「レッズ REDS」 1981年

- ウォーレン・ベイティ Warren Beaty -

<ロシア革命とは?>
 「ロシア革命」を描いた3時間を越える歴史超大作。それがアメリカ映画、それもハリウッド映画だというだけでも驚きです。もちろん、そこで描かれている「ロシア革命」は、革命の理想や民主主義とはほど遠い、指導者たちによる権力闘争として批判的に描かれており、自由と独立の国アメリカらしい視点が保たれています。しかし、「ロシア革命」という歴史的瞬間に立ち会ったアメリカ人社会主義者の人生を、ハリウッド映画(パラマウント)がよくぞ題材として取り上げたものです。それ自体が奇跡的なことのように思えます。そのうえ、この作品はアカデミー賞において、作品賞こそ逃したものの、監督賞、撮影賞、助演女優賞(モーリン・ステイプルトン)を受賞しています。当時、12部門ものアカデミー賞ノミネートは初の快挙で下馬評では作品賞も獲れそうな勢いでした。(それどころか、この時、監督のウォーレン・ベイティは「賞獲りレース」を嫌い、いっさいのキャンペーン活動をせず、ハリウッドを離れていたといいます)
 2008年「レッズ」公開25周年記念DVDが発売され、再びこの映画をじっくりと見ることができるようになりました。(特典映像もたっぷり入っています!)同じ2008年、日本では小林多喜二の「蟹工船」が一大ブームとなりました。グローバリズムの広がりによって生まれた貧富の差は、確実に若者たちの未来を奪いつつあり、それが再び社会主義の見直しを迫りつつあるのかもしれません。
 改めて、20世紀という時代を振り返ると、19世紀の社会主義体制とまったく異なる点は何かといえば、ロシア革命以降、「資本主義」と「社会主義」二つの体制が世界を二分するようになったことでしょう。1989年にベルリンの壁が崩壊して以降、社会主義は死んだといわれましたが、21世紀に入ると中国の経済的発展とソ連経済の復活により、社会主義体制は再び勢いを増しつつあります。もちろん、それが「社会主義」的経済がもたらしたものでないことは明らかですが・・・。この映画の主人公ジャック・リードが目指していた社会主義体制はもう過去のものかもしれません。「ロシア革命」が始まり、動き出した時点ですでに行く先を誤っていたのかもしれません。(というよりも、「社会主義思想」自体に根本的な問題点があるようにも思えます)
 それにしても、ロシア革命から90年以上の時がたち、再びその歴史を映画によって振り返る、そんなロシア人ですらやっていなかったことを、アメリカの一アーティストが成し遂げたのです。この映画を企画、監督したウォーレン・ベイティの功績に今一度拍手を送りたいと思います。

<「俺たちに明日はない」から「レッズ」へ>
 ウォーレン・ベイティは、プロデューサーとして初仕事となった「俺たちに明日はない」の際も、当時としては映画化困難と思われていた過激な題材を映画化しています。(「俺たちに明日はない」は、その後の映画のおける暴力、セックス描写を変える画期的な作品でした)この時、彼は当時大人気女優だったシャーリー・マクレーンの弟という立場も利用しながら、ワーナーの社長ジャック・ワーナーにしつこく付きまとい土下座をして靴にキスをするなど、なりふり構わない方法で製作費を出させたそうです。それでもこの映画は世界的な大ヒットとなり、彼は一躍一流のプロデューサーとして認められるようになりました。その後、1978年に彼は自ら監督をつとめて「天国から来たチャンピオン」を撮り大ヒットさせました。この映画のヒットにより、娯楽映画も撮れる監督であることを証明してみせた彼は、すぐに次回作のための出資者を探し始めました。そして、それがジャック・リードの著作「世界を揺るがした十日間」(「アメリカを震撼させた10日間」という記述もあり)の映画化でした。
 彼はこの企画のためにすでに脚本を書き上げていましたが、ロシア革命にアメリカから参加した人物の伝記映画にハリウッドの企業が出資してくれる可能性は低いだろうと彼は思っていたようです。しかし、パラマウントの首脳陣は脚本の良さに感心し、彼の監督としての手腕を信用していました。そして、他社に持っていかれるぐらいなら、うちで撮ろうとGOサインを出したのです。こうして、アメリカ映画における久々の歴史大作の撮影が始まることになったのです。しかし、映画化が可能になったのには、当時の社会状況の影響もあったようです。

