ボブ・ディラン 新たなる挑戦の記録


「ローリング・サンダーレビュー : マーティン・スコセッシが描くボブ・ディラン伝説」

- ボブ・ディラン、マーティン・スコセッシ -

<ボブ・ディランの挑戦>
 1975年、隠遁状態から復活して再スタートを切ったボブ・ディランは、新たな挑戦の旅に出ます。それはヨーロッパの街を巡るサーカスのように様々な芸を詰め込んだライブ・ツアーでした。ツアーのメンバーは、全員が同じバスに乗り、時には旅先で新しいメンバーが参加したり、出し物や選曲を変えたり自由で遊び心満載の企画になっていました。行き当たりばったりの公演内容だったため、運営側は大変で最終的には大きな赤字となったようです。何万人もの観衆を集められるメンバーにも関わらず、彼らは小さな街の2千人、3千人規模の会場でしかライブを開催しませんでした。それでは元がとれないのは当然です。
 当然、ギャラの配分でももめたはずですが、それでもなお多くのアーティストたちがディランというカリスマとの仕事をしたがった理由は、このツアー映像を見れば明らかでしょう。
 例えば、1970年ミケランジェロ・アントニオーニの「砂丘」の脚本を担当し、その名を知られる存在となった作家のサム・シェパードは舞台の台本を書くためにツアーに参加しています。
 この年公開のロバート・アルトマンの最高傑作と言われることになる名作「ナッシュビル」の主演俳優ロニー・ブレイクリーは、このツアーにコーラスとして出演。ディランの古くからの仲間アレン・ギンズバーグも詩の朗読を行うために参加しています。

<アメリカ建国200年に向けて>
 このツアーは、アメリカ建国200年を記念して改めて「アメリカ合衆国」という国について考えなおすというテーマを持っていたため、移民たちの聖地である東海岸の港町プリマスからスタートを切りました。ツアーのタイトルが「ローリングサンダー・レビュー」となったのも、ネイティブ・アメリカンの偉大なメディシンマン(精神的指導者)の名前からとられていて、ツアー中にはネイティブ・アメリカンとの交流も行われました。
 しかし、当時のアメリカは建国200年を単純に祝うという社会状況ではありませんでした。この年、アメリカはサイゴンから軍を撤退させ、ヴェトナム戦争に敗北。アメリカは初めて戦争で敗れるという屈辱を経験。さらにニクソン大統領による「ウォーターゲート事件」が発覚し、政界も大混乱。経済界では、日本車の進出によるアメリカの自動車業界は危機的状況に追い込まれつつありました。
 建国200年を前にして、1975年はアメリカ国民が自国の過去と未来について改めて考え直す時期だったのかもしれません。

<「ローリング・サンダー・ツアー」>
 このツアーは過去にも「レナルド&クララ」というライブ映画があります。しかし、今回の映画化はボブ・ディランとは長い付き合いとなるマーティン・スコセッシが過去の膨大な映像を再編集し、そこに当時の参加者による新たなインタビューを加えることで、ディランの魅力をさらにくっきりと浮かび上がらせることに成功しています。
 歌詞の対訳付きで彼の歌を改めて聴くと、時に社会派の政治的メッセージ、時に詩的で前衛的な言葉、時にロマンチックで情熱的な詩がどれも新鮮で彼の天才ぶりに脱帽せざるを得ません。
 ジョーン・バエズのように何度となくディランに傷つけられ、その才能に圧倒されながらも、ディランと共に行動し続けたアーティストがいたのも、彼のカリスマ性あってこそ。このツアー映像を見るとその気持ちが理解できるはずです。「ノーベル文学賞」も伊達ではないのです!

