- ルドルフ・シュタイナー Rudolf Steiner -

<宗教戦争の20世紀>
 21世紀に入り、あの9/11以降、世界は新しい段階に突入しました。それは「民主主義対テロリズム」によって世界が二分される時代と表現されています。しかし、その捉え方は本当に正しいのでしょうか?歴史はその判断をゆっくりくだして行くことになるでしょうが、すでに別の見方をするべきであるという意見がきかれます。それは、世界は今「イスラム原理主義対キリスト教保守派」の闘いに巻き込まれているとするものです。
 ブッシュ率いる共和党の保守派グループは、アメリカ南部で力をもつキリスト教保守派グループと緊密な関係にあります。そして、彼らの信仰はイスラム原理主義以上に原始的で非科学的なものです。その基本は「聖書絶対主義」で、聖書に書かれている出来事はすべて聖書のとおりに起きたと考えられています。(聖書に書かれているのは、キリストの教えを分かりやすく理解させるための例え話なのだと考えるべきだと思うのですが・・・)当然、サルから人間は進化したという「進化論」などは論外で、人間は神が動物たちの頂点に立つ生き物として、神の姿を真似て作られたと考えられています。これは、現実に今、南部の多くの学校で使われている教科書に書かれています。もしかすると、あのブッシュ大統領なら、それをまともに信じていても不思議はないかもしれません。しかし、ラムズフェルドやライスなど、彼の側近たちみんながそれを信じているとは思えません。彼らは、そうしたアメリカの保守的な人脈を見事に利用しているのでしょう。そして、そのことは、アルカイーダのリーダーであるビンラディンにも言えることかもしれません。
 イラク戦争だけに関わらず、20世紀に起きた戦争の多くは、宗教が絡んだものであり、そうでない場合でも宗教は戦争を正当化するために利用されてきました。(共産主義もまた20世紀に生まれた新興宗教だったと考えられるかもしれません)宗教の存在意義とは、「金儲けの手段」か「戦争の正当化の手段」もしくは「権力誇示の手段」としか考えられていないかもしれません。

<宗教の本質とは?>
 しかし、宗教の目的はもともとそうだったわけではありませんでした。キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンズー教など古くからある宗教の指導者たちは、けっして私利私欲のために布教活動をしていたのではないはずです。だからこそ、彼らの言葉は2千年以上にわたって語り継がれることになったのです。
 しかし、どんなに素晴らしい言葉や教訓も、それが宗教団体としての権力構造に組み入れられ、収益団体となってしまえば、いつしかその意味は曖昧になり、ついには権力構造自体を存続させるため、もしくは団体の利益を確保するために悪用されるようになってしまうのです。
 では、あなたがもし何かこの世のものとは思えないような素晴らしい体験をし、「人生をいかに生きるべきか」その重要なヒントを得たとしたら、あなたはどうしますか?もし、それが本当の意味で素晴らしい体験だったとしたら、たぶんあなたはそれを誰かに伝えたくなるはずです。(そんな体験を「至高体験」と呼びます)たぶん、多くの宗教創設者たちは、そうした「至高体験」を人々に伝えようとして、その活動をスタートさせたのです。

<宗教の革新者>
 20世紀初頭、ドイツから現れたルドルフ・シュタイナーという人物もまた、「至高体験」から人間のもつ新たな可能性に気づき、それを広めようと活動を始めました。ただし、彼は多くの宗教指導者たちと違い、それを「神の言葉」としては語らず、それを「科学」によって裏付けが可能な「新しい科学思想のひとつ」として伝えようとしました。彼は宗教家としてではなく、「学者」として活動を続けることで「新しい宗教」「新しい人間観」をシステム化しようとしました。こうした、彼の宗教観は、21世紀を生きる我々にとっても大いに参考になるような気がします。
 さて、彼はいったいどんな体験をし、どんな思想を人々に伝えようとしたのでしょうか?

