「ぼくと1ルピーの神様 Q&A」
(映画「スラムドッグ$ミリオネア」)

- ヴィカス・スワラップ Vikas Swarup -

<「スラムドッグ$ミリオネア」>
 この小説はダニー・ボイルによって映画化されアカデミー賞を総ナメにしたことでも知られています。となれば、今さらその内容を細かく説明する必要はないかもしれません。ところが、なぜか僕はこの小説を読んだ時点でまだ映画版を見ていませんでした。おかげで、ほとんど白紙の状態でこの小説を読むことができ、最後の最後まで楽しんで読むことができました。これだけ原作が面白いのですから映画が面白くならないわけがありません。ただし、この小説がもしハリウッドで映画化されていたとしたら、舞台はインドからアメリカへと変更されていたかもしれません。たぶんそれでもそれなりに面白い映画にはなったでしょう。しかし、この小説の面白さはインドそしてムンバイという街がもつ巨大なエネルギーなしでは半減してしまうでしょう。その点、ダニー・ボイル監督がムンバイの街とそこに住む子供たちを積極的に採用したことは、重要な決断だったと思います。そして、そうした映画の方向性が決まった時点で映画版の成功は約束されていたと僕は思います。(ただし、映画版では原作にない主人公の恋物語が導入されるなど、世界公開を意識した変更もあったようですが・・・・・)

<原作者は何者?>
 それにしても、それほど面白い原作の小説を書いた人物はいったい何者なのでしょうか?意外なことに、著者ヴィカス・スワラップ Vikas Swarup はインド人ではあっても上流階級それも外交官を務める人物です。彼がイギリス赴任中にできた休暇を利用して書いた初めての小説がこの作品でした。エリート中のエリートである彼のような人物が、この小説の主人公のような生い立ちなど知っているとは思えません。彼は1962年生まれということですから、小説を発表した当時彼は43歳でした。それまでの間、彼はインドから出て、南アフリカ、トルコ、エチオピア、アメリカ、そしてイギリスと世界各地を移動していたわけですから、インドに住む貧しい人々の現状など知る機会はなかったようにも思えます。外交官というエリート職でもインドの現状を知る人が勤めているというのは、インドという国もそれなりに先進国もしくは民主国家であることの証明なのかもしれません。

<インドを写す鏡>
 この小説の「訳者あとがき」に主人公のラムはインドすべての象徴かもしれないと書いてありました。確かにそうかもしれません。主人公の名前がヒンズー教の「ラム」、イスラム教の「ムハンマド」、キリスト教の「トーマス」からできているのは、インドという国がこれら三つの宗教からできていることを表しているのでしょう。そして、彼が母国語に加えて英語を話すことができるというのも、かつてインドがイギリス領であり今でも英語文化圏のひとつであることを象徴しているのでしょう。そして、何度となく悲劇に見舞われながらも、常にユーモア感覚を忘れず、自らの機転で人生を切り開いてゆくそのたくましいバイタリティー。こうした姿勢そのものがインドという国をよく表しているように思えます。

<個人的なインドへの思い>
 さて、さもインド通のように語っている僕としては、個人的にインドへの強い思いがあります。1980年代に2週間+αほどインドを旅した時の思い出です。
 その旅は、場所としては西はジャイプールから東はバラナシ(ベナレス)まで、ホテルは五つ星の豪華ホテルから一泊300円の安宿まで、体調的には下痢と発熱の苦しみからナチュラル・ハイの幸福な日々まで、乗り物的にはインド航空のオーバー・ブッキングによるトラブルからビジネス・クラスのタイ航空の旅まで、実に大忙しで語りつくせない冒険旅行でした。インドという国をそれなりに幅広く見てきたつもりです。
 インドの街中がいかに汚れているか、線路脇がいかにウンチまみれか、どんな香が街を覆っているのか、タージマハールがどれだけ美しいのか、デリーの街中にどれだけ人があふれているのか、そしてそこでいかに牛がどうどうと暮らしているのか、ガンジス川のほとりで行なわれる葬儀の工程はどんなものか、様々な場面を体感してきました。今でも、僕は、夏に街を歩いていて水がかびた臭いをかぐと、デリーの街の雑踏を思い出します。
 たかが二週間ほど旅しただけで、これだけ強いインパクトを残す国なのですから、インド生まれの外交官にもまたインドへの強い思いがあって当然かもしれません。
 先日、映画専門のサイトで映画版「スラムドッグ$ミリオネア」の感想を読んでいたら、「映画で描かれているインドの悲惨な現状とテレビ番組内の華麗な世界の対比は非現実的に感じられた・・・」そんなようなことが書かれていました。
 インドという国においては、どれだけ非現実的ともいえる生活レベル、階級レベルの格差がありうるのか、日本に住む普通人にとっては体感的に想像不可能だと思います。(頭の中の情報としてはなんとなくわかっていても・・・)インドにおいては、「アメリカン・ドリーム」の国アメリカよりも遥かに多きな収入格差、身分格差が存在するのです。

