ファンク黄金時代のスター誕生物語


映画「ルディ・レイ・ムーア Dolemite Is My Name」

- ルディ・レイ・ムーア Rudy Ray Moore -
<ブラック・カルチャーへのオマージュ>
 久しぶりに文句なしに楽しくて気分爽快なコメディ映画を見た気がしました。すぐに思い出したのは、R&Bへのオマージュに満ちた名作「ブルース・ブラザース」です。ただし、この映画は、R&Bではなくファンク・ミュージックとブラックスプロイテーション映画、そしてラップの生みの親の一人でもあるエンターテナーである「ドールマイト」ことルディ・レイ・ムーアへのオマージュが主題になっています。
 ルディを演じているのは、彼を尊敬する今やすっかりオヤジになったエディ・マーフィーです。当時のルディが48歳で演じているエディはもう58歳。最近はめっきり出番が減り、少々忘れられかけている感があるだけに、彼にとっては勝負の一作で自ら製作も務めています。
 この映画はルディの伝記映画ではなく、彼にブレイクのきっかけを与えたヒット・アルバム「Eat Out More Often」(1970年)と映画「ドールマイト」(1975年)のメイキング・ムービーと言うべき内容です。そのため、ルディの生い立ちや時代背景についての説明は少なく、理屈抜きにサクセス・ストーリーとして楽しめます。
 ところが、この映画の背景になっている1970年代半ばが実に面白い時代なのです!特にルディが映画「ドールマイト」を完成させた1975年は、アメリカのブラック・ストリート・カルチャーにとって最もエキサイティングな年として語る継がれるべき一年です。となれば、時代背景がわかると、さらにこの映画は面白いはずです。そうなるとこのサイトで解説しないわけにはゆきません。

<ブラック・カルチャー黄金期>
 1960年代に盛り上りをみせた公民権運動は多くの権利をアフロ・アメリカンたちにもたらし、一定の成功を収めました。そのおかげで、彼らの暮らしは50年代とは比べものにならないぐらい向上し、多くの黒人たちが生活のためだけでなく、娯楽のためにお金を使う余裕ができました。ただし、そのためにブラックパンサー党に象徴される黒人たちの過激な政治運動は下火となり、それまでのブラック・カルチャーがまったく異なる解釈をされ始めていました。そのことについて、「ファンク」の著者リッキー・ヴェンセントはこう説明しています。

 アメリカ文化は黒人の怒りを吸収しきって、時の流れとともに再び進んでいった。政治的指導者が次々と政治家の職を得るようになり、急進的な指導者も大半が法廷か刑務所の出入りを繰り返すだけとなって、黒人運動はどんどん勢いを失ってしまい、運動の象徴だけが残った。・・・
 ブラック・パワー運動が持っていた推進力は、黒人アクション映画の中で解釈が変わり、ポン引きやハスラーへの称賛になった。建国200周年にあたる1976年頃には、国家に対して異議を唱える声はほとんど聞こえなくなっていた。黒人であることはかっこいい、ただそれだけを意味するようになったのだ。「我らに力を(Power To The People)」という言葉は1972年には敬礼の役目を果たしていたが、1976年には「じゃ、元気で」程度の意味になっていた。


 そんな複雑な時代に登場したヒーロー「ドールマイト」ことルディ・レイ・ムーアとはどんな人物だったのでしょうか?

