- ジョセフ・レイモンド・マッカーシー Joseph Raymond MaCarthy -

<赤狩り>
 「赤狩り」という言葉は、1950年代を語る時、アメリカだけでなく日本など資本主義諸国どこの歴史にも登場するキーワードのひとつです。しかし、そもそも「赤狩り」とは何だったのか?その本質はあまり語られていないように思います。歴史の授業でも、めったに登場しないこの事件についての疑問について調べてみると、「赤狩り」とは実に中身のない空っぽな事件だったことがわかりました。
 罪なき人々を次々と悲劇に追い込んだ「赤狩り」は、9/11連続テロ事件への報復と称し無実のイラクに攻め込んだアメリカの政治姿勢と本質的に通じるものがあります。数多くの悲劇を生んだこの事件は、実は笑えるほど安っぽいドタバタ喜劇だったのです。(もちろん、後で振り返るとですが)
 そして「赤狩り」の火付け役となったジョセフ・マッカーシーは、「フェイク・ニュース」による政治家の元祖であり、トランプ大統領の先駆だったことが後に明らかになります。アメリカは、ある意味成長せず、再びドナルド・トランプという「フェイクの王様」を生み出すことになるのです。

<その原因>
 先ず初めに「赤狩り」の根本的な原因として、第二次世界大戦後にソ連が世界を二分するアメリカのライバル国へと成長したこと、さらに中国が毛沢東のもとで共産化し、第二の共産主義大国へと成長し始めたことがあげられます。しかし、それ以上に重要だったのは、アメリカの国内にも共産主義が浸透しつつあり、労働者階級だけでなくインテリ層にまで拡がりをみせていたことです。この目に見えない国内の政敵に対し、アメリカ政府はFBIなどによる調査を行わせますが、本質的に人間の心の中まで見通すことは不可能なだけに、その対処に苦労していました。そして、そんな状況を打開するために行われたのが、疑わしきは摘発、除外してしまえという荒っぽい戦法でした。こうして、かつての「魔女狩り」と同じようなバカげたやり方で「赤狩り Red Purge」が始まったのです。
 注意する必要があるのは、この運動が単なる「共産主義者」の摘発ではなく、左翼がかったセレブに対する一般大衆による反逆でもあったという事実です。このことを見落としてはいけません。そうでないと、2016年の大統領選挙でのまさかのトランプ当選なんていう異常な事態が何度でも繰り返されることになるはずです。
「マッカーシズムは、ある種の特殊利益階層によって支持された運動であると同時に、上流階級に対する大衆の反逆なのである」
タルコット・パーソンズ「アメリカにおける社会的緊張」
「マッカーシズムは古き支配階級を打倒し、それを新しい支配階級をもって代えようとするラディカルな運動である」
ヴァーレック「エリートへの反逆」

<映画界における「赤狩り」>
 元々進歩的な考え方の人間が多かったハリウッドは、いち早く「赤狩り」の攻撃目標になりました。1947年にハリウッドの映画人を対象とする非米活動委員会で聴聞会が開かれて以降、共産党員だけでなく、そのシンパや共産主義者の友人や夫をもつ人間などが次々に職を失うことになります。
 記念すべき第一回のアカデミー賞において助演女優賞を受賞したゲイル・ソンダーガードは、夫がハリウッドから追放された10人の映画人(ハリウッド・テン)のひとり、ハーバート・ビーバーマンだったために、夫同様ハリウッドでの仕事をすべて失ってしまいました。赤狩りの過ちが明らかになった後、1976年彼女は70歳を過ぎてやっとカムバックしました。(「サウスダコタの戦い」)その時、すでに夫のビーバーマンはアルコール中毒に苦しんだ末、亡くなっていました。
 当時、ハリウッドでは「レッドチャンネル」という本が売られていて、その中には共産主義者だったり共産党のシンパと思われる人物の名前が掲載されていました。もちろん、本人に確認して載せたわけではありません。しかし、この本に名前が載ることはそのまま業界から追放されることを意味していました。
 こうした状況は、いつしか映画界の人間関係に疑心暗鬼を生み出し、一部の映画人がお互いを密告しあうという悲劇的な事態をも生み出しました。当時、次々と傑作を生みだしていた名監督のひとりエリア・カザンも、そんな追求により逃げ場を失い、ついには仲間の名を密告させられる立場に追い込まれた一人です。彼の場合、多く映画人がユダヤ系でお互いをかばい合ったのに比べて、少数派のギリシャ系だったことから、非常に孤独な立場にありました。それだけに同情の余地は多分にあったのです。1998年のアカデミー賞授賞式で、彼が長年の功績に対してアカデミー名誉賞を受賞した際も、多くの映画人が彼の受賞に拍手を贈らなかったのですが、ちょっとかわいそうな気がしました。こればかりは、当事者でなければなんとも判断できない問題です。
ハリウッド・テンについてはこちらから!

