ロドニー・キング事件とロサンゼルス暴動


映画「ロドニー・キング」
ドキュメンタリー映画「LA92」


- ロジャー・グーンヴァ―・スミス、スパイク・リー -
- ダニエル・リンゼイ、T・J・マーティン-
<歴史は繰り返させるな!>
 2020年5月25日に起きた警察官による黒人青年ジョージ・フロイドさんの殺害事件は、アメリカ社会を大きく揺るがすBlack Lives Matter運動のきっかけとなりました。しかし、多くのアメリカ人は「また起きたのか」と事件に既視感を憶えたかもしれません。同じような事件は過去もあったし、アメリカは結局変わっていないのだ。黒人社会では多くの人が怒りと同時にそんな絶望感を憶えたと思います。
 ドキュメンタリー映画「LA92」は、その既視感の原因とも言える1992年に起きた「ロドニー・キング事件」を記録した映像作品です。そして、その冒頭には、過去にさかのぼってもう一つ人種差別から始まった暴動の映像が映し出されています。それは1965年に同じロサンゼルスで起きた「ワッツ暴動」です。
 1965年「ワッツ暴動」、1992年「LA暴動」、そして2020年のミネソタでの事件と、警察による人種差別が原因の事件は繰り返されています。歴史は学ぶためにあり、人はそこから何かを学ぶことでより良い社会へと変えて行くことができるはずです。もし、何も変えられていないとしたら、もう一度歴史を学び直す必要があるということです。

<ロドニー・キング暴行事件発生>
 事件が起きたのは、1991年3月3日の深夜でした。友人二人とドライブをしていたロドニーは、白いヒュンダイ車をかなり酔った状態で運転していました。警察に追われた彼は身の危険を感じ、自宅付近で車を止めますが、4人の警官に車から引きずり出されます。同乗の二人は素直に手錠をかけられましたが、彼は酔いが回っていたせいもあって、警官に抵抗。実は彼は強盗事件を起こしていて、当時は仮釈放の身だったのでした。(ただし、この強盗事件については彼は無実を主張していました)188cm102Kg25歳の彼が暴れると警官は抑え込むのにさすがに苦労します。そして、それがきっかけとなり4人の警官による暴行が始まることになりました。
 ローレンス・パウエル巡査、ティモシー・ウインド巡査、セオドア・ブリセーノ巡査、ステイシー・クーン巡査は、警棒により56回にわたりロドニーを殴りつけました。その殴打により、彼の左目は陥没寸前となりました。そのうえそれだけの暴行を加えながら、4人はロドニーに白衣をかぶせた状態でパトカーに乗せ、警察署に連行。病院へはその後送致されています。当時、ロス市警の署長ダリル・ゲイツの人種差別主義は批判の対象となっていて、黒人のブラッドリー市長とは対立関係にありましたが、署内の人種差別は公然の事実でした。しかし、それが裁判に持ち込まれるようなことはありませんでした。ところが、ロドニーの事件はいつもとは異なる流れになってゆきます。
 ロドニーの家の前に住むアルゼンチン系移民の配管工ジョージ・ホリデーが買ったばかりのビデオ・カメラを使って、その事件を記録していたのです。彼は家の前で起きている事件を慌てて撮影しましたが、単にカメラを使ってみたからだったのかもしれません。撮影はしたものの、そのビデオをどうするか彼は考えていませんでした。彼は先ずそのビデオを警察に持ち込みましたが、そんなもの不要だと返されます。(この時、警察がビデオを回収しておけば、事件はもみ消されていたかもしれません)そこで彼はビデオをテレビ局に持ち込んだのでした。そして、事件の映像がニュースで放送され、事件は一気に全国規模へと発展することになりました。カメラが収めた異常な暴力は、社会に衝撃を与え、逃れようのない証拠となり、警官4人の逮捕に結びつきます。

<ラターシャ・ハーリンズ事件>
 ロドニー・キング事件が社会を騒がせていた3月16日、同じロサンゼルスで再び衝撃的な事件が起きました。15歳の黒人女子中学生ラターシャ・ハーリンズは、韓国系移民が経営する食料品店で1ドル79セントのジュースを買う際、店主の妻トゥ・スンジャに万引きと間違えられ口論となり、ジュースを持ったまま店を出ようとして後頭部を銃で撃たれて死亡してしまったのです。店内のカメラに当時の狙撃の状況が記録されていて、武器をもたない少女を店主の妻が後ろから撃ったことは明らかでした。裁判でもその映像が決定的な証拠となり、トゥ・スンジャには殺人罪で16年の懲役という判決が下されました。
 ところが、この裁判の裁判長を務めた白人の女性判事ジョイス・カーリンは、裁定に待ったをかけます。犯人には情状酌量の余地があるとして、社会奉仕活動と罰金、5年間の観察保護という大幅な減刑を指示したのです。
 当然、この判決に黒人社会は怒ります。女子中学生を後ろから射殺しておいて、観察保護?社会奉仕活動?韓国系移民の多くがロサンゼルスの下町で食料品店などを経営していて、黒人社会との関りは深いものがありました。しかし、黒人たちにとって彼らは富を搾取する支配階層とも見られ、それが事件によって一気に怒りの対象へと変わることになります。韓国系移民は、白人以上に憎しみの対象となってしまったのです。

