すべての思い出はROMA/ローマに通ず


「ROMA/ローマ」
「ROMA/ローマ 完成への道」

- アルフォンソ・キュアロン Alfonso Cuaron -
<「ROMA/ローマ 完成への道」>
 「ROMA/ローマ」は、本当に素晴らしい映画でした。アカデミー監督賞、外国語映画賞、撮影賞。ヴェネチア国際映画祭金獅子賞、ゴールデングローブ監督賞、外国語映画賞、インデペンデント・スピリット賞外国語映画賞・・・数多くの映画賞を受賞したこの作品が見たくて、僕はNetflixを観始めました。
 ただし、この作品を観終わった後、なかなかその素晴らしさについて書くことができませんでした。どう説明したらよいのか?と思っていたら、先日、Netflixで「ROMA/ローマ 完成への道」というドキュメンタリーが公開されました。その中で監督のアルフォンソ・キュアロンによって、映画の製作秘話が語られ、撮影現場の様子をカラー映像で見ることができました。それぞれの場面がどうやって、どういう意図で撮られたのかの説明がなされています。
 というわけで、さっそくもう一度本編を観てみました。なるほど、やっとこの作品の見どころの隠し味が具体的にわかってきました。ついにこの作品がDVD化されるようなので、この機会にその魅力についてまとめてみようと思います。

<オープニングとエンディング>
 この作品は、駐車場のタイル張りの床を流れる水とその水に映る飛行機の映像、その背景に流れる水の音とブラシで床をこする音から始まります。そして、ラストはその駐車場から出た中庭から見上げた空とそこを横切る飛行機の映像、その背景の雑踏と子供たちの楽し気な声で終わります。
 この映画の主役は人間とは限りませんよ!画面全体を良く見て、すべての音にも注意深く耳を傾けて下さいね!そう言いたいかのようです。そして監督は、そのために画面のすべて、細部にもこだわり、それぞれに意味を持たせようとしています。その意味では、この作品は映画館の巨大な画面よりも家庭の小さな画面の方がすべてを見渡せるかもしれません。その上何度も見返すことで、より多くの情報を画面から得られるとも言えます。

 こうした画面全体、細部へのこだわりは、これまでの彼の作品からも見ることができます。
 SF映画の傑作「トゥモロー・ワールド」では、21世紀の未来社会を徹底的にリサーチして世紀末のイギリスを丹念に創造しています。様々な小道具で表現されていた過去のロック・ミュージックへのオマージュは特に印象深いものでしたが、閉鎖状態で薄汚れてしまった街中の雰囲気もよくできていました。ラストの戦闘に使われた破壊された街の雰囲気は、中東のアメリカ軍による攻撃をリアルに見ているような迫力がありました。
 宇宙映画「ゼロ・グラヴィティ」で監督がこだわったのは、「無重力」の世界でした。科学的にリアルかどうかは多少問題ありですが、映像としての「無重力」をここまでこだわって描いた映画は、他にないでしょう。実は、キュアロン監督の父親は国際原子力機関で原子物理を研究する物理学者でした。彼にはかなり優れた理系の血が流れているのでしょう。
 ではこの作品で監督が創造した世界は何だったのでしょうか?
 それは、この映画のタイトルの元にもなっている1971年のメキシコの首都、メキシコシティの一角にある「ローマ地区」です。そこに住む中産階級の子供の中の一人だったアルフォンソ・キュアロン少年が見た箱庭のような世界が画面の中に蘇らされています。
 ただし、彼が創造した当時の世界は、単なる子供時代のノスタルジックな記憶の再現ではありません。だからこそ、彼はその世界に70年代らしいカラーや質感をあえて与えることをしていません。その世界は4Kデジタルによるモノクロ映像によって、くっきりと描き出されています。その映像の深みは、ノスタルジーを排除したあくまでも現代的なものです。
 インタビューでも語っていましたが、彼は当時の思い出について膨大なメモを書き残していたそうです。それ以外にも、当時の街並みの写真や資料をもとにローマ地区が再現されています。街中を歩くエキストラ一人一人の人種、階級、仕事、衣装、性別は、イラストによって支持されていますが、その人種配分は当時の統計資料をもとに選んだとのこと!単なるイメージと記憶だけでなくそうした数字にもこだわるのは、さすが理系ならではのこだわりでしょう。

