑作シリーズとして高く評価されますが、放映当時は視聴者に理解されず、低視聴率に苦しんでいました。そのためスポンサー側が子供向けに路線変更することを要求。演出担当の大隈正秋はそれを拒否して、現場を去ります。まだシリーズの途中だったため、急遽、宮崎駿と高畑勲の二人が呼ばれ現場の建て直しを頼まれることになります。すでに撮影済みの作品もあり、途中参加でもあり、二人はちゅうちょしますが名前を出さないという条件で後を受け継ぐことになりました。
 改めて、この第一シリーズを通して見てみると、明らかに途中から絵もストーリー展開も変わっていることに気づくはずです。ただし、前半の大人向け大隈スタイルのルパンと後半宮崎スタイルのアクション満載ルパン、どっちが良いかは甲乙つけがたいものがります。ルパン・シリーズのアクションとドラマ、シリアスとコメディの絶妙のバランスは、こうして生まれたのかもしれません。だからこそ、このルパン・シリーズは未だに名作として見るに値する傑作となっているのでしょう。

「風の谷のナウシカ」以降>
 彼の名を世に知らしめることになった「風の谷のナウシカ」(1981年)は、彼がアニメ雑誌「アニメージュ」に連載していたオリジナル漫画を映画化した作品でした。当時の彼はアニメの仕事がなく「風の谷のナウシカ」のアニメ映画化は本人も驚く依頼だったといいます。しかし、この作品が口コミにより一部でヒット、一躍彼の名はアニメ界以外にも知られることになります。実は、僕自身も、当時アニメ映画を見ることなどなかったのですが、当時勤めていた会社の先輩に騙されたと思って見てくれと懇願されて、しかたなく見にいった覚えが有ります。
 この映画では、早くも彼の作品がもつことになるメッセージや共通の題材がほとんど登場しています。「人類の滅亡」、「最終兵器」、「環境破壊」、「自然を蘇らせる不思議な存在」、「夢と自由の象徴としての空」、「人類の罪を贖うための犠牲」、「人類に警告を与える存在」、「超人的能力を持つ少女と彼女を助ける男の子」・・・etc.アニメ映画でありながら、環境問題や世界平和について、じっくりと考えさせるこの作品は、公開当初は多くの観客に受け入れられず大ヒットまでには至りませんでした。しかし、より冒険アクションとしての要素を強めたスタジオ・ジブリ設立後の第一作「天空の城ラピュタ」(1986年)、自らの自伝的要素を盛り込んだ「となりのトトロ」(1988年)や「魔女の宅急便」(1989年)「紅の豚」(1992年)は、娯楽性の高さも有り次々にヒット。いよいよ宮崎アニメはブランドとして確立、確実にヒットする作品となります。

「天空の城ラピュタ」(1986年)
・・・それにまあ、『ラピュタ』では空中の映画を作りたかったですから。オニソプターっていう羽ばたき機をなんとかして映画の中で使いたいとずーっと思っていたんで、実は、ほとんどそれが中心だったんです。だから、オニソプターを飛ばしたいっていうのと、それと『宝島』をくっつけようっていうのが、『ラピュタ』にはまずありました。
「風の帰る場所」より

「となりのトトロ」(1988年)
・・・僕自身、ずっと日本が好きじゃなかったですから。日本っていう国家は今も好きじゃないですけれども、日本の風土も嫌いで困っていた子供時代の僕に、こういうとこがあるんだよて、こういう見方をすりゃいいんだよっていうふうなね、そうやって観せられる映画があったらよかったのにとは思いましたから。だけど、それも結局は後からつけた理屈でね、とにかくひたすら『トトロ』みたいなものをやらなきゃいけないって思った最初の動機は、なんか赤土の、ぼうぼうと草が生えてるところに、ポケッとした子供が立っていて、そしたら目の前の変なものが通ったっていうね、その風景だけをもうゾクゾクするぐらいやりたかったんですよね。・・・
「風の帰る場所」より