<科学を愛する天才少年>
 ルドルフ・シュタイナーは1861年2月27日現在のユーゴスラヴィアにあるクラリエヴェックという街に生まれました。父親は鉄道会社の電信技師で、当時、科学技術の最先端だった父の仕事を見ながら育った彼は、20世紀に向けて次々に生み出される新しい発見に心を躍らせる科学大好き少年でした。
 しかし、同時に彼の家庭は熱心なカトリック教徒だったため、彼もまた子供の頃に洗礼を受けています。静かな田舎町で物事をじっくりと考える時間を与えられた彼は、勉強好きではなかったものの自分が興味を持ったことには、とことんのめり込むタイプで、教師をも驚かせるこだわり少年でした。そんな彼は、科学はもちろん政治、宗教、歴史、そしてピアノやヴァイオリンなどの楽器についても、その才能を発揮。マルチな才能に恵まれていました。彼は学校の授業はほとんど聞かず、自分が興味を持った本を独学で学びながら、次々と自分のものにして行き、ウイーン工科大学に見事合格しました。

<失望の大学生活>
 ところが、希望を抱いていたはずの大学生活は、彼にとってあまり役に立つものではありませんでした。当時、大学では最新の思想「唯物論」があらゆる分野で幅を利かせていました。ところが、天体の動きや生物の仕組みはもちろんのこと、人間の脳の仕組みから感情まで、すべてのことは科学によって説明できるとする「唯物論」の考え方に対し彼は大きな疑問を感じました。しかし、彼には唯物論を真っ向から否定するだけの理論的根拠はなく、もちろん「神」の名を使って否定するという安易な考えを持っていたわけでもありませんでした。
 こうして、彼は「唯物論」を否定するために、「科学」と「宗教」を融合させるまったく新しい試みに挑み始めたのでした。

<唯物論を否定するわけ>
 ではなぜ、彼が唯物論に対して疑問を感じていたのか?その理由は実に簡単明瞭です。彼には子供の頃から「心霊能力」もしくは「超能力」が備わっていたからなのです。(物にさわることで、その物に関する歴史を知ることができるというサイコメトリーなどの能力を彼はもっていたと言われています)
 例えば、こんなことがあったそうです。少年時代のある日、彼は駅の待合室にいました。するとそこに見覚えのある顔の女性がやってきて、彼に「今はできるだけ力を貸して下さい。そして、これからもよろしくお願いいたします」と言い残して、消えてしまいました。その翌日、彼の父親に親戚の女性がちょうど同じ時刻に自殺していたことをきかされ、彼は驚くと同時に霊の存在を信じるようになったのです。
 彼はその能力のもつ意味を追求することに全力を尽くしますが、後に彼が思想家として活躍するようになっても、長い間そのことを公表せずにいました。それは「心霊能力」によって多くの支持者を得ることができても、それ以上に多くの人々に誤解されるかもしれないと考えた、彼のしっかりとした計算に基づく判断でした。彼は少年時代に自分のもつ特殊な能力について回りの人間に話したことがあったようですが、まったく相手にされず、そのために自分の能力について語ることを封印してしまったとも言われています。
 しかし、彼は自分がもつ「心霊能力」はけっして特殊な能力ではなく、人間なら誰もが潜在的にもっているものと確信していました。ただ、ほとんどの人はその能力の使い方を忘れてしまっただけなのだと考えていたのです。
「・・・われわれは集中することを覚えるために、現在でも未開種族のあいだ存在するあの広大な宇宙感覚を自ら進んで捨てたのだった・『心霊能力』とは、生まれ合わせとか遺伝のために今なおこうした原初の能力をもっている人のことである。・・・」 
コリン・ウィルソン

 ところで、シュタイナーのもつ「心霊能力」は、「瞑想」もしくは「自己催眠」によって、意識的に発揮することが可能だったという点で他の能力者とは大きく異なっていました。
 だからこそ、彼は人間の潜在能力を開発することは可能だと考え、そのために自分ができることを模索し続けることになります。問題は彼のこうした考え方をどうすれば多くの人々にきかせることができるか?ということでした。

<ゲーテとの出会い>
 その頃、彼は大学で自分と同じ様な考えをもっていた過去の偉人の存在を知ります。それは18世紀に活躍した哲学者、自然科学者、詩人、小説家のゲーテです。この後、彼はゲーテを研究することで、少しずつ自らの思想体系を組み立てて行くことになります。
 こうして始まった彼のゲーテ研究はまったく無名だった彼の存在を世の中に知らせるきっかけを作ることになります。1883年、彼はゲーテの自然科学論文の校訂の仕事を得ます。ダーウィンよりも早く進化論にたどり着いていたとも言われるゲーテの自然科学の知識は、的はずれの部分も多かったものの十分に読み応えのあるものでした。彼はこの仕事を成し遂げたことで、ある程度の評価を得ることができ、学問の都のひとつワイマールでゲーテ・シラー文庫の職員として働きながら学位をとることができました。

