「楽園への疾走 Rushing to Paradise」

- J・G・バラード J.G.Ballard -

<ニューウェーブの旗手>
 1960年代「結晶世界」「沈んだ世界」「燃える世界」(破滅三部作)により、SF界におけるニューウェーブ・ブームの旗手となり20世紀後半のイギリス文学を代表する作家J・G・バラード。時代の変化とともに多くの作家が登場しては消えていった中で、彼はジャンルの壁を越えてその活躍を続けた数少ない作家の1人です。
 スティーブン・スピルバーグによって映画化された彼の伝記的小説「太陽の帝国」やデヴィッド・クローネンバーグによって映画化された「クラッシュ」など、非SF作品を次々に発表。単なるアイデア勝負のSF作家の枠をはみ出したイギリスを代表する作家として長く活躍を続けました。
 そんなバラードが1994年に発表した近未来SF小説がこの「楽園への疾走」です。
 かつて彼は、すべてのものが結晶化してゆく世界(「結晶世界」)や海底に沈み行く世界(「沈んだ世界」)など、滅亡に向かう世界を舞台にそこで生きる最後の人類を描きました。当然、それらの小説はどれも救いのない悲劇そのものでした。しかし、そこに描かれている世界は、いずれも美しく魅力的で、もしかすると「人類の滅亡」は地球という惑星にとって必然的で幸福な結果なのではないか?そんな気がするほどでした。「地球の滅亡」といえば、「究極の混乱と悲劇」というのがSFの定番だった中、バラードの描き出す世界は、それを完全に覆すものだったのです。では、それらの「絶滅三部作」が発表されてから30年後に彼が発表した小説ではいかなる世界が描かれているのでしょうか?

<「楽園の創造」>
 かつて彼が描いた滅び行く世界は、この小説では描かれていません。滅び行く世界は、未来像として描かれているものの、物語の舞台として登場するのは美しい「楽園の島」です。ただし、その楽園はフランスの核兵器の実験場として使用される予定の島でした。(ちなみにこの小説が発表された翌年の1995年6月フランスは南太平洋のムルロア環礁において核実験を行い世界中から非難されることになりました)楽園ではあっても、一年後には地獄になっているかもしれない島。その島を守るために密かに島に上陸し、島の危機を訴えるデモンストレーションを衛星テレビによって世界に発信しようとする環境保護運動の活動家たち、彼らの行動が世界中の共感を呼んだことから、島は本物の楽園に生まれ変わるところから、この物語は始まります。
 彼らは絶滅の危機に瀕した動植物を島に運び、そこで現代版「ノアの箱舟」を運営し始めます。しかし、この方法は、どう考えても無謀です。狭い島の中で様々な生物を飼おうとすれば生態系をメチャクチャにしてしまい絶対に上手くゆかないことは明らかだと思います。それを環境問題の専門家がまじめに実行しようとするというのは、ちょっと納得できない気がするのですが・・・?しかし、この小説にとってこの実験は実はそれほど重要ではないことがしだいに明らかになります。そして、読者は島に誕生した危うい均衡が崩壊することを予測しつつ、先へと読み進むことになります。この後、楽園はどうなってゆくのか?ここではまったく予測ができません。
 撤退したはずのフランス軍が島を急襲し、再び核実験の準備を始めるのか?
 島のどこかに放射線物質か化学兵器が隠されていて、島の生物を絶滅だせるのではないか?
 バラードの多様な作風からは様々な結末が考えられますが、その予想を越える意外な結末が待っていました。

<二つの作品>
 この小説を読むと、過去の二つの作品を思い出します。一作は、彼と同じイギリスが生んだノーベル文学賞作家ウィリアム・ゴールディングの代表作「蠅の王」です。南海の孤島に取り残された子供たちが繰り広げるサバイバルの物語は、児童文学の名作「十五少年漂流記」とはまったく異なり、よりリアルかつ怖いお話として読者に衝撃を与えました。
 そして、もう一作はオーストラリアの巨匠ピーター・ウィアーが映画化して有名になったソール・ベローの大著「モスキート・コースト」も思い出されるところです。人類による環境破壊に怒り、自ら文明社会を離れ、家族とともに自給自足の生活を始めた男とその家族の物語。彼らは南国のジャングルに生活拠点を作り、そこで自らが発明した巨大製氷機を設置することで、地域の発展を目指します。しかし、その製氷機が盗賊たちに破壊されてしまい、そこから漏れ出した薬品により土地全体の土壌を破壊してしまうという皮肉な結果を招いてしまいます。エコロジーの矛盾と限界を描いた悲劇的な物語でした。
 しかし、この小説は前記二作品を融合させたものというわけではありません。そこにもうひとつ地球という楽園の惑星にとって、今最も危険な生物「人類」の二つの性「男」と「女」の問題を取り入れて、この小説はまったく新しいテーマをもつことになりました。