<ルディ・レイ・ムーア>
 ルディ・レイ・ムーア Rudy Ray Moore は、1927年3月17日アーカンソー州のフォートスミスで生まれました。多くの黒人少年と同じように、彼もまた歌手、エンターテナーとして活躍することを目指していました。
 オハイオ州アクロン、ウィスコンシン州ミルウォーキーなどで活動した後、彼は陸軍に入隊。ドイツで娯楽部門の舞台でR&Bを歌いエンターテナーとして働いた後に帰国。西海岸に移住し、ワシントン州のシアトルの後、カリフォルニア州ロサンゼルスに住み始めます。1950年代にはR&Bシンガーとしてデビューしますが、ヒットには恵まれず、昼は「ドルフィンズ・オブ・ハリウッド」というレコード店で働き、夜は黒人クラブでエンターテナーとして働く日々が続きました。そして、気がつくと彼はすでに40代後半、おっさんになっていました。ここから映画は始まります。
 1970年彼は自らのステージ上のパフォーマンスをレコーディングし、レコード化を準備します。ところが、内容があまりに過激すぎたため、どのレコード会社も発売してくれず、自主制作盤として販売することになります。それがこの映画にも出てくるアルバム「Eat Out More Often」(1970年)で、このアルバムの大ヒットにより、彼はその後も次々にアルバムをヒットさせることになります。「This Pussy Belong To Me」(1970年)「Dolemite for President」(1972年)
 これらのアルバムは、彼の得意とする漫談のバックにジャズやR&Bのミュージシャンによるファンキーな音楽を重ねたもので、今聞くと、それはラップ・ミュージックの原型のようにも聞こえます。

・・・アル中、ポン引き、娼婦、黒人の「フォンキーさ」をネタにしたつまらないお笑いは、ずっと以前から売れないコメディアンが黒人ナイトクラブでやっていたが、本当の意味で成人向けのお笑いが商品価値を持つようになったのは、1970年代になってからだった。「ドウルマイト」ことルディ・レイ・モアは、多彩な活動で徹底的に下世話な笑いを売りにしていて、1970年に「Eat Out More Often」というお笑いアルバムを出し、「アメリカ初のX指定レコード」を出したコメディアン」と自ら称した。スーパーヒーローの主人公が麻薬の売人から町を救うという内容の映画「Dolmite」は、アルバムに負けず劣らず卑猥だが、信じられないほど露骨な下ネタのお笑いネタにせよ映画にせよ、人間味あふれる黒人の闇社会を文化遺産として残した名作と呼べるのだ。

<ファンク・ミュージック黄金期>
 1975年という年は、ポピュラー音楽の歴史において「ファンク・ミュージック」が最も盛り上がった時代の頂点でした。そのことは、この年の黒人音楽のヒット作を並べればすぐにわかります。
「Ain't No 'Bout-A-Doubt It」グラハム・セントラル・ステーション Graham Central Station(元祖チョッパー・ベースのラリー・グラハムのバンド)
「Car Wash」ローズ・ロイス Rose Royce(同名のファンク・ミュージック映画のサントラ)
「Chocolate City」「Mothership Connection」パーラメント Parliament(P-ファンク黄金期の大傑作)
「Do It 'Til You're Satisfied」B.T.エクスプレス B.T.Express(ファンクの歴史を代表するヒット曲)
「Fifht The Power Part 1&2」ザ・アイズレー・ブラザース The Isley Brothers(時代を越えたスタンダードヒット)
「Fire On The Bayou」ザ・ミ―ターズ The Meters(ニューオーリンズ・ファンクの傑作)
「Honey」「Fire」オハイオ・プレイヤーズ Ohio Pleyers(これぞファンク、オハイオ・プレイヤーズの名盤)
「The Hutsle」
ヴァン・マッコイ Van McCoy (ディスコ・ブームの先駆となった大ヒット曲)
「Love To Love You Baby」
ドナ・サマー Donna Summer(ディスコの女王登場!)
「Southern Night」アラン・トゥーサン Allen Toussaint(ニューオーリンズ・ファンク界のドンの傑作)
「That's The Way I Like It」KC&ザ・サンシャイン・バンド KC & The Sunshine Band(ディスコ・ブームを牽引した大ヒット)
「That's The Way of the Wolrd」アース・ウィンド&ファイヤー Earth,Wind & Fire(ディスコ・ブームの象徴となるファンクバンドのブレイク作)
「Spirit of the Boogie」クール&ザ・ギャング Kool & The Gang(これぞファンク!よりアフリカ色を強めた名盤)