<「自由の哲学」発表>
 こうして、しだいに自分の考え方に自信をもつようになったシュタイナーは、1894年自らの立ち位置についての宣言書とも言える「自由の哲学」を発表します。その作品の中で彼は自由意志と心の存在を明確化し、唯物論を否定しています。
「唯物論は世界について満足のゆく説明をすることができない。というのも、どういう立場からの説明であれ、世界の現象についての思考内容を形づくるところから始めなければならないからである。・・・」

 そして、「思考」は「無」もしくは「自由意志」からでなければ生まれない、というのが彼の考え方でした。この時、シュタイナーはすでに32歳になっていましたが、まだまだ彼の知名度は低いままでした。

<チャンス到来>
 チャンスは彼がベルリンにもどり、ある文芸雑誌のオーナー兼編集者を務めていた時、意外なところからやってきました。「労働者教育協会」という設立されたばかりの団体が、彼に歴史の講義をしてほしいいと以来してきたのです。それは知名度の低い彼なら安い謝礼で受けてくれるだろうと思われたからでした。
 ところが、その団体はマルクス主義の理念のもとに設立たものであり、彼にとっての当面の敵、唯物論者たちの集まりでもありました。しかし、彼はその申し出を喜んで受け入れます。そして、自分とはまったく異なる考えをもっている労働者たちを相手に歴史の講義を行い、大好評を得たのです。それまで本人も気づいていなかった彼のカリスマ性が多くの聴衆を引きつけ、その評判により別の団体からも講演依頼が来るようになります。そして、その講演依頼の中にベルリン神智学協会からのものがあり、これが後に彼の運命を大きく変えることになります。 

<神智学協会との出会い>
 1900年8月22日、シュタイナーはベルリン神智学協会の図書室でニーチェについての講演を行いました。この神智学協会とは、ブラヴァツキー夫人という心霊能力をもつ女性が中心となって作られた団体で、彼らはキリスト教だけでなく東洋の宗教がもつ秘教的で複雑なシステムを導入し、まったく新しい総合的な宗教体系を築こうとしていました。
 後に、ブラヴァツキー夫人は、その心霊能力がイカサマであると批判されることになりますが、当時この協会の人気はすさまじいものがありました。世紀末のヨーロッパでは「唯物論」があらゆる分野で幅を利かせていましたが、それに対し既存の宗教とは別の新しい宗教をもとめる運動もまた非常に高まっていました。神智学教会は、そんな人々のニーズにぴったりの「神秘性」と「論理性」を兼ね備えた存在だったのです。
 シュタイナーも、この会の存在を知っており、多くの宗教の中では珍しい論理的な特質を高く評価していました。しかし、仏教やチベットの密教など、神秘的な東洋の宗教の影響を強く受けている点が彼には納得できず、それまでは関心をもつだけにとどまっていました。ところが、そんな思いとは逆に神智学協会のメンバーたちは、シュタイナーの講演に感動し、彼への講演依頼が殺到することになります。こうして、彼は神智学協会においてブラヴァツキー夫人と並ぶ存在になってゆきました。

<シュタイナーの霊能力>
 シュタイナーの考え方は根本的に神智学協会のそれとは異なっており、ブラヴァツキー夫人が得意とする神秘的な降霊現象にも彼は否定的でした。彼にとって霊的な現象というのは、けっして幽霊たちを呼び寄せることではなく、自らの無意識に潜んでいる過去の膨大な記憶に自力でアクセスすることであらゆる過去の出来事や記憶を知ろうとする行為のことでした。
 その具体的な方法は、入眠時に短時間だけ訪れる無意識の状態(夢見の状態にも近い)を活かし、それをコントロールすることで、その奥深くに潜む巨大な記憶の迷宮を解明してゆくというものです。これは、現在実際に行われている催眠術を用いて、過去の記憶をさかのぼって行く方法と類似しています。しかし、当時はまだ催眠術はほとんど未開の分野でした。
「眠り込む瞬間には霊界は着実に近づいてきます。ですが、われわれはすぐに寝入ってしまい、魂に起こった事柄を意識できなくなります」 

 彼は従来の人間の生き方を変え、もうひとつの方向性を見出すことが可能だと考えていました。
「私はこの本の中で、感覚界の背後に不可知なるものが存在しているのではなく、感覚界の中に霊界があることを示そうとした。・・・したがって、感覚界の真の実在性は、人間が感覚的知覚のみを問題としているかぎりにおいてのみ、人間の意識からは隠され続ける」

