- ロバート・ジョンソン Robert Johnson -

2002年9月22日追記

<すべてはクロスロードから始まった>
 それはミシシッピー州南部デルタ地帯のどこかだったに違いありません。乾ききった田舎道が交差する信号もないクロスロード。そこから、ブルースの長い長い旅が始まりました。
 その旅は、まるでミシシッピー川を北上して行くように、北へ北へと向かい大都会シカゴへと到ります。そして、シカゴから東海岸へと向かい、ニューヨークにたどり着き、ついにはアメリカ大陸を離れてイギリスへ、そして世界各地へと向かったのです。
 かつて、そのクロスロードに立ち、一人ブルースの旅を始めた男がいました。もちろん、それ以前にも、優れたブルースの歌い手は数多く存在しました。チャーリー・パットンサン・ハウスウィリー・ブラウンなどデルタ・ブルース伝説の男たちです。しかし、彼らは皆自分たちの故郷、ミシシッピーのデルタ地帯からめったに出ることはありませんでした。それに比べ、その男はあまりにも根無し草であったため、ためらうことなく故郷を捨てたのです。そして、ギター一本を肩にかついで、シカゴやニューヨークまで足をのばしました。それが、ブルースの未来を切り開く重要な旅になろうとは、もちろん彼にはわかりませんでした。その男が、「キング・オブ・デルタ・ブルース」、ロバート・ジョンソンでした。

<クロスロードに立ち続けた男>
 ロバート・ジョンソンは、常にクロスロードに立つ、ぎりぎりの生き方をしていました。彼には、家もなく、妻もなく、子もありませんでした。それどころか、妻と子を出産時の事故で同時に失うという悲劇を味わっていました。そのうえ、彼は母親の不倫によって産まれた子であったため、父親のことを何も知りませんでした。彼は失うものを最初から持っていなかったのです。
 だからこそ彼は自由でした。ジューク・ジョイントと呼ばれる安酒場で歌いながら、旅を続け、街一番のブスを見つけては、彼女の家に居候、酒場では、誰彼かまわず女に手を出し、ついには、その女の旦那や彼氏ともめ事を起こし、ついには街を逃げ出す羽目になりました。そして、再びクロスロードにギターをかついで現れ、次の旅へと出発する。その繰り返しが彼の人生でした。

<悪魔の顔と天使の顔>
 彼の女好き、酒好きは有名ですが、彼ほど内気なブルース・マンはいなかったとも言われています。実際、レコーディングの際、彼は録音技術者の顔を見るのが恥ずかしく壁に向かって吹き込みを行ったといいます。そんな恥ずかしがり屋のロバートでしたが、酒場に入って、酒を2,3杯飲むとその臆病風はどこかへ吹き飛んでしまったようです。

今朝早く、お前がドアを叩いた時に、
俺は言った、「やあ悪魔、出かける時間だね」
俺と悪魔は並んで歩いた…
                 ロバート・ジョンソン "Me And The Devil Blues"三井徹訳
彼は精神的にも、常に「聖と俗」のクロスロードに立っていたのかもしれません。

<偉大なるルーツ・サウンド、ブルース>
 そして、彼が生みだしたブルースの数々もまた、ポピュラー音楽の歴史におけるクロスロードに位置していました。あらゆるポピュラー音楽は、アメリカの黒人音楽の影響を受けており、そのルーツこそ、彼が全米に広めたデルタ・ブルースにあります。
 ロバート・ジョンソンは、このデルタ・ブルースをシカゴやニューヨークなどの大都会へ、旅をしながら運んだだけでなく、レコードを吹き込むことによっても、全米各地にブルースを広める役目を果たしたと言えるでしょう。

<ブルースの百科事典>
 もちろん彼は、単なるブルースの運び屋だったわけではありません。ギターとともに旅をしながら、全国各地のミュージシャンのテクニックや曲のアイデアを盗み取り、それを自分のものにしていったのです。なにせ彼は、酒場で誰かと話しをしながらでも、その時舞台で演奏されていた曲を完璧に覚えることができたというのです。こうして、彼はいつしかブルースの百科事典のような男になっていました。だから、彼が長い旅から帰った時、彼の先輩たちであるチャーリー・パットンやウィリー・ブラウンは、その上達ぶりに驚き、それがあの「悪魔との契約伝説」の原因になったとも言われているのです。

<悪魔との契約と実行の日>
 彼が最高のブルース・マンになるために、悪魔に自分の魂を売り渡す契約をした場所もまた、クロス・ロードだったと言われています。彼は、その才能と引き替えに、自分の寿命を8年縮めたという伝説が残っています。しかし、その契約が実行されたのは、意外に早かった。1938年わずか27歳の若さだったのです。
 ある夜、彼はいつものように、演奏の合間に酒場で女性に迫っていました。しかし、あろうことかその女性はその店の主人の妻でした。その様子を見て怒った店の主人は、彼に毒入りのウィスキーを飲ませ、彼はその場に倒れ込み動けなくなりました。しかし、それでも彼は、その毒では死ななかったらしく、数日間寝込んだ後、肺炎にかかって死んだらしいのです。もしかすると、悪魔が彼を数日間生かしてくれたのかもしれません。契約を果たすために。

<締めのお言葉>
at the crossroads 「異なった行動方針のどれかを選ばなければならない地点」

[参考資料]
「ロバート・ジョンソン/ザ・コンプリート・レコーディングス」ライナー・ノーツより 
スティーブン・ラヴィア著
「ロック伝説(上)」 ティモシー・ホワイト著(音楽之友社)

<追記>
<映画「オー・ブラザー」>2002年9月22日
 コーエン兄弟の映画「オー・ブラザー」にロバート・ジョンソンならぬトミー・ジョンソンなる人物が出てきます。主人公たちは彼と交差点で出会い、彼の演奏のおかげで「ずぶ濡れボーイズ」として、カントリー界の人気者になって行きます。魂を白人の悪魔に売ったというその黒人青年は帽子まで、ロバート・ジョンソンの写真のものとそっくりです!
 この映画は、実に見事なストーリーでアメリカの大恐慌時代を勉強させてくれるだけでなく、カントリー、ブルース、そしてその元となった黒人霊歌やハラー・ソング(労働歌)のリアルな姿をも再現してくれています。アメリカでは、このサントラ・アルバムが大ヒットしたそうですが、確かに素晴らしい曲ばかりです。(残念ながら、アメリカの保守化傾向のおかげという面もあるのでしょうが・・)絶対にお薦めの作品です!

「ジョンソンのことで忘れてはならないのは、彼がレコードを通してブルースを学んだ、最初の世代の歌手だということである。それまではブルースを学ぶためには、直接に場末の酒場や飯場を廻り、直接に歌手のもとを訪れなければならなかった。だがSPの出現は状況を変えた。この事実はジョンソンの曲風を、彼以前の歌手から少し違うものにしている。彼は出自であるデルタのスタイルを踏襲すると同時にテキサスやフロリダといった、いわば異なった流派のスタイルをも踏まえることができた。・・・」
四方田犬彦(著)「音楽のアマチュア」より

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