- プリテンダーズ The Pretenders -

<変わらぬプリテンダーズの中心>
 最近では、いろいろなトリビュート企画にソロとして参加することも多いクリッシー・ハインドですが、彼女のバンド、プリテンダーズもちゃんとバンドとして活動を続けているようです。
 元々メンバーの入れ替わりの激しかったこのバンドは、活動を再開するたびに新メンバーが登場していますが、だからといって彼女の強烈な個性がある限りそのサウンドに変化は、ほとんどないと言えそうです。

<音楽評論家、クリッシー・ハインド>
 プリテンダーズの主役、ボーカル&ギターのクリッシー・ハインドは、いろいろな意味で異色の女性ロック・アーティストです。先ず、プリテンダーズはイギリスのロンドンで生まれたバンドにも関わらず、彼女自身はアメリカ南部オハイオ州アクロンの出身です。
 彼女がイギリスに移り住んだのは23歳の時で、イギリスの有名な音楽雑誌ニュー・ミュージカル・エクスプレスのライターとして働き始めました。彼女は、元々ブリティッシュ・ビート・バンドの老舗キンクスの大ファンだっただけにイギリスは理想の職場だったようです。おまけに、彼女はミュージシャンとして有名になった後、憧れのバンド、キンクスのリーダー、レイ・デイヴィスとつき合うようになり、ついには結婚してしまったのですから、それだけでもドラマ以上のシンデレラ・ストーリーと言えるでしょう。

<音楽家、クリッシー・ハインド>
 彼女は音楽好きが高じて自分も音楽活動を始め、それが認められてプロの道へと進むことになった異色のアーティストでもあります。そのきっかけを与えたのは、有名なプロデューサー、クリス・トーマスでした。
 サディスティック・ミカ・バンドを世界デビューさせたことでも知られる彼は、彼女にプロのミュージシャンになるよう進めました。ところが、さすがは音楽の専門家らしく、彼女はすぐにバンドを結成してデビューするのではなく、しばらくいろいろなバンドにゲストとして参加させてもらったり、ジョニー・サンダースらの大物ミュージシャンたちのレコーディングに参加させてもらうという形で実力を付け、勉強をしてゆきました。こうした中、自らこつこつと制作したデモ・テープがレコード会社に認められ契約が成立しました。

<プリテンダーズの誕生>
 こうして彼女はマーティン・チェンバース(Dr.)、ジェームス・ハニーマン・スコット(Gu)、ピーター・ファーンドン(Bass)の3人とともにプリテンダーズを結成。練習を重ねて行き、1979年満を持してデビュー・シングル「Stop Your Sobin」を発表しました。この時、彼女はすでに28歳、女性ミュージシャンのデビューとしては、かなり遅いものと言えるでしょう。(その後デビューしたシンディー・ローパーの30歳には負けましたが・・・)
 同年彼らのファースト・アルバム「愛しのキッズ Pretenders」は、いっきに全英ナンバー1に輝き、アメリカでもベスト10に入る大ヒットとなります。81年発表のセカンド・アルバム「プリテンダーズ U」も英米ともにヒット、当時ブームとなっていたニュー・ウェーブを代表するバンドとしての人気を確立しました。さらにこの頃、クリッシーは彼女の長年のアイドル、レイ・デイヴィスとつき合うようになり、ついには結婚、一児ををもうけます。彼女にとって、それは夢のような時代だったに違いありません。

<プリテンダーズの危機>
 しかし、それまでの幸福に対する反動が突然訪れます。
 1982年、プリテンダーズが、ドラッグの泥沼にはまり込んでしまったベーシストのピーターを首にします。ところが、その翌日、ギタリストのジェイムスがヘロインの過剰摂取により突然死んでしまったのです。それに追い打ちをかけるように、クリッシーとレイの間にも取り返しのつかないヒビが入り、ついに二人は離婚に至ってしまいます。

<プリテンダーズ復活>
 しかし、彼女の本当の凄さはこのあたりから発揮されることになります。普通なら、夢物語が完結した時点で人生におけるモチベイションは失われてしまい、その後の挫折から立ち直ることは困難でしょう。ところが彼女は、この苦しい時期に名曲「チェイン・ギャング」を含むバンドにとっての最高傑作アルバム「ラーニング・トゥー・クロウル Learnig To Crawl」(1984年)を作ってしまったのです。たいしたもんです。

<プリテンダーズ再始動>
 バンドは新メンバーとして、ロビー・マッキントッシュ(Gui)、マルコム・フォスター(Bass)を迎え、再び活動を開始します。そのうえ彼女はシンプル・マインズのヴォーカリスト、ジム・カーと結婚。1985年には二人目の子供を生みました。レイとクリッシーとの結婚ではクリッシーが7歳も年下でしたが、この結婚ではクリッシーが8歳年上の姉さん女房ということで、かえってバランスが良かったのかもしれません。
 1986年メンバーが再び変わります。最後のオリジナル・メンバー、ドラムスのマーティンがバンドを去り、元ヘアカット100のブレア・カニンガム、ベースのマーティンに代わり、T・M・スティーブンスが参加しました。さらにもうひとり大物が参加しました。P−ファンク界の奇才バーニー・ウォーレルです。彼はパーラメントの中心メンバーのひとりとして活躍した後、トーキング・ヘッズに参加。その後、このプリテンダーズに参加しました。(この後、ソロ・アルバム「ファンク・オブ・エイジズ」を発表しています)そして、このメンバーによって作られたアルバム「ゲット・クロース Get Close」からは、シングル「Don't Get Me Wrong」が大ヒットしました。
 しかし、このバンドによるツアーの途中でT・M・スティーブンスとバーニーが脱退。急遽マルコムが呼び戻され、キーボードにはルパート・ブラックが抜擢されます。その後すぐにギターのロビーが脱退し、あのスミスのギタリスト、ジョニー・マーが加わるなど、クリッシー以外のメンバーはめまぐるしく変わり続けました。クリッシー・ハインドの性格的にかなりきつそうな顔を見ると、そんなメンバーの移り変わりもありそうな気はするのですが、・・・。

<女性リーダーによる数少ないロック・バンド>
 考えてみると、ロック界において女性がリーダーをつとめ、残りが男性メンバーというバンドは非常に少ない存在です。デボラ・ハリー率いるブロンディー、スージー&ザ・バンシーズ、それとデュオですが、アーニー・レノックスのユーリズミックス、こんなところではないでしょうか?(ゴーゴーズ、バングルズ、バナナラマなどレディース・オンリー・バンドの方がかえって多いかもしれません)そのどれもが、かなりカリスマ的な女性リーダーです。やはりロック界においても、女性がリーダーをつとめるということは、かなりの強者でなければ困難だということなのでしょう。
 数々の修羅場をくぐり抜けてきた彼女は、まさに「Learning Crawl=はい進むことを学んできた」女性なのです。彼女のような女性に「Stop Your Sobin'=泣くんじゃないの!」なんて言われないよう、がんばらないと。名曲「チェイン・ギャング 」を聴く度に僕はいつも元気づけられる気がします。

<締めのお言葉>
「明日は明日の風が吹くわ Tomorrow Is Another Day」

映画「風と共に去りぬ」より(監)ヴィクター・フレミング(原)マーガレット・ミッチェル

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