 大人数の凄腕ミュージシャンたちによるバンド・サウンドが売りの「ハイテク・ファンク・サウンド」は、この年いよいよ頂点を迎えようとしていました。逆のこの年を境に時代はファンクからディスコへと移り変わることになって行きます。ただし、すでに時代はディスコ以後に登場するヒップホップを生み出そうとしていて、映画のラスト近くにはそんなヒップホップ少年も登場します。
 こうしてヒップホップの原点の一つとなった彼のアルバムは日本人の我々が聞いても意味的にはさっぱり?ですが、下品で女性蔑視の内容はそのままLAのラッパーたちに受け継がれることになります。この映画にDJ役で出演しているスヌープ・ドッグはそんなLAの少年たちの一人でした。
「ルディなしにスヌープ・ドッグは生まれなかった」
スヌープ・ドッグ

<ブラックスプロイテーション映画黄金期>
 この映画による1974年公開のビリー・ワイルダーによる後期のヒット作「フロント・ページ」を見ていたルディは、自分も映画を作ろうと考えます。ただし、この頃、すでに映画界では黒人による黒人のための娯楽映画「ブラックスプロイテーション映画」の時代が始まっていました。
 「ブラックスプロイテーション Blaxploitation」とは、「Black」を変形させた「Blax」と「Exploitation」(発掘、利用、搾取)との造成語のこと。その先駆作となったのは、メルヴィン・ヴァン・ピープルズの「Sweet Sweetback's Baadassss Song」(1970年)と言われています。その後、世界的なヒットとなったゴードン・パークスの2作品「黒いジャガー Shaft」(1970年公開アイザック・ヘイズとバーケイズの演奏によるテーマ曲がアカデミー賞を受賞)、「Superfly」(1972年公開で音楽はカーティス・メイフィールド)から「ブラックスプロイテーション映画」の黄金時代が始まることになります。したがって、ルディが映画を撮ろうとしたことはそれほど無謀なことではなかったのですが、俳優としてはまったく無名のコメディアンが映画を撮ると言っても映画会社が出資するわけはありませんでした。
 それでも彼は自力で映画「ドールマイト」(1975年)を完成させだけでなく見事にヒットさせ、その後も映画を撮り続けることになります。
「The Human Tornade」(1976年)、「The Monkey Hustle」(1976年)、「Petey Wheatstrow」(1977年)、「Disco Godfather」(1979年)・・・
 前述の「ファンク」の著者リッキー・ヴィンセントは、ブラックスプロイテーション映画についてこう書いています。

 笑いと皮肉の要素を持つ黒人映画の中に、黒人の派手好きな趣味がずらりと並んでいた:青いヴェルヴェットの家具:緑やピンクや赤のスーツは笑ってしまうほど衿が大きく、しかも帽子のつばの色はスーツに合わせてある:ピンクのキャデラック、底の厚い靴、357マグナム銃、ダイシキ、アフロヘア、大きなイヤリングなど。要するに、理屈よりイメージが大切なのだった。黒人音楽、黒人のファッション、黒人の贅沢な生活、黒人の喋り方、黒人の性、黒人の夢、黒人の現実、黒人の貧しい生活、さらには黒人による映画制作といったものすべてが、ブラックスプロイテーション映画において追及され、さらけ出され、利用されたのだ。

 それともう一つブラックスプロイテーション映画について忘れてはいけないのは、それらのヒット作品から多くの人気ミュージシャンが生まれていることです。そして、そこからは多くの曲がサンプリングされ今も聞かれ続けています。
 もしかすると、ルディ・レイ・ムーアの名前が日本でほとんど知られていないのは、彼の映画が日本でほとんど公開されていないことと共に、映画からヒット曲が生まれなかったせいもあるかもしれません。多くの映画は、映画史ではなくヒット曲の歴史にその名を残すことで、今もなお生き続けているのです。
 「Touble Man」マーヴィン・ゲイ、「110番街交差点 Across 110th Street」ボビー・ウォマック、「Coffy」ロイ・エアーズ、「The Mack」ウィリー・ハッチ、「Black Caesar」ジェイムズ・ブラウン、「Slaughter's Big Rip-off」ジェイムズ・ブラウン、「Black Girl」ソロモン・バーク、「Short Eyes」カーティス・メイフィールド、「Let's Do It Again」ステイプル・シンガーズ、「Sparkle」アレサ・フランクリン・・・多くのアーティストが映画をきっかけにチャンスをつかみ大スターとなって行くのでした。

