レジェンド・ミュージシャンたち
Legend Musicians



ここでは、情報不足によりまだページは作っていないものの、20世紀のポップミュージック界におけるレジェンドともいえる存在を取上げます。
物足りない内容かもしれませんが、とりあえず、忘れないようにここで取り上げておきます。

 MC5
 MC5は、デトロイトのロック・バンドで、イギー・ポップが在籍していたストゥージズとともにパンクの原点として語られる伝説的存在です。ストゥージズが暴力的、退廃的な音楽だったのに対し、MC5は超左翼的、革命的、前衛的なバンドで、60年代末の政治運動に最も深く関わっていたバンドでもありました。もちろん、MC5は彼女にとって憧れの存在のひとつでした。
 MC5はデトロイトの中学に通っていたウエイン・クレイマーが友人たちとともに作ったバンドがもとになっています。全員がデトロイトに集中していた自動車産業に関わる労働者の子供で、当時のベトナム反戦運動や公民権運動と呼応しながら過激な政治主張とガレージ・ロック、そして前衛的音楽の要素を融合させた独自のサウンドを生み出しました。
 1965年に完成したバンドのメンバーは、ロブ・タイナー(Vo)、ウエイン・クレイマー(Gui)、フレッド・スミス(R Gui)、マイケル・デイヴィス(Bass)、ダニー・トンプソン(Dr)
 1967年に音楽評論家でありラジオ番組のプロデューサーだったジョン・シンクレアが彼らのマネージャーとなります。過激な左翼思想家でもあったシンクレアの影響もあり、彼らのサウンドはより影響力をもつようになります。
 エレクトラの契約した彼らは、1969年満を持してアルバム「Kick Out The Jams」で全米デビューを飾ります。今や名盤として名高いデビュー作ですが、歌詞の過激さについて発売元のエレクトラともめることになり、彼らはすぐにアトランティックに移籍します。その後、アルバム「バック・イン・ザUSA」(1970年)、「ハイ・タイム」(1971年)を発表します。しかし、その時点ですでに60年代の「暑い時代」は終わりをつげており、70年代の「しらけた時代」が始まっていました。ロックもそれにならうかのように「優しい時代」を迎え、彼らの過激なアジテーションは時代の中ですっかり浮き上がってしまいました。
 政治的主張が激しかったぶん、人気を失った彼らへの風当たりは強く、どのレーベルも彼らを相手にしなくなります。こうして、彼らは1972年あっさりと解散してしまいました。こうして、活動期間が短かったことが彼らの存在を伝説化しているのかもしれません。
 バンドの解散後、ギタリストのフレッド・スミスは、パンクの女王として活躍していたパティ・スミスと結婚し、彼女の作品に大きく関わることになります。

「・・・あらゆるライブバンドに打ち勝つことを目指したMC5は、ヒッピーが嫌いだったという。音響的な拡大を機材面でも行っていた彼らは、政治的集会にもよく出演し、サン・ラーやアーチー・シェップ、ファラオ・サンダース、ファンカデリックなどとも対バンしていた。
 そうした場数を踏むことで自分たちのステージをよりハイ・エナギーなものにしていったことは、ジョン・シングルトンによってまとめられている数々のライブ集によって、より濃厚に知ることができるようになった。ヴォーカルのロブ・タイナーはジェームス・ブラウンがフリー・ジャズをやったらどうなるか、ということを実演してみせていたのではないか。」 

