凡庸なる男が刻んだリズムの軌跡


- リンゴ・スター Ringo Starr -

<偉大なるドラマー、リンゴ>
 リンゴ・スターは、ビートルズにおけるマスコット的存在であり、ポールとジョンの二人の天才と地味なジョージの間をつなぎ、バンドの雰囲気を盛り上げる重要なムードメーカーでした。彼についての一般的な評価はそんな感じかもしれません。しかし、彼がソロとして活躍していた時代を知る人なら、彼にはもっと音楽的に存在感があったことを感じていたはずです。
 実は、彼はビートルズの中で唯一、デビュー直前になって参加したメンバーです。それもバンドの演奏レベルを補強するための助っ人的存在でした。ジョージ・マーティンに認められデビューが決まっていたビートルズですが、EMI系パーロフォンとの契約の際、ドラムスが弱すぎると指摘され、急きょドラマーを代えることになります。そこで、ピート・ベストの代わりに入ったのが、当時リバプールの人気バンドだったロリー・ストーム&ハリケーンズのドラマー、リチャード・スターキ(リンゴ・スター)だったのです。
 2012年に発表された雑誌「レコード・コレクターズ」の創刊30周年特集「ドラマー・ベスト50」において、彼はなんと第2位にランク・インしているのです。ちなみにベスト10を見てみると、
 1位 ジョン・ボーナム(レッド・ツェッペリン
 2位 リンゴ・スター
 3位 キース・ムーン(ザ・フー
 4位 アル・ジャクスンJr(ブッカー・T&MG’sほか)
 5位 アール・パーマー(リトル・リチャードなどロックンロールの元祖)
 6位 ハル・ブレイン(エルヴィス・プレスリービーチボーイズママス&パパスサイモン&ガーファンクルフィフスディメンション・・・西海岸ポップ)
 7位 ビル・ブルーフォード(Yes
 8位 チャーリー・ワッツ(ローリング・ストーンズ)
 9位 ジンジャー・ベイカー(クリームほか)
10位 ジム・ケルトナー(ビートルズのソロ作、ライ・クーダーなど70~80年代ポップ・ロック)

 評論家が選んだ選択なので、人気で2位に選ばれたわけではありません。
「リンゴのプレイに一貫して共通するのは”歌心”。ビートルズは極めてシンプル、聴いているこちらも思わず、”口ずさみたくなる”ドラムだ。・・・」
「『カム・トゥギャザー』一曲をとってみても、イントロのフレーズ、キックとタムのみのビート、間奏とエンディングにしか出てこないシンバルの刻みなど独創性溢れるパターンの連続で、これを音楽的と言わずに何と言えばいいか。・・・」

中重雄

 リンゴ自身ドラムソロが嫌いだったために、ビートルズの曲にはドラム・ソロがなく、それが彼のドラムを目立たせなかったのかもしれません。今度、ビートルズを聴くときは、彼のドラムに聴き耳を立ててみて下さい。
 偉大なるドラマー、リンゴ・スターの歴史をその生い立ちから振り返ります。

「いいドラマーでいたいとは、いつも考えてきたが、うまいドラマーなんていわれようと思ったことはない。最初に影響を受けたのは、コジ―・コール。今はジム・ゴードンとジム・ケルトナーが好きだね。・・・」
リンゴ・スター(1971年)
(コジー・コールは、ルイ・アームストロングなどのバックでドラムを叩いたジャズ・ミュージシャンです)

<リチャード・スターキー>
 リンゴ・スター Ringo Starr の本名は、リチャード・スターキーRichard Starkey。1940年7月7日リヴァプールに生まれました。両親が3歳の時に離婚してしまたため、彼は母子家庭で育ち、貧しい生活と余儀なくされます。そのうえ、6歳の頃、盲腸炎をこじらせて腹膜炎を併発して10週間近く昏睡状態となりました。結局1年近い入院生活が続き、小学校に戻っても授業について行けなくなっていました。そのため中学に入学しても成績は上がらず、彼は完全に学校嫌いになっていました。そのうえ、13歳の時には肺炎で入院し、2年間学校に行けませんでした。結局、ほとんど学校に通えずに中学も卒業。その後は、様々な職業を転々とすることになります。
 そんな彼を救ったのは、入院中に医師から教わったドラムの演奏でした。病院内で患者たちとバンドを結成していた彼は、ドラマーとして活躍。そのことが忘れられなかった彼は祖父にお金を借りてドラムセットを購入。友人たちと作ったエディ・クレイトン・バンドでバンド活動を開始します。そして、地元の人気バンド、ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズに参加。いよいよプロのドラマーを目指す決意を固めます。「リンゴ・スター」の名前が誕生したのはちょうどこの頃でした。
 指にたくさんの指輪(リング)をはめてドラムを叩いていたこと。本名のスターキーが縮まって「スター」となり、彼のドラムソロでは「スター・タイム!」という掛け声がかったとか。
 ちなみに、椎名林檎は元々バンドでドラムを叩いていて、イギリス留学の際、イギリスで有名な「リンゴ」を使うとわかりやすいから「林檎」にしたと聴いた覚えがあったのですが、高校生の時、すでに「林檎」を使っていたとのことです。元々洋楽が好きでコピーばかりしていたらしいので、ビートルズが好きだったのは確かでしょう。

