「ザ・ロード The Road」
小説&映画

- コーマック・マッカーシー Cormac MaCarthy -

- ジョン・ヒルコート John Hillcoat -

<最終戦争の後で>
 そこは世界を巻き込む核戦争が終わった後、「核の冬」に覆われた近未来のアメリカです。人類が築き上げた文明はすべて失われ、人間としてのモラルもまた失われつつありました。この小説は、そんな人類終末の時代を舞台にした父と子の旅物語です。
 お話の基本は、SF小説の世界では昔から何度となく取り上げられてきた使い古された題材です。しかし、そんな題材に挑んだのはSF作家ではなく、アメリカを代表する作家であるコーマック・マッカーシーというところがこの作品の凄いところです。(2007年に彼はピュリッツァー賞を受賞しています)
 その作品には、SF的な新しい科学的アイデアも、衝撃的なラストも、ドラマチックな戦闘シーンもありません。廃墟と化した世界の荒れ果てた風景の中を、ただただ親子が安全な土地を目指し、南へ南へと旅を続けます。彼らは、その途中に誰かを助けたり、誰かを見捨てたり、誰かに殺されかけたりします。そして、お互いに語り合いながら、淡々と一日一日を繰り返してゆく、それだけのシンプルな物語です。
 使い古された状況と昔ながらの親子愛の物語、なのに一度読み始めると、読者は最後まで一気に読まずにはいられないはずです。あっという間に読者の心はわしづかみにされ、薄暗く肌寒い近未来の地球を親子とともに旅をすることになります。20世紀末に登場した遅咲きの作家が描き出す世界の終末。暗く救いのない物語でありながら、それは読者に生きる勇気を与えてくれます。それはなぜなのでしょうか?
 この小説はすでに映画化され公開もされています。(2009年時点ではアメリカのみ公開)しかし、僕は正直、映像化された作品はあまり見たくありません。文章として想像しながら読むぶんにはいいのですが、それを映像としてダイレクトで見るのは気が重いからです。この小説においては、けっしてわざと残虐なシーンが多かったり、怖がらせる仕掛けがあるというわけではありません。ただ終末が訪れた世界をリアルに描くとそうなってしまったということだけなのです。しかし、そこには極限状況において人間が陥りかねない恐ろしい非人間性的な行為が次々に登場します。正直ホラー映画よりも怖いです。
 しかし、それが本当に怖いのは、それがSF小説の中だから起こりうることではなく、世界各地の紛争地帯や飢餓で苦しむ地域において、現在でも起きている状況だからなのです。それは、ホラー映画として笑って見られる世界ではなく、ノーカットで放送されてしまったCNNによるアフリカや中東からの生中継が映し出す現実の怖さなのです。(スティーブン・キングが選ぶ2009年のベスト・ムービーでなんと「ザ・ロード」は3位でした!予告編も見ましたが、かなり原作に忠実にできているみたいでした。傑作なのか?)

<リアル終末世界にて>
 どこまでもリアルな極限状況の中を旅する父と子。父は息子を守るという目的のために生きており、そのためなら人も殺すし、助けを乞う人を見殺しにもする決意を固めています。彼は旅の途中、クロスロードで悪魔との契約を交わし、我が子を天使の心をもったまま生き残らせるために、自らは悪魔に魂を売ってでも生き残る道を選んだのです。
 この本のあとがきで訳者は、スーパー・マーケットのショッピング・カートを押して旅をする父と子の物語は、海外でも有名な時代劇「子連れ狼」の影響なのかもしれないと書いています。(ストーリー的にも類似するものが多いとか・・・)この映画のタイトル「ザ・ロード The Road」は、もしかすると「冥府魔道」と訳せるのかもしれません。
 生きるのが厳しい世界になるほど、人は自分のためだけには生きられなくなるものかもしれません。そして、そのこともまた今の世の中に当てはまりつつあります。子どもがいるから、がんばって行けるという人がいかに多いことか!残念なことに、子どもたちがそうやって人類に生きる力を与えていることは、あまり評価されていないように思います。「幸福な社会」とは何か?それはもしかすると、「幸福な子どもたちの人数」で計ることができるのかもしれません。