・・・僕は『となりのトトロ』を作ったときに『ああ、一通り作ったな』と思ったんです四角になったっていうかね。変な言い方だけど。『カリオストロの城』(1979年)っていう映画なんかも、ずーっと昔から作りたかった映画なんです、もう中学生の頃から作りたかった。それからまあ、『天空の城ラピュタ』(1986年)みたいな少年が出掛けていく冒険物語も作ってみたかった。それが自分が漫画を描きたいっていう最初の動機だったから。で、『トトロ』は後から手に入れたものだけど、やっぱり自分の子供時代に対する一種の手紙なんですよ、緑を全然綺麗だと思えなかった、ただ貧乏の象徴にしか思えなかった自分に対する手紙でした。そうやって考えていくとね、『風の谷のナウシカ』と『天空の城ラピュタ』と『となりのトトロ』と「カリオストロの城」と、四本作った段階で『ああ、四角になった。これで当面終わったな』と思ったんですよ。それで、しばらく休みたいと思って『魔女の宅急便』をやって。これは休むために若いスタッフを立ててやってもらうはずの作品だったんですよ。それが・・・」
「風の帰る場所」より

「魔女の宅急便」(1989年)
・・・ちょっと悪戯心でストックホルムのシティ・ホールとイタリアの街をドッキングさせてね、その裏側にはゴトランドのヴィスビーの街を下町として置いてとか、坂道はサンフランシスコ、だけどその両側はパリにしようとかね。これはアメリカ人にはわかんないですよね。日本人もわかんない。ヨーロッパ人はすぐにわかりますよ。・・・時代背景にしたって、今はモノクロのテレビと飛行機の複葉機、どっちのほうが古いかわからない人たちがいっぱいいるわけですから。だから、第二次世界大戦が始まらないで、そのまま十年ぐらい経っていたら、たぶんテレビもこのぐらいに始まっては、自動車もそんなに急速に変わんないで、まだ飛行機も複葉機で飛んでいられるっていうふうに想像してみたところ、突然自分の中で『ああ、楽しくできるな』っていうふうに思ったんです。そういうふうにしてできた世界なんです。だから『魔女の宅急便』の舞台というのは、第二次世界大戦げ十年遅れた世界なんですよ(笑)」
「風の帰る場所」より

 1991年、アメリカ軍はクウェートに侵攻したサダム・フセイン率いるイラクへの攻撃を開始。「湾岸戦争」が始まりました。そんな世界的な危機を前に、宮崎駿は「おもひでぽろぽろ」を発表します。
「おもひでぽろぽろ」(1991年)
・・・それが、世界情勢の変化とですね、あとやっぱり『おもひでぽろぽろ』が大きかったんです。観終わった途端に『ああ、もうとうとう崖っぷちまできたな』っていうね。『これ以上やっちゃ駄目だ、これはもう極まった』というか(笑)。あれは要するに『百姓の娘になれ』って演出家が叫んじゃったわけですからね。東京の中でなにをゴタゴタ言ってるんだよっていう。でも、我々は東京にいるしかないですから。そこまで言われてしまったら、先に進めないっていうんじゃないんだけど、もう等身大のキャラクターで創るっていうことに対して、いろんな功罪も含めた、極まったって感じがしましたね。・・・

・・・『あんたはエライときに生まれてきたねえ』ってその子に真顔で言ってしまう自分なのか、それともやっぱり『生まれてきてくれてよかったんだ』っていうふうに言えるのかっていう、そこが唯一、作品を作るか作らないかの分かれ道であって、それも自信がないんだったら僕はもう黙ったほうがいいなっていうね。
 だから、どんな状態になっても世界を肯定したいっていう気持ちが自分の中にあるから、映画を作ろうっていうふうになるんじゃないかと思うんです。
「風の帰る場所」より