<1979年から1980年という時期>
 この映画の撮影が始まった1979年から1980年という時代をちょっと振り返ってみます。1979年は米中の国交が樹立され、米ソ間の軍縮交渉が進み、SALTUの基本合意が成立。民主党から当選した左派の大統領ジェームス・R・カーターの主導によって、アメリカと共産圏の融和が急激に進んでいた時期だったといえるでしょう。ただし、1980年の12月にソ連軍がアフガニスタンに侵攻したことから、再び米ソの緊張が高まることになります。さらにこの後すぐにアメリカのトップには、右派共和党のロナルド・レーガンが立ちます。そして、1993年に民主党のクリントン政権が誕生するまでの長きにわたり米ソの緊張状態が続くことになるのです。
 こうして考えると、この映画が撮られた時期は絶妙のタイミングだったのかもしれません。特に徹底的に反ソの姿勢を示していたレーガン政権化のアメリカでは「レッズ」を映画化することは可能だったかどうか?

<撮影準備、ロケハン開始>
 こうして、映画化の企画が動き出しますが、先ずはその撮影の前段階として世界各地を旅するロケハンが行われることになりました。歴史的なリアリティーにこだわる監督も兼任することになったウォーレン・ベイティは、1917年という時代を再現するため、撮影地の選定にかなりの時間をかけ、結局ほとんどのシーンが実際の場所とは異なる土地で撮影されることになりました。ロシア革命の場面は当然、ソ連での撮影が計画されており、一時は撮影許可がおリかけたのですが、結局、ソ連側の合意が得られずモスクワなどソ連国内の場面はすべてフィンランドのヘルシンキ周辺で撮影されることになりました。
 主人公の二人とジーン・オニールがニューヨークの喧騒を離れて生活した海辺のコテージと周りの砂丘。これは実際はコネティカット州の海岸になりますが、すでに当時の雰囲気を残す海岸もコテージも残っていなかったため、このシーンはわざわざイギリスの海岸で撮影されました。よく見ると、あの庭の草のはえ具合は有名な全英オープンが開催されるセントアンドリュースの厳しいラフを思わせなくもありません。
 中東のバクーへ機関車でキャンペーンに向かう場面やメキシコの場面は、同じように乾燥した風景が広がるスペインで撮られており、わずかに実際の場所と一致しているのはアメリカ国内の歴史的建造物を背景にした場面ぐらいだったようです。CGというものがなかった当時、こうしたロケハンは映画にリアリティーを与えるために重要なウエイトを占めていたといえます。

<撮影準備、証言映像の撮影>
 もうひとつ、映画の撮影開始前に行われていたことがあります。それはこの映画のリアリティーを高めるために挿入されることになった当時の知る人々によるインタビュー・シーンの撮影です。新聞広告などで集められた主人公を知る人々がスタジオに呼ばれ、ウォーレン・ベイティの質問に答えるかたちで撮影が行われました。このインタビューは映画に大きな影響を与えました。ひとつには、監督が上手く引き出した証言者の言葉によって、当時の時代状況が完結に説明されることになり、余計なナレーションや台詞を入れる必要がなくなったことが挙げられます。さらに証言者の中には有名な作家のヘンリー・ミラーなどもいるのですが、彼ら証言者たちの名前はあえて伏せられています。そして、真っ黒な背景によって映し出された彼らの存在は、黒子のような役割を演じ、ドラマに溶け込みながらもそのリアリティーを客観的に支えるという微妙な役割を果たしました。それぞれの証言者の顔に刻まれた深いしわが言葉以上に激しい時代の流れを語っています。なお、この場面の撮影も、この映画のカメラマン、ヴィットリオ・ストラーロが担当しているので画面転換による違和感などもありません。
 このインタビュー以外にも多用されている黒い背景を重視した撮影は、インタビュー場面との自然な統一感を生み出すと同時に、それぞれの俳優たちの演技を際立たせ、画面に絵画のような重厚な雰囲気を与えることにもなりました。アカデミー撮影賞は当然の結果だったかもしれません。
 当初、この映画は監督の指示により移動撮影は禁止されていました。そのため、カメラマンとしての自由を奪われたと感じたストラーロは、この現場を降りようかとも考えたといいます。しかし、監督の指示どうりに撮影を行っているうちに、しだいに固定撮影による画面は逆に奥の深い画面作りが可能であると気づいた彼は、絵画のように美しい画面作りの魅力にはまっていったといいます。ところが、撮影の終了まであと5日という段階になって、突然彼は映画の撮影からはずされてしまいます。実はイタリア出身で職人気質の彼はカメラマンの組合に入っていませんでした。そのため、組合からの圧力によって最後の最後になってカメラを除くことを禁止されてしまったのです。労働者たちの経営陣との戦いから始まったロシア革命の映画を撮っていたカメラマンが組合からの圧力によって、撮影から降ろされるとは、なんとも皮肉なことです。