<フェイク・ムービーにご用心>
 この作品の中に当時の大統領ジミー・カーターに誘われて急遽ライブを見に行くことになったというミシガン州選出の議員ジャック・ターナーという人物が登場します。
「なるほど民主党のカーターさんなら、ディランのファンでも不思議はないなあ」
 と思いながら見ていたのですが、何か違和感が・・・。その議員の顔に見覚えがありました。マイケル・マーフィーじゃないですか!と思って調べて見たら、なんとその部分はフェイクだったのでした。実はこの作品は、単純なドキュメンタリー映画ではなく、マーティン・スコセッシ監督による創作作品と考えるべきのようです。他にもフェイクの部分があるのです!あなたはどの部分だと思いますか?
 そこも含めて、ここからはインタビューにも登場する人物について書いておきます。

<アレン・ギンズバーグ Allen Ginsberg>
 1950年代ビート文化を代表する詩人ですが、このツアーでは詩の朗読以外にも、様々な雑用を担当しただけでなくダンサーとしても優れた才能を示しています。
 それにしても、彼が見せる独特のダンス・スタイルは見ごたえ十分です!

パティ・スミス Patti Smith>
 1975年と言えば、彼女が「パンクの女王」としてブレイクした年でもあります。それまでのロックが商業主義に冒され、従来のパワーを失ってしまったのに対し、反旗をひるがえしたパンクの登場がこの年だったとも言えます。そして、このツアーでその「パンクの女王」と「フォークの神様」が出会いを果たしていたわけです。
 そうそうノーベル文学賞の授賞式にディランの代わりに出席したのが彼女でした。

<マーティン・フォン・ハッセルバーグ Martin Von Haselberg>
 マーティン・フォン・ハッセルバーグは俳優です。この作品の撮影を行ったカメラマン、スティーブン・フォン・ドープを演じています。もちろんこの部分もフェイクです。インタビューの最後には監督にこのフィルムは俺が撮影した俺の作品だと文句を言っています。

<スカーレット・リベラ Scarlet Rivera>
 アルバム「欲望」での演奏により世界的にその名を知られることになる女性バイオリニストです。このライブでも彼女は大活躍。彼女の演奏なくしてこの時期のディランの音楽はなかったと言えるほど大きな存在でした。

<ジョーン・バエズ Joan Baez>
 ディランがブレイクする前、「フォークの女神」とも言われた女性シンガー。ディランとの関係は、時に恋人、時にライバル、時に同志、時に憎しみ合う仲だったはずですが、ここでは二人の関係は恋人同士に見えます。同じディランのドキュメンタリー映画「ドント・ルック・バック」での二人の関係は最悪だったようですが・・・。彼女ほど、ディランに人生を翻弄された人はいないかもしれません。でもこの時は確かに幸せそうでした。

<ロジャー・マッギン Roger McGuinn>
 このツアーのバンドで中心的存在だったギタリストです。「フォークロックの始祖」とも呼ばれるフォーク・ロックバンド、ザ・バーズの中心メンバー。バンジョー、マンドリンの名手でもあり、多くのミュージシャンの録音にも参加しています。

<ジム・ジャノプロス Jim Gianopulos>
 ギリシャ系のプロモーターとしてこのツアーを仕切りました。現在はパラマウント映画の社長ですが、当時はまだ大学生だったはず?これもフェイク?

<ランブリン・ジャック・エリオット Ramblin' Jack Elliott>
 ウディ・ガスリーの影響を直接受け継いだ数少ないシンガー・ソングライターです。初期のディランにも大きな影響を与えた存在です。

<サム・シェパード Sam Shepard>
 台本作家として参加した彼は、戯曲作家として有名になった後、俳優としても「天国の日々」(1978年)、「ライト・スタッフ」(1983年)、「マグノリアの花たち」(1989年)に出演。映画の脚本家としても「パリ、テキサス」(1984年)、「フール・フォア・ラブ」(1985年)などを書くことになります。

<シャロン・ストーン Sharon Stone>
 キッスのTシャツを着て母親とディランを見に来た彼女は、「キッスの化粧は日本の歌舞伎を意識している」とディランに説明。同じように白塗りにしていたディランに気に入られた彼女は、ツアーに雑用係として作家することになったとさ!
 やけに出来過ぎたエピソードと思ったら、これもまたフェイクだったようです。騙されるところでした。

<ロニー・ホーキンス Ronnie Hawkins>
 ロニー・ホーキンスと言えば、ディランのバックバンドとして有名になったザ・バンドの前身となったザ・ホークスをしたがえていたシンガーです。

