「無防備都市 Roma,Citta,Aperta」 1945年

- ロベルト・ロッセリーニ Roberto Rossellini -

<混沌から生まれる芸術>
 「混沌」こそ、芸術の新たなるジャンルを生み出す最も重要な要素です。その「混沌」を生み出す要素としては、戦争、大災害、不況、世代や人種、宗教などの対立など、いろいろなものがあります。アメリカを中心に世代間の対立と人種間の対立が同時進行した1960年代後半は、音楽界ではロックの急激な多様化が進み、映画界ではニューシネマ、美術界ではポップ・アートなど、数多くの新しいジャンルを生み出し発展させました。1970年代のパンクの誕生も、イギリスの不況とそこから生じた人種差別から大きな影響を受けていたことはが知られています。「混沌」はそれまで積み上げてきた技術や思想を破壊し再構築することによって、別の新しいスタイルを生み出すきっかけとなるのです。
 では「20世紀最大の混沌」ともいえる第二次世界大戦からは何が生まれたのか?同じ「混沌」でも戦争が生み出す「混沌」は時に取り返しができないほどの破壊をともないます。そのため、日本やドイツのように国土が徹底的に破壊された国は、そこから立ち上がるためにはそれなりの時間を必要としました。逆に国土にほとんど被害がなく世界で唯一の勝ち組となったアメリカはいち早く経済的な繁栄を謳歌しましたが、そこから新しい文化はほとんど生まれませんでした。(皮肉なことに、新しい文化をもたらしたのは、戦場で自由と平等の価値を知った黒人とヨーロッパを追われたユダヤ人という差別され続けてきた人々でした)

<イタリア映画界>
 そんな中、同じ敗戦国でもイタリアはちょっと異なる状況にありました。他の二つの同盟国よりも早く1943年の7月に降伏したイタリアは、その後1945年まで同盟国だったドイツの支配下におかれているのです。(性格には、北イタリアはムッソリーニが支配し続けています)当然、イタリアは連合軍の攻撃対象となりましたが、幸いなことに歴史的に貴重な建造物が多いことから連合軍による爆撃をドイツほど受けずにすみました。そんな中で、軍事施設ではないにも関わらず徹底的に破壊された場所がありました。それはイタリアのハリウッドともいえる映画スタジオ、チネチッタです。1940年代、チネチッタでは数多くのファシスト党のためのプロパガンダ映画が撮られていたため、そこは軍事施設と同様の扱いを受けることになったのです。こうして、イタリア映画界はハード面において限りなくゼロに近い状態からの再スタートを余儀なくされたのでした。
 ところが、こうした状況にも関わらず、ドイツと解放軍との戦闘が続く中、一本の映画が撮られていました。カンパによって資金を集め、かき集めたフィルムをつなぎ合わせて、手持ちカメラによってゲリラ的に撮影された「無防備都市」は、こうしたイタリアの状況をリアル・タイムでフィルムに焼き付けた究極のリアリズム作品といえるでしょう。
 1945年に公開されたこの作品はイタリア国内でヒットしたのはもちろん世界中に大きな衝撃を与え、この作品からネオ・リアリズモという新しい映画のスタイルが生まれることになりました。(ただし、ネオ・リアリズモの元祖はこの映画ではありません。1942年のアレクサンドロ・ブラゼッティ監督作品「雲の中の散歩」ルキノ・ビスコンティ監督作品「郵便配達は二度ベルを鳴らす」、そしてビットリオ・デ・シーカ監督作品1943年「子供たちは見ている」があります)
 「悲しみよこんにちは」「栄光への脱出」の監督オットー・プレミンジャーは、こういいました。
「映画の歴史は二分される。『無防備都市』以前と以後だ」

 さらに映画評論家の佐藤忠男氏はこう書いています。
「イタリアは敗戦国でありながら、その惨たんたる社会状況を直視することで芸術的には世界の先頭に立ったのである。同じ敗戦国でも、昨日まで戦意昂揚映画をつくっていた日本やドイツの映画人はすぐには頭の切り替えはできなかったが、イタリアの映画人たちの多くは第二次世界大戦末期にはレジスタンスに参加して反ファシズムの戦いをしていたので、その延長で直ちに社会的な諸問題に取り組んだリアリズム映画に向かってゆけたのである。戦勝国のほうは一般にお祝い気分で、自国の否定面を鋭く追求する気分ではなかった。・・・・・」
「中国映画の100年」より