<観客参加型映画>
 映画界において、この年は「ブラックスプロイテーション映画黄金時代」と言えるかもしれません。もうひとつ「観客参加型映画黄金時代」とも呼ばれる側面も持っていました。その代表作と言えるのがこの年1975年公開のロック・ミュージカルの映画化版「ロッキー・ホラー・ショー」です。さらにこの年には、英国製のロック・オペラ「トミー Tommy」も公開されています。
 もう一つ、この映画の中で映画館に大きなポスターが貼られていたのが、初期レゲエのスーパースター、ジミー・クリフ主演の「ハーダー・ゼイ・カム」でした。この作品の公開は1972年ですが、ジャマイカからアメリカへと輸入されてきた中でそれはジャマイカ発のブラックスプロイテーションとして見られるようになっていたのでしょう。そう言えば、ボブ・マーリーの歴史的名盤となったライブアルバム「ライブ」もこの年に発表されています。

<ルディ・レイ・ムーア>
 ロサンゼルスの有名レコード店で働きながら、時代の先端を行くポップミュージックを吸収し、エンターテイメント激戦地の黒人クラブでコメディアンとしての技を磨き、世界の映画の都であるハリウッドで多くの映画を見たルディ。
 彼が「ファンク」と「話芸」そして「自己流カンフー」を融合させて独自のヒーロー「ドールマイト」を生み出せたのは、そんなルディの生きた恵まれた環境のおかげだったと言えます。そして、そこからブラック・カルチャーの新たなスタイル「ヒップホップ」が生まれることになるのです。2008年10月19日没


曲名 演奏 作曲・作詞  コメント
「Let's Get It On」 マーヴィン・ゲイ 
Marvin Gaye
Marvin Gaye, Ed Townsend マーヴィン・ゲイの代表曲
1973年全米1位(メロー・ファンク!)
「Like I Should」  クレイグ・ロビンソン
Craig Robinson 
James Fauntleroy
Khirye Tyler 
クレイグ・ロビンソン
ベン・テイラー役の俳優・ミュージシャン 
「Thank You(Falettinme Be Mice Elf Again」  スライ&ザ・ファミリー・ストーン
Sly & The Family Stone
Sylvester Stewart  1969年発表のシングルで全米19位
ファンクの歴史を築いた初期の名曲 
「The Morning After」  オリジナルの映画で歌ったのは
モーリン・マクガバン
Joel Hirshorn , Al Kasha  映画「ポセイドン・アドベンチャー」主題歌
アカデミー主題歌賞受賞 
「On The Loose」  レッド・フォックス
Redd Foxx
Redd Foxx 黒人コメディアン1966年頃のヒット
1960年代から80年代に活躍 
「シグニファイング・モンキー」
Signifying Monkey
エディ・マーフィー
Eddie Murphy
Rudy Ray Moore(作者)
Craig Robinson(音楽) 
アフロ・アメリカンのトリック・スター
ヨルバの伝承から来たアフリカ発のキャラ
そこから生まれた物語の一つ
「Pete's Blues」  ベニー・リード Benny Reid
1980年生まれの白人ジャズ・サックス
Peter Coco, Benjamin Reid ブギウギ・ピアニスト、ピート・ジョンソン
(1904年カンザス生まれ)代表曲 
「I Ain't Studdin' You」  ボビー・ラッシュ
Bobby Rush 
Bobby Rush 1933年ルイジアナ生まれのブルース歌手
1991年の曲を映画で自身が歌ってます。
「Combo D」  エディ・マーフィー
Eddie Murphy 
Khirye Tyler   
「Ballad of A Boy and Girl」  Eddie Murphy  Rudy Ray Moore
Da'Vine Joy Randolph 
 