<ロニー・ブレイクリー Ronnie Blakley>
 彼女もまたジョーン・バエズのようにディラン愛からツアーい参加したのでしょうか。そもそも彼女の本業は俳優でしたが、この年公開の「ナッシュビル」ではカントリー・シンガー役で見事な歌唱力を披露し、歌手としての実力を発揮しました。そしてこのツアーにはディランのコーラスとして活躍しています。

ジョニ・ミッチェル Joni Mitchell>
 フォーク系の女性シンガー・ソングライターとしてデビューし、その後は歌手以外にも写真家、画家としても才能を発揮し、アメリカを代表する女性アーティストとなります。そんな彼女が、このツアーに参加するために作った曲が彼女の代表曲となる「コヨーテ」でした。スピード感にあふれ、自由の羽ばたきやネイティブ・アメリカンの魂も感じさせる名曲は、1976年の名盤「逃避行」に収録され、マーティン・スコセッシが監督したライブ映画「ラスト・ワルツ」(1978年)でも歌われることになります。

<ルービン・ハリケーン・カーター Rubin "Hurricane"Carter>
 デンゼル・ワシントン主演で映画化された「ハリケーン」(1999年)で有名な実在のボクサー。これはフェイクではありません。無実の罪で殺人犯にされてしまったボクサーの長い長い法廷闘争を映画化したのは、「夜の大捜査線」のノーマン・ジェイソン監督です。
 ディランが彼のために作った「ハリケーン」はシングル曲として大ヒットし、ハリケーンの名前を世界に広めることになりました。

<ボブ・ニューワース Bob Neuwirth>
 ボブ・ニューワースは、ディランの長年の友人でもあり、映画「ドント・ルック・バック」にも出演しています。このツアーにもギタリストとして参加。

<ミック・ロンソン Mick Ronson>
 英国のギタリストで、イアン・ハンターと共にモット・ザ・フープルの中心メンバー。デヴィッド・ボウィのバックなどでギタリストとして活動していたが、イアンからディランを紹介され、ツアーへの参加となった。

<Tボーン・バーネット T Bone Burnett>
 ギタリストとして参加。ギタリストとして多くのミュージシャンのバックに参加。プロデューサーとしても数多くのアーティストのアルバムに関わっています。最近では映画音楽との関りが深く、「オー!ブラザー」の音楽プロデュースは特に有名。その他にも、「ウォーク・ザ・ライン」、「コールド・マウンテン」の音楽も担当しています。「クレイジー・ハート」ではアカデミー歌曲賞を受賞。

<その他の参加ミュージシャン>
 スティーブ・ソレルス Steven Soles(ギター、Vo)
 ロブ・ストーナー Rob S Stoner(ベース、Vo)
 ハウィー・ワイス Howie Wyeth(ドラムス)
 ルーサー・リックス Luther Rix(ドラムス、パーカッション)

<演奏されている楽曲>
曲名  演奏  作曲・作詞など  コメント 
「Mr. Tambourine Man」  ボブ・ディラン
Bob Dylan 
←  1965年このツアーのギタリスト、ロジャー・マッギンが中心のバンド。
ザ・バーズが大ヒットさせた曲
「One Too Many Mornings」  ボブ・ディラン
Bob Dylan
←  1964年のアルバム「時代は変わる」収録
「Nurse's Song」  アレン・ギンズバーグ
Allen Ginsberg 
 
