- ラモーンズ The Ramones -

<パンクのヒーロー>
 考えてみると、人並みはずれた音楽的才能がなくても、時代を代表するロック・スターになれることを証明してみせたという意味でも、ラモーンズこそ、世界中のロック小僧たちの多くにとって英雄となるべきバンドなのかもしれません。
 これと言った大ヒット曲もないし、ルックスも別にどうってことはなく、おまけに彼らの後からでてきたパンクのフォロワーたちには、どんどん先を越されてしまったラモーンズ。
 しかし、パンク・バンドのルーツとしての彼らの存在感は、他の多くの有名バンドたちをも凌ぐものですし、20年に渡って、その初期の姿勢を貫き通したことは、それだけでも充分賞賛に値するものだと言えるでしょう。「ミスター・パンク」こと「ベース・ギターを弾けないベーシスト」、シド・ヴィシャスはもちろん別格でしたが、彼があっという間に散ってしまったことを考えると、本当に長い年月彼らは活躍を続けました。
 でも何故、彼らはあそこまで進化することを拒み続けたのか?そして、何故進化せずに、あれほど長く生き続けることができたのか?これはちょっとした謎かもしれません。
 たぶん彼らは、パンクこだわり続ける「ある種の美学」をもっていたのでしょう。そして、その美学はデビュー以来20年間変わることがありませんでした。
 彼らはパンクのルーツであると同時に、最後のパンク・バンドだったのかもしれません。

<ラモーンズ誕生>
 ラモーンズが誕生したのは、1974年ニューヨークのフォレスト・ヒルズというユダヤ系の多い中産階級の街でした。オリジナル・メンバーは、同世代の4人。全員がラモーンを名乗っていましたが、もちろん実際は兄弟でもなんでもありませんでした。
 ヴォーカルがジョーイ・ラモーン(本名ジェフリー・ハイマン)、ギタリストがジョニー・ラモーン(ジョン・カミングス)、ベーシストがディー・ディー・ラモーン(本名ダグラス・コルヴィン)、そしてドラムスが後にプロデューサーに転向してマーキー・ラモーン(本名マーキー・ベル)と交代することになるトミー・ラモーン(本名トマス・アーデライ:彼だけはハンガリーのブタペスト生まれ)でした。
 ジョーイの父親は運送会社の社長で、彼の家の地下室は彼を中心とする悪ガキたちのたまり場だったようです。離婚した両親の元で完全に放任状態で育てられた彼は、その地下室でシンナーやマリファナを吸ったり、女の子を連れ込んでいたわけですが、ある日仲間たちとバンドを結成します。そして、それがラモーンズになったわけです。

<CBGB'sの人気者>
 彼らは後にニューヨーク・パンクの根城として有名になるクラブCBGB'sを中心に活動を開始し、いつしかパンク・ムーブメントの主役のひとつになって行きました。しかし、ニューヨークのパンク・シーンとそこから派生したロンドンのパンク・シーン以外での彼らの評価は、まったく低いものでした。大方の評論家たちは、「薬中の頭の悪いガキどもによるただただ単純でへたくそなロックン・ロール」と彼らの音楽を切り捨てていました。(当然彼らの曲は、ヒットチャートでもベスト10どころかベスト50にすら入ったこともありませんでした)
 実際、彼らがデビュー・アルバム「ラモーンズの激情」(1976年)は、シンプルこのうえない2分に満たない曲ばかりでしたが、彼らのもつテクニックでは、それでも演奏するのに手一杯だったようです。

<ラモーンズの秘かな真実>
 ラモーンズのヴォーカル、ジョーイに関してのマスコミ評「単なる薬中のおバカ説」は、どうやら間違いのようで、実際はかなり神経質で頭の良い人物だったようです。
 そして、彼らのマネージャーだったダニー・フィールズは、かつてエレクトラの宣伝部長としてMC5ストゥージズというプレ・パンクの二代バンドと契約を結んだ人物でした。そのうえ、MC5のアルバム・ジャケットに「FUCK」という一語を印刷させたために会社を解雇されたという強者だったとか。(当時としては、これは大変な快挙?だったのです)
 もうひとり、バンド結成時は、ドラムを担当し、その後バンドのツアー活動について行けず共同プロデューサーという裏方役に回ったトミーもまたくせ者だったようです。彼が考えていたのは、ラモーンズはお得意の2分たらずの曲を繰り返し演奏することによって、ミニマル・ミュージック的な効果を生み出していたということなのです。同じニューヨークを代表するヴェルヴェット・アンダーグラウンドが得意としていたシンプルなフレーズの繰り返しによって観客を引き込んで行く効果。これが、ラモーンズの目指すものであり、この手法は誰もがマネできることではないと言っていました。本当にそんなに深かったのか?という気もしますが・・・失礼!
 ちなみに他のメンバーたちに言わせると、彼らが目標としていたバンドは、エアロ・スミステッド・ニュージェントキッスアリス・クーパーあたりだったと言うことです。
 もうひとつ、バンドの中心的存在のジョーイは、シンナー中毒だけでなく、精神病院の常連客だったということで、彼らの曲の中にそんな彼の体験が歌詞などに色濃く反映されているというのも、重要なポイントだったようです。少なくとも、この部分は、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドに近いものをもっていたと言えそうです。

<ラモーンズの影響>
 その後、彼らのニューヨーク・パンクは、アメリカ国内ではなく大西洋を渡ったロンドンの街に飛び火しました。そして、ロンドン・パンクと呼ばれるシンプルで破壊的、そしてある種ファッショナブルなパンクが誕生し、そこから世界へと広がってゆくことになります。考えてみると、セックス・ピストルズを代表とするロンドン・パンクのスタイルに最も近いのは、ラモーンズかもしれません。多くのニューヨーク・パンクは、パティー・スミストーキング・ヘッズなど、どちらかと言うとインテリ系のサウンドでロンドン・パンクとは異なるものでした。(考えてみると、この二つの異なる側面を合わせ持っていたのが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドだったのかもしれません)そのシンプルな音楽といい、悪ガキ系革ジャンスタイルのファンションといい、彼らこそ、ロンドン・パンクの元祖といえるでしょう。

<貫き通したパンク人生>
 彼らは、その後も当初のパンクを貫き通します。今聞くと、初期の彼らのサウンドは、荒削りなロックン・ロールという感じで、パンクというには普通すぎる気もしますが、しだいにそのパンク的なサウンドを確立し、その後、時代の流れによって、多少の変化もありますが基本路線を変えることはありませんでした。しかし、わずか2分間のシンプルなロック・ナンバーをつなぎ合わせたアルバムが、実は全部でひとつの作品であったということなら、彼らのパンク一筋20年の人生もまた、究極のパンク・アートと言うことができるのかもしれません。
先日、ジョーイ・ラモーンが亡くなったと聞きました。冥福をお祈りします。

<締めのお言葉>
「あなたの作品をひとつの絵で代表させるとすれば、どれでしょう」
「もともとひとつ描きたかっただけなんだ。夢中になりすぎて、描きすぎてしまってね。本当はいやになっているんだけど。ただ一点あればよかったんですよ」

アンディー・ウォーホル、インタビューより

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