「紅の豚」(1992年)
「・・・これは90年代の問題に取り組む前の、覚悟の問題みたいな、モラトリアム作品だっていうふうに思ってますけどね」
- というよりも、覚悟の作品ですよね。これを一つのきっかけにして、もうこれを作っちゃったんだからあとはいくでという - 。
「いやあ、そういうふうにはいかないでしょうね」
- 決意作品じゃないですか。
「いや、これはむしろ政治的な問題に関する決意という面のほうが強くてね。だから、湾岸戦争からPKO国会までの一連の流れと、この映画はまったく無縁じゃないんですよね。困ったことに。その中で自分もかなりグラグラしたりボディーブローがきいてきたりね。ユーゴスラビアの海岸を舞台にした時、ちょっと油断してて、あそこで民族紛争があったとしても、もう大したたこと起こらないと思ってたんです。それが起こっちまったんですからねえ、これは・・・」

「風の帰る場所」より

 だから、僕は社会主義者とかそういうことについては、ずいぶん前から自分では払拭してたつもりだったんですよ。だけど、やっぱりユーゴの紛争は大きかったんです。これはしんどかった。僕は自動的転向はしたくないからてこずると思ったんです。・・・
 それがこの映画作ってる最中に重なってきたから『オレは最後の赤になるぞ』っていう感じで、一匹だけで飛んでる豚になっちゃった(笑)。なんだか訳わかんないですね。そういう変な映画の作り方でした。
・・・
「風の帰る場所」より

<自作への評価に対する不満>
 こうした状況の中、親たちの間には、「ジブリのビデオさえ子供に見せておけば、それだけで良い子になるだろう」そんな安易な考えも広がりつつあったように思います。こうした、状況に彼はしだいに不満を感じるようになり、何かが違うと感じるようになったのではないでしょうか。ディズニー・アニメとジブリ・アニメは、根本的に違うというのは、彼自身が目指していたことですからある意味当然だったのかもしれません。確かに、彼の作品にはどの作品にも、環境保護、世界平和、家族愛、友情、仕事への誇り、生と死に対する向かい方・・・etc.数々のメッセージがこめられていて、一定の教育効果はあるでしょう。それはそれぞれの人に「行き方を変える」きっかけを与える可能性もあります。だからこそ、彼の作品は子供よりも大人に支持されるようになり、それが観客数の増加につながっていったのでしょう。昔は、子供向けの映画は親がいっしょに見るにはくだらな過ぎるものばかりでしたが、ジブリ映画ならいっしょに見る気になれるので、その分一気に観客の動員が増えるのは当然でした。
 そして、そんなメッセージ性の高さと芸術性の高さにより、頂点を極めたといえる作品が「もののけ姫」(1997年)でした。しかし、それまでの集大成といえる作品であると同時に、自作に対して確立されたイメージを覆そうと作られた作品でもありました。それは彼に対する「心優しき良識派のエコロジスト」というイメージを覆そうという思いがあったのでしょう。

「その戦後民主主義の持ってるヒューマニズムの嘘くささでね、それで商売をやっていくっていうのは絶対に僕は間違いだと思うんです。で、それがどれほどいろんなことをくだらなくしたかっていうふうにも思うんです。いろんなものの見方や感じ方を。しかし、僕の映画がやっぱりヒューマニズムだと思っている人がいるんですけどね、それは勝手にしろと思うしかない。だけそ、僕自身はヒューマニズムでは作った記憶がないです。で、それは僕にとってはアニメーションがすべてだから。手塚さんにとっては漫画が重要な位置を占めてて、アニメーションはやっぱりあの人の趣味だったんですよねえ。・・・」

