- シャーデー Sade -

<シャーデーというバンド>
 シャーデーという名は、ヴォーカリストであるシャーデー・アデュ一人のことだと思っていたら、実はバックのメンバーも含めたバンド自体の総称でした。そのうえ、バンドはデビュー以来まったくメンバー・チェンジをしておらず、まさに不動のバンドなのです。そして、シャーデーのバックで、そのクールでファンキーなサウンドを支え続けているバンドが不変であることは、そのままシャーデー・サウンドの不変性と普遍性の証明なのかもしれません。

<20世紀最後のクール・ビューティー>
 「クール」という言葉で思い出されるアーティストの代表と言えば、やはりマイルス・デイビスですが、彼女は20世紀末におけるその代表の一人に数えられるでしょう。その他には、クール・ファンクのミシェル・ンデゲオチェロ、クール・ジャズのカサンドラ・ウィルソン、クール・ソウルのエリカ・バドゥ、クール・ヒップ・ホップのローリン・ヒルなど、黒人女性の世界には、なぜか「クール」が似合う女性が多い気がします。(それに対して、白人系にはアーニー・ディフランコやシンニード・オコーナー、P・J・ハーヴィー、アラニス・モリセットなど、かなり切れかかった?女性が多いのは面白い事実です。そこには何か必然性があるに違いありません)

<アフリカン・ビューティー>
 シャーデーは、本名をヘレン・フォラシャーデ・アデュといい、1959年1月16日ナイジェリアの首都ラゴスに近い都市イバダンに生まれました。父親はロンドン経済大学を出たエリートでしたが、彼女が4歳の時に離婚したため、彼女はイギリス人母と姉弟、祖母と暮らすことになりました。そして、この頃1970年代に彼女が聴いていたモータウンなどのソウルは、その後の彼女に大きな影響を与えて行くことになります。

<イギリスにて、ファッション・デザイナーとして>
 帰国後17歳になった彼女は、ロンドン美術学校に入学し、そこでファッション・デザインを3年間学びます。そして、持ち前の美貌とスタイルを活かしてモデルとして活躍しながら、自らのブランドも立ち上げ販売を開始しました。当時彼女がデザインした衣装は、スパンダー・バレーのライブ用にも採用されるなど、メンズ系のブランドとして、充分それで食べて行けるほどのものだったようです。しかし、彼女の心の中には、ミュージシャンへの憧れがずっとあり、その機会を待っていたようです。

<音楽の世界へ>
 1980年彼女はアリーヴァというバンドにバック・コーラスの一人として加入しました。このバンドは、当時ポスト・パンクとして一世を風靡していたファンカ・ラティーナ系のバンドで、後にバンド名をプライドと改めます。そこで彼女はしだいにその音楽的才能を認められるようになり、ついにはバンドのリード・ヴォーカルと作曲を担当して行くようになりました。(もしかすると、参加した当初はあくまでバンドの花的な存在として期待されていただけなのかもしれません)

<バンドとしてのシャーデー誕生>
 1983年、彼女はプライドのメンバー3人、スチュアート・マシューマン Stuart Matthewman(Gui.Sax)、アンドリュー・ベル Andrew Hale(KeyB)、ポール・S・デンマン Paul.S.Denman(Bass)とともに、バンド「シャーデー」を結成しました。(バンド名をあえてシャーデーとしたのは、僕の勝手な想像によると、メンバー全員が大のシャーデー・ファンであるだけでなく、すでに彼女ファンが多かったからなのでは・・・?)

<デビュー、あっという間のブレイク>
 1984年、デビュー・シングル"Your Love Is King"に続いて発表されたアルバム「ダイアモンド・ライフ Diamond Life」は、いきなり大ヒットとなり、イギリス意外のヨーロッパ諸国でもナンバー1を記録しました。意外なことに、当初彼らのアルバムのアメリカ盤は発売されていませんでした。したがって、アメリカではイギリスからの輸入盤しか入手できなかったのですが、すぐに輸入盤が売れるようになります。(彼らのクールなサウンドは、アメリカでは受け入れられないと思われていたからだと思うのですが・・・)
 1985年発売のセカンド・アルバム「プロミス Promise」からは、アメリカでも発売されるようになり、あっという間にチャートのトップに輝きます。これで自身を深めた彼らは、サード・アルバム「ストロンガー・ザン・プライド Stronger Than Pride」からは、アルバムをセルフ・プロデュースで製作するようになります。このあたりから、彼らは「シャーデー・サウンド」とも言われるようになる自分たちのサウンドに自身をもつようになったのかもしれません。その確固たる自信は、その後4年間のブランクの後に発表されたセルフ・プロデュース・アルバム「ラブ・デラックス Love Deluxe」(1992年)がそれ以前の作品と変わらぬシャーデー節を展開していたことからも明らかでしょう。

<長きに渡る不在>
 その後シャーデーのサウンドは、長きに渡り聞かれなくなります。しかし、その間に、時代は大きく変化していました。ヒップ・ホップとソウル、ロック、ハウス、テクノなどの融合は、さらに進み、「シャーデー・サウンド」のような生音によって生み出される音数の少ないクールなサウンドは、時代遅れと思われがちな状況が進んでいました。ところが、8年後の2000年に発売された彼らのアルバム「ラバーズ・ロック Lovers Rock」、まったくそんな時代の変化を感じさせない作品に仕上がっていました。
 かつては、流行のクラブ・サウンドの最先端として多くのフォロアーを生んだシャーデーのサウンドは、今やワン&オンリーの存在になっていました。どこを切っても「シャーデー・サウンド」と言えるその音楽性は、あのヴァン・モリソンを思わせます。見た目は「美女と野獣」ほどに違うし、「クール」なシャーデーと「ホット」なヴァン、実に対照的な音楽性の二人ですが、そのカリスマ性と音楽の一貫性ではかなり近いものに感じられます。

<不変のクールネス>
 シャーデーの初ライブ・アルバム「Sade Lovers Live」(2002年)において彼らのサウンドは、よりシェイプ・アップされ、まったく無駄のない究極のクールネスに到達しています。それは、音楽性だけではなく、黒系のスタイリッシュな衣装をまとった格好いいバンドのメンバーたちまでもがその表現手段であり、アルバム・ジャケットのシャーデーの美しいシルエットもまた、その一部なのです。40過ぎて、さらに美しさを増すシャーデーは、生き方そのものが「クールネス」なのかもしれません。
 本物のファンキーさは、ただ単にホットでにぎやかな音楽から生まれるのではありません。無駄を省いた裸の音こそが本物のファンクを生み出し「クール」と呼ばせるものになりうるのです。

<締めのお言葉>
「真理は誤りを含んだ単純化によってのみもたらされる」
ランスロット・L・ホワイト著「形の冒険」より

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