古き良きフランス映画最後の巨匠


- ルネ・クレマン Rene Clement -
<ヌーヴェルヴァーグ前最後の巨匠>
 フランスの映画界からヌーヴェルヴァーグの作品群が登場したのは、1958年の「いとこ同志」が最初と言われます。それと同じ時期にフランスの映画界で巨匠としての人気を得た監督。それがルネ・クレマンです。もし、彼があと10年早く生まれていたら、彼はもっと多くの作品を生み出し、もっと高い評価を得てフランスを代表する巨匠として有名になったいたでしょう。
 遅過ぎた巨匠は、早過ぎる引退により1970年代にその姿を消してしまい、今やそれ以前の監督たちと較べても、その名を知る人は少なくなりつつあります。フランス映画の黄金時代最後の巨匠ルネ・クレマンについてご紹介させていただきます。

<ルネ・クレマン>
 ルネ・クレマン Rene Clement は、1913年3月18日にフランス南西部ジロンド県のボルドーで生まれています。少年時代から映画が好きで、パリに出て美術学校に入学します。1931年ごろから16ミリの短編映画や35ミリのアニメーション映画などを製作し始めます。その後は、映画会社に就職し、カメラマン、助監督として働き始めます。初監督は、1936年の短編映画「左側に気をつけろ」ですが、ドイツ軍による占領下にあったフランスで映画を撮ることは非常に困難なことでした。
 1945年、第二次世界大戦が終わり、やっと彼に映画を自由に撮るチャンスが訪れます。ナチス・ドイツの占領下にあったフランスで鉄道員たちがレジスタンスとして闘う姿を描いた「鉄路の闘い」を発表した彼は、いきなりカンヌ国際映画祭でグランプリを獲得します。
 同じ年、彼はジャン・コクトーの名作「美女と野獣」に技術顧問として参加しています。
 1947年「海の牙」は、ナチス・ドイツの大物を南米へと逃亡させる任務をおった潜水艦を舞台にしたサスペンス映画。(潜水艦映画に駄作なし)
 1949年「鉄格子の彼方」は、主人公を演じたジャン・ギャバンの名作「望郷」を意識したサスペンス映画。

「禁じられた遊び Jeux interdits」 1952年
(監)(脚)ルネ・クレマン
(脚)ジャン・オーランシェ、ピエール・ホスト
(原)フランソワ・ボワイエ
(撮)ロベール・ジャイヤール
(音)ナルシソ・イエペス
(出)ブリジット・フォッセイ、ジョルジュ・ピージェリー、シャザンヌ・プールタル
 1940年、両親を爆撃によって殺され孤児になった5歳の少女ポレット。彼女は農家の少年と仲良くなり、一緒に犬の墓を作ろうと墓地から十字架を盗み出します。二人の交流は続きますが、そんな幸福な時間は長くは続きませんでした。

 単に悲惨な子供たちの生活を描くのではなく、純粋すぎる子供たちの遊びを自然な演技とリアリズムに徹した演出で撮った「静かな反戦映画」です。映画の悲劇性をイメージつけたのは、ナルシソ・イエペスのあの泣かせるメロディだったのかもしれません。この作品はフランス国内では、評価が低かったようですが、イタリアのヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞。アカデミー特別賞も獲得しました。

 1954年の「しのび逢い」は、悲劇から一転し、プレイボーイを主人公にした恋愛コメディで、主演はジェラール・フィリップ。

「居酒屋 Gervaise」 1956年
(監)ルネ・クレマン
(原)エミール・ゾラ
(脚)ジャン・オーランジェ、ピエール・ボスト
(撮)ロベール・ジュイヤール
(音)ジョルジュ・オーリック
(出)マリア・シェル、フランソワ・ペリエ、アルマン・メストラル、シュジ・トレール、マチルド・カサドシュ
 19世紀半ばのパリの裏町を舞台に洗濯屋の女房ジュルヴェーズの苦難の人生をリアルに描いたエミール・ゾラの代表作を忠実に映像化。フランス版リアリズモの傑作として評価されます。