「Rocky Bottom」  ジェーソン・フリーマン
Jason Freeman 
Jason Freeman   
「Ring A Ling Dong」 
(木村カエラの曲ではない・・・)
ルディ・レイ・ムーア
Rudy Ray Moore 
Rudolph Moore
Billy Nightengale
1950年代R&Bシンガーだった時代の曲
「Hip Hug - Her」  ブッカーT&ザ・MG’s
Booker T. & The MG's
Al Jackson Jr., Booker T. Jones
Donald Dunn, Stephen Cropper
スタックスの屋台骨MG’s
同タイトルアルバムからのヒット(1967年) 
「アルヴィン’ズ・ブーガルー」
Alvin's Boo Ga Loo
アルヴィン・キャッシュ&レジスターズ
Alvin Cash & The Registers 
James L. Jones アルヴィン・キャッシュは1939年生まれ
セントルイス出身のR&Bシンガー
1967年のブーガルー・ナンバー 
「Button Up Your Overcoat」  スーザン・サランドン
Suzan Sarandon
B.G.Desylva, Lew Brown
Ray Henderson
映画「フロント・ページ」より
監督はビリー・ワイルダー
若き日のスーザン・サランドンが歌ってます。
「ファンキー・スタッフ」
Funky Stuff
クール&ザ・ギャング
Kool & The Gang 
George Brown, Robert Mickens
Claydes Smith, Dennis Thomas
Richard Westfield, Robert Bell
Ronald Bell
1973年の大ヒット・アルバム
「ワイルド&ピースフル」からのヒット
ディスコ・バンドではなく最高級ファンク・バンド
「It's Not How You Make Love」  ザ・ディプロマッツ
The Diplomats 
Samuel Cully, Ervan Waters
Thomas Price 
1960年代活躍のR&Bコーラス・グループ
1969年発表のシングル・ヒット
「ばら色の人生 La Vie En Rose」 ルイ・アームストロング
Louis Armstrong & His Orch. 
Louiguy, Edith Piaf  フランスのシャンソン歌手エディット・ピアフ
1946年発表の代表曲のカバー
「Slippery When Wet」  コモドアーズ
Commodores 
Thomas Mcclary, Walter Orange  最強ファンク・バンドだった1975年
ゴリゴリのファンク・ナンバー
「Nobody Knows When Your'e Down and Out」  ベッシ―・スミス
Bessie Smith 
Jimmy Cox  ブルースの女王ベッシ―が1929年に録音
ブルースのスタンダード曲の一つ 
「ドールマイトのテーマ」
Dolemite
クレイグ・ロビンソン
Craig Robinson 
Benjamin Tayler  1975年公開の映画「ドールマイト」より 
「Hi Roller」  ザ・ボーケイズ The Bo-Keys
(バーケイズへのオマージュ) 
Scott Bomar, Marc Franklin
Charles Pitts 
1998年結成のジャズ・ソウル・バンド
 レトロおやじバンドのオリジナル曲
「I Got That Will」  キング・ハンニバル
King Hannibal 
ハーモン・ヒットソン
Herman Hitson
キング・ハンニバル
1939年アトランタ生まれのR&B歌手 
ハーモン・ヒットソン
1943年フィラデルフィア生まれのR&B歌手

「ルディ・レイ・ムーア Dolemite Is My Name」 2019年
(監)クレイグ・ブリュワー
(製)ジョン・デイヴィスジョン・フォックス、エディ・マーフィ
(脚)スコット・アレクサンダー、ラリー・カラゼウスキー
(撮)エリック・スティールバーグ
(PD)クレイ・グリフィス
(音)スコット・ボマー
(出)エディ・マーフィー、ウェズリー・スナイプス、キーガン=マイケル・キー、マイク・エップス、クレイグ・ロビンソン、タイタス・バージェス、スヌープ・ドッグ、クリス・ロック


<参考>
「ファンク 人物、歴史そしてワンネス」
 1998年
(著)リッキー・ヴィンセント
(訳)宇井千史
(株)ブルース・インターアクションズ
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