<根底に隠された現状の否定>
 彼は自分の作品への評価に不満を感じているだけではなく、自分の仕事、自分の生き方をも根底では否定しようとしています。かつて寺山修司は「書を捨てよ、街に出よう」と宣言しましたが、宮崎駿は、「映画を捨てよ、街を出よう」と語りかけています。でも、そのことを真面に受け止める人は、どれだけいるでしょうか?1990年ごろの彼へのインタビューによると・・・
「そんなに自分自身のための映画が欲しいのか?っていう。そんなに短絡的なもんなんですかねえ、映画っていうのは、作品っていうのは。『あんたは、どういうことをやろうとしているのか!?そういうバカな状況で、その中でなにをやっても無駄なんだ』って僕は思うんですよ。ナチスの軍隊の中にいてね、どんなに人間的になろうと努力するったって - そのナチスの軍隊に入らなくてもいいんだったら、さっさと抜けろっていうことがいくらでもあるわけでしょう!」
 - はい
「僕は、今東京の状況っていうのは、そういう状況だと思うんですよ。さっさと抜けろっていう状況であってね。そこに留まるなら、自分の愚かさを耐え忍べっていうね!」

「風の帰る場所」より

 大学時代、彼は漫画家を目指していました。そんな彼が描きたかったのは、どんな漫画か?それは彼の青春時代、60年安保の時代背景から大きな影響を受けています。
「なんて言うんでしょうね、一番描きたかったのは”革命モノ”ですね。これはねえ、手が出ないですよ。まず知らないからね、自分がいろんなことを。そうするとこう大変なんですよ。勉強しなきゃいけないでしょ(笑)」
- 漫画のジャンルとして初めて”革命モノ”っていうジャンルを開いたんですけど(笑)、それは宮崎駿さんの発明ですよ。
「いや、そんなことはなくて、単に社会主義革命の、ある舞台を切り取って作りたかったんですよ、しかも日本を舞台にして」
- そんなことあるわけないじゃないですか、日本で。
「だから、それを作ることができるのが漫画じゃないですか」
- あえて言うなら『忍者武芸帳』はそういう漫画ですけどねえ。
「ええ、だけど、それは70年に至って破算するんですよね・・・」

「風の帰る場所」より

<チャップリンとディズニー>
 宮崎駿のディズニー嫌い、チャップリン好きについての言葉です。僕も、まったく同じ、ディズニー嫌いのチャップリン好きです。ディズニーの世界は、人間から想像力を失わせる効果をもっています。それは良くできたゲームと同じで、観客を世界に取り込み、何も考えさせません。
「映画とは、ひととき時間を忘れるためのもの」という考えもまた一理ありますが、それしか観ない子供たちが、どんな大人になるか?心配です。

「・・・僕がチャップリンの映画が一番好きなのは、なんか間口が広いんだけど、入っていくうちにいつの間にか階段を昇っちゃうんですよね。なんかこう妙に清められた気持ちになったりね。なんか厳粛な気持ちになったりね。するでしょう?」
- うん。
「あれが僕は、やっぱりエンターテイメントの理想じゃないかと思うんです。あの - 、特定の名前を出して、しょっちゅう問題を起こすんですけど・・・」
- ははははは。
「あの、ディズニーの作品で一番嫌いなのは、僕は入口と出口が同じだと思うんですよね。なんか『ああ、楽しかったな』って出てくるんですよ。入口と同じように出口も敷居が低くて、同じように間口が広いんですよ」