<ウォーレン・ベイティ>
 この映画は監督であるウォーレン・ベイティの生き方とも大きく関わっています。元々彼は「俺たちに明日はない」を製作した時点で、すでに高い政治意識をもっていましたが、政治と芸術をいかに両立させるべきか悩み続けていました。そうした悩みはルポ・ライターとして活動していながら政治活動家へと転進せざるを得なかったこの映画の主人公ジョン・リードの人生と近いものがあります。実際、ベイティはこの映画を撮って以降、政治的な活動に、より積極的に関わるようになり21世紀には民主党からカリフォルニア州知事として立つのでは?という噂もあるほどです。それともうひとつハリウッドNo1のプレイボーイといわれていたベイティと、自由恋愛を主張し多くの女性たちと関係をもったといわれるリードの行き方もまた共通するものでした。
 映画でも、リードは同じように自由恋愛を支持するルイーズ・ブライアントと結婚するものの、取材旅行や講演旅行の際には各地の女性たちと交際があったといわれています。そのためか、二人の間には結局子供ができないままでした。
 病院でのラスト・シーンで子供が彼女に床に落ちたコップを拾って渡すシーンがあります。コップの落下はリードの死を暗示し、その子は天使を表わしていたのでしょう。ベイティは映画の中に子供がまったく出てこなかったことに気づき、ここで最後に子供を登場させたそうです。彼自身にも当時子供はひとりもいませんでしたが、その後、女優のアネット・ベニングと結婚して以降、ぴったり浮気話は消え、4人の子供の父親として真面目に勤めているということです。

<豪華な俳優たち>
 この映画のもうひとつの見所は、俳優たちの演技でしょう。女性活動家エマ・ゴールドマンを演じたモーリス・ステイプルトンはこの映画で見事にアカデミー助演女優賞を受賞していますが、他にも豪華な俳優が出演しています。1936年にノーベル文学賞を受賞することになるアメリカを代表する戯曲作家ユージン・オニールを演じるのはジャック・ニコルソン。いつもの彼とは違い、理性的な役どころを演じていて、ファンにはちょっと物足りないかもしれませんが、後に「恋愛適齢期」で共演する相性ばっちりのダイアン・キートンとのやり取りは、やはり見ごたえがあります。ちなみに、ユージン・オニールの娘の一人ウーナは後にチャールズ・チャップリンと結婚。女優として活躍することになるジェラルディン・チャップリンを産むことになります。
 作家であり、俳優でもあるイエールジ・コジンスキー演じるロシア革命期の政治家ジノヴィエフも印象的な役どころです。当時はレーニンの右腕として活躍していた彼も、レーニンの死後、スターリンの独裁体制が始まるとトロッキーとともに粛清の対象となり、1936年反革命分子として処刑されてしまいます。
 イタリア系アメリカ人として、リードのライバルとなった政治活動家ルイス・フレイナを演じたのは、ポール・ソルヴィーノです。(彼の娘ミラ・ソルヴィーノは超美人女優として活躍中です)
 それと当時、病気療養中で歩くことも大変だったというジーン・ハックマンも、「俺たちに明日はない」からの付き合いもあり、この映画に出演しています。

