- ランディー・ニューマン Randy Newman -

<アメリカを描き続ける男>
 アメリカのミュージシャンの中で最も奥深い謎めいた曲を作るライター&シンガーのひとりです。しかし、その歌詞の中身はアメリカのどこにでもいそうな人々のごく普通の日常をごく普通の言葉で表現した2分ちょっとのドラマがほとんどです。ところが、その中に見事に「アメリカという国」が収められているのです。

<映像のない映画音楽作家>
 それはまるで、映像のない映画音楽といえるかもしれません。どの曲もすぐれた短編映画のように映像的であり、且つ物語性が高いのです。彼はそれらの作品を積み上げることでアメリカの歴史絵巻を作り続けていると言ってよいでしょう。
 特に、名作と言われる「セイル・アウェイ」には、アメリカ建国の歴史や黒人奴隷たちの物語だけでなく、旧約聖書のカインとアベルの物語から現代の都会に住む孤独な老人の死の床に到るまでが、12曲の短い曲に読み込まれています。

<映像のある映画音楽作家>
 
彼はまた映画音楽の作曲家としても超一流でです。「ラグタイム」(1981年)、「ナチュラル」(1984年)、「バックマン家の人々」(1989年)、「わが心のボルチモア」(1990年)、「トイ・ストーリー」(1995年)など、どれもアカデミー賞の候補作になっており、古き良きアメリカの家族のドラマに彼のノスタルジックなメロディーは欠かせないものとなっています。

<もっとも誤解されているアーティスト>
 彼ほどアメリカという国を愛し且つ憎んでいるアーティストは、他にいないかもしれません。そして、多くのアメリカ国民は、そんな彼の複雑な心情を理解してはいないのではないでしょうか?

<作曲家ファミリーのサラブレッド>
 ランディー・ニューマンは、1943年11月28日ロスアンゼルスに生まれました。エミール・ニューマン、ライオネル・ニューマン、アルフレッド・ニューマンという3人の著名な映画音楽の作曲家は、彼の叔父に当たります。(特にアルフレッドは、「慕情」「王様と私」など、なんと合計9個のアカデミー賞を受賞している超大物です!)このユダヤ系の有名な音楽家の家系に生まれたことで、彼はピアノだけでなくオーケストラも含めたあらゆる音楽の素養を身につけました。

<ブルースを知った南部での生活>
 子供時代、彼は一時期ニューオーリンズに家族とともに引っ越していたことがあり、その時の経験が彼の心にもう一つのアメリカ、深南部の文化を焼き付けました。その中でも、後に彼に重要な影響を及ぼしたのが「ブルース」でした。改めて、彼のアルバムを聴いてみると、彼のサウンドは、基本的にピアノの弾き語りなので分かりにくいのですが、以外にブルース・ナンバーが多いことに気づかされます。(ギターをメインにカバーすると、渋いブルース・ナンバーになりそうな曲が多い)

<レニー・ワロンカー>
 彼の幼友達にリバティー・レコードの重役の息子がいました。その名はレニー・ワロンカー、後にワーナー・レコードのナンバー1プロデューサーになる男です。レニーは1950年代から、父親のいるレコード会社でバイトをしながら音楽制作のノウハウを学んでいましたが、ランディーの才能に気づいており、彼をリーバティーの専属ライターに推薦しました。こうして、ランディーは早10代にしてプロのライターとしての活動を開始したのです。
 彼は"Somebody's Waiting" Gene McDaniel、"They Tell Me It's Summer" The Fleetwoodsなどの曲をつくりましたが、さらにレニーは自らがプロデュースを担当していたハーパーズ・ビザールモジョ・メンなど、今で言うソフト・ロック系バンドのレコーディングにも彼の曲を積極的に取り上げ、「ランディー・ニューマン」の名を少しずつ広めて行きました。

