- サン=テグジュペリ Saint Exupery -

<星の王子さまの世界観>
 サン=テグジュペリ、言わずと知れた「星の王子さま」の原作者です。我が家にも、当然のごとく本がありました。しかし、僕にとっては「十五少年漂流記」「ドリトル先生シリーズ」「オズの魔法使い」「シートン動物記」「ファーブル昆虫記」の方が印象深く、正直子供には難しすぎた気がします。ただ、あのウワバミの不思議な絵だけは妙に印象に残り、ある種の不思議な世界観のようなものが心に残ったような気がしました。それが具体的にどんな世界観だったのか?それは、その後ずっと後、大人になってから彼の他の作品「夜間飛行」「人間の土地」などを読んでからやっと理解できました。

<多彩な天才作家>
 サン=テグジュペリは、数々の冒険の中から得た思想・哲学のすべてを、その作品の中に込めていました。従って、彼の作品はどれもある意味彼の世界観の固まりであり「自伝」でもありました。「星の王子さま」も、またその例外ではなかったのです。
 彼は郵便飛行機のパイロットであると同時に、南米やアフリカへの路線を開拓した空の時代の先駆者でした。
 彼は建築家でもあり、航空力学の専門家としてジェット機の開発を目指し、その特許を所有する天才技術者でした。
 彼は第二次世界大戦における戦場の英雄でした。
 彼は数学者であり、哲学者であり、行動する作家であり、美しい文章家でもありました。
 そんな多彩な天才作家が飛行機による冒険を通してみた人間とその文化。そこからは、時代や人種、国境を越えた普遍的な真実が見えてきます。だからこそ、その作品は、世紀を越えてもなお新鮮そのものなのです。

<太陽の王様>
 サン=テグジュペリは、本名をアントワーヌ・マリ・ロジェ・ド・サン=テグジュペリといいます。父親はジャン・ド・サン=テグジュペリ伯爵。5人兄弟の三男として、1900年6月29日にフランス南部の都市リヨンに生まれました。4歳の時に父親が亡くなり、家族は母方の祖母や大叔母らの住む「お城」で暮らすことになりました。小学生の頃、蒸気機関車に乗って感動した彼は、早くも飛行機に乗ることを夢みるようになり、自らの手で自転車に羽根をつけたりしていたそうです。しかし、当時の飛行機はまだ二枚羽根のプロペラ機で一般の人が空を飛ぶのは、まだ夢のまた夢でした。(今で言うなら、民間人がロケットに乗って大気圏外に行くようなものでしょうか?)
 そんな彼の子供時代のあだ名は「太陽の王様」でした。ブロンドの髪がまるで太陽の炎のようだったからのようですが、このイメージは「星の王子さま」のイメージとピッタリです。

<不思議な少年>
 1909年、家族はル・マンに引っ越し、彼はアントワーヌにあるイエズス会経営の厳格な学校ノートルダム・ド・サント=クロワ学院に入学しました。しかし、学校での彼はなぜか学業に集中できず、いつも夢にがちでボーッとした少年だったようです。どうやら、その放心癖はその後彼が大人になってからも治らなかったようです。頭は人並み以上に優れていただけに、それは天才の多くに見られるある種の精神障害だったかもしれません。(アインシュタイン、エジソン、レオナルド・ダ・ヴィンチなどもそうではなかったと言われています。集中して同時に物事を考えるからそうなるのか、少なくとも単にボーッとしていただけではなさそうです)
 1912年、古代ローマ軍の兵器に凝り、そのためにラテン語を勉強してしまうほどのマニアック少年だった彼は、生まれて初めて飛行機に乗せてもらうと、すっかりその虜になってしまいました。1919年、彼は海軍兵学校を受験したものの不合格となり、仕方なく美術学校の建築科に入学します。

<憧れの飛行機乗りへ>
 1921年、兵役についた彼は、ストラスブールの飛行機修理工場に配属されました。自費で飛行訓練を受けさせてもらった彼は見事民間飛行機の飛行免許を取得。今度こそ、空軍に入ろうと考えます。ところが、婚約者の家族が反対したため、彼はいやいやながら自動車会社の販売員などサラリーマン生活をすることになりました。
 1926年、彼は「銀の船」という雑誌に後に「南方郵便機」に収められることになる短編「飛行機」を発表。作家として初めて世に知られました。その後、ついに遊覧飛行のパイロットとなった彼は、ラテコエール社に入社、翌年からはついに念願だった路線飛行機に乗り、郵便物を運ぶ仕事につきました。
 彼が飛んだのは自国フランスのトゥールーズから北アフリカ、モロッコのカサブランカからセネガルのダカールへと至る路線でした。