<ビートルズとの出会い>
 1961年、彼はバンドのツアーでドイツのハンブルクのクラブ、カイザーケラーに出演します。この時、彼はビートルズのメンバーと知り合い、翌年再び彼らと会った際、ブライアン・エプスタインからビートルズ入りのオファーを受けることになります。
 彼はピート・ベストに代わり、ドラムを担当することになりましたが、デビュー・アルバムの録音の際、当初はセッション・ドラマーも参加。デビュー・シングルとなった「ラブ・ミー・ドゥー」のドラムこそ、リンゴのドラムの録音が採用されたものの、B面「P・S・アイ・ラブ・ユー」では彼はマラカス担当に追いやられました。ドラマーとしてのリンゴはそこから大きく成長することになりまあすが、あくまでもビートルズにおける彼の活躍は裏方としてのものだったといえます。
 しかし、そうした状況に彼が満足していたわけではなかったのかもしれません。意外なことに、ビートルズのメンバーの中で最初にソロ・アルバムを発表したのはリンゴでした。

<リンゴのソロ・デビュー>
 1970年、リンゴは初のソロ・アルバムとしてスタンダード曲を集めたカバー・アルバム「センチメンタル・ジャーニー」を発表しました。収められていた曲は、「センチメンタル・ジャーニー」、「Night & Day」、「バイ・バイ・ブラックバード」、「スター・ダスト」、「慕情」など。録音には、ジョージ・マーティンなど12名の有名プロデューサーを起用という豪華さでした。このアルバム発表の1週間後、ポールがビートルズからの脱退を宣言しています。
 さらにこの年、ナッシュビルでカントリーの一流ミュージシャンたちとアルバム「Beaucoups of Blues」を録音。
 1971年、初のソロ・シングル「明日への願い It Don't Come Easy」を発表。ビルボードで最高位4位の大ヒットとなりました。1972年には、2作目のシングル「バック・オフ・ブーガルー」を発表。この曲も全英2位、全米9位の大ヒットになりました。
 1973年、リンゴ初のオリジナル・ソロ・アルバム「RINGO」が発表されます。このアルバムの録音には、ビートルズの3人に加え、ニッキ―・ホプキンス、ジム・ケルトナー、ビリー・プレストン、トム・スコットらのスタジオ・ミュージシャンたち、そしてゲストとして、Tレックスのマーク・ボラン、ザ・バンドのロビー・ロバートソン、レヴォン・ヘルム、リック・ダンコ、ガース・ハドソン、ドクター・ジョン、ハリー・ニルソン、マーサ・リーブスなど実に豪華なメンバーが参加。(アルバム・ジャケットにはすべてのメンバーがイラストになって登場!このアルバムには豪華なブックレットもついていて、LPならではの内容になっています)
 プロデューサーには、ニルソン、ポインターシスターズ、キャプテン・ビーフハート、アート・ガーファンクル、レオ・セイヤー、マンハッタン・トランスファーなどのアルバムをプロデュースして活躍したリチャード・ペリーがあたりました。
 このアルバムは、全英7位、全米2位の大ヒットとなり、シングルカットされた「想い出のフォトグラフ Photograph」と「You're Sixteen」(カバー)はいずれも全米ナンバー1に輝いています。
 1974年、リンゴは自らのレーベル「リング0」を設立。そこからアルバム「グッドナイト・ウィーン Goodenight Vienna」を発表。全英30位、全米8位のヒットとなりました。このアルバムからのシングル「オンリー・ユー Only You」はプラターズの名曲をカバーしていながら、リンゴならではの独特のアレンジになっていて忘れられません。(全米8位)その他「ノーノ―ソング」(全米3位)、「グッドナイト・ウィーン」(全米31位)と次々にヒットしました。
 1975年、リンゴはビートルズ時代に結婚した妻のモーリン・コックスと離婚。彼女との間に生まれた子、ザック・スターキーはその後ドラマーとして活躍します。彼がバックを勤めたり、一時的にメンバーになったバンドには、ジョニー・マー、ロジャー・ダルトリー、そしてザ・フー、オアシスなどがあります。
 1976年、リンゴはポリドールに移籍し、アルバム「リンゴズ・ロートグラビア Ringo's Rotogravure」を発表。このアルバムからのシングル「ロックは恋の特効薬」は全米28位のヒットとなりました。
 1981年、映画「おかしなおかしな石器人」で共演した元ボンドガールの人気女優バーバラ・バックと結婚。