<判決下る>
 ロドニー・キング事件の裁判は、はじまる前から明らかに異常な展開でした。当初、裁判が行われるはずだったロサンゼルス市内の裁判所ではなく、ロス郊外のシミバレーで裁判が行われることになったのはその兆候でした。その地域は閑静な住宅街で、その人口構成は白人が88%で黒人はわずか1.5%にすぎなかったのです。当然、そこで選ばれる陪審員の人種構成はその影響を受けます。12人の陪審員は、10人が白人で、アジアとヒスパニックから1人づつという黒人抜きの構成になっていたのです。もちろん、それでも公正な裁判は可能かも知れませんが、結果はやはりその人種構成通りとなります。
 1992年4月29日に行われた評決の発表は全米に中継され、4名全員が無罪判決を受けた瞬間、全米が大きな衝撃を受けることになりました。黒人社会の怒りが暴動に発展することは当然予想されていました。黒人社会の側もファーストAME教会を会場に非暴力での解決を行うための集会を開催するなど、事態が悪化しないように働きかけましたが、ロスの路上ではもう悲劇が始まっていました。

<暴動発生>
 街中の交差点では、白人の乗る車が襲われ、大型トラックの運転手が引きずり出され暴行を受けただけでなくコンクリート・ブロックで頭部を殴打され大量の出血をしていました。幸い彼の場合は、そこに同じトラック運転手の黒人男性が現れ、彼をそのトラックに乗せて救急病院に急行したことから、かろうじて一命をとりとめました。
 同じように暴行されたうえ、露出させられた下半身に黒いペンキを塗られたフィデル・ロペスは、黒人の牧師ベニー・ニュートンによってかろうじて命を救われました。
 しかし、そうやって救われることがなかった被害者も数多くいました。
 ニュースなどを見ていなかったため、事態の悪化を知らずに外出し、銃撃戦の流れ弾にあたって死んだ主婦がいました。
 銃撃戦を行う中で、仲間の警備員によって撃たれて死んだ同僚の警備員もいました。
 最終的に事態の収拾までに58名の命が失われることになりました。その他負傷者も2383人、逮捕者は1万1000人以上に達し、被害総額は10億ドル以上、火災はしない100か所以上で起きました。
 暴動のターゲットは白人だけでなく、ヒスパニックを別としたアジア系移民にも向かうことになります。特にコリアタウンと韓国系の商店は攻撃と強奪の対象となり、ついに韓国系の人々は武装して自警団を結成し、武力によって店を守ろうと、場所によっては銃撃戦に発展するところもありました。
 結局、政府は非常事態宣言を発令後、州兵を派遣。夜間外出禁止令のもと、治安の維持を武力によって行うことになりました。

<ロドニーの言葉>
 5月4日なんとか事態は収まり、夜間外出禁止令は解除されます。
 そんな中、入院後、外部との接触を断っていた被害者であるロドニー・キングが、マスコミの前に現れ、メッセージを発することになりました。それはこれ以上暴力による意思表示を行っても、事態を悪化させるだけであると訴えるものでした。しかし、それは白人側、政府側の意図によって作られ、しゃべらされたメッセージだったのではないか?と多くの黒人に疑いを抱かせることになります。自信なさげで、テンポも悪く、カリスマ性のかけらもないロドニー・キングの姿は、多くの黒人たちによって、良い印象を与えなかったようです。彼が同性愛者らしいという疑いもその印象を悪くしたかもしれません。
 スパイク・リーが監督して映画化された一人芝居「ロドニー・キング」のクライマックスでこの時のロドニーの声明が見事に再現されています。

・・・俺が言いたいのはただ・・・
我々は仲良くできないか?
ひどいことをやめられないか?
老人や子供たちを恐がらせないために。
だってロサンゼルスはすでに煙でいっぱいだ。火をつけなくても・・・。正しくない。
正しくないし、それに何も変わらない。
我々の正義は実現する。
彼らは戦いには勝ったが戦争はまだ終わっていない。俺たちは法廷で報われる。
俺は好きだ。俺は中立で目をつけられるような人間じゃない。
有色の人々が好きだ。
やめなきゃ、分るよ最初の怒りは分かる。
評決後の最初の数時間の怒りはね。
だけどとにかくこんなふうに怒り続けるのは正しくない。
それに警備員が撃ち殺されるのを見るのも・・・正しくない。
この人たちは2度と家に帰れない、家族のもとへ帰れない。
仲良くやっていける。やっていけるよ。
やらなきゃいけないのは、ここで行き詰まってる
みんなでうまくやろう。みんなでがんばってなんとかやろうよ。うまくやれるから。