<衝撃的なストーリー>
 主人公のほとんどが殺されてしまう重い結末もリアルですが、ゲシュタポによる拷問シーンのリアルさ、残虐さも衝撃的です。そして、麻薬ほしさで主人公を裏切る女優のマリーナが、ゲシュタポの怪しげな美女とレズビアンの関係にあるというのもまた当時は大きな衝撃だったでしょう。残念ながら、この部分は俳優の力量不足もあり、いまひとつリアルには描ききれていないのですが、・・・。
 この映画の中心人物、ドン・ピエトロ神父にはモデルがあります。ドン・パッパガッロ神父という人物で、彼はパルチザンのために偽の身分証明書を作り、彼らの活動を支援していたのだそうです。それに、逮捕された主人公を追ってドイツ軍の車を追いかけて、射殺されたピーナの役にも、モデルがあるそうです。ローマのジューリオ・チェザーレ通りでドイツ軍の家宅捜索に夫が巻き込まれたため、抵抗して射殺されたテレーサ・グッラーチェという妊婦さんがいたのだそうです。ひどい話ですが、そうした事件が他にどれだけあったことでしょうか。
 現実にあった出来事をもとにしたストーリーではあっても、いくつかの物語が同時に展開し、時にはユーモアも交えて見る者をけっして飽きさせないドラマチックな脚本(脚色)は、原作者のセルジオ・アミディと、なんとフェデリコ・フェリーニが担当していました。彼らはこの作品でいきなりアカデミー脚色賞にノミネートされていますが、当時彼はイタリアに進駐していたアメリカ軍のGI相手に似顔絵を描く「ファニーフェイス・ショップ」で大もうけしたいたそうです。

<必要から生まれた傑作>
 この映画が撮影時に抱えていた資金不足や人材不足などの問題点の多くは、監督のロベルト・ロッセリーニの優れた手腕と偶然の手助けによって、逆に好結果をもたらすことになりました。
 例えば、スタジオがないために彼らは現実に起きた事件を、それが起きた場所で撮影することにしました。当然その場所は埃まみれでリアルな場所であるだけでなく、事件当事者たちの思いを知りながらの撮影が行われることで真にリアルな撮影が行われました。さらに、戦時下ということで俳優も集まらずプロの俳優が5人ほどしかいなかったため、ほとんどの出演者は素人でしたが、それがかえってドキュメンタリー映画のような雰囲気を生み出すことになりました。
 フィルムが限られた量しかなかったため、それぞれのカットは3カット以内に収めることになり、それがカット数の少ない長まわしによるリアルな映像を生み出すことになりました。手持ちカメラによるシンプルなカメラのアングルも、限りなく人間的かつ当事者的な視点を生み出すことになり、観客が感情移入しやすい雰囲気を作りました。
 ネオ・リアリズモの基礎はこうして築かれ、この後のイタリア映画そして世界中の映画へと受け継がれてゆくことになります。(この流れは、50年代フランスのヌーヴェル・ヴァーグへ、60年代末アメリカのニュー・シネマへとつながってゆくことになります)
 彼はこの作品の後、イタリアが連合軍によって解放される過程を6つのエピソードによって描いた「戦火のかなた」(1946年)、ドイツにおけるファシズムの崩壊を描いた「ドイツ零年」(1948年)とともにファシズムに対する総括ともいえる3部作を完成させます。
 実は、この映画当初は「昨日の物語」というタイトルのオムニバス映画として撮影が始められていました。ところが、資金不足のために撮影がストップしてしまい、映画は幻の作品になるところでした。ところが、ここで奇跡が起きます。ロッド・ガイガーというアメリカ軍の軍曹が2万ドルでアメリカでの上映権を買ってくれたのです。彼はなんとハリウッドのプロデューサーだったのです。彼のおかげでこの映画は歴史的名画として日の目を見ることになったのでした。アメリカ万歳!

