- スティービー・ワンダー Stevie Wonder -

<クロスオーヴァーの先駆け>
 スティービー・ワンダーは、ミュージシャンとしてだけではなく、ソングライターとしても、いち早く「人種の壁」、「ジャンルの壁」を超えたクロス・オーヴァーな黒人アーティストと言うことができるでしょう。それにはもしかすると、彼が生まれつき目が不自由だったことが幸いしたのかもしれません。音だけで判断する人間にとって、その曲を演奏している人間の肌の色など、意味がないのですから。だからこそ、彼の音楽には世界中のいろいろな音楽が、ごく自然に登場するようになっていったのかもしれません。他の黒人アーティストたちと同様、ゴスペル歌手からスタートしたスティービーでしたが、彼のヴォーカル・スタイルもまたけっして「黒っぽい」歌い方ではありませんでした。その点は、同じ黒人アーティストでも、レイ・チャールズジャッキー・ウィルソンの系譜に属するアーティストと言うことができるでしょう。

<モータウンからのスタート>
 彼の音楽のクロスオーヴァー感覚は、実は彼の父親ががモータウンと契約した時点から、すでに始まっていました。なぜなら、生まれながらにして目が不自由な少年があらゆる楽器をマスターし、自由自在に演奏する姿は、白人の聴衆をも魅了することを、モータウンは確信していたからです。さっそく、彼はその当時ブームだったサーフィン映画二本に子役としてゲスト出演しています。白人大衆への浸透を狙っていた新興のレーベルにとって、スティービーはかっこうの素材でした。
 こうして彼は、物心つくと同時に歌手、タレントとしての活動を開始し、12歳にして盲目の天才少年としてスターになってしまいました。彼は、その意味では純粋培養されたスターでした。しかし、彼が偉大だったのは、そんな恵まれすぎるほどの環境にも関わらず、ミュージシャンとしての努力をけっして怠らなかったことかもしれません。そして、彼のもつ好奇心は彼を次々に新しいチャレンジへと導いて行きます。

<新しい音楽へのチャレンジ>
 彼自身のクロスオーヴァー感覚が現れてきたのは、1966年にボブ・ディランの「風に吹かれて」をシングル・ヒットさせたあたりからでしょう。このフォーク・ロックの名曲をあえて選んだのは、スティービー自身であり、このころから「マイ・シェリー・アモール」「太陽のあたる場所」など、けっしてソウルっぽくはないヒット曲が、次々に登場することになります。

<天才アーティストの誕生>
 彼は、20歳になるとモータウンと新しい契約を結びます。それは膨大な文章からなる細かな規約からなっていたのですが、その契約によって、彼はセルフ・プロデュースの権利や数多くの権利をモータウンから得ました。そして、自らの収入をつぎ込み、まだ世界に数台しかなかったシンセサイザーの装備一式を買い込み、一人多重録音による曲作りを始めます。
 コンピューターの発達により、音楽の制作現場は大きく変わろうとしていました。その過渡期に、彼は登場し、若さとアイデアと最新の装備を武器に、溢れ出る才能を活かし始めたのです。

<黄金時代>
 彼の頭の中には、無数の曲のイメージがあふれ出しそうなほど詰まっていたに違いありません。1972年の「トーキング・ブック」から「インナーヴィジョンズ」「ファースト・フィナーレ」そして「キー・オブ・ライフ」へと到る彼の黄金時代の傑作群は、こんな状況の中でいっきに作りあげられたものです。メロディアスで、ファンキーで斬新なアイディアにあふれたこれらの作品群は、数多くのアーティストたちによって、カバーされたり、サンプリングされたりしているが、オリジナルの輝きはけっして衰えていません。

<つまづき>
 そんな彼の活躍に水を差したのは、皮肉なことに、けっして彼が見ることのできない映像作品がきっかけでした。「シークレット・ライフ」という植物の生活をとらえたドキュメンタリー映画のサントラ盤の制作のために、彼は3年の歳月を費やします。しかし、その映画は結局オクラ入りとなり、公開されませんでした。彼のアルバムは、結局2枚組のインストロメンタル・アルバムとして、発売されますが、残念ながら注目を集めることはありませんでした。そして、1980年代に入ると、音楽の世界はMTVの時代へと突入します。視覚的にも優れていなければ、売れない時代。それは、目の不自由なスティービーにとって、最も厳しい時代だったかもしれません。

<スティービーの王国>
 そして、もうひとつ彼にとって不運だったことがあります。それは、彼の成し遂げた成功がもたらした富と権力が、彼を小さな王国「ミニ・モータウン」の王様にしてしまったことです。それは、けっして彼が望んだことではないはずですが、目の不自由な彼にとって、それはある程度仕方のないことだったのかもしれません。しかし、そのおかげで彼は「ストリートの文化」とは縁遠い存在になってしまいます。彼が共演するのは、ポール・マッカートニーのような大物でなければならなくなり、デ・ラ・ソウルやトライブ・コールド・クエストなど今やストリートの音楽をリードする連中との距離が、すっかり離れてしまったのです。

<不滅のスティービー・サウンド>
 かつて、目が不自由であることは、ミュージシャンとしての彼にとってプラスになることが多かったと言えるでしょう。しかし、時代が変わり、ミュージシャンが音楽を演奏するだけでは済まなくなってくるとともに、彼のプラスはマイナスへと変わってきました。もちろん、だからといって彼の生みだしてきた音楽の価値が下がることはけっしてありません。いや、時代がたつに連れて、かつてのスティービー・サウンドは、かえって輝きを増してきています。あの時代のあの音は、もう誰も再現することはできないでしょう。それほどの才能のひらめきが、そこには込められているのです。

<締めのお言葉>
「目の前にかざした手がおおいなる山を隠すように、この地上のちっぽけな生命は、世界を満たす計り知れぬほどの光と神秘を自ら隠してしまう。だから、目の前から手をとりさることができるものは、手をはずしさえすれば、内なる世界のおおいなる輝きを見るのである」

ブラツラフのラビ、ナッチマンの言葉より

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