 映画の中でこの後、主演のロジャー・グーンヴァー・スミスは、こう言います。
息ができない I Can't Breathe
息ができない I Can't Breathe

「I Can't Breathe」
 この言葉は、2014年警官の締め技によって窒息死させられた黒人男性エリック・ガーナーが最後に言った言葉として有名になりました。まさかこの言葉が2020年になって再びジョージ・フロイドによって発せられることになるとは・・・彼は9分間にわたり警察官によって顔を路上に圧迫され続け窒息死してしまったのです。

<暴動が残したもの>
 当初、黒人たちにとって、イエス・キリストのような英雄的犠牲者だったロドニー・キングは、一部では批判の対象となって行きました。彼は、そうした批判の影響と慰謝料によって得た大金により、アルコールや薬物に溺れることになって行きました。そしてついにはその慰謝料によって作られた豪華なプールの底で溺死してしまいました。(享年47歳)偶然かもしれませんが、彼の父親もまたアルコール中毒で彼が子供の頃、風呂で溺死していたと言います。
 ロサンゼルスの黒人大衆は、ロドニーのためだと言いながら暴動を起こし、ロドニーの代わりだと言いながら盗みを働き、ロドニーの痛みを知れと言いながら暴行を働きました。そして、最後にロドニーは腰抜けだと言い放ったのです。
 こうして、ロドニー・キング事件はロサンゼルス暴動というアメリカで大悪の暴動へと発展した後、後味の悪さだけが残る結末を迎えました。事件の問題点を理解しながら、それを制度の改善や社会改革へとつなげられなかった事実は多くの人に傷となって残ったはずです。そのことを憶えている世代がいるからこそ、2020年のBLACK LIVES MATTER は、大きな暴動に発展せず非暴力の社会運動へと発展しているのかもしれません。
 ただし、一部の警察で改革が行われても、警察組織のトップに人種差別主義者のトランプがいる限り、本質的にアメリカ社会が変わるとは思えません。もちろんトランプが消えれば変わるというわけではありませんが、彼を選ぶアメリカでは問題外なのは確かです。文句なしの人種差別主義である人物を大統領に選んだのはアメリカ国民自身なのですから。その意味では、2021年の大統領選挙はこれまでにない大きな意味を持つ選挙になるはずです。アメリカはやはり変わらないのか?変化への一歩を踏み出せるのか?


「ロドニー・キング Rodney King」 2017年
(監)(製)スパイク・リー
(製)スティーブン・アダムス、ボブ・L・ジョンソン
(脚)(製)(出)ロジャー・グーンヴァ―・スミス Roger Guenveur Smith
(編)ランディ・ウィルキンス
(音)マーク・アンソニー
 主演で脚本も書いたロジャー・グーンヴァ―・スミスは、1955年カリフォルニア州バークレー生まれ。俳優として、スパイク・リーの重要作品にはほとんど出演している常連俳優です。「Do The Right Thing」、「マルコム X」、「ゲット・オン・ザ・バス」など。1996年、彼はブラックパンサー党の創設者の1人、ヒューイ・P・ニュートンの伝記を一人芝居にした「ヒューイ・P・ニュートン物語」を上演。そしてそのテレビドラマ版でも彼はヒューイ・P・ニュートンを演じました。
 今回の作品も、彼が一人芝居として作った作品をスパイク・リーがフィルムに収めた作品です。
 一人芝居の中で、暴動に巻き込まれた様々な人々が演じられ、それぞれの人物がニュースの中の「映像」としてではなく、生き生きとした「人間」として浮き上がらせています。あの日、あの時、それぞれの人はそれぞれの思いを抱いて確かに生きていて、怒ったり、悲しんだり、悩んだりしていたことがわかります。物凄い量の汗をかきながら演じる迫力ある芝居に圧倒されました。久しぶりに本物の「芝居」を見せてもらった気がします。 
「LA92」 2017年
(監)(編)ダニエル・リンゼイ、T・J・マーティン
(製)ジョセフ・バコール、ジョナサン・チン、サラ・ギブソン、マット・レナー他
(編)スコット・スティーブンソン
(音)ダニー・ベンジー、サウンダー・ジュリアンス
 実際の映像を編集し、余計な解説を加えず、残虐な場面もカットせず、当時のニュースを生で見ているように観客を引き込むことに成功しています。もし、自分がこの時ロサンゼルスにいたら、どうなったのか?それぞれの立場で考えさせられるそんな臨場感のあるドキュメンタリー作品です。
 韓国系の店で起きた自警団と強盗たちとの激しい銃撃戦。
 店に侵入して盗みを働こうとする男の前に立ちはだかり、「This is America」と叫ぶ中国系のお婆さん。
 日本人の我々に彼らのようにどうどうと戦う気概はあるでしょうか?
 人間のもつ愚かさが事件によって暴かれて行く展開は、いつしかあまりに映画的、ドラマ的に見えてきてリアリティーを失ってしまいます。それだけに、ロジャー・グーンヴァーグ・スミスの一人芝居の人間的な表現には価値があると思えます。 


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