さらば、西部劇、さらば、アメリカン・マッチョイムズ


映画&小説「パワー・オブ・ザ・ドッグ The Power of The Dog」

- ジェーン・カンピオンJane Campion
トーマス・サヴェージ Thomas Savage -
<西部文学>
 アメリカの小説には「西部文学」と呼ばれるジャンルがあります。日本だと藤沢周平や吉川英治などによる「時代小説」にあたる存在です。ジョン・スタインベックやマーク・トウェインはその大御所的存在です。
 映画の世界では、「西部劇」と言われるジャンルがありますが、一般的にはその多くはガンマンを主人公にした娯楽アクション映画です。かつては「西部劇」といえば、日本における「時代劇」のような存在でアクション映画の王道的存在でした。しかし、21世紀に入ってから、そうしたアクション映画としての西部劇はほとんど製作されていません。それでも、アメリカ文化のルーツでもある西部の魂や文化を題材にした映画は、今でも製作され続けています。その多くは、ガンマンも、カウボーイも、インディアンも、登場しない西部の魂を持つ人々の人間ドラマです。
 2000年代以降の西部を舞台にした「西部映画」リストを見るとわかるように、時代も、内容も、場所も、様々でアメリカ以外の国の巨匠たちも撮っていることがわかります。
 それらの映画が描いてきたのは、アメリカに最初に移民したメイフラワー号の乗船者たちの物語など開拓初期の歴史から始り、先住民たちを迫害しながら西へ西へとアメリカ大陸を横断していった歴史でした。そのため20世紀に入る前にフロンティアが消えたところで西部劇の時代は終わりました。ただし、20世紀に入ってもなお、西部開拓の魂が消えたわけではありません。それどころか、21世紀の今もアカデミー賞を獲得した「ノマドランド」の登場人物たちは、西部開拓時代の魂を受け継ぎ、馬をキャンピングカーに乗り換えた人々のように思えます。
 そして「パワー・オブ・ザ・ドッグ」もまた1920年代が舞台の20世紀の物語ですが、主人公のフィルは西部の魂を受け継ぐ伝説的人物の物語でした。
<西部映画>
作品名  監督  製作年  内容コメント 
「ニュー・ワールド」  テレンス・マリック  2005年  アメリカ開拓史の原点
ポカホンタスの物語 
「ブロークバック・マウンテン」  アン・リー  2005年  カウボーイの禁断の恋
LGBT西部劇 
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」  ポール・トーマス・アンダーソン 2007年  石油開発を巡る欲望のドラマ
「ジェシー・ジェームズの暗殺」 アンドリュー・ドミニク  2007年  王道西部劇のリアリズム・リメイク 
「アパルーサの決闘」  エド・ハリス  2008年  リアリズム決闘西部劇 
「トゥルー・グリット」  コーエン兄弟  2010年  名作「勇気ある追跡」のリメイク 
「ジャンゴ 繋がれざる者」  クエンティン・タランティーノ  2012年  マカロニ・ウエスタンへのオマージュ
「ミッション・ワイルド」  トミー・リー・ジョーンズ  2014年  精神を病んだ女性を返すための危険な旅 
「ヘイトフル・エイト」 クエンティン・タランティーノ  2015年  バイオレンス・ミステリー西部劇 
「レヴェナント 蘇りし者」  アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 2015年  サバイバル復讐西部劇 
「ボーダーライン」  ドゥニ・ヴィルヌーブ
(脚)テイラー・シェリダン
2015年 メキシコ国境を舞台にした現代の西部劇
「最後の追跡」 デヴィッド・マッケンジー
(脚)テイラー・シェリダン 
2016年  現代版犯罪アクション西部劇 
「マグニフィセント・セブン」  アントン・フークア  2016年  名作「荒野の七人」のリメイク 
「荒野にて」  アンドリュー・ヘイ  2017年  現代を舞台にした少年と馬冒険 
「ザ・ライダー」  クロエ・ジャオ  2017年  現代を舞台にしたロデオ選手の物語
「LOGAN/ローガン」 ジェームズ・マンゴールド  2017年  名作「シェーン」のSF版 
「ウインド・リバー」  テイラー・シェリダン   2017年 雪の中で展開する現代版西部劇 
「ゴールデン・リバー」  ジャック・オーディアール  2018年  ゴールド・ラッシュが舞台の西部劇 
「バスターのバラード」  コーエン兄弟 2018年  オムニバス・コメディ西部劇 
「この茫漠たる荒野で」 ポール・グリーングラス 2020年  終末的暴力世界を行く冒険西部劇 
「ノマドランド」  クロエ・ジャオ  2020年  馬をキャンピングカーに変えた放浪西部劇