「風の帰る場所」より

「もののけ姫」(1997年)
 「もののけ姫」と「風の谷のナウシカ」の最も大きな違いは何でしょうか?
 先ず「風の谷のナウシカ」はヒロインのナウシカとその師匠ユパ様を中心とする主人公たちが平和な世界を築くための第一歩を踏み出すまでの物語でした。そこでは人類が何を今成すべきかについて、ささやかながらその解答が提示されていました。しかし、「もののけ姫」は何の解答も提示されないまま終ってしまいます。それどころか、主人公の「もののけ姫」はヒロインという存在なのか?シシ神の首を撃ち落したエボシ様は悪役なのか?それすらもはっきり提示されていません。そこで描かれていたのは、人類が背負い込んでしまった根源的な罪がいかに複雑なものなのか、いかに解決困難なものなのかであり、その解決法ではありません。
 さらにいうなら、そこで描かれているのは地球という生命に満ち溢れた惑星にしか存在しえない「混沌とした世界」そのものの姿だけだといえます。そこには、善も悪もなく、解決策もまた存在しません。そこには、時に美しく、時に醜い人間と大自然があるだけです。あとは、それを愛することができるか否か、それだけが問題なのです。
 「もののけ姫」は宮崎駿が自らのイメージを自らの手で破壊する危険な賭けだったといえます。彼がこの作品を最後に引退すると言っていたのも、それだけの覚悟があったからなのでしょう。しかし、なぜ、あれだけ難解とも思える作品が世界的な大ヒットになったのか?当然ながら、それはストーリーに隠されたメッセージなど考えなくても充分に娯楽映画として楽しめたからでしょう。こうして、「もののけ姫」は多くの大人たちを映画館に集めることで空前の大ヒットとなりましたが、小さな子供たちにとっては怖い映画として敬遠されることにもなりました。(うちの次男にとってもそうでした)

「・・・このモチーフはもっと前からあったんです。まずずいぶんと古いモチーフとしては『美女と野獣』があって、それから、日本を舞台にした製鉄集団というのもありました。山を削っていくうちに巨大なものがやってきてね、ある日歩き出すっていう、そういう映画を作れないかなって。東映に入ったばかりの頃から言っていたことなんです」
宮崎駿「風の帰る場所」より

「・・・それにしても『豚の死なない日』や『もののけ姫』はなぜそれほどまでに万人を感動させるのか。
 第一に考えられるのは、どちらも無垢な動物が可哀そうな目にあうからである。それを遠い昔、人が自然に対して無力だった頃、荒ぶる神さまを宥めるため動物を殺して差し出したことを無意識のうちに思い出させるからだろうか。そして、もう一つ気づかれるべきなのはこういう物語では主人公の少年少女が唯一自然と交感できるのは労働を通してなのだと書いたのはやはりマルクスだった。労働は厳しいが、そこには失われた自然の痕跡があることを人に思い出させるはずではないか -」

「退屈な読書」高橋源一郎

「千と千尋の神隠し」(2001年)
 その後の彼の作品「千と千尋の神隠し」(2001年)「ハウルの動く城」(2004年)ではそれが修正され、再び子供のための映画へとシフトしつつありました。どちらも僕には物足りなく感じられましたが、監督自身もそう思っていたのかもしれません。こうして、彼は再び児童アニメの原点に回帰するため、「崖の上のポニョ」に至ることになりました。

- 鈴木敏夫さんが湯婆婆なんだあ(笑)
「ええ、頭のデカさだと僕なんですけど。本当にスタッフにはそう説明しました。『油屋という湯屋はんあだ?』っていうとき『ジブリだ』っていうように。・・・」


- ということは、カオナシを巨大化させなかった宮崎さんが、千を電車に乗せることができたわけですけれども - 。
「もうね。巨大化するのはシシ神でまいったんですよね。
結局つきつめていくと、あれは原爆のイメージしかないんですよ。だから、今回はそうじゃなくて、実際、女の子の心にとってリアリティのある世界だけにしたかったっていう」
・・・・・
 ちょっと整理しますと、いわゆるかつての宮崎さんが持っていた倒すべき敵がいてそれと闘うという構造が、コミック版の『ナウシカ』の完結によって変わったわけですよね。敵も味もなくて全部引き受けるという方向で新しい宮崎さんの世界観を踏まえて『もののけ姫』っていうのは作られていて、これはもう今までの宮崎さんのものとは全然違う、一番象徴的なのは敵がいない形で世界がきっちり作られて素晴らしいと思ったんですが、今回は敵がいないどことか、シシ神みたいな巨大化もないし、屋台崩しもないと。