<デイヴ・グルーシン>
 この音楽を担当したジャズ・ミュージシャンでもあるデイヴ・グルーシン Dave Grusin にとって、この映画のような歴史大作は珍しい作品だったといえます。
 1934年6月26日コロラド州のデンバー近郊の農村に生まれた彼は音楽的に恵まれた環境で育ったわけではありませんでした。しかし、コロラド州立大学のピアノ科に入学した彼はジャズに興味をもつようになり、1959年ニューヨークのマンハッタン音楽学校に入学。この頃、アンディ・ウィリアムスと知り合い、彼のオーケストラのピアニストとなります。その後、ロサンゼルスでメル・トーメやペギー・リーのアレンジをしたり、ユニヴァーサル・スタジオでテレビ番組の音楽を作曲、1966年いよいよ映画音楽を書き始めます。そして、ブロードウェイ・ミュージカル「Let It Wright」の作曲を担当していた時に知り合った演出家マイク・ニコズルの監督作品「卒業」(1967年)の音楽で一躍その名を世界中に知られることになりました。ただし、彼の場合、ジャズ・ミュージシャンとしての活動もあり、映画音楽の仕事は数的には少ない。その他の作品としては、「愛すれど心さびしく」(1968年)、「ミネソタ大強盗団」(1972年)、「天国から来たチャンピオン」(1978年)、「チャンプ」(1979年)、「トッツィー」(1982年)、「ミラグロ 奇蹟の地」(1988年この作品で彼はアカデミー作曲賞受賞しています)、「恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」(1989年)、「虚栄のかがり火」(1991年)など。

<ジャク・リード>
 この映画の主人公ジャク・リード Jaohn"Jack"Silas Reedは、1882年10月22日にオレゴン州のポートランドで生まれました。新聞記者としてアメリカ各地の労働運動を取材し、その後メキシコ革命のルポルタージュを書いてその名を知られるようになりました。
 1917年ロシアで起きた革命を取材するためにロシアに渡った彼は、そこでのルポを「世界を揺るがした十日間 Ten Days That Shook the World」として発表。ロシア革命という20世紀最大の事件の一つを客観的な視点でとらえた貴重なドキュメントとして大ベストセラーとなりました。
 彼が亡くなったのは、1920年10月19日、まだスターリンによる独裁体制が始まる前でした。もちろん、赤の広場のクレムリン壁に埋葬されているアメリカ人は彼一人だけです。でも、もし彼がもう少し長生きしていたら・・・たぶん彼はロシアを追放されていたか、シベリアに送られていたか、人知れず処刑されていたか、どちらにしても不幸な状況が待ち受けていたことでしょう。彼の生きている間は、少なくともまだソ連では討議による政策決定が行われていました。しかし、1924年にレーニンが亡くなり、翌年にトロツキーが失脚して以降、スターリン政権の時代が始まると、彼に対する反対者への粛清、暴走を止められる者はいなくなり、帝政時代よりも危険な独裁体制の時代が始まることになります。そのことを彼は知らずにすんで幸福だったのかもしれません。

<ロシア革命の始まり>
 ロシア革命のきっかけは、1917年3月8日「国際婦人デー」に主婦たちが「パンをよこせ!」とデモを行ったことでした。続いて、ロシア経済の中心だった軍需工場でストライキが起きます。ストの原因は、第一次世界大戦でドイツに負け続けたロシアの指導者たちに対する批判でした。これはある意味、ふがいない国の指導者たちに対する経済界からの批判であり、経営側の主導するデモでもありました。経済界、一般大衆、両方からの批判に対しニコライ2世は退位を決意しますが、彼の後を継ぐ者がなく、ロシアの体制はあっさりと共和制へと移行することになってしまいます。
 そこへ、スイスに亡命していた社会主義者たちの指導者レーニンが戻ると、保守派であるはずのロシア軍隊内でも分裂が起き始めます。こうして、レーニン率いる左派ボルシェビキによる武装蜂起が成功することになります。それは本当に革命の指導者たちにとっても驚くほどの急激な変化でした。実は、この年レーニンは「自分が生きている間に革命は成功しないだろう」そう言っていたといいます。
 ところが、「パンよこせ!」というシュプレヒコールから始まった時代の変化は、主婦、労働者、軍人、経営者、芸術家、政治家、貴族たちを次々と巻き込んでドミノ倒しのように一気に世の中を変えてしまったのです。こうした急激な変革は、1989年に起きた「ベルリンの壁」が崩壊した事件とも共通しています。時代の変化とは、長い長い歴史の積み重ねの後、ほんのわずかの期間で爆発に変化するものなのかもしれません。
 こうした歴史変革の瞬間を自分の目で見てみたい・・・・・そんな願いをかなえることもまた、映画の役割の一つです。「インターナショナル」の大合唱をバックに映し出されるロシア革命の映像は、かつて社会主義という思想がいかに輝いていたのかを改めて我々に感じさせてくれます。