<著者の思い>
 この物語を著者が書き出したきっかけは、著者が4歳の息子を連れてテキサス州のエルパソを訪れたことでした。その街のホテルに泊まっていた彼は、窓から眺めた風景からある種の強烈なイメージを感じたといいます。
「50年、100年たった時、この街はいったいどうなっているのだろう?」
 乾燥した砂漠の中の街を眺めながら、彼は突然大きな火事によって焼き尽くされる山のイメージを思い浮かべたといいます。その時、もし自分と息子がその場にいたら・・・。
 こうして、「ザ・ロード」という近未来SFが著者自身を主人公とするドラマとして生み出されることになったのです。だからこそ、この本はその時いっしょに旅をした彼の息子に捧げられています。
 この小説はけっしてバラ色ではなく、厳しい時代となりつつある21世紀を生きることになる我が子への愛情が生み出した大人たちのためのファンタジーです。考えてみると、うちの次男がちょうど著者の子とほぼ同じ年になります。
 明るい時代とはいえない21世紀を生きなければならない我が子の寝顔を見ていて、いとおしくて泣きたくなることありませんか?
「がんばってくれよ!我が子よ」
 できれば長生きをして我が子を守ってやりたい、そう思う父親の気持ちが最近痛いほどよく理解できるようになりました。
 この小説の登場人物に名前がないことは、僕のような読者が思わず物語にのめりこんでしまうことを容易にする仕掛けかもしれません。混沌とした21世紀、世界中の誰もが、この親子と同じ立場に立つ可能性があるのです。

<コーマック・マッカーシー>
 この本の著者コーマック・マッカーシー Cormac MaCarthyは、1933年7月20日にロードアイランドに生まれています。ということは、彼の息子が4歳だった時、彼はなんと70歳だったことになります!
 テネシー大学を中退した彼は、空軍に4年間勤めた後、定職につくことなく貧困生活を続けながら小説を書き続けました。1965年に長編小説「The Orchard Keeper」を発表するものの、その後も厳しい生活が続きます。彼がやっと成功を手に入れたのは、1992年発表の「すべての美しき馬」が大ヒットしたおかげでした。もしかすると、そんな長い下積み生活のせいで孫のように小さな男の子をさずかったのかもしれません。そうだとすれば、なおのこと、その子のことが可愛くて仕方がないはずです。そして、息子が成人するまで自分が守ってやることはできないことにも気づいているはずです。
 それは自らの死が近いことに気づいたこの小説の主人公とまったく同じ立場でもあります。そして、その気持ち、僕も痛いほどよくわかります。そう考えると、この小説の中で行なわれる父と子の対話の多くもまた今の世の中にそのまま当てはまる普遍的なものであることに気づくはずです。

「またお話をしてほしいか?」
「いい」
「どうして?」
「そういうお話ってほんとうじゃないから」
「ほんとじゃなくていいんだよ。お話なんだから」
「うん。でもお話の中じゃぼくたちいろんな人を助けるけど
ほんとは助けないじゃない」


 ぐさっときますね。

「パパの話はほんとのことっぽくないな。うん」
彼は少年をじっと見た。
「ほんとのことはそんなにひどいか?」
「パパはどう思ってるわけ?」
「まあそれでもお前とパパは生きているからな。ひどいことがたくさん起きたけどこうして生きている」
「うん」
「それをすごいことだとは思わないんだ」
「別にまあまあだよ」


 21世紀を生きる子供たちを守ってやりたい。たとえ、自分の人生があとわずかでも・・・・・そう思わずにはいられません。

「パパと一緒にいたいよ」
「それは無理だ」
「お願いだから」
「駄目だ。お前は火を運ばなくてちゃいけない」
「どうやったらいいかわからないよ」
「いやわかるはずだ」
「ほんとにあるの?その火って?」
「あるんだ」
「どこにあるの?どこにあるのかぼく知らないよ」
「いや知ってる。それはお前の中にある」


 不況により仕事を失う人が増え続ける今、貧困状態にあってもなお、子供たちにはそんな苦しい思いを感じさせたくない。そう思いながら必死で働くお父さんにとって、この小説はけっして別世界の物語ではありません。
 人生とは、「ザ・ロード」よりはましであっても、基本的には同じサバイバルの物語です。それぞれの人にとって、そんな厳しい世界の中でどれだけ人を愛し、信じることができるか、それがそれぞれの人生を幸福なものにできるかどうかの鍵になるのです。厳しい状況とはいえ、この本の父と子に比べたら、まだまだ我々には未来があります。子供たちのために、なんとか明るい未来、幸福な未来をみせてやろうじゃありませんか!

