- リッキー・リー・ジョーンズ Rickie Lee Jones -

<リッキー・リーの話法>
 リッキー・リー・ジョーンズ、メジャー・クラスのスターとは言えないかもしれません。そのうえ、彼女の曲の歌詞は、誰が聴いてもわかるような内容ではありません。それは、彼女自身のかなりハチャメチャな人生から生み出された独特の世界観が基本にあるからです。まして、彼女の英語は、かなり訛がきつく独特のジャズのスキャット的歌唱法のせいもあり、かなりのネイティブでなければ、聞き取りは困難だといいます。(これは、彼女の大ファンである私立H大学社会学部H助教授が、おっしゃっていたことなので、間違いないようです)
 さらに、本人も最初からより多くの人に聴いてもらおうという風には、はなから考えていないようです。彼女の来日コンサートでも、曲と曲の合間には、アメリカ人の観客たちとの早口のやりとりがあり、日本人の観客には到底ついてゆけない会話だったと言うことです。(これもまた、H助教授に教えていただきました)
(追)2002年に初のライブ・アルバム「Live At Red Rocks」が発売されましたので、聞いてみてください!

<アメリカン・ビューティー>
 自由奔放とは、まさに彼女のためにある言葉かもしれません。そして、彼女はその自由奔放なライフスタイルによって、自らの夢を実現させました。しかし、彼女のそのライフスタイルの影には、絵に描いたようなアメリカ的家庭崩壊の物語がありました。アメリカン・ドリームの影には、やはりそれ相応のアメリカン・トラジディーがあるものなのかもしれません。ジョニ・ミッチェルのような知的なタイプとは対照的な、豪放磊落でアルコールに目がないグラマーな美女!彼女こそ「アメリカン・ビューティー」と呼ぶにピッタリの女性かもしれません。ちなみに彼女のデビュー前からの男友達が、なんとあの飲んだくれアーティスト、トム・ウェイツだというのです。そう、まさに「ビューティー&ザ・ビースト」です。

<アメリカン・トラジディー・ファミリー>
 彼女の両親は、ともに孤児院育ちだったといいます。だからといって、二人がリッキーの育て方を誤ったと言うわけではなさそうですが、この一家が何度も何度も引っ越しを繰り返す、さすらいのファミリーだったことは間違いなさそうです。その原因は、彼女の父親がショービジネス界で成功する夢を捨てきれず、定職を持とうとしなかったことにあるようです。さらに、元をたどれば、その父親(彼女の祖父)が有名な片足のヴォードビルダーで、母もコーラスガールとして活躍していたというショービジネス・ファミリーに育ったせいだったとも言えそうです。もちろん、そんな不安定な移動生活が長く続くはずもなく、結局夫婦は離婚してしまいました。

<ひとりぼっちの不思議な少女>
 そんな生活の中、三女として生まれたリッキー・リーは、友達もつくらずひとり、部屋に閉じこもり、ギターを弾いたり、得体の知れない架空の友達「バスラウ」とか「ショルベスラウ」とのお話に明け暮れていたといいます。それだけではありません。こんなこともあったそうです。
 ある朝、彼女の兄が家を出ようとした時、突然彼女は兄を引き留めた。彼女は、お願いだから今日は出かけないでと、兄にしがみつきました。しかし、兄は不思議に思いながらも、オートバイに乗って出かけました。すると、彼は家を出てすぐ、交差点で自動車にはねられてしまい、半身不随のけがを負ってしまったというのです。どうやら、彼女は典型的な霊感少女でもあったようです。いや、もしかすると、今でもそうなのかもしれません。

<放蕩娘、西へ>
 そしてある日、彼女は突然家を出ました。彼女の父親が夢みたショービジネス界への成功を目指し、ショービジネスの都、ロス・アンジェルスへと向かったのです。もちろん、19歳の家出娘にそう簡単にスターへの道が開けるわけはありません。彼女は、住む家もないまま、ウェイトレスとして働き、市内各地のコーヒー・ショップなどで歌いながらチャンスを探し、待ち続けました。そんなある日L.A.でも有名なクラブ、トルヴァドールで歌うチャンスを得ます。その時、その店のキッチンで働いていたのが、彼女の大ヒット曲「恋するチャック」のチャック・E.で、その友人として知り合ったのが、あのトム・ウェイツだったというのです。こうして知り合った「飲んだくれ3人組」は、すっかり意気投合。そして、この三人のハチャメチャな生活の中から、次々にファースト・アルバムに修められることになる曲のアイデアが生まれました。そこには、一歩間違うと退廃的、破滅的になりそうなストーリーにもかかわらず、ぎりぎりのところで救われるクールな明るさがあります。それこそが、彼女の歌の持つ最大の魅力ではないでしょうか?ついでながら、僕は、彼女の歌はジャズの新しいスタイルなのだとも思うのですが?

<シンデレラ・ストーリー>
 その頃つくった歌の中に、L.A.の街角に立ちお金を稼ぐ女の子のことを歌った曲があります。彼女のような家出娘たちの多くは、この道に入り、さらに麻薬常習者の仲間入りをし、自らの人生を取り返しのつかないものにしてしまっていました。そんな曲「イージー・マネー」は、かなり過激な歌詞ではありましたが、たまたまそのデモ・テープが、その頃リトル・フィートを脱退しソロ・アルバムを制作中だったローウェル・ジョージの耳にとまりました。すっかりこの曲が気に入った彼は、さっそくその曲を自らのアルバムに採用しました。これで、彼女の名は一気にL.A.中に広まりました。ワーナーのテッド・テンプルマンレニー・ワロンカーという大物コンビが、さっそく彼女を訪れ、あっという間に契約話しもまとまり、デビュー・アルバム"Rickie Lee Jones 浪漫"が発売されます。ここから後は、まさにアメリカン・ドリームの世界でした。

<その後の彼女>
 一躍スターになったその後の彼女はどうなったのか?どうやらその生活ぶりに、さほど変化はなさそうです。相変わらず、トム・ウェイツやチャック・Eと飲み歩いているようだし、アルバムもコンスタントに発表し、その評価も高いようです。それに、離れていった父親や母親らとの関係も、どうやら修復されたともことです。どうやら彼女は、スターになっても、その本質を変えていないようです。その証拠に、ある日母親がリッキーにあの「バスラウ」や「ショルベスラウ」はどうなったの?と尋ねた時、彼女はこう答えたといいます。
「あらママ、みんなまだここにいるのよ!」

<締めのお言葉>
「こんなことを言った奴がいる。美しい女の言うことはみんな嘘だが、唄う唄はみんな本当だ」
「誰がいった」
「俺さ」
      映画「悪の花園」より

「私はお酒は飲みません。現実に満足していますから」
「私も現実に満足しています。私の現実には酒も含まれておりますが」
 映画「ピンクの豹」より

<参考資料>
「ロック伝説(下)」 ティモシー・ホワイト著(音楽之友社)

ジャンル別索引へ   アーティスト名索引へ   トップページへ