 映画版の監督ジェーン・カンピオンは、この小説を最初に読んだ時、映画化しようとは思わなかったとインタビューで語っています。(実は彼女は映画の仕事から引退するつもりだったとも語っています)
 アメリカ人ではないニュージーランド人の女性監督が西部劇を撮るということがイメージできなかったこともあるでしょう。しかし、ガンファイトも、ロデオも、酒場での喧嘩も、王道西部劇的要素がまったくない小説では、映画化しても採算が合わないと考えるのが普通だったのかもしれません。実際、映画化を可能にしたのはネットフリックスのおかげでした。
 そもそも原作の小説も1967年に発表されて以降、20世紀中は廃刊になっていて忘れられた作品でした。マッチョな世界を描く西部小説の中でも、LGBT的要素を含むこの作品は、さすがに異端すぎたのかもしれません。しかし、現代の視点から見ると、著者が1920年代に実際に体験した事実をもとにしたリアリズム小説として、貴重な作品であることは間違いありません。
 その著者トーマス・サヴェージとはいかなる人物なのでしょうか?

<トーマス・サヴェージ>
 トーマス・サヴェージ Thomas Savage は、1915年4月25日アメリカ中西部ユタ州のソルトレイクシティで生まれています。彼の母親はアイダホ州の裕福な牧場主の娘でしたが、彼が2歳の時に離婚。5歳の時に再婚した相手がモンタナ州の裕福な牧場主で、そこからの体験がこの小説のもとになっているようです。
 その後、彼はモンタナ大学で文芸創作を学び、小説家になることを目指して、メイン州のコルビー大学に編入しています。1939年に彼は大学の英文学教授の娘と結婚。その妻、エリザベスも、その後作家として活躍することになります。
 1942年、彼は第二次世界大戦の影響で人手が足りなくなった牧場を手伝いに帰りますが、作家になる夢を捨てきれず、牧場を出て働きながら執筆活動を開始します。溶接工、保険調査員、配管工、国語教師などをしながら書き続けた彼は、1944年「The Pass」で長編小説デビュー。その後、1980年代までに13作品を発表。2003年に88歳でこの世を去ることになります。
 前述のようにこの小説は、1967年に発表されて以後、長くアメリカでも絶版になっていました。しかし、2001年に再刊されると、時代が変化したこともあって再評価され、ジェーン・カンピオンが読むことになりました。

<ジェーン・カンピオン>
 ジェーン・カンピオンJane Campionは、1954年4月30日ニュージーランドのウエリントンで生まれました。舞台監督の父と舞台女優の母に育てられた彼女は、オーストラリアのシドニーで育ち、ヴィクトリア大学で人類学を学んだ後、ヨーロッパ各地を放浪して帰国しています。
 1979年、シドニー・カレッジ・オブ・アートで絵画を学び、在学中に初の短編映画を発表。1981年からはオーストラリア・フィルム・テレビジョン&ラジオ・スクールで映画制作を学びました。
 1982年に発表した短編映画「ピール」がカンヌ国際映画祭で短編映画部門のパルムドールを受賞。
 1989年の初長編「スウィーティー」は、カンヌ国際映画祭のコンペティションに選出。
 1992年、ニュージーランドの作家ジェネット・フレームの伝記映画「エンジェル・アット・マイ・テーブル」でヴェネチア国際映画祭審査員特別賞を受賞。
 1993年、「ピアノ・レッスン」では女性監督として、ニュージーランド出身の監督として、いずれも初のカンヌ国際映画祭パルムドールを獲得。アカデミー賞でも、脚本賞、主演女優賞、助演女優賞などを受賞しました。
 今回の「パワー・オブ・ザ・ドッグ」は、前作「ブライト・スター いちばん美しい恋の詩」(2009年)から12年ぶりの監督作となりました。

