「ロッキー ROCKY」 1976年

- シルベスター・スタローン Sylvester Stallon、ジョン・G・アビルドセン John G.Avildsen -

<ニューシネマ時代の終焉>
 1960年代末から続いてきたニューシネマの時代。それはベトナム戦争に疲れ、経済不況に苦しむアメリカの姿をそのままスクリーンに映し出した作品のオン・パレードだったともいえます。もとはといえば、ニューシネマはフランス雄ヌーヴェル・ヴァーグの影響の下、監督個々の作家性を前面に押し出すことで一時代を築いた映画運動でした。そのため、時代の波にもまれた作家たちの反体制、アンチ・ヒーロー、リアリズムの追求というスタイルが、そのまま表現されることでニューシネマの作品群が誕生したわけです。
 当時、アメリカは国全体が反戦運動と人種差別撤廃運動の渦の中、いつの間にか第二次世界大戦の敗戦国である日本やドイツとの経済競争に敗れ、かつての栄光を失いつつありました。そのため、当時のアメリカ国民全体が味わった挫折感もまた、そのまま映画に反映されることになったのです。
 経済不況により失業者があふれ、犯罪の多発やモラルの低下によってゴミためのようになってしまったスラム街がどの都市にも生まれつつありました。アメリカ独立運動の発祥地でもあるフィラデルフィアの街にもまた、その例外ではありませんでした。しかし、そのフィラデルフィアの街から一本の映画が生まれアメリカ中の人々の心を久しぶりに奮い立たせることになりました。この映画「ロッキー」は、こうしたアメリカ全体の社会状況の中から生まれ、アメリカ人を再びどん底から立ち上がらせるきっかけのひとつになったと言われる作品です。

<この映画のモデル>
 1975年3月24日、この映画誕生のきっかけとなったボクシングの試合は、僕も見た覚えがあります。あのモハメド・アリが世界ヘビー級王座を賭けて行った世界タイトル・マッチの相手は、36歳でほとんど無名の白人ボクサー、チャック・ウェップナー。僕も含め、誰もがモハメド・アリの勝利を確信していたのですが、ぱっとしない挑戦者のまさかの大健闘にいつの間にか会場の雰囲気が変わってゆきました。まして、白人のボクシング・ファンの中には、当時絶頂をきわめていたブラック・パワーの象徴、アリのビッグ・マウスにうんざりしている人も多かったのです。
 この試合を見て、「自由の国アメリカは、まだまだ終っちゃいないんだ」そんな熱い思いに満たされた無名の俳優シルベスター・スタローンは、その日から3日間かけてオリジナルの脚本を書き上げました。どん底から生まれた栄光のボクシング・ストーリーは、こうして生まれました。

<シルベスター・スタローン>
 6本の映画に出演しながら、まったく芽の出る気配がなかったシルベスター・スタローン Sylvester Stallone。二枚目でもなく背も低くてぱっとしない彼は、自らこの映画の脚本を書き上げなければ永遠に映画の主役を演じることはなかったかもしれません。彼は「ロッキー」の脚本を気に入ってくれたハリウッドの大物プロデューサー・コンビ、ロバート・チャートフとアーウィン・ウィンクラーに対して、金額を要求するのではなく、自分を主役にしてほしいと申し出ました。この選択は彼にとってまさに吉と出たわけですが、映画の製作者にとってはかなり厳しい条件となりました。当初この映画の主役には、アル・パチーノやポール・ニューマンらが考えられていましたが、主役がまったく無名の新人になったことでいっきにこの映画の勝ちは下がってしまい、予算規模は縮小されてしまいます。当時の映画製作費は、超大作の「地獄の黙示録」で3500万ドル、「未知との遭遇」が1900万ドルだったのに対し、100万ドル以下で作ることを条件とされました。