<かろうじて仕事を続けられた人々>
 ほとんどの映画人は現場に顔を出さなければならいないのですが、その必要がない職種の映画人もいます。例えば、脚本家がそうです。そのため、脚本家の場合は、偽名を用いて本名さえ明らかにしなければ、厳しい赤狩りの時代でもかろうじて仕事をすることが可能でした。
 1970年に映画界に復帰し、反戦映画の歴史的傑作「ジョニーは戦場へ行った」を監督したドルトン・トランボは、そんな脚本家の中でも最高の人物かもしれません。彼は、ロバート・リッチという偽名を用いて「黒い牡牛」(1957年)の脚本を書き、見事アカデミー賞の最優秀脚本賞を受賞しているのです。それだけでも凄いのに、その後もっと凄いことが明らかになりました。実は彼は別の脚本家の名前を借りることであの歴史的名作「ローマの休日」の脚本も書いていたことが後に明らかになったのです。もちろん、この映画もアカデミー脚本賞を受賞しているのです。

<マッカーシズムの始まり>
 政界における赤狩り(マッカーシズム)の始まりは、1950年2月9日のことだったと言われています。場所はウエストヴァージニア州ホイーリングという小さな街。そこで行われたリンカーン誕生記念祭の祝賀会で共和党選出の上院議員ジョゼフ・R・マッカーシーが行った演説が事の発端でした。
 彼はこの演説の中で、アメリカの国務省には多くの共産党員がいて、彼らによって外交政策の方向性が変えられつつあると述べました。さらに彼は自分はそれらの共産党員やスパイらのリスト205名分を入手したとも言いました。特ダネを欲しがっていた地元の記者は、その真偽を確かめることなくさっそく記事に使いました。さらにそれを見たAP通信がこの情報を全国に配信。いっきにこの話題は全国へと広がって行きました。もちろん、この過程でも誰一人マッカーシーの言うリストを見た者はありませんでした。もともとそんなモノはなく、マッカーシーのでっち上げだったにも関わらず、そのことを追求しようとする記者もまたいなかったのです。そこには記事を確認する時間を与えまいとするマッカーシーの巧みな策略が働いていたのも確かでしたが、記者たちの多くが彼の嘘を見抜いていながら見て見ぬ振りをしていたのも確かでした。彼らは皆、新聞の一面を飾る特ダネが欲しかったのです。
 こうして、マッカーシーは「赤狩り」の急先鋒として全国にその名を知られることとなり、彼の周りには記者たちが美味しいネタを求めてたむろするという構図ができていったのです。
「わが国を敵に売り渡してきたのは、恵まれていない人々ではなく、この地上でもっとも富める国民が提供してきたあらゆる恩恵 - 立派な家庭、最高の大学教育、政府部内の立派な職 - これらの恩恵に浴していた連中である。このことは国務省の場合、もっともよくあてはまる。口に銀の匙をくわえて生まれた良家生まれの英才たちこそ、もっともたちの悪い連中なのである」
マッカーシー

<マッカーシーという人物>
 マッカーシーはアイルランド系移民の子供としてウィスコンシン州アップルトンの貧民街に育ちました。厳しい生活の中からはい上がってきたせいか、彼は臆病で抜け目がなく、敵の弱点を見抜くのが得意な人間でした。夜は記者たちと飲み歩きながら彼らの機嫌をとり、昼は自らの政敵に「共産主義者」「ソ連のスパイ」などのレッテルを貼って、口汚くののしる。そんな生活を続けているうちに、彼はついにはアルコール抜きの生活ができなくなり、完全なアルコール中毒になってしまいました。(彼が用いた「マスコミを手なずけ、政敵を作ることで、世論を味方にする」この手法は政治家がトップに立つ際の常套手段。そう我が日本の小泉さんも、その手法の達人でした!)
 実は彼は共産主義について何の知識ももっていませんでした。彼の攻撃する相手についての情報も、FBIやその長官だったフーバーから回ってきたものでした。彼らは、自らの手を汚さずにすむようマッカーシーを上手く利用しようと、あえて情報を彼に漏らしていたのです。彼は「共産主義者」という巨大な悪のイメージを作り出すための広告塔として多くの人間たちに利用されていたのでした。

<偽りの末に>
 その後、「赤狩り」のいい加減さが明らかになり出すにつれて、彼の存在は議会でも浮いた存在になり、新聞記者たちも彼を無視するようになり始めました。あせった彼は再び自分にマスコミの注目を集めるために、その攻撃の矛先を禁断のターゲットとも言える陸軍内部へと向けました。しかし、お互いに蹴落としあう政界とは違い、軍隊とはけっして内部の腐敗やトラブルを外部に漏らさない組織です。ガセネタしかもたない彼に勝ち目などあるはずはなく、彼はあっという間に軍によって政界から叩き出され、二度と政界に復帰することはできませんでした。
 彼によって無実の罪で職や人生を失った人々のことを思えば、その悲劇的な末路も自業自得と言えるのかもしれませんが、実は彼を利用していたもっと悪い奴がいたことを忘れてはいけないでしょう。彼は、騒ぎを起こした張本人ではあっても、実は誰一人有罪にしていないのです。

<赤狩りで誰が得をしたのか?>
 結局「赤狩り」は何のために行われ、それによって誰が得をしたのでしょうか?ハリウッドの赤狩りの場合、それは完全に反共産主義キャンペーンのためのスケープ・ゴートを選ぶためのお祭り騒ぎだったのかもしれませんん。
 しかし、その後マッカーシーによってブチあげられた政界における「赤狩り」は、政界の権力闘争において政敵を蹴落とすために用いる最終兵器として用いられるようになります。真偽はさておき「奴は赤だ!」とキャンペーンを行えば、それだけで選挙に勝てるというのが当時の社会状況だったのです。「赤狩り」とは反共産主義キャンペーンとして始まった思想統制の手法だったのですが、いつの間にか真偽に関わらず単に敵を蹴落とすための安っぽい謀略のひとつになっていたのです。ただし、そんないい加減な方法が通用したのも、アメリカという国全体が共産主義という見えない敵に脅えきっていたという社会状況のおかげでした。その不安の象徴がマッカーシーという悲しいくらい空っぽな男だったのです。そして、こうした共産主義に脅えるアメリカの姿は、イスラム教徒とテロに脅える今のアメリカの姿とまったく同質のものなのです。

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