<砂漠の地にて>
 彼は、スペイン領モロッコの砂漠地帯にある飛行場キャップ・ジュビーを管理する任務をうけ、18月間にわたりその不毛の地で暮らすことになりました。その飛行場は、カサブランカとダカールを結ぶ路線の中継地地点にあたっていましたが、まわりには植民地化に抵抗するゲリラがいて、常に危険と隣り合わせの状態でした。その上当時の飛行機はよく故障したため、途中で不時着することが多く、その場合にはすぐに救出に行かないとパイロットは人質になるか、殺されてしまう可能性がありました。
 そのため、飛行場長である彼には飛行場を守る仕事だけでなく、行方不明になった飛行機を探し出しパイロットを救出するという仕事も与えられていたわけです。(実際彼はそこで14回、不時着した飛行機を探すための捜索飛行を行っており、この功績により、後にフランス政府よりレジオン・ド・ヌール勲章を受けています)
 危険な仕事ではあっても、暇な時間も多かったこともあり、この時自らの体験を元に南方に向かう郵便飛行機のパイロットを主人公とする小説を書き上げました。こうして1928年、彼の処女長編「南方郵便機」が出版されました。

<南米アンデス山脈を越えて>
 1929年、彼はアエロ・ポスタ・アルヘンチーナ社の営業主任としてアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで働き始めます。彼の仕事はアルゼンチンとフランスを結ぶ郵便飛行路線を開拓することでした。
 雪のアンデス山脈を越える危険な飛行と時間短縮のための夜間飛行、不時着した仲間を捜索する危険な飛行など、現代では考えられない冒険飛行を繰り返した彼は、再びこの時の体験を作品化します。それが1931年発表の「夜間飛行」でした。残念なことに、アエロ・ポスタル社は過剰な投資と世界恐慌による金融市場の崩壊によって立ち行かなくなり、最終的にエール・フランスに吸収されてしまいます。社長以下サン=テグジュペリも含めた上層部は全員が責任をとって退社することになりました。

<飛行機乗り作家として>
 彼は翌年、水上飛行機のテスト・パイロットとして空の仕事に復帰します。しかし、事故を起こし危うく溺れ死ぬところでした。これは彼にとって3回目の大きな事故でしたが、当時の飛行機の信頼性ではこうして頻繁に事故が起きるのは当たり前のことでした。パイロットという仕事は、常に死と隣り合わせの職業だったのです。
 その後、彼はエール・フランスの宣伝部に勤めたり、映画化された「南方郵便機」の脚色、飛行シーンの吹き替えを行ったりと多忙な日々を送ります。しかし、再び彼は事故を起こし、またもや死の一歩手前まで行くことになります。

<砂漠にて>
 1935年、彼は二人乗りのプロペラ機でパリからサイゴンへの長距離飛行を試みます。しかし、飛行機がエジプト上空で故障し、カイロ手前の砂漠に不時着してしまいます。どこに不時着したかもわからないまま、彼と同僚の二人は、5日間砂漠をさまよい歩きます。幸いなことに、彼らは偶然近くを通りかかった隊商の一団に助けられ、奇跡的に助かりました。まさに、危機一髪の状況でしたが、彼はその時のことを冷静に記憶しており、後に「人間の土地」に詳しく記しています。
 この時、水もなく死の一歩手前だったにも関わらず、彼は砂漠で見た動物、フェネックの行動を詳しく観察記録しています。彼は、砂漠の厳しい自然の中を生き抜いているこの生き物が大いに気に入りました。そして、後に「星の王子さま」に砂漠の狐として登場させるわけです。

 彼はどんな状況でも人生を楽しむことができる優れた才能をもっていたのです。
<戦場にて>
 1937年、彼は新聞社からの依頼を受け、スペイン戦争を取材しています。戦場という不条理このうえない世界における人間の愚かさと気高さを目の当たりにした彼は、冒険と戦争についてこう述べています。
「冒険は、それが築き上げる絆と、提起する問題と、生み出す創造の豊かさのうえに成り立つ。単なる丁半ばくちを冒険に変えるためには、生死の危険を身に引き受けるだけでは駄目だ。戦争は冒険ではない。戦争は病気だ。チフスのように」
「戦う操縦士」より

<心優しき冒険家>
 冒険家は孤独を好むものと誤解している人も多いようですが、実際はその逆がほとんどのようです。人好き合いが良く、誰ともすぐに親しくなれるタイプが多く、日本が誇る冒険家たち、植村直巳、星野道夫、三浦雄一郎、それに個人的にお付き合いしたことのある新谷暁生さんなど、冒険家たちの多くは良い人間関係を築く達人でもあるのです。
 さらに現実的な面から言うと、冒険家にとっては資金集めや人材の確保など、冒険に必要な条件を整えるための条件として人を引きつける人間性ほど重要なものはないのです。彼は「人間の土地」にこう書いています。
「職業の偉大さとは、おそらく、なによりもまず、人間たちを結び合わせることだ。真の贅沢はひとつだけしかない。それは人間関係という贅沢だ」

<人生の意味を探る飛行>
 彼は飛行機という素晴らしい観察の道具を用いて大地を見、人を見ることで、その存在の意味を探ろうとしていました。そして、彼にとってこの「意味を探ろうとする行為」こそが人生における最大の目的でした。それはけっして「答え」を得ることが目的なのではなく、「答え」を得るために行動し続けることこそに意味を見出していたということです。
「この生には解決策などないんだ。あるのはただ、前進してゆく力だけだ。その力を創造しなければならない。そうすれば解決などひとりでに生まれてくる」
「夜間飛行」より