<低予算から生まれたリアリズム>
 しかし、その金額ではセットすら組むことができないため、撮影はすべてロケーションで行われることになりました。幸いにして、この映画の撮影には当時開発されたばかりの新技術ステディーカムが使用され、映画の臨場感を盛り上げるのに大活躍することになりました。あの有名なロッキーの朝のジョギング・シーンは、実際にフィラデルフィアの街でなんの仕掛けもなくステディー・カムで追いながら撮影されたものでした。ステディー・カムの存在を知らなかった街の人々は、それが映画の撮影だと気がつかず、撮影中に差し入れをくれたりしました。(このシーンも映画にそのまま使われているそうです)しかし、改めて映画を見ると街がいかに汚れていたかがわかります。かつて、イタリア映画が第二次世界大戦における連合軍の爆撃によって映画の都「チネ・チッタ」を失ったため、しかたなく街でロケを行うことからネオ・リアリズモという映画の新しいスタイルが生まれたように、アメリカの不況もまた「ロッキー」という予期せぬリアリズム映画を生み出すことになったわけです。(もちろん、映画の内容はリアリズムとはほど遠いおとぎ話なのですが・・・)
 低予算が生んだリアリズムはそれだけではありませんでした。ラストの世界タイトル・マッチのシーンもまた予算不足のため、わずか一日で撮影を行うことになり、そのため試合を通しで行いながら、いっきに撮影を行ったのだそうです。当然、観客を演じるエキストラを雇う予算もなかったため、制作者たちは試合会場近くにいたホームレスや失業者たちにフライドチキンを食べさせるという張り紙でかき集めたのだそうです。ところが、長い撮影のためチキンがなくなってしまい観客たちが途中で騒ぎ出すという不測の事態が起きてしまいます。リングに向かいチキンの骨を投げ出した観客のため、撮影は急遽中止となります。しかたなく、ロッキーとエイドリアンが抱き合うラスト・シーンは、試合後の控え室で撮られることになりました。そして、二人はヒーローとして扱われることを避けるように、秘かに会場を去ってゆくということになっていたのです。
 しかし、このラストにプロデューサーのアーウィン・ウィンクラーは疑問を感じ、取り直しを提案します。そして、この判断が「ロッキー」をそれまでの70年代アメリカン・シネマとは大きく異なるものにする大きな決め手となりました。ヒーローになることを避けるアンチ・ヒーロー的なラストは、70年代前半のニューシネマとしては普通の終わり方でしたが、そうした終わり方に観客はもううんざりしているはずだ。そう判断した彼は、よりポジティブで明るいラストへと変えることでまったく異なる映画にしてしまったのです。
 こうして、誰もが胸に焼き付いて離れないあの熱いラスト・シーンが生まれることになったわけです。

<敵の存在>
 熱い男の映画「ロッキー」には、彼を熱くさせる強い敵が必要でした。敵が強くて憎たらしいことが絶対条件でした。そして、そのために用意されたのが、黒人だったというのは、実は非常に重要なポイントです。
 アポロ・クリードを演じたカール・ウェザースは、この映画でド派手なアンクル・サムの衣装を着ていましたが、当時非常に複雑な気持ちだったそうです。「ロッキー」にアメリカ国民全体が感動させられたといいますが、アフリカ系アメリカ人にとって、それは単純に楽しめるものだったか?それは疑問です。この映画には、当時の白人層もっていた黒人たちについてのイメージがそのまま反映されていたのが明らかだからです。公民権運動の結果として、投票権を獲得しただけでなく法律により有色人種にある一定の比率で仕事や入学の権利を与えなければならないというアファーマティブ・アクションのような有色人種に対する優遇制度もできたため、黒人たちの社会進出はいっきに進みました。
 さらにはブラック・スプロイテーション・ムービー(「黒いジャガー」に代表される黒人向けの黒人による娯楽アクション映画)のヒット、黒人スポーツ選手の大活躍(モハメド・アリやオリンピック100m走の選手たちなど)、そして、黒人ミュージシャンたちの人種の差を超えた活躍(ディスコ・ブームは、黒人音楽による白人音楽の席巻でもありました)、当時は黒人文化がアメリカ全体にブームとして広がった時代でもありました。不況にあえぐアメリカ社会の底辺にいる白人層にとって、黒人スーパー・スターたちの活躍はけっしてうれしいものではなかったはずです。「ロッキー」は、そうした人々にとって、憂さ晴らしにもってこいの映画だったともいえるのです。
 後に「ロッキー4 炎の友情」(1985年)では、ロッキーの新たな敵としてソ連の戦闘サイボーグが登場します。そしてこの時は、テーマ曲を黒人スーパー・スターのジェームス・ブラウンが歌い、ロッキーがかつての敵だったアポロの敵を討つことでアメリカの黒人と白人が融和にいたるという流れを描くことになります。時代と共に、都合よく敵は入れ替えられるのです。