<ソロ・デビュー>
 1968年、ついに彼はワーナー・リプリーズからデビュー・アルバム「ランディー・ニューマン」を発表、シンガー・ソングライターとしての第一歩を踏み出しました。しかし、残念ながら彼の書く詞の難解なブラック・ユーモアは一部の音楽ファンにしか受け入れられませんでした。(今でもそうなのですが・・・) それでも、1970年に彼の曲"Mama Told Not To Come"をスリードッグナイトが全米ナンバー1ヒットにしたり、ニルソンがランディーの曲だけでアルバムをつくり"Nilson Sings Newman"として発表するなど、彼のライターとしての評価はどんどん高まり、ミュージシャンズ・ミュージシャン的な地位を確立して行きます。
 おかげで、"Randy Newman Live"(1971年)、"Sail Away"(1972年)などのアルバムでさらにシンガーとしての評価も高まり、アルバムもチャート入りするようになって行きました。そして1977年、ついに彼のシングル"Short People"がアメリカン・トップ40の2位にまで上昇するという前代未聞の出来事が起こります。(アルバム"Little Criminal"も9位まで上昇しました)

<差別の歌?「ショート・ピープル」>
 "Short People"は不思議な歌でした。発表当時アメリカの自動車や鉄鋼などを軒並み不況のどん底に突き落とした日本企業に対する非難の歌として、全米中で話題になりましたが、彼が実際どんな意図で歌っていたのかは、明らかではありませんでした。その歌詞は、そのまんま「背の低い人」を非難する歌であり、障害者をも非難するものであるとして放送禁止になった州もあったぐらいです。とにかく、話題だけが先行し、この曲はあれよあれよという間にチャートを登っていったのでした。
 しかし、ランディー自身はそんな異常なヒットに困惑することなく、たぶん影でにやりとほくそ笑んでいたのでしょう。彼はそういう人物のはずです。彼の音楽は常にクールに世の中を写し出す鏡であり、聞く人によって、聞く人の考え方によって、どうとでもとらえることができるものなのだと思います。だからこそ、"Short Peole"は、人によっては「背の低い人」を馬鹿にした歌に聞こえるし、「日本人」を馬鹿にした歌にも聞こえるのです。でも、実際に批判されているのは、すぐにかっかする「短気(Short)な人」のことかもしれないし、「知恵の不足(Short)」した人のことなのかもしれないのです。

<映画音楽への進出>
 この後も彼はマイ・ペースでアメリカを描き続けています。"Born Again"(1979年)、"Land Of Dreams"(1988年発表で彼の最高傑作のひとつ、プロデュースにはダイアー・ストレイツのマーク・ノップラー、エレクトリック・ライト・オーケストラのジェフ・リン、トミー・リピューマ、テレビ・シリーズ「ER」で有名なジェームス・ニュートン・ハワードが参加!)、"Bad Love"(1999年発表でプロデュースはミッチェル・フルームチャド・ブレイクの黄金コンビ!)など、作品の数は少ないのですが、どれも高水準のものばかりです。しかし、残念ながら彼の仕事は、オリジナル・アルバムから映画音楽の方へとシフトしつつあるようです。
 しかし、彼が関わった映画をみても、彼が相変わらずアメリカという国、アメリカに住む家族の生活にこだわり続けていることは明らかです。
 「ラグタイム」(1981年)は、ジャズの元となった音楽のひとつラグタイムが生まれた1920年代のアメリカを描いた歴史大作(これは見てない人が多いかもしれませんが、黒人音楽ファン必見の傑作です!)。「ナチュラル」(1984年)は、古き良き時代の伝説の大リーガーの物語。「バックマン家の人々」(1989年)「わが心のボルチモア」(1990年)「トイ・ストーリー」(1995年)も、それぞれノスタルジックなアメリカン・ファミリーの物語です。

<アメリカを知りたければ・・・>
 ここまで、アメリカの歴史、アメリカン・ファミリーの歴史にこだわるアーティストは、他にいないでしょう。アメリカの20世紀を知りたいなら、ランディー・ニューマンを聞けばよい。そこには、アメリカの狂気があり、アメリカの日常があり、アメリカの歴史があり、アメリカの栄光があります。(アメリカを本当に愛している人は、普段アメリカのダメなところばかりに目がいっている人に違いない、と僕は思います。僕もそんな傾向をもつひとりかもしれません)

<追記>
2002年アカデミー賞でランディーは16回目にして、ついに最優秀主題歌賞を受賞しました!(作品は「モンスターズ・インク」)おめでとうございます!

<締めのお言葉>
「シリアスな芸術や良いエンターテイメントは、観客を揺さぶるものとされている。だがここでは芸術が観客に揺すぶられ、観客によって意味を与えられることを求めているのだ。・・・」
フィックス・ムービーについてのアンディー・ウォーホルの言葉

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