<人類の滅亡>
 人類の滅亡をテーマにした作品は数え切れないほど存在します。それは核兵器によるもの、隕石の衝突によるもの、新型のウィルスによるもの、宇宙人の侵略によるもの、宇宙ハイウェイの建設によるもの、あげればきりがありません。
 しかし、人類の滅亡はある日突然起こるとはかぎりません。もしかすると今現在すでに絶滅に向けた変化が起きている可能性もあります。
 ところで、「人類絶滅」という時の「人類」とは何をもって「人類」というのでしょうか?
 クロマニヨン人は違うでしょう。でも、イエス・キリストやムハンマドが現れる以前の人類は今の人類と同じと種族でしょうか。身近なところでも、我が家の親と子は足の長さが全然違いますが、考え方はそれ以上に違うかもしれません。それは生活習慣の変化や化学物質、電磁波の影響などいろいろ考えられますが、地球環境の変化もまた大きな影響を与えているかもしれません。遺伝子レベルの書き換えがなければ、それは本質的な変化(進化、退化)とはいえないのでしょうか?
 しかし、人類はその固有の「文化」も含めた存在として「人類」と呼べるのではないでしょうか?だとすれば、日々現在の人類は絶滅に向けて消えつつあるのではないでしょうか?(日本男児の絶滅と草食系男子の増大もその例のひとつ)
 100年後、人類の「性」はどんな構成になっているか?誰にも予想できないと思います。きっと今では考えられないような多様な「性」が存在しているように僕は思います。

<人類の向かう先>
 かつてバラードが描いた「美しい終末世界」に代わり、この小説では「汚染された楽園」が描かれ、そこで生きる人々の生活も「文化的」とはかけ離れた「原始的」な生き方へと退化してゆきます。
 環境保護の問題が人類にとっての最重要課題といわれるようになるつつある21世紀。人類はどこへ向かおうとしているのか?
 文明を捨て、過去へと戻る覚悟はあるのか?
 あくまでも科学の進歩によって現在の生活を維持しようとするのか?
 その中間を目指し、バランスの取れた生活をすることは可能なのか?
 その変化に人類は、地球全体の合意のもとで対応することは可能なのか?
 そのために人類は、変わることができるのか?
 人類の未来、そして地球の未来は「美しい終末」へ向かうのではなくリアルで薄汚れた「楽園の崩壊」へ向かいつつあるのだということを自覚せよ!

 20世紀を代表する預言者バラードは、この時まだ健在でしたが、2009年4月19日78歳で病によりこの世を去りました。ご冥福をお祈りいたします。

<あらすじ>
  「アホウドリを救え!」をスローガンに始まったフランス領サン・エスプリ島でのデモ。その島ではフランスによる核実験が計画されていました。それを阻止するために始まった運動の中心となっていたのは、女性医師バーバラ。彼女の魅力にひかれてそのグループに参加した少年ニールは、島への侵入の際、フランス兵に銃撃されてしまいます。しかし、そのことが世界中に知られると一躍彼は環境保護運動のシンボルとなります。そのおかげで一躍世界中からの支援を得ることになった彼らは、衛星テレビのスタッフらとともに再び島に向かいます。
 ところが、島に上陸した彼らをフランス軍が急襲。ついに彼らの中から死者が出てしまいます。ところが、この事件が衛星テレビによって世界中に配信されたことでフランスは世界中から批難を浴びることになり、軍隊は撤退せざるを得なくなってしまいます。こうして島は自然保護区として守られることになり、そこには世界中から絶滅を危惧される動植物が集められ、彼らがその管理を行なうことになりました。
 しかし、世界中の注目を集めることは、島に招かれざる者を呼び寄せることになり、島の環境保護にとって良いことばかりではありませんでした。そこでバーバラは自ら世界から孤立する道を選択します。こうして、島における自給自足の生活が始まります。しかし、楽園の島での生活は初めは順調に行きましたが、しだいにその歯車が狂い始めてきます。そんな中、メンバーの中から謎の死を遂げるものが現れます。犯人は誰なのか?いつしか島に住む人々の社会は予想外の方向へと変化し始めます。

「楽園への疾走 Rushing to Paradise」 1994年
J・G・バラード J.G.Ballard (著)
増田まもる(訳)
東京創元社

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