<ロベルト・ロッセリーニ>
 ネオ・リアリズモの元祖となった巨匠、ロベルト・ロッセリーニRoberto Rosselliniは、1906年5月8日ローマに生まれています。子供の頃から映画が大好きで早くから映画作家を志した彼は、1934年に教育映画連盟で編集の仕事をするようになります。その後は短編映画を撮るようになり、1941年「白い船」で長編映画デビューを飾りました。
 しかし、ファシズムの時代が到来するとすぐに彼は自由な作家活動げできなくなってしまいました。だからこそ、彼はファシズムと闘う唯一の方法だった「映画」に命を賭けることになったのです。
 この映画には、映画よりもロマンチックな後日談があります。ヴェネチア映画祭でグランプリを受賞し、ヨーロッパで高い評価を得ることになったこの作品は、世界中で公開され大きな反響を呼びました。そんな中、ニューヨークの映画館でこの映画を見た女優イングリッド・バーグマンは、大きな感銘を受け、その後すぐに監督宛に手紙を出しました。その手紙には、「イタリア語はまったく話せないのですが、もしあなたが使ってくれるなら、すぐにイタリアへ向かいます!」と書かれていました。
 当時彼女は作品に恵まれずスランプ状態にあったともいわれますが、そんな手紙を書かせるほど、この作品は衝撃的だったということでしょう。しかし、話はこれだけでは終りません。彼女はなんとこの後、イタリアへと本当に渡り、1949年ロッセリーニの「ストロンボリ/神の土地」に主役として出演。そのうえ、夫と子供をアメリカに残して、ロッセリーニと生活を共にすることになったのです。当時、こうしたおおっぴらな不倫は珍しく、彼女はマスコミに批判されただけでなく、ハリウッドからも締め出され、7年間アメリカ映画に出演できないことになります。(この時、二人の間に生まれた女の子が、後にデヴィッド・リンチの傑作「ブルー・ベルベット」で妖艶な演技を披露する女優イザベラ・ロッセリーニです)
 戦後の混沌が生んだネオ・レアリズモ巨匠、ロベルト・ロッセリーニはこの後も作品を発表し続けますが、皮肉なことにイタリアに平和が訪れるとともに、その作品から輝きが失われてゆくことになります。1960年代以降はその活動の中心をテレビに移し、映画界を離れ、1977年6月30日静かにこの世を去りました。

「もう今日ではモンタージュは全能の操作法として見なされていない。本物がそこにある。なぜそれに手を加えるのか。」
ロベルト・ロッセリーニ(1959年)

<アンナ・マニャーニ>
 この映画に出演した数少ないプロの俳優アンナ・マニャーニは、この映画で世界的に注目され、アメリカ映画にも出演することになります。1955年の映画「バラの刺青」でイタリア人俳優として初めてアカデミー主演女優賞を受賞、イタリアを代表する大物女優となりました。

<ネオ・リアリズモからヌーヴェルヴァーグ>
「ネオ・リアリズモが尊ぶのは、筋書きとしての物語性ではない。時間としての歴史性である。」

チェザーレ・ザヴァッティーニ

 ネオリアリズモの特質のひとつは、監督たちが、現実に起こっていて、その段階ではまだ結論の出ていない事柄について映画を撮っていたという点だった。戦後まだ間もない、まだイタリアがドイツ軍になかば占領されたままの時期にロッセリーニの手で『無防備都市』が撮られたことを思い出すべきだろう。戦争があった時に戦争について撮られたということは年代記的であり、しかしながら同時にただ単に記録的であるだけではなく叙情的で独創的な次元にあるこの映画以上にネオリアリズモを象徴するものはないように思える。これこそネオリアリズモだったのだ。ロッセリーニはドイツ軍がローマを後にし、イタリアが二分されていた時に『無防備都市』と『戦火のかなた』を撮った。

 1957年から1958年にかけて、ロッセリーニがパリにやってくると、彼を信望する映画青年たち(その多くは「カイエ・デュ・シネマ」の同人たち)が彼を取り囲み、シナリオを読んだもらったり、16ミリの習作を見てもらったりした。こうして、ロッセリーニは「ヌーヴェルヴェーグの父」と呼ばれることになります。特にトリュフォーは、ロッセリーニが映画をなかなか撮れなかった時期に彼の助監督をつとめていて、企画どまりの作品にも関わり様々なことを学んだようです。

「無防備都市 Roma,Citta,Aperta」 1945年公開
(監)ロベルト・ロッセリーニ
(原)(脚)セルジオ・アミディ
(脚)フェデリコ・フェリーニ
(撮)ウバルド・アラータ
(音)レンツォ・ロッセリーニ
(出)アルド・ファブリッツィ、アンナ・マニャーニ、マルチェロ・パリエーロ、マリア・ミーキ