「崖の上のポニョ」(2008年)
 「崖の上のポニョ」の主人公は、ポニョであると同時に彼女を生み出した母なる海です。(グラン・マンマーレ)時に美しく、時に危険、しかし、地上の生命すべての母である海の象徴として、この映画ではデボン紀の海が再現されています。古生代の中頃、約4億1600万年前から3億6700万年前までの時代をさすデボン紀は、魚類とシダ植物が海の中と地上を支配していた時代です。地球の歴史上、魚類が最も繁栄した海の黄金時代であり、この時代にやっと両生類が登場し動物たちが地上への第一歩を踏み出すことになります。それはまさに「海」と「地球」そして、「生命」の黄金時代でした。
 もし、人類が地球温暖化問題を解決できず、地表の多くが海面下に沈んでしまったとしたら、再びデボン紀の再現ともいえる魚たちの楽園が復活することでしょう。そして、その時、もしかすると人類の一部は海という環境に適応して「海棲人」になっているかもしれません。そう考えると、この映画はこれから人類が直面するであろう地球温暖化による「海の逆襲」を時間を短縮して描いたものともとれそうです。

<空から海へ>
 これまで、宮崎駿作品の主要な舞台は空でした。空を飛ぶ主人公の浮遊感こそが彼のアニメ最大の魅力だったともいえます。「カリオストロの城」で屋根から屋根へと飛び移るルパン。「風の谷のナウシカ」で、メーベに乗って空を飛ぶナウシカ。「天空の城ラピュタ」で、空高く舞い上がるラピュタを見上げながら空中に浮かぶバズー。しかし、この映画では初めて主要な部隊が海になりましたが、空と海その境界線は、もともとかなり曖昧なものです。海は常に水蒸気を空中に発しながら空へと変化しつつあり、空からは雲となり雨となった水が海へと帰るために舞い降ります。水面下1メートルの水中と水深1万メートルの深海、二つの世界は水圧にして1万倍も異なり、その違いは水中と空中の接する部分の違いよりもはるかに大きいのです。今までも、彼の作品では海もまた重要な役目を果たしていました。
 「カリオストロの城」において、ルパンが水中をスキューバで侵入する場面。水の動きによって顔が歪んで見える描写は何度見ても笑えます。
 「天空の城ラピュタ」にちらりと登場する水中に浮かんだ都市遺跡のなんとロマンチックなことでしょう。
 「紅の豚」に登場する飛行機がどれも魅力的に見えるのは、それらが海の水を巻き上げながら飛び上がる水上飛行機だからでしょう。
 宮崎監督が、「水」にこだわり続けたロシアが生んだ巨匠アンドレイ・タルコフスキー作品のファンであることは偶然ではないはずです。
「海が生き物のようにまるごと動画になっているみたいな表現がきちんとストーリーにおさまったら面白かろうという非常にスリリングなところを狙ったのが、この映画なんです」
「崖の上のポニョ」パンフレットより

 この映画は海の魅力をまるごと描くためにデジタルではなくアナログを用い画像を重ねるのではなく線画によってその動きを描き出す手法を選択。それは色を重ねるヨーロッパ式の油絵的手法から、かつて日本人が完成させた日本画への回帰ともいえます。(もちろん、それは漫画の原点への回帰でもあります)
 さらには、物語の単純化、登場人物の絞込みによって、この作品は久々に子供でもわかるシンプルなお話によって、この作品は手法的には日本画に近づき、物語的には俳句に近づいたといえるのかもしれません。要するに、「動く絵本」というアニメの基本を実現しただけのことかもしれませんが、・・・。