<ジョン・G・アビルドセン>
 この映画の監督ジョン・G・アビルドセン John G.Avildsenは、1935年12月21日イリノイ州オークパークに生まれています。広告代理店に勤め、そこでCM制作を担当しながら映像の仕事に関わるようになった彼は「俺たちに明日はない」を撮るアーサー・ペン監督の製作マネージャーとして映画界入りしました。本格的に映画監督を目指すようになった彼は、1969年監督採用広告に応募して、ポルノ映画「Turn on to Love」を初監督。1970年に彼が撮った「ジョー」は、ヒッピーたちに娘を奪われた父親(ピーター・ボイル)が、ヒッピーたちのコミューンに殴りこみをかけ銃で皆殺しにするという作品でした。それは、ニューシネマに対するアンチの姿勢を示す作品でしたが、保守層の心をつかみ予想外のヒットを記録します。勢いに乗る彼は次の作品「Save the Tiger」(日本未公開)で、ジャック・レモンにアカデミー主演男優賞をもたらします。(ジャック・レモンはそれまで名優といわれながらアカデミー賞には縁がありませんでした)こうして彼は低予算映画のスペシャリストとして、映画界で高い評価を得るようになりました。こうして、彼に「ロッキー」を監督する機会がめぐってきます。そして、見事彼はその期待に答え、アカデミー作品賞、監督賞を受賞したのです。
 しかし、多くの監督はこの後、アカデミー賞監督賞受賞者として大作、話題作を手がけることになるはずですが、彼の場合そうはなりませんでした。意外なことに、彼はその後もB級映画の監督の枠を出ませんでした。ヒット作としては、あの空手映画「ベスト・キッド」(1984年)がありますが、正直ぱっとした作品は撮っていません。
 建国200年というアメリカにとっての節目の年にニューシネマの憂鬱さにうんざりしていた人々が求めていた作品、それがアメリカン・ドリームを讃える作品「ロッキー」だったのかもしれません。実際、翌年のアメリカ大統領選挙ではアメリカ国民は変化の道を選択します。こうして、民主党ジミー・カーターがアメリカ大統領の座につき、アメリカの新たな時代が始まることになるのです。

「ロッキー Rocky」 1976年公開
(監)ジョン・G・アビルドセン
(製)ロバート・チャートフ、アーウィン・ウィンクラー
(脚)シルベスター・スタローン
(撮)ジェームズ・クレイブ
(音)ビル・コンティ
(出)シルベスター・スタローン、タリア・シャイア、バージェス・メレディス、バート・ヤング、カール・ウェザース

<あらすじ>
 フィラデルフィアの小さなボクシング・ジムに所属するヘビー級ボクサー、ロッキー・バルボア(シルベスター・スタローン)は、30歳となってもまだランク下位の下積みのままで借金取りのバイトをしながら暮らす孤独な独身男でした。才能はあるのに技術を真面目に身につけようとしない彼の生き方は、トレーナーのミッキー(バージェス・メレディス)にとって実に、はがゆいものでした。しかし、そんな彼にある日突然大きなチャンスが巡って来ます。
 世界ヘビー級チャンピオンのアポロ・クリード(カール・ウェザース)が行う建国200年記念の世界タイトル・マッチの対戦相手が怪我で出場できなくなり、急遽その代わりとしてまったく無名の彼が使命されることになったのでした。それは、「チャンスの国、アメリカ」だからこそ可能な夢のタイトル・マッチを行うことで話題を集めようという作戦でもありました。到底、勝ち目のない敵と知りつつも、彼はそのチャンスに賭けることに決めました。それは、彼がやっと見つけた愛する女性エイドリアン(タリア・シャイア)への想いを証明するための闘いでもあったからです。彼と同じように、ラスト・チャンスに賭けようとミッキーも協力してくれることになり、沈みきった街全体が彼と共に盛り上がってゆきます。
 試合当日、会場はチャンピオンに対する声援一色でした。しかし、圧倒的なチャンピオンのパワーの前に何度もダウンをきっしながらも、必死で立ち上がるロッキーの姿に、いつしか会場の雰囲気が変わり始めます。15ラウンドのゴングが鳴るまでリング上で闘い続けること、それだけを目標にロッキーはパンチを繰り出し続け、ついにチャンピオンをダウンさせてしまいます。試合の結末は?エイドリアンとの恋の行くへは?