<あらすじ>
 アメリカ人の技師として働いていたマンフレディーは実はドイツからの独立を目指す解放組織の中心メンバーでした。彼の友人であり同志のフランチェスコは、同じアパートで知り合った子供のいる女性ピーナ(アンナ・マニャーニ)と結婚をすることになっており、式を直前に控えていました。しかし、スパイ網を張り巡らしていたドイツの秘密警察(ゲシュタポ)によって、ついに彼らは逮捕されてしまいます。そのうえ、連行される婚約者の後を追って駆け出したピーナはドイツ兵によって射殺されてしまいます。
 かろうじて、ゲリラの攻撃によって二人は脱出に成功するものの、マンフレディーの恋人の女優マリーナの裏切りにより、再び彼と協力者の神父、フランチェスコ(アルド・ファブリッツィ)はゲシュタポによって逮捕されてしまいます。実はマリーナはゲシュタポの女性隊員に金と麻薬によって操られていたのです。
 ゲシュタポによって、マンフレディーは残虐な拷問を受けますが、仲間の秘密を漏らさないまま神父の目の前で息絶えます。そして、神父もまたゲシュタポに協力することのないまま、鉄条網ごしに子供たちが見守る中、銃殺刑になってしまいます。

<1945年の出来事>
ヤルタ会談開催(ルーズヴェルト、チャーチル、スターリン)
国際連合、ユネスコ、世界銀行が設立される
ポツダム会談、ポツダム宣言(米、英、ソ連)
原子爆弾が日本に投下される(広島、長崎)、東京大空襲、沖縄に米軍上陸
ドイツ、日本が無条件降伏
ドイツ東西に分断される、ニュールンベルグ軍事裁判始まる
ポーランド、チェコ、ユーゴスラヴィア、ハンガリー次々と共産化し独立
ソ連軍、満州、朝鮮に侵攻
ヴェトナム民主共和国(北ヴェトナム)独立
アラブ連盟結成(エジプト、サウジアラビア、イエメン、シリア、レバノン、イラク、ヨルダン)

この年の音楽、芸術については、ここから!


「逢びき」(監)デヴィッド・リーン(原)(脚)(製)ノエル・カワード(出)セリア・ジョンソン、トレヴァー・ハワード
「失われた週末」(監)ビリー・ワイルダー(出)レイ・ミランド(アカデミー作品、監督、主演男優賞
「白い恐怖」(監)アルフレッド・ヒッチコック(製)デヴィッド・O・セルズニック(出)グレゴリー・ペック、イングリッド・バーグマン
「第七のベール」(監)コンプトン・ベネット(脚)シドニー・ボックス(出)ジェームス・メイスン、アン・トッド
「鉄路の闘い」(監)(脚)ルネ・クレマン(撮)アンリ・アルカン(出)トニ・ローラン、リュシアン・ドュザニョオ
「天井桟敷の人々」(監)マルセル・カルネ(脚)ジャック・プレヴェール(出)アルレッティ、ジャン=ルイ・バロー
「ブルックリン横丁」(監)エリア・カザン(出)ペギー・アン・ガーナー、ジェイムズ・ダン(アカデミー助演男優賞
「ヘンリィ五世」〈監)〈製)(出)ローレンス・オリヴィエ(原)ウィリアム・シェイクスピア(出)ロバート・ニュートン
「南部の人」(監)(脚)ジャン・ルノアール(原)ジョージ・セッション・ベリー(出)ザカリー・スコット、ベティ・フィールド
「緑園の天使」(監)クラレンス・ブラウン(出)エリザベス・テーラー、ミッキー・ルーニー、アン・リヴィア(アカデミー助演女優賞
「無防備都市」(監)ロベルト・ロッセリーニ(脚)フェデリコ・フェリーニ、セルジオ・アミディ(出)アルド・ファブリッツィ、アンナ・マニャーニ
「らせん階段」(監)ロバート・シオドマーク(原)エセル・リナ・ホワイト(出)エセル・バリモア、ジョージ・ブレント
「われわれは長い道を歩んできた」(アメリカン・ニグロ史のドキュメンタリー映画)

「或る夜の殿様」(監)衣笠貞之助(脚)小国英雄(出)長谷川一夫、山田五十鈴、大河内伝次郎
「大曾根家の朝」(監)木下恵介(脚)久坂栄二郎(出)杉村春子、三浦光子
「そよかぜ」(監)佐々木康(撮)寺尾清(並木路子の主題歌「リンゴの唄」大ヒット)
「はたちの青春」(監)佐々木康(出)大坂志郎、幾野道子(日本初の「キス」映画)
「待ちぼうけの女」(監)マキノ正博(脚)新藤兼人(出)小杉勇、高峰三枝子
「わが青春に悔いなし」(監)黒澤明(脚)久坂栄二郎(出)藤田進、原節子、大河内伝次郎

「ユーコンの叫び」(監)B・リーブス・イーソン(戦後初の洋画が公開される)

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