<映画版の見どころ>
 小説の映画化で成功するパターンの王道「原作小説を忠実に映像化する」をこの映画は見事に実行しています。
 自然に囲まれた1920年代のモンタナの牧場を再現するため、この映画ではニュージーランドの山の中にゼロから牧場が作り上げられました。その美しさは、多くの西部劇で描かれるアリゾナなどの乾燥地帯の映像とは異なる出来栄えです。オープニングで、ジョン・フォードの「捜索者」のように窓から外の風景を見せる映像から観客は画面に惹きつけられるはずです。
 登場人物のキャラクターも、小説のイメージに忠実に選ばれた俳優ばかりです。カンバーバッチは、これまで彼が演じてきたものよりも、複雑で美しい伝説的人物を演じ、いよいよ名優の域に達しています。(ダニエル・デイ・ルイスに匹敵する存在になってきました)
 原作は長編小説なので、「ドライブ・マイ・カー」のように短編小説にエピソードや新たな設定を加えて膨らませるのとは逆に、削ることで映画を作り上げています。
 小説では、ピーターの父親の医師がフィルに精神的に追い込まれ、ついに自殺に追い込まれることが書かれていますが、その部分を潔くカット。その部分があると、ピーターによる復讐ドラマとしてわかりやすくなったかもしれませんが、それをあえてしなかったことで映画はより複雑なドラマになったと思います。
 それとは逆に、見事に原作をかり込んだ中で、あえて原作にないシーンが加えられてもいます。それは原作では想像しただけで終わっているジョージとローズが丘の上でダンスをするシーンです。サイコ・サスペンス的雰囲気が深まる不気味な展開が続く中、この場面はちょっと心を癒してくれ、ドラマに緩急をつける良いシーンでした。
 ジョン・ウェインのような西部の英雄的存在のフィル・バーバンク。彼は頭もよく、西部で生きるための知識をすべて習得した究極のカウボーイです。しかし、彼は生まれ出る時代を間違えてしまったのかもしれません。
 原作者のトマス・サーヴェージは、そんな時代の変わり目となった時代を体感した最後の西部文学の作家でした。そして、彼が生み出した最後のカウボーイであり、アメリカのマッチョイムズの象徴的存在とも言える人物に引導を渡したのは、アメリカ人でもなく、マッチョな男性でもない監督ジェーン・カンピオンだったわけです。

小説「ザ・パワー・オブ・ザ・ドッグ The Power Of The Dog」 1967年 
(著)トマス・サヴェージ Thomas Savage
(訳)山中朝晶 
早川書房 

映画「パワー・オブ・ザ・ドッグ The Power Of The Dog」 2021年 
(監)(脚)(製)ジェーン・カンピオン(ニュージーランド/アメリカ)
(製)エミール・シャーマン、イアン・カニング他(原)トーマス・サヴェージ(撮)アリ・ワグナー(編)ピーター・シベラス
(音)ジョニー・グリーンウッド
(出)ベネディクト・カンバーバッチ
キルステン・ダンスト(「スパイダーマン」の少女役から大人の女優に変身)
コディ・スミット=マクフィー(コ―マック・マッカーシーの代表作を映画化した「ザ・ロード」の少年役です!)
ジェシー・プレモンス(チャーリー・カウフマンの恐るべき妄想映画「もう終わりにしよう」は凄い役でした)
キース・キャラダイン(ロバート・アルトマンの傑作「ナッシュビル」で「アイム・イージー」を歌っていました)
トーマシン・マッケンジー (「ラスト・ナイト・イン・ソーホー」の主役がちょい役出演!)
フランセス・コンロイ 
<あらすじ>
1925年モンタナ州でバーバンク兄弟が経営する牧場が舞台。弟ジョージがレストランを経営する未亡人ローズと結婚。
しかし、弟のフィルはローズと息子のピーターをいじめ、ローズはアルコールに手を出し始めます。
ところがピーターはある日男っぽいカウボーイのフィルがゲイであることを知ります。
その後、フィルはピーターを一人前のカウボーイに育てようとし始めますが・・・  

現代映画史と代表作へ   トップページヘ