「歩みだけが重要である。歩みは持続するが、目的地は持続しないからである。・・・」
「城砦」より

<飛行機から見る地球と人間>
 彼は飛行機という乗り物についてこうも書いています。
「飛行機は一個の機械には違いないが、しかし、なんという分析の道具だろう!この道具はわたしたちに、大地の真の面差しを発見させてくれるのだ」
「人間の土地」より

 今や飛行機は遠隔地どうしを結ぶ単なる移動手段になってしまい、それほど大きな感動を与えてはくれなくなってしまいました。しかし、かつて飛行機乗りたちは、初めて大気圏外から地球を見たガガーリンや初めて月面から地球を見たアポロの乗組員たちのように大きなインパクトを得ていたのではないでしょうか。だからこそ、サン=テグジュペリのような人物にとって、空はかけがえのない存在になりえたのです。
 ついでに言うと、ジャック・イブ・クストーやジャック・マイヨールは水の中の世界に魅せられてしまったのも、これと同じ様なインパクトを海から受けたからなのでしょう。
「突然の啓示がひとつの運命を変えさせたように思われることがある。だが、啓示とは、ゆっくりと準備された道が、<精神>によって突然見えたことにほかならない」
「戦う操縦士」より

 彼にとって、空から地上をながめる行為は、そんな突然の啓示を得る重要なきっかけだったということなのでしょう。

<空から見えるもの、見えないもの>
 そんな彼の空からの探求は、さらに「文明論」へと向かいます。
「・・・文明というものは、美術館に多少なりとも簡単に出入りできるということによるのではなく、制作する画家たちの数によるものなのだ。・・・」
「手帖」より

 とはいえ、彼には空の上から、すべてが見えると思っていたわけではありません。逆に、そこから見えないものにこそ価値があると考えていました。
「砂漠が美しいは、どこかに井戸をかくしているからだよ・・・」
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
「星の王子さま」より

 彼はそんな目に見えない存在の代表格「愛」についても名言を残しています。
「愛するとは、けっして互いに見つめ合うことではなく、いっしょに同じ方向を見ることだ、と。・・・」
「人間の土地」より
 実に行動第一主義の彼らしい「愛の形」です。

<ベストセラー作家として>
 1938年、彼はグアテマラの空港で5回目となる大きな事故を起こし、重傷を負います。その後、彼はこの事故による後遺症に悩まされ続けることになります。
 1939年、「人間の土地」が出版され、アカデミー・フランセーズ小説大賞を受賞。世界的ベストセラーとなります。しかし、喜びもつかの間、第二次世界大戦が勃発、彼は大尉として技術教育部門に配属されました。ところが彼は自ら長距離偵察飛行大隊への転属を志願。医者に不適格の診断を下されたにも関わらず、転属を果たします。「星の王子さま」はちょうどこの頃書き始められました。
 1940年、フランスはあっさりとドイツ軍の前に降伏。彼は軍を離れ、「戦う操縦士」「城砦」の執筆にかかります。(「戦う操縦士」は当然、占領下のフランスで発禁処分となります)そして、1943年、彼にとっては最後の作品となる「星の王子さま」が発表されます。

<最後の戦い>
 戦場を一度は離れた彼ですが、祖国フランスのために戦うことをあきらめきれず、自らの知名度を利用して別の方法を取ります。なんと彼は当時のアメリカの大統領ルーズヴェルトの息子の助けにより、アメリカ空軍に入隊。ライトニング機の操縦をマスターするため、ゼロから操縦を学び直しました。
 ヨーロッパに渡った彼は写真機を用いた危険な偵察飛行を行い、少佐に昇進します。それでも、年齢的に無理があり、有名人でもあることから、軍の上層部は彼を戦場から離そうとします。しかし、それに対し彼は執拗に出撃を志願し続けます。
「わたしはいつも、傍観者が大嫌いだった。参加しないとしたら、わたしはいったい何者だろう?存在するためには参加することが必要だ」
「戦う操縦士」より

 そして、1944年7月31日、彼は最後の出撃の後、二度と基地にもどることはありませんでした。目撃証言から、コートダジュール沖でドイツ軍の戦闘機に撃墜されたのではないかと言われています。

<締めのお言葉>
「おまえに言っておく。人間はおのれの充実を探し求めているのであって、幸福を探し求めているのではない」

「城砦」より

<追記>
 ちょうどこのページの原稿を書き終わった頃、サン=テグジュペリの乗っていた飛行機がマルセイユ沖で発見されました。(詳しくは2004年4月8日の各新聞をご覧下さい)やはり彼は祖国フランスの海に眠っていました。改めて、ご冥福をお祈りいたします。
 「夜間飛行」「人間の土地」は、本を読む楽しみを知る人にとって、宝箱のような作品です。是非、ご一読下さい!

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