「レッズ REDS」 1981年公開
(監)(製)(脚)ウォーレン・ベイティ
(製総)サイモン・レルフ
(脚)トレバー・グリフィス
(撮)ヴィットリオ・ストラーロ
(音)スティーブン・ソンドハイム、デイヴ・グルーシン
(出)ウォーレン・ベイティ、ダイアン・キートン、ジャク・ニコルソン、イエジー・コジンスキー、ポール・ソルヴィーノ、モーリン・ステイプルトン、ジーン・ハックマン、R・G・アームストロング

<あらすじ>
 新進気鋭の記者ジャック・リード(ウォーレン・ベイティ)はアメリカ各地の労働運動を取材。その途中で当時としては珍しい自由主義者の女性ルイーズ・ブライアント(ダイアン・キートン)と出会いました。思想的にも共鳴した二人は、すぐに恋に落ち、夫とも別れたルイーズは自らも記者として自立するため、リードとともにニューヨークに移り住みます。
 その後、二人はユージン・オニール(ジャック・ニコルソン)の住む海辺のコテージの近くに移住し、そこで生活を開始しますが、取材や講演で忙しいリードは家を離れて戻らず、その間にオニールと彼女は恋に落ちてしまいます。
 それでもリードが戻ると彼女は再び彼の元に戻りますが、彼と一緒では自分がいつまでも一人立ちできないと感じた彼女は一人ニューヨークへと向かいます。ちょうどその頃、ロシアで革命が起きたという衝撃的なニュースが飛び込んできました。そこで彼は急遽ロシアに行き取材をする決意を固めます。彼はルイーズにも同行を求め、彼女は仕事のパートナーとして同行することに同意しました。こうして、二人はロシア革命直後のロシアで革命の熱気を取材し、その情報をアメリカに伝えました。帰国後にリードが発表したルポ「世界を揺るがした十日間」はベストセラーとなり、一躍彼は時の人となります。アメリカでもロシア革命の影響で社会主義の勢いが増し、革命を目指した新しい党(共産党)を結成する動きが盛り上がります。そのため、従来の路線を歩もうとする保守派勢力との間で対立が起き、ついに党は分裂してしまいます。
 その高い知名度から左派の中心メンバーとなったリードは、党の公認をロシア共産党から受けるため、再びロシアへと向かうことになりました。芸術家であるはずの彼が政治家になるのは道を誤っていると、ルイーズは止めたにも関わらず、彼はロシアへの密入国を試みます。それは彼だけがロシアの首脳陣と顔見知りで、対等に話ができるからでもありました。アメリカから密出国した彼はフィンランド経由で歩いてロシア入りし、ロシアに到着。なんとかロシアの指導者たちから党の公認を得ることに成功します。その後、彼はロシアに残り、国内各地への宣伝活動に協力するなどロシア革命政府のために活動し続けます。しかし、予定の期間を過ぎても帰らない彼の安否を心配したルイーズは自らロシアに潜入。彼を探してモスクワへと向かいます。彼女はもう一度彼に会うことができるのか?そして、二人の運命は?

