- クインシー・ジョーンズ Quincy Jones -

<多彩すぎるアーティスト>
 クインシー・ジョーンズほど、定義の難しいアーティストも珍しいでしょう。彼はミュージシャンというよりもアレンジャー、プロデューサー、コンダクター、作曲家、TV番組の制作者、レコード会社の経営者など、様々な顔をもっています。そのうえ、彼の関る音楽ジャンルの幅もまた広いのです。ジャズは当然として、映画音楽、ファンク、ポップ、ソウルから、「We are the World」のようなジャンルを越えた作品まで、あまりに幅が広すぎてジャズ・ミュージシャンとしての彼の評価はあまり聞かれません。そんな多彩な彼の音楽人生をその人生とともに振り返ってみましょう。

<キャリアの始まり>
 クインシー・ジョーンズ Quincy Jones は、1933年3月14日シカゴに生まれています。10歳の時に西海岸のワシントン州に移住。多くの黒人アーティストと同じように彼もまた子供の頃からミュージシャンとして活動を始め、14歳の時にはプロのトランペッターとしてライブを行なっていました。当時、シアトルの街で彼がバンドを組んでいたメンバーの中には、なんとまだ16歳のあのレイ・チャールズもいました。その頃彼らが演奏していたのは、当時人気だったR&Bが中心でしたが、仕事が終わってからはアフターアワーズのジャム・セッションでこれまた流行のビ・バップを演奏していたようです。彼の音楽キャリアの原点には、R&Bとビ・バップの両方が存在していたのです。
 ビ・バップ時代に活動を始め、ジャズ・レジェンドたちの演奏を生で見てきた彼ですが、けっしてジャズ一辺倒ではなく、R&B、クラシック、ロックン・ロール、ポップスなどどんなジャンルの音楽をも取り入れるのは、スタート時点からそうだったといえそうです。様々な音楽をビ・バップ風に演奏していた彼に対し、ある日レイ・チャールズがこう言ったそうです。
「どんな音楽にだってその魂ってものがあるだろう。そいつに背かないようにしなきゃ」

 元々ハイブリッドな音楽として誕生したジャズではあっても、そこには黒人音楽としての魂が込められています。それはどんな音楽でも共通することであり、そのことを忘れずにいたことが、彼に大きな成功をもたらしたといえます。こうした、彼の「ジャズ」や「ポップス」に対する考え方は明快です。
「ポップ・ミュージックについて語る時、思い出してもらいたいのは、30年代にはポップ・ミュージックとは、デューク・エリントンやカウント・ベイシーを表す言葉だったと言うことだ。彼らがやっていたのこそポップであり、ダンス・ミュージックだったんだよ。勿論そこには他の要素もあったけど、ポップ・ミュージックであることに間違いはなかった。彼らは当時のローリング・ストーンズと同義だったんだよ」
クインシー・ジョーンズ

<アレンジャー>
 1950年代もっともポップな音楽だったジャズからそのキャリアをスタートさせた彼は、1951年にボストンのシリンジャー・ハウス、後のバークリー音楽院を卒業。その後、彼はトランペッターとして、ライオネル・ハンプトン楽団に参加しますが、トランペッターではなくアレンジャーとして活躍することになります。ヨーロッパ・ツアーを大成功に導いた彼のアレンジ・センスは高く評価されるようになり、その後はソロ・アレンジャーとして活動するようになり、1956年には彼の代表作となったアルバム「私の考えるジャズ」を発表。その後、フランスのパリに渡り、そこで作曲や音楽理論について学び、帰国後は自らのビッグ・バンドを結成し、アルバム「バンドの誕生」(1959年)を発表します。