「愛のコリーダ」(監)(脚)大島渚(製)若松孝二、アナトール・ドーマン(撮)伊藤英男(出)藤竜也、松田英子
(ベルリン映画祭での上映後、ドイツ警察に没収される)
「愛のメモリーObsession」(監)ブライアン・デ・パルマ(音)バーナード・ハーマン
「アウトローThe Outlaw Josey Wales」 (音)Jerry Fielding (イーストウッド監督の娯楽西部劇代表作)
ウディー・ガスリー わが心のふるさとBound for Glory(監)ハル・アシュビー(音)Leonard Rosenman
(フォークソングの原点ウディ・ガスリーの伝記、デヴィッド・キャラダイン主演)
「O侯爵夫人」(監)エリック・ロメール(カンヌ映画祭グランプリ受賞)
「オーメン The Omen」 (監)リチャード・ドナー(音)Jerry Goldsmith アカデミー作曲賞受賞
「カサノバ」(監)(脚)フェデリコ・フェリーニ(脚)ベルナンディーノ・ザッポーニ(音)ニーノ・ロータ(出)ドナルド・サザーランド、サンドラ・エレーン・アレン
「カラスの飼育」(監)カルロス・サウラ(カンヌ映画祭グランプリ受賞)
「さすらい」(監)ヴィム・ベンダース(ロード・ムービー3部作のラスト作品、カンヌ映画祭国際批評家連盟賞
「さすらいの航海」(監)スチュアート・ローゼンバーグ(原)スティーブ・シェイガン他(出)フェイ・ダナウェイ、オスカー・ウェルナー
「さよならの微笑 Cousin Cousine(監)ジャン・シャルル・タッケラ(出)マリ・クリスティーヌ・バロー、ギイ・マルシャン、マリー・フランス・ピジェ
「スター誕生 A Star Is Born」(監)フランク・ピアソン(出)(製)バーブラ・ストライサンド
「セブン・ビューティーズ Seven Beauties」(監)(脚)リナ・ヴェルトミラー(出)ジャンカルロ・ジャンニーニ、フランシス・レイ
「1900年」(監)(脚)ベルナルド・ベルトルッチ(脚)フランコ・アルカッリほか(撮)ヴィットリオ・ストラーロ(出)ロバート・デ・ニーロ、ジェラール・ド・パルデュー、ドミニク・サンダ
大統領の陰謀All The President's Man」 (監)アラン・J・パクラ(音)デヴィッド・シャイア (出)ダスティン・ホフマン、ロバート・レッドフォード、ハル・ホルブルック
(ウォーター・ゲイト事件の実録映画、ジェーソン・ロバーツがアカデミー助演女優賞受賞)
「ダウンタウン物語Bugsy Malone」 (音)Paul Williams (アラン・パーカー監督の出世作、ジョディ・フォスター出演の子供ミュージカル)
 Taxi Driver(監)マーティン・スコセッシ(ロバート・デ・ニーロ(音)Bernard Harrmann
(トム・スコットのサックスが最高、巨匠の遺作、ニューヨークのリアルな姿を映像化した最初の作品、カンヌ映画祭パルムドール受賞)
「地球に落ちて来た男 The Man Who Fell to Earth」(監)ニコラス・ローグ(音)ジョン・フィリップス、ツトム・ヤマシタ(出)デヴィッド・ボウイ
「トリュフォーの思春期」(監)(脚)フランソワ・トリュフォー(脚)スザンヌ・シフマン(音)モーリス・ジョーベール(出)ジョーリー・デムソー、フィリップ・ゴールドマン
ネットワーク Network」(監)シドニー・ルメット(原)(脚)パディー・チャイエフスキー(アカデミー主演男優、主演女優、助演女優賞受賞、ピーター・フィンチ、フェイ・ダナウェイ、ビアトリス・ストレイト)
「ミズーリ・ブレイク The Missouri Breaks」(監)アーサー・ペン(出)ジャック・ニコルソン、マーロン・ブランド(超豪華な役者によるB級西部劇)
レッド・ツェッペリン 狂熱のライブ The Song Remains The Same」(監)(製)ピーター・クリヒトン、ジョー・マソット
「ロッキーRocky」 (監)ジョン・G・アビルドセン(脚)(出)シルベスター・スタローン(音)Bill Conti
(映画も良かったが、音楽の素晴らしさも忘れられない。アカデミー作品賞、監督賞受賞)
「ローマに散る」(監)(脚)フランチェスコ・ロージ(原)レオナルド・シャスシャ(出)リノ・バンチュラ、ティナ・オーモン