<動きのある長回し>
 この作品の見どころは、アルフォンソ・キュアロン監督お得意の長回し撮影にもあります。
 6分間にわたるピクニック&射撃大会の場面は、62回も撮り直したといいますが、その場面は単にカメラを固定して延々と演技をさせるのではありません。宇宙服を着た少年がSF映画のように浅い水の中を歩く場面から始まり、しだいに人が増え、大人たちによる射撃へとつながって行き場面がゆっくりとカメラを移動させながら続きます。
 主人公の家政婦クレアが街の中を歩く場面も同様で、カメラが彼女と共に移動することで街が生き生きと活動している様が見事に映し出されます。レストランで食事をする人から、店頭で物を売る人など、多くのエキストラがリアルに動くことで、そこで展開される街がどこまでもいつまでもそこに存在するように思えてきます。
 彼はインタビューでこう語っていました。
「時間は進んでも場所は動きません。場所の記憶の方が時間よりも長く続くのです」
 だからこそ、彼は美術担当のエウセニオと共に彼の記憶に残る場所と物を限りなく真実に近づけたのでしょう。

 家庭を捨ててアントニオが家を出る場面の撮影時、監督は撮影前からイライラしていて、その理由が何かわかりませんでした。しかし、撮影を始めると、その理由が当時自分がわかっていなかった家を出た父親の気持ちがわかってきたせいだったことに気づいたといいます。家で出されるケーキのレシピまで当時の再現にこだわったという彼のこだわりは、彼自身の心の奥底にあった苦い記憶までも正確に思い出させたのかもしれません。
 主人公クレオが破水して緊急手術を受ける場面もまた見事な長回し撮影が行われています。この場面の登場人物はみな本職の医療従事者で、彼らがいつも作業しているように手術室の用具は揃えられています。病院も、閉鎖され壊される予定だった古い病院のワンフロアを再生させ、それを当時の病院に復活させています。
 クレオが運ばれて手術室に入る過程から、手術への一連の動きもリアルに再現されていて、最後に死産として生まれる赤ちゃん(人形)が彼女の手術台の下にあることは秘密にされていました。そして、本番では一連の流れがノンストップで撮影され、最後にリアルに作られた赤ちゃんの遺体が差し出されると、クレアの涙は止まらなくなり、看護師の女性までつられて泣き出してしまいます。(看護師の顔は本編画面ではカットされていますが・・・)監督のカットの声の後も、泣き止まないクレア役の女優を監督が抱きしめることでやっと撮影が終了します。
 この撮影シーンだけでも作品として見ごたえがあります。

<1971年のメキシコへ>
 この作品のもう一つのクライマックスは、近代メキシコ史において「コーパス・クリスティの虐殺」と呼ばれる事件の再現映像です。1971年6月10日、120人以上の民主化を求める学生たちが、警察や右翼の暴力によって命を落とした事件は、「血の木曜日事件」とも呼ばれています。監督自身がメキシコの歴史において最も重要な事件と呼ぶその事件を、当時彼は映画の主人公と同じように通りに面した大型家具店の窓から見ていたようです。
 世界中に広がっていた様々な学生たちの民主化運動ですが、メキシコでは圧倒的な暴力によって運動は弾圧され、その傷跡は現在も消えていないといいます。もともとメキシコという国は、ヒスパニック系と白人系という人種対立。物凄いレベルの貧富の差が有名で、中米で最も共産主義が力をもつ国でした。(キューバ革命の重要人物など、多くの政治逃亡者がメキシコに逃れています)それだけに、70年代の政治的な混乱は大きく、それが悲劇的な結果を生むことにもなったのでした。
 映画では、この事件をリアルに再現し、様々な角度からその混乱とその中に巻き込まれる主人公たちを描いています。あえてこの場面については、説明的なナレーションもなくメキシコ人ではない我々には、どんな事件だったのかはわからないかもしれません。ただし、1971年という年を考えると、僕のような監督と同世代の人間には時代の空気を思い出すことは十分に可能です。テレビにくぎ付けになった「安田講堂での攻防戦」や「あさま山荘事件」の映像は今でも僕の脳裏に焼き付いています。
 よく考えると、ここでナレーションを入れてしまうと、観客はその場面をニュース映像として他人事、歴史的な出来事として感じることになります。あえて、それをせずに観客がクレオを一緒に突然事件に巻き込まれてしまう方が、当時の空気を体感できる。そう考えての演出と考えるべきでしょう。