<映画音楽>
 1961年ごろから彼は映画音楽に挑戦し始めます。1964年公開のシドニー・ルメット監督の名作「質屋」はその中でも最初に高く評価された作品です。その後1960年代、彼は次々と映画音楽の挑戦し名曲を残すことになります。かつての友人レイ・チャールズをヴォーカリストに迎えた「夜の大捜査線」(1967年)、「夜の誘惑」(1967年)、「冷血」(1969年)、「サボテンの花」(1969年)、「ジョンとメリー」(1969年)、「ゲッタウェイ」(1972年)。その後、映画音楽から離れ活躍の場をポップスへと移しますが、ミュージカル映画「ウィズ」(1978年)や「カラー・パープル」(1985年)、「オースチン・パワーズ・ゴールドメンバー」(2002年)など、映画音楽との関りは続くことになります。
 さらに彼はテレビやアニメの音楽も作っていて、中でもテレビ・シリーズとして世界中で大きな話題となった「ルーツ」の音楽は忘れられません。アフリカからアメリカへ、そして奴隷たちの過酷な歴史を描いた歴史ドラマの音楽は世界中の視聴者に感動を与えました。

<ポップス界にて>
 映画音楽の世界に足を踏み入れた頃、彼は並行してポップス界のアーティストやジャズ・ヴォーカリストのプロデュースを行なうようになります。1961年にはペギー・リーの「If You Go」をプロデュース。その他にもエラ・フィッツジェラルドやフランク・シナトラ、ギリシャを代表する歌手、女優ナナ・ムスクーリのプロデュースを担当。プロデューサーが仕事の中心となり始めます。この時期、彼がジャズ・ミュージシャンとしてアルバムを発表したのは1969年のこと。そのアルバム「Walking In Space」は同じ年に発表されたマイルス・デイヴィスのアルバム「ビッチズ・ブリュー」の影響を受けてエレクトリック・リズムをいち早く導入した作品となりました。
 1978年、彼がプロデュースして大ヒットなったのはロサンゼルス出身の兄弟デュオ、ブラザース・ジョンソンのアルバム「Right on Time」です。このアルバムから生まれた大ヒット曲「ストロベリー・レター23」は、ファンク・ミュージックの代表的なヒットとなり、チョッパー・ベースの奏法を世界中に広めることにもなりました。(当時、僕は彼らのライブを中野サンプラザで見ましたが、生で見るチョッパー・ベースの迫力は衝撃的でした)
 さらにこの年、彼はモータウンが社運を賭けて製作したミュージカル映画「ウィズ The Wiz」の音楽を担当。オール黒人キャストによる「オズの魔法使い」のリメイク作品は、大きな話題とはなるものの大ヒットはなりませんでしたが、そこで彼はジャクソン5から独立したばかりのマイケル・ジャクソンと出会い、翌年1979年に彼のソロ・アルバム「Off The Wall」のプロデュースを担当。ディスコと白人聴衆を意識した音作りにより、このアルバムは世界的な大ヒットとなり、マイケル・ジャクソンの黄金時代が始まることになります。彼は自らも同じディスコ路線のアルバムを発表。1981年、そこから「愛のコリーダ」という大ヒット曲が生まれました。
 そして1982年、再びマイケルと組んだ彼は世界の音楽業界の歴史を変えることになる大ベストセラー・アルバム「スリラー」を世に出します。この頃の彼はまさに世界一売れっ子のプロデューサーだったといえるでしょう。さらに彼の名声を高めたのが1985年発表のチャリティー・アルバム「We are the World」です。そうそうたるメンバーを取り仕切って行なったこの曲のレコーディングは彼だからこそできた大仕事でした。
 ポップス界での大成功により、完全にジャズから離れていた彼ですが、1990年には久々のジャズ・アルバム「Back on the Block」を発表。ジャズ・ミュージシャンとしてのアイデンティティーを失ってはいませんでした。

<お奨めアルバム>
「私の考えるジャズ」(1956年)
 ジャズ・アレンジャーとしての才能を発揮した代表作。アート・ファーマーのトランペット、フィル・ウッズのアルト・サックス、チャーリー・ミンガスのベース、ハービー・マンのフルートなど、実に豪華なゲストによるビッグ・バンド・ジャズ・サウンド。当時何と彼はまだ23歳という若さでした。

「バンドの誕生」(1959年)
 この年に結成した自らのビッグ・バンドを率いての記念すべきデビュー・アルバム。クラーク・テリーのトランペット。ベニー・ゴルソンのサックス。ケニー・バレルのギターなど、メンバーも豪華です。知的でダイナミックなビッグバンド・ジャズを楽しむことができます。