湯浅学「音楽が降ってくる」より
沢田研二
「何十というグループ・サウンズのソロ歌手の中で、沢田研二の魅力は群をぬいていた。華やかさだけではなく、艶やかさもあり、危険をはらんだ毒性もあった。少女たちは花を見、はるか年長のプロの男たちは、毒を感じて評価していた」
阿久悠「夢を食った男たち」より
「マッチョな男らしさをよしとしてきたこの国で、沢田研二は、ジャニーズにはるか先行した男の魅力を書き替えた画期的なアイドルであった。同時にそれは女たちが自己主張を始めたこと、消費者としてマーケットの主導権を握りつつあったことを意味していた」
島崎今日子「安井かずみがいた時代」より
ディック・ミネ
 ディック・ミネの呼吸法は鼻と口以外の穴も使っているように思える。クネッとひねった腰や揺れる股間にも鼻と口と目があるような自在ぶりは、英語の語尾を柔軟にしなだらせたり巻き取ったりと爬虫類の長い舌を思わせる。男の色気、歌とセクシャリティが一体化することを本人は特別なことだと思っている節の一切ない声。ディック・ミネはジャズ、ハワイアン、哀愁ある歌謡曲と人気歌手のありようの常として幅広く歌い、多くの尊敬を集めたが、ディック・ミネ的歌手は実は日本にはその後ほとんどいない。セクシャリティを強調したり、ジャズを達者にこなす男はいても、総合的な特異性と高い技術が天然で結びつくことは稀だということだろう。
湯浅学「音楽が降ってくる」より
布谷文夫
1947年1月25日函館市生まれ。1965年に上京し、専修大学在学中に東京R&Bファイブに参加。TV東京の勝ち抜きバンド番組「R&B天国」でチャンピオンに選ばれます。しかし、1968年にギタリストが洪栄龍(乱魔堂、スラッピー・ジョーなど)から竹田和夫(当時16才)に代わるとブルース・ロック・バンドとなり、1969年バンド名をブルース・クリエーションに変更。
1969年7月デビュー・アルバム「ブルース・クリエーション」を発表。しかし、ヴォーカルの布谷は、1969年「イージー・ライダー」で有名なステッペン・ウルフの「ワイルドで行こう」に衝撃を受け、ブルースからロックへと転向するため、バンドを脱退。ハードロック・バンドDEWを結成します。正式なスタジオ・アルバムは残していないが、1971年8月の全日本フォークジャンボリーに出演し、オリジナルの日本語ロックとしてライブを行った。
 DEWは1971年秋に解散し、布谷は1972年からソロ活動に入ります。同年ビクターから「からのベッドのブルース」でデビュー。バックのメンバーは、元DEWの田村、ドラムは松本隆、ピアノは矢野誠、ベースが細野晴臣でした。1972年、大瀧詠一のデビュー・アルバムにゲスト参加。1973年には大滝詠一(多羅尾伴内)プロデュース「悲しき夏バテ」発表。バックのメンバーはココナッツ・バンク、松任谷正隆、矢野誠、駒沢裕城などでした。その後も彼は大滝と組み、「ナイアガラ音頭」、「レッツ・オンド・アゲイン」などの名作を生み出しました。
2012年1月15日脳内出血で死去。
裸のラリーズ
1967年、京都で結成。
オリジナル・メンバーによる唯一の録音は、アルバム「67-69 STUDIO et LIVE」の中の「スモーキング・シガレット・ブルース」(1968年)とされています。
1968年、京都のアングラ劇団「現代劇場」とコラボレーション。ストロボライトやミラーボールを用いたサイケデリックなライブを展開。
 ノイジーで爆音なギター・サウンドで観客を圧倒し、他にないフリーフォームなライブバンドとして、知名度は低いものの長く活躍を続け「生きる伝説」となってゆきました。

 楽器を初めて手にした大音量を我が物にしたとき、その出発点は決して忘却されない。むしろ裸のラリーズはその”初めて感触”をひたすら増強してみせた。”初めて”の増殖行為を音楽にし続けたといいかえることもできよう。
湯浅学「音楽が降りてくる」より

 この時期のメンバーは、水谷孝のギター、加藤タカシのドラムス、多田タカシのベースの3人編成。
1970年、解散しますが、水谷は久保田誠と活動を再開。牧野をメンバーに加えて、裸のラリーズを再結成。
メンバーには、山口富士夫、チャー坊、青木真一、恒田義見などが参加していますが、久保田誠の夕焼け楽団がバックを務めることもあったようです。
1972年、吉祥寺を中心に活動し、その後もメンバーを少しずつ変えながら活動。
1976年、水谷、中村タケシ、三巻敏郎や「頭脳警察」のヒロらが参加。「’77LIVE」は、1977年3月13日のライブ録音盤です。
1993年から5年の空白期間の後、1997年に活動再会。
ピーター
 ピーターは本名を池畑慎之介といい、1952年8月8日大阪のミナミ宗右衛門町のど真ん中で生まれました。大阪の地唄舞、吉村流家元の吉村雄輝が父親の名門家系の出だったといえます。一時期、両親が離婚していたため、彼は母親の故郷である鹿児島で少年時代を過ごしました。高校入学と同時に東京に出ると、ゴーゴークラブの常連となります。
 少年時代から化粧をして日本舞踊の舞台に立っていたため女装することに違和感がなかった彼は、女装のゴーゴーダンサーとして「女装の美少年ピーター」と呼ばれるようになりました。「ピーター」のいわれは、銀座で踊っていた当時、マンボ・ズボンにブラウスの裾を前で結ぶスタイルが「ピーターパン」によく似ていたからでした。
 六本木のゲイバー「ドンファン」で踊る姿がある日、マスコミに取材され、それを見た映画監督の松本俊夫が自作「薔薇の葬列」(ATG1969年作品)の主役に抜擢。エディプス神話を裏返した同性愛者の悲劇を描いたその作品での演技により、彼は一躍カリスマ的人気を獲得しました。
1968年10月、彼は「夜と朝のあいだに」で歌手としてもデビュー。その予想外の低音の魅力が、見た目とのミスマッチもあって大きな話題となり、レコード大賞の新人賞を獲得します。

私には性がない。そう、男でも、女でもない。
大人でも、子供でもない。
いずれの港にもたどりつかぬ。
いずれの風にも 流されることのない小舟 帆のない小舟。
どこへ行くのかわからない、波の上。
「私は小舟」より(1970年発売のアルバム「失われた神話」収録、なかにし礼作)

 ピーターというタレントは、色っぽさをいくらでも演じられるが、そこには乾いた感じが常にあり、「セックス臭」をまったく感じさせない気がします。それは芸能としての女形を演じる役者のイメージに近く、実際プライベートでの彼の男っぽさは、惚れ惚れするほどでした。
 多くのオネエ系やゲイのアーティストたちが活躍する今でも、ピーターのような独自のカリスマ性を持つカッコいい芸能人はいない気がします。それはある意味日本の伝統芸能が生んだ最後の芸能人なのかもしれません。(歌舞伎界を別にすれば・・・)

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