<神智学協会との決別>
 1902年、シュタイナーは、神智学協会のドイツ支部長となります。この頃すでに彼は神智学協会の主流派の人々とは一線を画すようになっていましたが、それでも人気は増す一方でした。いよいよカリスマ性を増した彼の講演を聴くために、その回りには弟子となる人々だけでなくスポンサーとなる人々も集まるようになり、活動範囲もまたドイツだけでなくヨーロッパ全土に拡がりをみせていました。
 1911年,神智学協会は東洋の思想家クリシュナムルティーを信仰の対象とする「東方の星」教団を設立。もともとこうした東洋の神秘宗教への傾倒に否定的だったシュタイナーは、ついに協会と袂を分かちます。ドイツ支部の名前は、こうして人智学協会へと改められました。
 その後、彼は神智学協会から、協会の名前を利用して知名度を上げた裏切り者として批判されますが、その人気に陰りはありませんでした。

<新たな挑戦へ>
 いよいよ、その才能を自由に発揮できるようになった彼は、演劇や舞踏などの台本や演出を手がけるだけでなく、それらの活動の拠点となる館、「ゲーテアヌム」の建設を開始します。それは巨額の資金を集めてシュタイナーの思想を具現化した神殿で、木造建築による美しい曲線建造物でした。この間、ヨーロッパでは第一次世界大戦が始まり、当事国であるドイツ国内は戦禍に巻き込まれてしまいます。しかし、山の中に建てられつつあったこの建物はその間にも着々と建設が進み、無事完成にこぎ着けました。いよいよシュタイナーの夢が現実に近づこうとしていました。

<ナチスとの対立>
 しかし、20世紀に入り世界は急激に変貌をとげつつありました。特にドイツは第一次世界大戦での敗戦後、共産主義勢力と国内の異民族に対抗する形でナチスが急激に勢力を伸ばしつつありました。その指導者ヒトラーのもつカリスマ性は、皮肉なことにシュタイナーのそれと共通するものがあり、そのためか、ヒトラーはシュタイナーの存在を、共産主義者やユダヤ人以上に危険視するようになります。こうして、彼の講演会はナチス親衛隊のヤジによってしばしば妨害されるようになり、彼はその活動場所をしだいに海外へと移さざるを得なくなります。
 そんな状況の中、1922年12月31日ゲーテアヌムが火事によって焼失してしまいました。(放火ではなさそうですが、原因は不明のままです)
 これだけ、状況的に追いつめられながらも、シュタイナーはその活動を止めることなくヨーロッパ中を駆けめぐり、講演、執筆、ゲーテアヌムの再建に取り組みました。しかし、残念なことにもう彼にはほとんど時間が残されてはいませんでした。この頃、彼は回復することのない胃の病に苦しむようになっていました。そして、1925年3月30日、彼はもうもどることの出来ない最後の霊界への旅へと向かうため、静かにそのまぶたを閉じたのです。

<シュタイナーの遺志>
 シュタイナーの著作には、現在の常識から考えて明らかにおかしなものもあります。彼が霊界との交信(サイコメトリー)によって得た歴史記述「アカシャ記録の解読」(「アカシャ年代記より」)などは、かなりの「?」マークです。しかし、彼が示した人類の目指すべき「意識覚醒」の道はけっして間違っていないように思えます。
「・・・長い散歩に出ていって、疲れたと感じ始めると、疲れているのだと認識しただけで一種の「マイナス・フィードバック」が生じるのだ。・・・「シュタイナー式修練」を行っている際に自分で観察をした結果わかったのは、私たちは無意識のうちに四六時中このような状態に陥っていて、そこでただ「内面世界」に少々退いてみると、このマイナスの回路が切れて、普段ならばいわば心の排水溝に流されてしまっている粘り強さ、力が解き放たれる、ということだった」
コリン・ウィルソン

 ルドルフ・シュタイナーとは何者だったのか?宗教の存在意義が不確かになった現代において本当に人の心を救えるような精神文化(あえて宗教とは呼びませんが)を育てることは可能なのだろうか?今世紀初頭にそんな困難な課題にいち早く挑戦したのが、ルドルフ・シュタイナーでした。その後も20世紀には、数多くの思想家や宗教家、哲学者が現れ、それぞれが人類の魂を救う努力を行いました。その結果は、21世紀の世界状況を見れば明らかですが、だからといってその努力が無駄になったわけではありません。こうして、語り継がれることで、それぞれの人物は後世の人々の意識を少しずつでも変えてゆくことが可能になるのですから。

<締めのお言葉>
「私には、自分自身の体系を作り上げるか、ほかの人の体系に隷属するかの二つに一つしかない」

ウイリアム・ブレイク

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