美しくやがて悲しきベルベット・ヴォイス


- ロイ・オービソン Roy Orbison -
<偉大なロック・シンガー>
 エルヴィス・プレスリーが世界一の歌手と讃え、ブルース・スプリングスティーンがアルバム「明日なき暴走」の録音で彼の歌い方を意識したという伝説的ロック・シンガー。
 ローリングストーン誌が選んだ20世紀最高のシンガーベスト100で彼は13位に選ばれています!その評価も知名度も日本とは大違いです。たぶん映画「プリティ・ウーマン」のヒットがなければ日本では、無名に近いままだったはずです。
 多くのロック・シンガーからのリスペクトを受け続ける美しいヴェルベット・ヴォイスの持ち主、ロイ・オービソンをご紹介します!

<カントリーからのスタート>
 ロイ・オービソン Roy Orbison は、本名をロイ・ケルトン・オービソンといい1936年4月23日アメリカ南部テキサス州ヴァ―ノンに生まれています。油田地帯の街ウェイクという街で育った彼は、早くから歌の才能を生かし歌手デビュー。地元のバンドのメンバーとして活動を始めます。
 ティーン・キングズというバンドに在籍中にレコーディングした「ウービー・ドゥービー」を、カントリー歌手のジョニー・キャッシュが気に入り、友人のサム・フィリップスに推薦してくれます。
 こうして、彼はロックンロールの中心地メンフィスに出て、サム・フィリップスが運営する名門レーベル、サン・レコードからデビューするチャンスを得ることになりました。しかし、デビューシングル「ウービー・ドゥービー」はヒットしたものの、その後のロックン・ロールナンバー「Sweet And Easy To Love」、「Chicken Hearted」「Rock House」は、どれもヒットせず、1957年にはサン・レコードとの契約を解除されました。
 その後、彼は作曲家としての成功を目指し、音楽出版社アカッフ・ローズと作曲家として契約。1958年には、彼の曲「クローデット」がエヴァリー・ブラザーズにより、トップ30入りのヒットとなりました。そのヒットのおかげもあり、彼には再びシンガーとしてのチャンスが巡って来ることになります。彼はRCAレコードからチェット・アトキンスのプロデュースによりシングルを2曲発表。ワシントンDCのモニュメント・レコードとシンガーとして契約を結び、彼と同じテキサス出身の作曲家ジョー・メルソンとコンビを組んで活動を開始します。
 1曲目のシングル「Uptown」はカントリーの本場であるナッシュビルでは初めてストリングスを導入して録音されました。この後、彼とメルソンのコンビは次々とヒット曲を生み出して行きます。
「Only The Lonely (Knoe How T Feel)」(1960年全米2位)、「Blue Angel」(1960年全米9位)、「Running Scared」(1961年全米1位)、「Crying 恋のむせび泣き」(1961年全米2位)
 後にリンダ・ロンシュタットがカバーしヒットさせることになる「Blue Bayou」もこのコンビの作品です。他にも自身のオリジナル曲として「Lee」、「Working For The Man」、「Falling」などをヒットさせますが、1963年には再びメルソンとのコンビで「In Dreams」を全米7位のヒットにしています。
 1963年、メルソンがソロ活動を始めることになり、コンビは解消されます。代わりに新たなパートナーとしてビル・ディーズが選ばれ、すぐに「It's Over」がヒットします。

<悲劇の時代>
 1964年、「Oh , Pretty Woman」は、1990年に映画「プリティ・ウーマン」で使用されて、彼の再評価につながった曲。この年は全米ナンバー1になっただけでなく、この年だけで400万枚の大ヒットになりました。(その後700万枚を突破します)この時期は、ビートルズらのブリティッシュ・ビートバンドによってアメリカのチャートが占領されていただけに、彼の活躍は貴重でした。それもあり、彼はMGMレコードと大型契約を結び、1968年にはMGMの映画「Fastest Guitar Alive」に出演。映画スターとしての活躍により、かつてのエルヴィスのようなアイドル・スターを目指すことになります。
 しかし、1960年代後半となれば、もう時代はサイケやフラワー・ムーブメントの時代。エルヴィスやロックンロールの時代はもう時代遅れとなっていたのですから、二匹目のドジョウなどいるはずがありません。彼の人気はあっという間に下り坂となりました。
 1966年、離婚したもののよりを戻しそうになっていた元妻のクローデットが交通事故でこの世を去ります。その2年後には自宅が火事になり、二人の息子までもがこの世を去ってしまいました。精神的なショックのため、彼は60年代から70年代にかけて、ほとんど活動ができなくなりました。

<カントリー・シンガーとしての再起>
 70年代に入ると、立ち直ってきた彼はカントリー・シンガーとして再デビュー。1977年には前述のリンダ・ロンシュタットによる「ブルー・バイユー」がヒットし、1981年にはドン・マクリーンによる「CRY」のカバーもヒット。1982年のヴァン・ヘイレンによってカバーされた「Oh ,Pretty Woman」も全米12位のヒットになりました。
 その間、1980年には彼とエミール・ハリスとのデュエット曲「胸ときめいて」(映画「ローディ」のサントラ収録)がグラミー賞を受賞。
 1986年には、デヴィッド・リンチ監督の大ヒット作「ブルー・ベルベット」に彼の曲「In Dreams」のカバーヴァージョンが使用されて話題になりました。
 こうして彼が復帰する状況は整い、1986年彼は新興レーベル、ヴァージンと契約し、再録音により2枚組ベスト・アルバム「In Dreams - The Greatest Hits」を発表します。
 1987年、彼は誕生したばかりの「ロックの殿堂」に入ります。
 1988年、ロック界の大物ボブ・ディランジョージ・ハリソン、トム・ペティ、ジェフ・リンと共にトラベリング・ウェルベリーズを結成。k.d.ラングとのデュエット曲「Cry」も話題となり、グラミー賞も受賞しています。
 この年、テレビで彼のトリビュート企画が実現。その番組「ロイ・オービソン&フレンズ: ブラック&ホワイト・ナイト」では、ブルース・スプリングスティーントム・ウェイツエルヴィス・コステロU2のボノ、それにプロデューサーでもあるTボーン・バーネットらとの共演が実現しています。

 トラベリング・ウェルベリーズの成功により、彼の過去の作品の再評価も始まり、その流れに乗って新作アルバムの制作もスタート。いよいよ彼の第二期黄金時代が始まろうとしていました。

<悲劇の死>
 彼にとって久々の新作アルバム「Mistery Girl」が発売になる直前、1988年12月6日、彼はまだ52歳という年齢にも関わらず、心筋梗塞により突然この世を去ってしまいました。
 遺作となってしまった新作アルバムは、内容的に素晴らしかったことも手伝い100万枚を突破する大ヒットとなりました。シングル「You Got It」も全米9位のヒットとなりました。

 ワン&オンリーのヴェルヴェット・ヴォイスの持ち主だったシンガーは、不幸のどん底から復活したとたんこの世を去りました。そんな彼の生き様を知って改めて彼の曲を聞くと、その歌声は甘いだけではなく苦さももっているように感じられてきます。
 あなたも是非、もう一度彼の歌声に耳を傾けてみて下さい!

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