<世界は音と映像に満ちている!>
 世界は、様々な音と映像に満ちています。それは時に美しく、時に騒々しく、時に楽しく我々を魅了してくれます。ただし、その事実を人はしだいに忘れてしまいます。特に大人になって生き方がルーティーンの繰り返しになってしまうと、そのことに気づくことはほとんどなくなってしまいます。旅に出て新鮮な経験をしたり、予期せぬ事件に巻き込まれたり、素晴らしい音楽や本と出会ったりするぐらいしか、その瞬間の喜びを思い出せなくなってしまいます。
 この映画は、そんな経験をきっとあなたに蘇らせてくれるはずです。
 ラストの海岸での子供たちとの抱擁の映像はまさにそんな奇跡の一瞬を封じ込めた歴史的な名場面です。
 そんな素晴らしい記憶に残る人生の一場面があれば、きっと誰もが人生を楽しめるはずですが、幸福に生きる人とは、いつでもどこでも音と映像を楽しめる人なのだと僕は思います。そのことに改めて気づかせてくれる素晴らしい作品です。

「ROMA/ローマ」 2018年
(監)(製)(脚)(撮)(編)アルフォンソ・キュアロン
(製)ガブリエラ・ロドリゲス、ニコラス・セリス
(PD)エウヘニオ・カバイェーロ
(編)アダム・ガフ
(出)ヤリッツァ・アパリシオ、マリーナ・デ・タビラ、マルコ・グラフ、ダニエラ・デメサ、カルロス・ペラルタ
アカデミー監督賞、撮影賞、外国語映画賞ゴールデングラブ監督賞、外国語映画賞ヴェネチア国際映画祭金獅子賞ほか多数
<あらすじ>
 メキシコの首都メキシコシティ―のローマ地区に住む医師アントニオと学者の妻ソフィアと子供たち。そこで働くお手伝いさんのクレオは、毎日、家の掃除洗濯や子供たちの世話で大忙しです。それでも彼女には恋人がいて、休日は彼とデートをしていましたが、ある日、妊娠していることがわかります。ところが、父親のフェルミンは自分が父親であることを認めず、彼女は一人で子供を育てなければならなくなります。そんな中、医師のアントニオが妻ソフィアと別れ、家を出て行きます。そのため家族の間には不安が広がります。
 時は1971年6月、クレオはソフィアの母親と共に赤ちゃんのためのベビーベッドを購入しようと大型家具店を訪れます。すると外で行われていた民主化運動のためのデモ行進に警官隊と右翼団体による攻撃が始まります。中には銃によって射殺される学生もいて、通りは大混乱になります。クレオはその暴徒の中に銃を持つフェルミンを見つけ、そのショックで破水してしまいます。
 道路が大混乱する中、なんとか彼女は病院にたどり着き、緊急手術が始まります。

「ROMA/ローマ 完成への道」 2020年
(監)アンドレス・フラオンド、ガブリエル・ナシミオ
(製)アレハンドロ・デュラン、ガブリエル・ナシミオ
(撮)マルセロ・ガラン、ファン・パブロ・ラミレス

(編)ペドロ・G・ガルシア(音)エステバン・アルドルテ
(出)アルフォンソ・キュアロン

現代映画史と代表作へ   トップページヘ