<インドという国もつ強さ>
 しかし、そのことは本当の意味でインドの凄さではありません。本当にインドという国が凄いのは、そうしたとんでもない差別社会でありながら、その国に生きている人々が自分たちの立場を受け入れているかのうように生きていて、下層階級に生きているからといってそれが不幸なことのように思わせないことです。インドで生きる人々は、どんな階層の人々も、だれもが生き生きしているように見えるのです。これこそがインドという国がもつ最大の強さかもしれません。
 それは、マハトマ・ガンジーに象徴される宗教、モラルの問題なのかもしれません。それが国の伝統として長い歴史の中で疑うことなく確立されてしまったからなのかもしれません。宗教は存在しても結局は、お金中心の社会であるアメリカとはそこが大きく違っているのです。
 そのことは、インドに住む人々のとって幸福なことなのか?それとも社会を改善できない最大の不幸の原因なのか?我々が内政干渉するべきことではないかもしれません。しかし、インドの街に住む子供たちの目が生き生きと輝いていたのは間違いありません。遥かに高い文化・生活水準にある日本人にとって、それは学ぶべきことなのか?蔑むべきことなのか?自らの生き様を恥じるべきことなのか?
 この本の魅力は、そうしたインドを体感する旅に行かずしてインドで生きるという体験を読者に与えてくれることにもあります。ただし、本からは臭いも、味も、痛みも感じることはできません。もちろん、映画でもそう変わるわけではなく、音楽や映像によってほんの少しインド体験に近づくくらいのことです。
 ならば、本を読んだら、映画を見終わったら、是非インドへの旅に出発しましょう。インドへの旅からは日本で一生かかっても見られないほど様々な生き様を見られるはずです。そして、その体験は必ずやあなたに生きる力を与えてくれるはずです。

<あらすじ>
 テレビのクイズ番組で史上最高額の賞金を獲得した少年ラムは、なぜか警察に逮捕されて、刑事からの尋問を受けることになります。それは、ホテルのバーに勤める貧しい少年が難問だらけのクイズに答えられるはずがない、そこには何かの不正があったに違いないと疑われたからでした。しかし、実際にはテレビ局にその賞金を支払う準備がなく、少年に賞金をあきらめさせることが目的でした。そのために刑事は拷問によって不正の手口をはかせるか、賞金をあきらめさせようとしますが、そこへ彼を守るために彼の弁護士と名乗る女性が現れます。そして、彼女は少年を弁護するために、クイズ番組のビデオを入手し、彼になぜ番組での質問に答えられたのか、その理由を語らせます。英語は話せるものの、学校にも行っていない少年が、なぜクイズの問題を解くことができたのか?少年は自らの生い立ちを語り始め、その波乱万丈の人生の中から、番組での問題に答えられた理由を明らかにしてゆきます。
(映画とは異なり、小説では主人公の名前は三つの宗教から取られており、それが大きな意味を持ちます。それと彼が助けられたかつての名女優との関係も小説にしか描かれていません。他にも、小説には映画版ではカットされたことがかなり描かれているようです)

「ぼくと1ルピーの神様 Q&A」 2005年
(映画「スラムドッグ$ミリオネア」)
(著)ヴィカス・スワラップ Vikas Swarup
(訳)子安亜弥
ランダムハウス講談社

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