角川映画第一作「犬神家の一族」公開、映画会社以外の企業の参入により映画の製作スタイルが変わるきっかけとなった

「嗚呼!!花の応援団」(監)曽根中生(原)どおくまんプロ(脚)田中陽造(出)井上治之、深見博
「あにいもうと」(監)今井正(原)室生犀星(脚)水木洋子(出)草刈正雄、秋吉久美子、大滝秀治(インド映画祭外国語映画最優秀賞
「犬神家の一族」(監)市川昆(製)角川春樹、市川喜一(原)横溝正史(出)石坂浩二、あおい輝彦、高峰三枝子、島田陽子
「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」(監)(原)(脚)山田洋次(脚)朝間義隆(出)渥美清、太地喜和子、倍賞千恵子
「さらば夏の光よ」(監)山根成之(原)遠藤周作(脚)ジェームス・三木(出)郷ひろみ、秋吉久美子
「青春の殺人者」(監)長谷川和彦(製)今村昌平、大塚和(原)中上健二((脚)田村孟(音)ゴダイゴ(出)水谷豊、原田美枝子
「大地の子守歌」(監)増村保造(原)素九鬼子(脚)白坂依志夫(製)藤井浩明、木村元保(出)原田美枝子、佐藤佑介、岡田英次
「不毛地帯」(監)山本薩夫(原)山崎豊子(脚)山田信夫(出)仲代達矢、八千草薫、丹波哲郎 



IMF世界銀行第一回総会
先進7ヶ国首脳サンファン会議
<アメリカ>
アメリカ建国200年
ヴァイキング1号が火星に到達
カーター氏、米国大統領に就任
<ヨーロッパ>
イタリアを中心にユーロ・コミュニズム台頭
ソ連の軍人によるミグ25亡命事件
西ドイツの物理学者ウェルナー・ハイゼンベルク、哲学者ハイデッガー死去
フランスの俳優ジャン・ギャバン死去
<中東・アフリカ>
イスラエル軍、エンテベ空港(ウガンダ)襲撃し人質解放
南アフリカ、ソウェトで暴動発生
<アジア>
南北ヴェトナムがヴェトナム社会主義共和国に統一される
周恩来、毛沢東死亡、四人組追放事件
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<日本>
ロッキード事件発生、日本の政界を揺るがす(田中角栄逮捕)
国鉄料金約50%値上げ

<芸術、文化、商品関連>
「フンボルトの贈りもの」ソール・ベロー著(ピューリツァー賞受賞)
「蜘蛛女のキス」マヌエル・プイグ著(アルゼンチン)
「サヴィルの青春」デイヴィド・ストーリー著(ブッカー賞受賞)
「ホップスコッチ」ブライアン・ガーフィールド著(エドガー賞)
「限りなく透明に近いブルー」村上龍著(芥川賞受賞)
アニエスbがパリでショップをオープン
アニタ・ロディクが「ザ・ボディー・ショップ」設立
雑誌「ポパイ」創刊
東急ハンズ、藤沢に一号店オープン
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ニューヨークでロフト・ジャズ・ムーブメントが盛り上がる
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(by ダブル・イクスポージャー)
<音楽関連(国内)>
「春一番」「哀愁のシンフォニー」のヒットでキャンディーズの人気ピークに達する
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