<ヌーヴェルヴァーグの影響>
 1950年代末、フランスの映画界には新たな動きが生じていました。1959年に公開された「勝手にしやがれ」や「大人は判ってくれない」の大ヒットからヌーヴェルヴァーグの時代が始まり、ルネ・クレマンは旧体制を代表する巨匠と見られるようになってきたのです。そんな状況に対抗するように、彼は新たな作品作りに挑みます。
 彼はその作品のために、ヌーヴェルヴァーグの第一作とも言われる「いとこ同志」のクロード・シャブロルが監督した「二重の鍵」で脚本を担当したポール・ジェコブと「大人は判ってくれない」など多くのヌーヴェルヴァーグ作品の撮影を担当したアンリ・ドカエをスタッフに選びます。

「太陽がいっぱい Plein seleil」 1960年
(監)(脚)ルネ・クレマン
(原)パトリシア・ハイスミス
(脚)ポール・ジェコブ
(撮)アンリ・ドカエ
(音)ニーノ・ロータ
(出)アラン・ドロン、モーリス・ロネ、マリー・ラフォレ
 貧しいアメリカ人青年トムが、資産家の息子でヨーロッパを遊びまわる友人を誤って殺してしまいます。しかし、彼は上手くその友人になりすまし、その資産と恋人までも奪うことに成功します。スコット・フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」にサスペンスの要素を持ち込み、青春映画の新しいスタイルを生み出しました。(1999年には、アンソニー・ミンゲラ監督によりハリウッドでリメイクもされています)
 この作品により、主演のアラン・ドロンは一躍世界的な人気スターの仲間入りを果たします。そして、ニーノ・ロータのテーマ曲は永遠のスタンダードになりました。この後、ルネ・クレマンとアラン・ドロンのコンビは「生きる歓び」(1960年)、「危険がいっぱい」(1964年)を発表。さらにそこにヨーロッパ中の大物俳優たちが集結して「パリは燃えているか」(1966年)が作られました。

「パリは燃えているか Paris Brule-T-IL?」 1966年
(監)ルネ・クラマン
(原)ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエール
(脚)フランシス・フォード・コッポラ、ゴア・ヴィダル
(撮)マルセル・グリニョン
(音)モーリス・ジャール
(出)ジャン=ポール・ベルモンド、シャルル・ボワイエ、アラン・ドロン、グレン・フォード、カーク・ダグラス、ゲルト・フレーベ、オーソン・ウェルズ、レスリー・キャロン、シモーヌ・シニョレ、ジャン=ピエール・カッセル、ジョージ・チャキリス、ブルーノ・クレメル、イヴ・モンタン、アンソニー・パーキンス、ロバート・スタック
 第二次世界大戦末、パリでのレジスタンスの抵抗と連合軍によるパリ解放までの2週間を描いた戦争超大作。国境を越えて、これだけ多くの俳優が集結した作品は珍しいでしょう。脚本にはまだ無名に近い存在だったフランシス・フォード・コッポラが抜擢されています。「ゴッドファーザー」でいきなり超大作を任された彼ですが、この時すでに超大作の脚本を任されていたのでした。

サスペンス映画の快作「雨の訪問者」(1970年)は、チャールズ・ブロンソンの人気を世界的にしました。ジャン=ルイ・トランティニャンの魅力を引き出した不思議なハードボイルド「狼は天使の匂い」(1972年)など、サスペンス映画のヒット作を作り続けましたが、1976年以降、あっさりと映画界を去ります。それから20年後の1996年3月17日に82歳でこの世を去りました。

(ちなみに1984年、彼はなぜか日本映画「ヨーロッパ特急」(大原豊監督作品)にゲスト出演しています。武田鉄矢主演のB級映画がキネマ旬報社の作品だったことから出演したのでしょうか?)

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