孤高のアメリカン・ロックバンドの長き闘い


- REM -

<始まりは、1970年代だった>
 REMについて語るとき、どうしても押さえておかなければならない事があります。そして、そのためには、話しを1970年代にまで戻さなければなりません。その頃、イギリスでポリスのマネージャーをしていたアメリカ人のマイルス・コープランドは、パンク系の優れたアーテイストたちの作品を扱おうとしない保守的なメジャー・レーベルのやり方に業を煮やし、自らイリーガル・レコードという会社を興しました。(マイルス・コープランドは、ポリスのドラマー、パーカッションの天才、スティーブ・コープランドの兄)この動きは、イギリスでのパンクの盛り上がりとともに成功をおさめます。しかし、彼の母国アメリカでは、パンクの火は燃え広がらずに終わり、業界にも大きな変化は起きませんでした。(基本的に、アメリカはほとんどが田舎です。都会的なアートはニューヨーク、ロス、サンフランシスコなど限られた都市でしか受け入れられません。たとえインターネットによって地域間格差が小さくなったとしても、それは変わらないでしょう)

<IRSの設立へ>
 そこで彼は、アメリカに戻ると、メジャーのレコード会社A&Mに協力を求め、ロスアンジェルスで新たな会社を設立します。1979年に、こうしてインターナショナル・レコード・シンジケート(略称IRS)が誕生しました。初めは、A&Mの一角を借りただけのちっぽけな会社だったIRSですが、数年後には、世界にその名を知られることになります。

<IRSの目指すところ>
 IRSという企業の目的は、単純でした。自分たちの気に入った音楽を世に送り出すこと、それだけだったのです。したがって、基本的に営利は二の次でした。A&Mの協力を得ているといっても、彼らは資金の援助はいっさい受けていなかったので、会社の経営状況はかなり厳しかったはずです。しかし、彼らには音楽に対する愛情という目に見えない素晴らしい武器があり、もうひとつ強力な武器をもっていました。

<カレッジ・ラジオのネット・ワーク>
 それがカレッジ・ラジオのネットワークでした。カレッジ・ラジオとは、アメリカの各大学がもっている大学が運営する非営利のFMラジオ局のことで、そのほとんどは学生たちのボランティアによって運営されています。したがって、基本的に商業活動の影響を受けないため、自分たちの好きな曲であれば、有名無名に関わらずオン・エアすることが可能でした。

<ジェイ・ボバーグとカレッジ・ラジオ>
 IRSにおけるマイルスの共同経営者ジェイ・ボバーグは元々A&M社でカレッジ・ラジオ局の担当者でした。そのため、彼はこのラジオ・ネットワークがもつ潜在的な力をはっきりと認識していました。そこで、IRSは早くからカレッジ・ラジオと協力関係を結び、そのネッワークを通じて、無名ではあっても優れたバンドたちを掘り起こし、各地でのコンサート活動により、しだいにその知名度を上げて行くことを目指しました。この活動は、ロックの創世記から常にアーティストたちを悩ませてきた基本的な問題「芸術活動としてのロックと商業活動としてのロックとのバランスをいかにとるか?」へのひとつの挑戦とも言えるものでした。

<REMの果たした役割>
 そして、このIRSの挑戦に加わるかたちで登場し、自らも同じ課題に挑み続け、ついにアメリカNO.1のロック・バンドと言われるまでに成長したのが、REMだったのです。その意味で、REMの歴史は、単に優れたアルバムを長期間に渡り発表し続けたバンドの歴史というだけではなく、アメリカにおいて「オルタナティブ・ロック」と呼ばれる新しいロックが成長する過程そのものであったと言えるのです。

<REMの誕生>
 REMは、1980年アメリカ南部ジョージア州アトランタ近郊のアセンズで結成されています。このアセンズはジョージア州立大学がある人口5万人ほどの典型的な学園都市ですが、かつてはB-52'sなどのニューウエーブ系のバンド、最近ではオリビア・トレマー・コントロールなど、常に新しいサウンドを生みだしてきたロック先進地でもあります。この街を中心に地道なライブ活動を行っていたREMはIRSと契約し、1982年全米デビューを飾りました。彼らは、全米各地でライブ活動を繰り広げて行くうちに、いつしかカレッジ・ラジオのチャートで人気NO.1のバンドになっていました。

<バンドと故郷の街へのこだわり>
 ピーター・バック(Gui)、ビル・ベリー(Dr)、マイク・ミルズ(Bas)、マイケル・スタイプ(Vo)設立当初の4人のメンバーは、20年間変わっていません。まさに、不動のメンバーと言っていいでしょう。(残念ながら、1997年ビル・ベリーはバンドを去りました)以前メンバーの一人が癌で入院した時も、彼らはけっして代わりのメンバーを入れようとはしませんでした。そのこだわりは、故郷の街、アセンズについても同じで、彼らは全米NO.1のロック・バンドと言われるようになってもなお、アセンズの街を離れようとはしていません。

<オルタナティブ・ロックのヒーロー>
 彼らの音楽に対する姿勢や価値観、それに政治的主張は、明らかに当時のアメリカのメインストリームの動きとは、一線を画していました。(時代は超保守政権、ロナルド・レーガンの時代でした)こうして、彼らはロックにおける「もうひとつの選択肢(オルタナティブ)」を代表するバンドとして、学生層やインテリ層にカリスマ的な人気をもつバンドになって行きました。そして、「ライフス・リッチ・ページェント」「ドキュメント」などの傑作アルバムを発表した後、彼らはIRSを離れ、メジャーのワーナー・ブラザースと契約します。

<メジャー・バンドとしての苦闘の始まり>
 メジャーと契約することで、彼らは商業的成功という大きなプレッシャーとの孤独な闘いを強いられることになりました。多くのバンドは、こんな状況の中、商業的な成功のため数多くの妥協を迫られ、ロックの魂をしだいに失って行くか、プレッシャーに負け潰れて行きました(その典型的な例がニルヴァーナのヴォーカル、カート・コヴェインの自殺なのかもしれません)。
 しかし、REMはそこでも見事に自分たちのスタイルを守り通します。「モンスター」「オートマチック・フォー・ザ・ピープル」「ニュー・アドヴェンチャーズ・イン・ハイファイ」と相変わらず骨太なロック・アルバムを発表し続け、そのうえ売上もまたモンスター級を保ち続けているのです。
 カート・コヴェインの死によって、グランジ、オルタナティブ・ロックは一つの終焉をむかえました。そのうえ、90年代以降アメリカでは、アイドル系ポップスがブームとなり、チャートの上位はヒップ・ホップが占めるようになっています。そんな時代でもなお、彼らが活躍し続けられるのか、彼らにとって永遠に挑戦は続きます。しかし、多くのロック・ファンにとって、彼らほど信じられるロック・バンドはいないかも知れません。

<締めのお言葉>
「もしあなたがデザイナーになろうとするなら、そこに意義を見い出そうとするのか、金もうけをしようとするのか、はっきりと決心しなければならない」
R.バックミンスター・フラー

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