<スランプからの脱出>
 1980年代リンゴは完全にスランプに陥ります。アルバム「バラの香り」は全米98位どまりとなり、次のアルバム「オールド・ウェイブ」にいたってはカナダと日本のみの発売で英国、アメリカでは未発売に終わります。そんな状況の中、リンゴと妻は夫婦そろってアルコール中毒を治療するプログラムに参加することになります。
 治療を終えた彼は心機一転、かつての仲間たちを集め、リンゴ・スター&ヒズ・オールスターバンドを結成します。その豪華なメンバーは、元ザ・バンドのレヴォン・ヘルムとリック・ダンコ、ドクター・ジョン、ビリー・プレストン(もう一人のビートルズ)、ジョー・ウォルシュ(元イーグルス)、ジム・ケルトナー、ニルス・ロフグレン、クラレンス・クレモンズ(ブルース・スプリングスティーンのEストリート・バンドのサックス)。彼らは全米ツアーを行い、日本にもやってきました。この時の録音はライブ・アルバム「Live From Montreux」(1992年)として発売されています。さらに1992年に彼は久々のソロ・アルバム「Time Takes Time」を発表。元エレクトリックライト・オーケストラのジェフ・リンやドン・ウォズをプロデューサーに迎え、ゲストにブライアン・ウィルソンやジェフ・バクスターが参加してこのアルバムは久々の快作となりました。

<映画俳優リンゴ>
 リンゴが映画好きになったのは、彼が絵や写真が好きだったこと、ビートルズとして自由に映画作りができたことから、もしかすると他のメンバーの才能と競合しなかったからかもしれません。ビートルズの解散以前に1967年「キャンディ Candy」に出演しています。
「キャンディ Candy」(1968年)
(監)クリスチャン・マルカン(脚)バック・ヘンリー(「卒業」、「キャッチ22」などの脚本家、「天国から来たチャンピオン」では監督)(原)テリー・サザーン(「イージー・ライダー」の原作者)
(出)エヴァ・オーリン、マーロン・ブランド、ウォルター・マッソー、リチャード・バートン、リンゴ・スター、ジェームス・コバーン、ジョージ・ヒューストン、アニタ・エクバーグ・・・
 豪華俳優陣によるエロティック・青春ラブ・コメディ

 さらに彼は1969年には「マジック・クリスチャン」にも出演しています。
「マジック・クリスチャン The Magioc Christian」(1969年)
(監)ジョセフ・マクグラス(原)(脚)テリー・サザーン(脚)ジョセフ・マクグラス、ピーター・セラーズ
(出)ピーター・セラーズ、リンゴ・スター、ラクウェル・ウェルチ、リチャード・アッテンボロー、ロマン・ポランスキー、ユル・ブリンナー、クリストファー・リー
 金を持っているが、使い切れず困っている大富豪が巻き起こすコメディ。

「盲目のガンマン Blindman」(1971年)
(監)フェルディナンド・バルディ(脚)トニー・アンソニー、ヴィンセンツォ・セラミ
(出)トニー・アンソニー、リンゴ・スター

 そして、ついに自分で映画を撮ります。主役は当時一大ブームを巻き起こしていたT-レックス。彼らのライブ映画でした。
「ボーン・トゥ・ブギー Born to Boogie」(1972年)
(監)(製)リンゴ・スター(出)マーク・ボラン、リンゴ・スター、エルトン・ジョン、T-レックス

「リスト・マニア Listomania」(1975年)
(監)(脚)ケン・ラッセル(音)リック・ウェイクマン
(出)ロジャー・ダルトリー、リンゴ・スター、パウル・ニコラス
 フランツ・リストのロック版ミュージカル・コメディー伝記映画。

<凡庸なる男の非凡なるドラム>
 リンゴ・スターとは何者だったのか?
「だが、こうして改めてペンを執ってみると、いくら頭をひねってみても、彼の魅力を一言に集約できるような言葉が、なかなか見つからないのはどうした訳だろう。しかし、ナルホド考えてみると、リンゴの生活には、ジョンの普遍的芸術性も、ポールの絶対権利の防壁も、そしてジョージに見られる追求の美学も、そのいずれのパターンも見当たらない。彼の特性を表す言葉は、いくら知恵を絞っても、挙句の果てには辞書を総動員してみても、結局は「凡庸」ただ一つなのである。」
デレク・テイラー「ミュージックライフ誌」(1969年)

 リンゴ・スターにとってのビートルズは大切な仕事の場であって、3人と主導権争いをすることも、才能の競い合いをすることもありませんでした。それだけにビートルズ解散後も、彼だけは他の3人のメンバーとの付き合いを続けていました。しかし、彼にソングライティングの才能がなかったのも現実でした。(彼のアルバムに収められた曲やヒットした曲の多くはカバー曲でした)だからこそ彼は音楽の道から映画へとそれたり、アルコール依存症に陥ったりしたのでしょう。
 彼のソロ・アルバム録音の際に多くのミュージシャンたちが参加したのは、そんなリンゴのソロ活動を心配した友人たちが集まってくれたからかもしれません。彼の才能のうちにはそんな人間的な魅力も含まれていたといえます。
 「世界の音楽史」を変えた天才たちの中で唯一「凡庸」と呼ばれた男、リンゴ・スター。しかし、彼は「凡庸な男」ではあっても「非凡なドラマー」だったことは確かなはず。そうでなければ、あのビートルズのサウンドが生まれたはずはないのですから。

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