「Archers Song」  パティ・スミス
Patti Smith
詩の朗読にロックの演奏をつけるところから始まった初期
ここから「パンクの女王」が誕生します
「Rake and Ramblin' Boy」  ボブ・ディラン
Bob Dylan 
ジョーン・バエズ
Joan Baez
ジョーン・バエズのアルバム「Joan Baez」(1960年)収録
「To Ramona」 ボブ・ディラン
Bob Dylan  
1964年のアルバム「Another Side of Bob Dylan」収録 
「Rita May」  ボブ・ディラン
Bob Dylan 
Bob Dylan
Jacques Levy
アルバム「欲望」(1975年)用に録音されたがシングルB面として発表
「Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again」(1976年)
「She Belongs to Me」  ボブ・ディラン
Bob Dylan  
アルバム「Bling it All Back Home」(1965年)収録 
「One More Cup of Coffee
(Valley Below)」 
ボブ・ディラン
Bob Dylan  
アルバム「欲望」(1976年)収録の名曲
スカーレット・リベラのバイオリンが大活躍
「Love Minus Zero/No Limit」  ボブ・ディラン
Bob Dylan   
アルバム「Bling it All Back Home」(1965年)収録  
「Dark As A Dungeon」  ボブ・ディラン
Bob Dylan   
マール・トラヴィス
Merle Travis
カントリー歌手マール・トラヴィスによる1951年の曲
「Isis」  ボブ・ディラン
Bob Dylan    
Bob Dylan
Jacques Levy 
アルバム「欲望」(1976年)収録の名曲
スカーレット・リベラのバイオリンが大活躍 
「Paddy Lay Back」  ランブリン・ジャック・エリオット
Ramblin' Jack Elliott
アイルランド民謡  
「When I Paint My Masterpiece」  ボブ・ディラン
Bob Dylan     
←  アルバム「グレーテスト・ヒッツ第2集」(1971年)収録
ザ・バンドのアルバム「カフーツ」(1971年)にも収録 
「Venus」  Shocking Blue Robbie Van Leewen 1969年発表の世界的な大ヒット曲、後にカバーも大ヒット
「風に吹かれて」
Blowin' In The Wind 
ボブ・ディラン
ジョーン・バエズ 
ボブ・ディラン  1963年「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」収録
ピーター・ポール&マリーがカバーし大ヒットし公民権運動で歌われた 
「Pretty Boy Floyd」  ランブリン・ジャック・エリオット
Ramblin' Jack Elliott 
ウディ・ガスリー
Woody Guthrie 
「俺たちに明日はない」にも登場するギャングを歌った曲 
「It Takes A Lot To Laugh,
It Takes A Train To Cry」 
ボブ・ディラン
Bob Dylan     
アルバム「追憶のハイウェイ61」(1965年)収録 
「A Hard Rain's A Gonna Fall」  ボブ・ディラン
Bob Dylan 
1963年「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」収録
「激しい雨がふる」ディランの代表曲の一つ 
「Rock And Roll All Nite」  KISS  Gene Simons
Paul Stanley 
アルバム「地獄への接吻」(1975年)収録
ライブ・ヴァージョンがシングルとして全米12位のヒットとなった
「Simple Twist of Fate」  ボブ・ディラン
Bob Dylan  
アルバム「血の轍」(1975年)収録 
「I Dreamed I Saw St.Augustine」 ボブ・ディラン
ジョーン・バエズ  
ボブ・ディラン  アルバム「ジョン・ウェズリー・ハーディング」(1967年)収録 
「I Shall Be Released」  ボブ・ディラン
ジョーン・バエズ   
ボブ・ディラン  ディランのアルバム「ベースメント・テープス」(1967年)収録
ザ・バンドの「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」(1968年)収録
ザ・バンドが先に世に出て有名になった60年代総決算の曲 
「Eight Miles High」  ロジャー・マッギン
Roger McGuinn 
Gene Harold Clark
David Crosby
Roger McGuinn
「フォーク・ロックの元祖」ザ・バーズを代表する曲
「Like A Rolling Stone」  ボブ・ディラン
Bob Dylan  
←  アルバム「追憶のハイウェイ61」収録
20世紀を代表するロックの名曲 
「Just Like A Woman」  ボブ・ディラン
Bob Dylan   
アルバム「ブロンド・オン・ブロンド」(1966年)収録
「Oh,Sister」  ボブ・ディラン
Bob Dylan    
Bob Dylan
Jacques Levy  
アルバム「欲望」(1976年)収録 
「Will The Circle Be Unbroken」  ジョーン・バエズ
ロジャー・マッギン
ミック・ロンソン他
讃美歌 1907年に書かれた讃美歌がもと
多くのロック、フォーク系アーティストにカバーされています。
ディランも「ベースメント・テープス」でカバーしています。
「The Ballad of Ira Hayes」  ボブ・ディラン
Bob Dylan  
ピーター・ラ・ファージ
Peter La Farge
オリジナルは1962年ピーター・ラ・ファージ
1964年にジョニー・キャッシュがカバーしてヒット
硫黄島の英雄ネイティブ・アメリカンのアイラ・ヘイズに捧げた曲 
「The Lonseome Death of Hattie Carroll」  ボブ・ディラン
Bob Dylan   
アルバム「時代は変わる」(1964年)収録 
「Your Cheatin' Heart」  Bob Dylan,Larry Kegan ハンク・ウィリアムス
Hank Williams
カントリー界のレジェンド、ハンク・ウィリアムズが1953年に発表
ロイ・オービソン、パッツィ・クライン、レイ・チャールズなどカバーも多い
「Man of Constant Sorrow」  ボブ・ディラン
Bob Dylan   
Trad. 
(編)ボブ・ディラン
1927年ディック・バーネットが最初に録音したトラッドナンバー 
「Coyote」  ジョニ・ミッチェル
Joni Mitchell 
アルバム「逃避行」(1976年)収録
ザ・バンドのラストライブ「ラスト・ワルツ」にも収録の名曲
「Love Potion No.9」  J・ミッチェル、R・マッギン他
(バスの中にて)
ジェリー・リーバー
マイク・ストーラー
クローバーズ1959年のヒット曲
1964年ザ・サーチャーズのカバーもヒットしています。
「ハリケーン Hurricane」  ボブ・ディラン
Bob Dylan    
Bob Dylan
Jacques Levy 
シングルとして1975年発表でアルバム「欲望」(1976年)収録
無実の罪で牢獄にいたボクサーを救うためのキャンペーン曲
「Knockin' On Heaven's Door」  ボブ・ディラン、R・マッギン  ボブ・ディラン  映画「ビリー・ザ・キッド21才の生涯」のサントラ版に収録
ディラン自身も出演した映画のための曲でカバーも多い名曲
「The Water Is Wide」  ボブ・ディラン
ジョーン・バエズ 
Trad.
(編)ボブ・ディラン 
スコットランド民謡をピート・シーガーが歌い有名になった曲
「Romance in Durango」  ボブ・ディラン
Bob Dylan     
Bob Dylan
Jacques Levy 
アルバム「欲望」(1976年)収録 