「The Great Wide of Quicy Jones Live」(1961年)
 28歳という若さでありながら、大物メンバーによるビッグバンドを率いて行なったチューリッヒでの貴重なライブ録音。フレディー・ハバードのトランペット。フィル・ウッズのアルト・サックス。カーティス・フラーのベースなどによるジャズ・オーケストラ・アルバムの傑作。

「Walking in Space」(1969年)
 映画音楽を中心に活動していたクインシー・ジョーンズ久々のジャズ・アルバム。同年発表されたばかりのマイルスの「ビッチズ・ブリュー」の影響を受け、エレクトリック・リズムを用いたフュージョン的変身をとげた作品。フュージョン時代をリードすることになるエリック・ゲイル(ギター)、ボブ・ジェームス(エレピ)などのミュージシャンが参加しています。

「サウンド・オブ・マジック」(1970年〜1980年)
 ジャズからフュージョンへ、ファンキーなダンス・サウンドへと変身を遂げた70年代クインシー・サウンドのベスト集。大ヒットした「Stuff Like That」や「愛のコリーダ」などが収録されています。パティ・オースチンやジェームス・イングラムらが、ヴォーカルとして参加しています。

<75歳誕生記念ライブ・DVD>
 2008年、スイス、レマン湖のほとりで行なわれたモントルー・ジャズ・フェスティバルにおいて、彼の75歳の誕生日を祝うコンサートが行なわれました。その記念ライブは彼の長いキャリア全体を網羅する大掛かりなもので、R&B、ポップス、ソウルの名曲やファンク、ディスコの大ヒット曲、映画音楽、そしてマイケルのナンバーまでもが取り上げられました。当然、ゲスト・ミュージシャンもまた多彩です。
 イントロダクションに続き、バンドメンバーのブラジル人パーカッショニスト、パウリーニョ・ダ・コスタのパンデイロ・ソロから始まるのは、エンニオ・モリコーネ作曲の映画音楽「続・夕陽のガンマン」のテーマ。
 「Moody's Mood」、「How Do You Keep」、「愛のコリーダ」では、いまや大御所となった女性ヴォーカリスト、パティ・オースチン。
 かつて彼がプロデュースしたこともあるエラ・フィッツジェラルドのナンバー「Shiny Stockings」にはピアノでジョー・サンプルが参加。
 「I'm Gonna Move to the Outskirts of Town」とメドレーで続く「In the Heat of the Night」は、黒人を主人公にした社会派推理ドラマの傑作「夜の大捜査線」のテーマで、そのヴォーカルとして参加しているのはシンプリー・レッドのミック・ハックネルです。
 その他にも、60年代に大活躍したイギリスのポピュラー歌手、ペトラ・クラーク。ギリシャの国民的女優、歌手のナナ・ムスクーリ。ブルース・ハープの大御所、トゥーツ・シールマン。ソウル界を代表する女性ヴォーカリスト、チャカ・カーン。フィージョン界を代表するギタリスト、リー・リトナーに男性ヴォーカルの最高峰、アル・ジャロウ。クインシー・ジョーンズと同じようにジャンルの壁を越えた活躍を続けてきた盟友のハービー・ハンコックなどなど、実に豪華なゲスト陣です。
 取り上げられている曲がまた凄い。ロックン・ロールの名曲「煙が目にしみる」、20世紀を代表するソウルの名曲「What's Going On」、数多くのアーティストのカバーされきたソウルの名曲「If I Ever Lose This Heaven」、ブラザース・ジョンソンの大ヒット「ストロベリー・レター23」、マイケルの大ヒット曲「ビリー・ジーン」
 そして、最後に演奏されるのが彼自身の大ヒット曲「愛のコリーダ」と全員による演奏「Stuff Like That」です。全部で3時間にもなるこのライブのDVDは、彼の長年にわたる活動の全貌を知るのに最適な内容になっています。(改めて聴くとヒット曲とはいえディスコナンバーの「愛のコリーダ」は、あまり魅力的ではないです・・・)

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