<1981年の映画>
「愛と哀しみのボレロLes uns et les Autres」(監)(製)(脚)クロード・ルルーシュ(音)Francis Lai &Michel Legrand(もちろんラベルの「ボレロ」が主役)
「エクスカリバー」(監)ジョン・ブアマン、(音)トレバー・ハワード「トリスタンとイゾルデ」(ワーグナーのオペラ)より(カンヌ映画祭詩学貢献映画賞
「エンドレス・ラブ Endless Love」 (監)フランコ・ゼフェレッリ(歌)ライオネル・リッチー
「カリフォルニア・ドールズ」(監)ロバート・アルドリッチ(脚)メル・フローマン(撮)ピーター・フォーク、ヴィッキー・フレドリック、ローレン・ランドン
「カルテット」(監)ジェームス・アイボリー(主)イザベル・アジャーニ(カンヌ映画祭主演女優賞
「光年のかなた」(監)(脚)アラン・タネール(主)トレバー・ハワード(カンヌ映画祭グランプリ
「告白」(監)ウール・グロスバード(出)ロバート・デニーロ、ロバート・デュバル(ヴェネチア映画祭イタリア批評家男優賞
「黄昏 On Golden Pond」(監)マーク・ライデル(音)Jerry Goldsmith
(死を目前にしていたヘンリー・フォンダがアカデミー主演男優賞キャサリン・ヘップバーン主演女優賞
「誓い Gallipoli」(監)(原案)ピーター・ウィアー(出)メル・ギブソン(音)ブライアン・メイ、アルビノーニの「アダージョ」
「鉄の男」(監)アンジェイ・ワイダ(脚)アレクサンドル・シチボル・リルスキ(原)ギュンター・グラス(出)イエジー・ラジヴィオヴィッチ(カンヌ映画祭パルムドール受賞)
「隣の女」(監)(原)(脚)フランソワ・トリュフォー(脚)シュザンヌ・シフマン、ジャン・オーレル(出)ジェラール・ドパルデュー、ファニー・アルダン
「鉛の時代」(監)マルガレーテ・フォン・トロッタ(出)ユタ・ランペ(ヴェネチア映画祭金獅子賞
「フランス軍中尉の女」(監)カレル・ライス(原)ジョン・ファウルズ(脚)ハロルド・ピンター(出)メリル・ストリープ、ジェレミー・アイアンズ
「プリンス・オブ・シティ」(監)シドニー・ルメット(出)トリート・ウイリアムス(ヴェネチア映画祭イタリア批評家賞
「炎のランナーChariots of Fire」(監)ヒュー・ハドソン(出)ベン・クロス、イアン・チャールソン(音)ヴァンゲリス アカデミー作曲賞
アカデミー作品賞受賞のスポーツ映画の傑作、陸上競技もの映画に駄作なし、イアン・ホルムがカンヌ映画祭助演男優賞受賞)
「町いちばんの美女/ありきたりな狂気の物語」(監)マルコ・フェレーリ(原)チャールズ・ブコウスキー(出)ベン・ギャザラ
「メフィスト」(監)(脚)イシュトヴァン・サボー(脚)ベーテル・ドバイ(出)クラウス=マリア・ブラウンダウアー(カンヌ映画祭脚本賞受賞、アカデミー外国語映画賞
「ミスター・アーサーArthur」(監)スティーブ・ゴードン(音)バート・バカラック、キャロル・ベイヤー・セイガー、クリストファー・クロス、ピーター・アレン
アカデミー歌曲賞「ニューヨーク・シティー・セレナーデ」(ジョン・ギールガットがアカデミー助演男優賞
「ラグタイム Ragtime」(監)ミロシュ・フォアマン(音)Randy Newman
(ラグタイム時代の大河ドラマ、ランディー・ニューマンの音楽も素晴らしい)
「レイダース 失われたアーク Raiders of the lost Ark」(監)スティーブン・スピルバーグ(音)John Williams (インディー・ジョーンズ登場)
「レッズ Reds」(監)(製)(脚)(出)ウォーレン・ビーティ(出)ダイアン・キートン、ジャック・ニコルソン(アカデミー監督賞、モーリン・ステイプルトンが助演女優賞受賞)