「ザ・ロード The Road」 2006年
(著)コーマック・マッカーシー Cormac MaCarthy
(訳)黒原敏行
早川書房

<追記>
映画「ザ・ロード The Road」 2009年
(監)ジョン・ヒルコート
(製)ニック・ウェクスラー、ポーラ・メイ・シュワルツ、スティーブ・シュワルツ
(原)コーマック・マッカーシー
(脚)ジョー・ペンホール
(撮)ハビエル・アギーレサロベ
(衣)マーゴット・ウィルソン
(音)ニック・ケイヴ、ウォーレン・エリス
(出)ヴィゴ・モーテンセン、コディ・スミット=マクフィー、シャーリーズ・セロン、ロバート・デュバル、ガイ・ピアース

 これだけ強烈なインパクトをもつ小説を映画化するのは、かなり厳しい挑戦だったはず。それも112分というわりと短い映画に仕上げるのも大変だったでしょう。(どちらにしても長いと見る方も大変ですが・・・)しかし、出来上がった映画は、予想以上の名作でした。初めからヒットはない、と気楽に作れたかも?
 この作品は公開当時、日本では未公開でした。その後、DVDが出たのを知ったのですが、面白くないから日本ではお蔵入りになったのかと思っていました。まして、原作への思い入れがあっただけに、2017年まで観ていませんでした。でもその判断間違っていました。すみません。もっと早く見るべきでした。

 この映画の監督は、オーストラリア人のジョン・ヒルコート。その名前をまったく聞いたことがなかったのも見なかった理由のひとつでした。この人は元々ドキュメンタリー映画畑出身で、そのうえオーストラリア人監督だったので、日本では全く無名の存在でした。(思えば、同じように世界が崩壊した世界を舞台にした映画「マッドマックス」の監督もオーストラリアのジョージ・ミラーでした)
 現実を切り取るだけでなく、いかにそれを本物に見せるか。(本物なら本物に見えるかというと、けっしてそうではありません)そこにこだわるのがドキュメンタリー映画作家の大切な仕事です。そして、そうしたこだわりの精神が、この映画に怖いほどのリアリティをもたらす要因だったようです。
 そして、もう一人、この映画独特の灰色の世界観を生み出したのが、カメラマンのハビエル・アギーレサロベでしょう。ほとんとモノクロ(モノハイ)の世界を画面の中に作り上げ、数多くの終末SF映画の中でも最もダークな映像美に仕上げたは、ハリウッドの撮影監督では絶対に無理だったはずです。彼は、アレハンドロ・アメナーバル「海を飛ぶ夢」、ビクトル・エリセ「マルメロの陽光」、ペドロ・アルモドバルの「トーク・トゥー・ハー」、ウディ・アレンの「恋するバルセロナ」など、スペイン人監督の名作やスペインを舞台にした名作の原動力となった最高のカメラマンです。
 それ以外も、衣装やセットなど、総合的に終末世界の「絵」を生み出したスタッフの力によって、見事に究極の「終末世界SF」が生み出されました。
 それともうひとつこの映画に感動できるかどうかの決め手は、やはり主人公である父親の気持ちになれるかどうかにありそうです。男の子がいる父親としては、この映画のギリギリの選択がかなり心に重くきました。(3・11の地震直後だともっと心に響いたでしょう)自分だったらどうする?そんな機会を与えてくれるのもまた「SF」の重要な役割です。
 救いのなさではこの映画に匹敵する作品「ミスト」の原作者でもある作家のスティーヴン・キングが、この映画を「2009年の最高傑作と絶賛」したのもうなずけます。
 「善き人」と「悪い人」の区別は、単純すぎないか?人肉食をその基準にしちゃっていいのか?という疑問もないあけではありません。
 ただし、そうした倫理・価値観の問題は、あくまでも人それぞれ。映画の仕事は、観客を画面の中の世界に引きずり込むことです。それが見事にできていれば、怖かろうが、暗くなろうが、悲しかろうがよいのだと僕は思っています。2時間弱、その世界を生きた観客が、笑ったり、悲しんだり、怖がったりできることこそが重要なのです。そして、最後に少しでも気持ちを前向きにできれば・・・それでOKなのです。
 

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