<ヴィヴァ!久石>
 それにしてもこの映画のテーマ曲は凄い!
今や、ヨーロッパでは北野武よりも久石譲の方が人気が高いともいわれるそうですが、彼の音楽は何を書いても凄い。特に今回のテーマ曲は凄すぎです。一回聴いたらもう頭にこびりついて離れなくなるメロディと歌詞は、何か魔法でもかかっているのかと思えるほどです。
「ペータペタ」「ニーギニギ」「ブーンブン」「パークパクチュギュ」などの擬態語も実にキャッチーです。 
 ちなみに僕がもっとも気に入ったシーンは、宗助とポニョが朝、水位が上がった海の中に首をつっこんで覗くシーンです。かわいすぎです。
 すべての人が自然を愛し、子供を愛していれば、地球環境の未来に不安はなくなるでしょう。そしてそのためには、子供たちに環境保護を勉強させるより、自然中で幸福な体験をさせること、そして、家庭で愛されるという体験をすること、それだけが必要なことだと思います。それだけなのですが、それがどれほど困難なことになりつつあることか・・・。
 そのための第一歩がこの映画を子供と見ることになれば、監督の思いが充分にかなったといえるでしょう。この映画は、ヴェネチアでグランプリを獲るために作ったのではないでしょうから。

「崖の上のポニョ Ponyo on the Cliff by the Sea」 2008年公開
(監)(原)(脚)宮崎駿
(プロ)鈴木敏夫
(音)久石譲
(作監)近藤勝也
(声)山口智子、長島一茂、天海祐希、所ジョージ、奈良柚莉愛、矢野顕子

<あらすじ>
 海辺の小さな町の崖の上に5歳の宗介は住んでいました。ある日、彼はクラゲに乗って家出してきさかなの子ポニョを波打ち際で助けます。助けられたポニョは宗介を好きになり、宗介もポニョを守る約束をします。ところが、グラン・マンマーレを愛し、人間をやめて海の住人となった父親であるフジモトによってポニョは再び海に連れ戻されます。
 人間になって宗介のもとに帰ろうと考えたポニョは妹たちの力を借りて父の魔法の力を盗み出し、宗介のもとへと帰ろうとします。魔法の力が解放されたため、海が膨れ上がり始めます。そして、ポニョの妹たちは巨大な水魚に変身して大津波となって島のほとんどを覆い尽くしてしまいます。海に沈んでしまった町は蘇るのか?ポニョは人間になれるのか?グラン・マンマーレが与えた試練を宗介が乗り越えることができれば、世界は再びもとに戻ることができます。しかし、その試練とは何なのでしょうか?

<追記>(2013年8月)
 つまり、映画は「まあこのへんでいだろう」とか「いやいやまだまだ」といった妥協のボルテージによって左右される、どこにも絶対性のない創造物なのである。だから映画には、作る側の強さや弱さがまるごと映し出されてしまい、そこには映画独自の面白さはひそんでいるのだが、えげつないことをいえば、妥協のボルテージを低くするため(絶対性を高めるため)に必要ないのは金の力なのだともいえる。
 黒澤や溝口のような金に糸目をつけず絶対性を追求する作家の作品が今なお古びずに輝きを放っているのは一個人のイメージなり、発想なりが純化されれば、映画は不純物を抱えながらも良いものになるということの証明なのである。

 例えば「千と千尋の神隠し」が実写で撮られていたとしたら、主演の女の子に対して「生意気そうだなあ」とか「ギャラいくらもらってんだよ」とか「劇団ひまわりなか?」とかいったどうでもいいツッコミを思い浮かべてしまい、物語に入り込めなくなってしまっていたことだろう。・・・
 このように、宮崎駿のアニメとは「風の谷のナウシカ」のナウシカとか、「ルパン三世カリオストロの城」のクラリスとか、「もののけ姫」のアシタカとかいった「徹底的に素晴しい人格」を創造し、物語の中心に登場させることで観客を主人公に完全に感情移入させ、ストーリーを信じられないほど面白くさせてしまうのである。

田中英司「現代・日本・映画」より

<参考>
「風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡」
 2013年
宮崎駿、渋谷陽一(インタビュアー)
文春文庫

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