<ツアー日程>
10月30、31日プリマス(マサチューセッツ州)
11月 1日ダートマス(マサチューセッツ州)
11月 2日ローウェル(マサチューセッツ州)
11月 4日プロビデンス(ロードアイランド)
11月 6日スプリングフィールド(マサチューセッツ州)
11月 8日バーリントン(ヴァーモント州)
11月 9日デュラム(ニューハンプシャー州)
11月11日ウォーターベリー(コネチカット州)
11月13日ニューヘイブン(コネチカット州)
11月15日ナイアガラ(ニューヨーク州)
11月17日ロチェスター(ニューヨーク)
11月19日ワーセスター(マサチューセッツ州)
11月20日ケンブリッジ(マサチューセッツ州)
11月21日ボストン(マサチューセッツ州)
11月22日ウォルサム(マサチューセッツ州)
11月24日ハートフォード(コネチカット州)
11月26日オーガスタ(メイン州)
11月27日バンゴル(メイン州)
11月29日ケベックシティー(カナダ)
12月 1日トロント(カナダ)
12月 2日トロント(カナダ)
12月 4日モントリオール(カナダ)
12月 7日クリントン(ニュージャージー州)
12月 8日ニューヨーク

第二次ツアーは1976年4月18日スタートで5月25日までかけてアメリカ南部から中部を巡りました。

「ローリング・サンダーレビュー : マーティン・スコセッシが描くボブ・ディラン伝説」 2019年
(監)マーティン・スコセッシ
(編)デヴィッド・テデッシ David Tedeschi、ダミアン・ロドリゲス Damian Rodriguez
(製)ジェフ・ロッセン Jeff Rosen、マーガレット・ボッデ Margaret Bodde
(製総)リック・ヤーン Rick Yorn

ボブ・ディラン関連のページ   トップページヘ