「嗚呼!おんなたち 猥歌」(監)(脚)神代辰巳(脚)荒井晴彦(製)三浦朗(出)内田裕也、中村れい子
「ええじゃないか」(監)(原)(脚)今村昌平(製)小沢昭一他(脚)宮本研(音)池辺晋一郎(出)桃井かおり、泉谷しげる、草刈正雄
「駅 Station」(監)降旗康男(脚)倉本聡(撮)木村大作(音)宇崎竜童(出)高倉健、倍賞千恵子、いしだあゆみ、烏丸せつこ、根津甚八
遠雷(監)根岸吉太郎(原)立松和平(脚)荒井晴彦(撮)安藤庄平(出)永島敏行、石田えり、ジョニー大倉
「ガキ帝国」(監)井筒和幸(製)佐々木史朗、森信夫(脚)西岡琢也(出)島田紳介、松本竜介、趙方豪、紗貴めぐみ
「陽炎座」(監)鈴木清順(製)荒戸源次郎(原)泉鏡花(脚)田中陽造(撮)永塚一栄(出)松田優作、大楠道代、中村嘉津雄、加賀まりこ
「幸福」(監)市川昆(製)後藤由多加(原)エド・マクベイン(出)水谷豊、永島敏行、中原理恵、谷啓
「子どものころ戦争があった」(監)斉藤貞郎(脚)鈴木尚之(出)斉藤優一、樫山文枝(マニラ国際映画祭国際カトリック大賞
「近頃なぜかチャールストン」(監)(製)(脚)岡本喜八(脚)(出)利重剛(出)小沢栄太郎、古館ゆき
泥の河(監)小栗康平(原)宮本輝(出)田村高広、藤田弓子(子供たちがなんと生き生きしていたことか!)(モスクワ映画祭銀賞
「北斎漫画」(監)(脚)新藤兼人(製)赤司学文、中條宏行(原)矢代静一(出)緒方拳、西田敏行、田中裕子、樋口可南子

TV「将軍」で島田陽子がゴールデン・グローブ主演女優賞

ウィリアム・ワイラー(監督)死去(79歳)
ルネ・クレール(監督)死去(82歳)
五所平之助(監督)死去(79歳)
木村功(俳優)死去(58歳)
伊藤大輔(監督)死去(82歳)
河原崎長十郎(俳優)死去(78歳)
伴淳三郎(俳優)死去(73歳)

<1981年の出来事>
アフリカ難民救済国際会議
第7回主要先進7ヶ国首脳会議(オタワ・サミット)
<アメリカ>

ロナルド・レーガン大統領に就任
大統領狙撃事件発生
ニューヨーク・タイムスがエイズ問題を初めて大々的に報道
<ヨーロッパ>
ロンドンで黒人暴動発生、人種差別問題全国に拡大
フランス、ミッテラン社会党政権設立
5大企業グループ、36銀行などの国有化可決
ポーランドで戒厳令、「連帯」に対する弾圧が強まる
<アフリカ・中東>
サダト、エジプト大統領が暗殺される
イスラエル、ゴラン高原併合決議
イラン、バニサドル大統領亡命
全大統領、ASEAN訪問
<日本>
校内暴力事件が急増
行政改革推進本部発足、行政改革関連特例法設立
中国残留日本人孤児が初来日
東京で五つ子誕生

<芸術、文化、商品関連>
「真夜中の子供たち」サルマン・ラシュディ著(ブッカー賞受賞)
「視界」ライト・モリス著(全米図書賞)
「ゴーリキー・パーク」マーティン・クルーズ・スミス著(英国推理作家協会賞受賞)
アウズディン・アライアがミラノ・コレクションでボディコン・ファッション発表
黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」
田中康夫「なんとなく、クリスタル」
向田邦子、飛行機事故で死亡
<音楽関連(海外)>
イギリスのバンドがニュー・ロマンティックス系アーティストを中心にアメリカに進出
(ブリティッシュ・インベイジョンの再現と言われた)
アメリカでMTVがスタート(ミュージック・ビデオ時代の始まり)
サンプリング用機材E-mu イーミュレーター市場に登場
ホアン・アトキンス Juan Atkinsとリチャード・デイビス Richard Davisがサイボトロンを結成
(デトロイト・テクノ本格スタート)
オランダに国際ポピュラー音楽学会が設立される
<音楽関連(国内)>
貸しレコード店問題で、小売店、歌手が全国総決起大会開催
ビデオ・ディスクが販売される

<この年の音楽について>

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