サラダとドレッシング、その意外な歴史


- サラダ Salad -
<サラダLOVE>
 僕だけでなく我が家の子供たちもそうなのですが、ステーキハウス「ヴィクトリア」に行く楽しみの半分は「サラダバー」にある気がします。そりゃ、ステーキもいいのですが、新鮮な「オクラ」「トマト」「ミニコーン」「海藻」「コーン」「ポテサラ」・・・に選べるドレッシングの組み合わせはいくらでも食べられます。子どもの頃は、自分が大人になってこんなにサラダが好きになるなんて思いませんでしたが、実際、野菜の味が昔よりはるかに美味しくなっているのも事実だと思います。小樽にある僕の店の前では、毎年5月から土曜日限定で無農薬野菜市が始まり、我が家の食卓にも様々な地元の野菜が届きます。そこで販売されている野菜は、どれも美味しいんです!それぞれの農家が、改良と研究を重ねて生み出した野菜たちは、どんどん美味しくなっているようです。
 かつては食卓の上で、脇役として、食べないと健康のためにとお義理程度に食べられていた野菜は今や主役の座をつかみつつあります。そんなサラダの主役化現象は、日本では最近のことですが、世界的にはどうなのでしょうか?「サラダの歴史」という本を見つけたので、さっそく読んでみました。すると、「サラダ」についての意外な歴史がわかってきました!

<サラダの元祖>
 古代ローマ時代、野菜は人に害を与える成分を有するとされ、焼いたり、ゆでたりして食べるものとされていました。そんな中、唯一、生で塩気の強いソース(今のドレッシング)をかけて食べられていた食材が「レタス」でした。(今のレタスとはかなり違う品種だったのですが)
 もちろん、当時、その料理は「サラダ」とは呼ばれてはいませんでした。「サラダ」(Salad)という言葉が生まれるのは、それから何世紀も後のことで、ラテン語の「herba salata」(塩をかけたハーブ)から来た言葉のようです。
 古代ローマの医学者ガレノスは「食べ物の力について」という本の中で、レタスについてこう書いています。
「すべての食べ物のなかで、最高の野菜汁をもつのがこれである。そして、もし実際にこの野菜が血液を増やす性質をもっていたとしても、ほかの体液を増やすことはない」
 何を言っているのか、意味が解りませんよね?
 ガレノスの考えによると、人間の身体は、「黒胆汁」、「黄胆汁」、「粘液」、「血液」によって動いているとされ、それぞれが「熱」、「冷」、「湿」、「乾」の性質を持ち、そのバランスが人の体調を左右するとされていました。「レタス」はその中でも「血液」を増やす作用をもつと考えられていたようです。ただし、レタスの効果はバランスを崩すことにもなりかねないため、食べ過ぎないよう注意されてもいました。彼は「レタス」という食材は食べ過ぎなければいいが、その他の「野菜」については生食はダメとされていました。彼のこうした「野菜」についての評価が、「サラダ」の大衆への普及を大幅に遅らせる原因となります。

<サラダの復活(17世紀)>
 1世紀のローマの富裕層の間では、すでに野菜サラダが存在していましたが、その後、ローマ帝国の崩壊と共に野菜は食材としての栄光を失います。それは、医薬部外品食品もしくは薬草的扱いの食材になってしまいます。そんな「ガレノスの理論」は、中世以降、ルネッサンス期には再評価されることにもなり、野菜についての「不味い薬」的な先入観が長く続くことになります。
 ただし、そうした食材に対する評価は、食べ物の好みで選択できる富裕層の考えで、食材を選ぶどころか、身近にある物を食べざるを得ない庶民にはかかわりのないことでもありました。新鮮な野菜があれば、それを食事に取り入れるのは当然のことです。そんなわけで、気候が良く多くの野菜が育つヨーロッパ南部のイタリアでは、いち早く野菜を食べる文化が庶民の間から生まれ、それが16世紀ごろにはイタリアの上流階級にまで広がっていました。
 ローマ教皇ピウス5世の専属料理人バルトロメオ・スカッピは、1570年に分厚い料理本「オペラ」を発表。そこには1000を越えるレシピが掲載され、その中にはサラダのレシピの登場していました。(スイート・フェンネル、茹でたアーティ・チョーク、レタス、キュウリ、タマネギに酢と塩を賭けたサラダなど)
 注目すべきは、この本の中の挿絵に、新しい食事の道具として「フォーク」が登場していることです。

 1614年、イタリアからイギリスに国外追放されたジャコモ・カステルヴェトロは、故郷の食を紹介する本「イタリアの果物と野菜」を発表。その中で「サラダ」の食べ方について、詳細に記述しています。
「葉野菜はよく洗った後、よくふって水気をきり、乾いた布でふき、それからドレッシングをかけること」
「サラダにはドレッシングとして塩をふった後、少量の酢とたっぷりの油(オリーブ油)をかける」

 1627年、イタリア人サルヴァトーレ・マッリオは、「アルキディプノ - サラダとその効用」という本を発表。その書の題名「アルキディプノとは、archi(はじまり)とdiepnon(夕食)の合成語。ここで彼は、「サラダ」を夕食のコースで最初に出すものと提案しています。

 1651年、フランス、ブルゴーニュ地方の貴族ユクセル候の料理長、フランソワ・ピエール・ド・ラ・ヴァレンヌによる名著「フランスの料理人」を発表していますが、その中にはまだ「サラダ」らしき料理についての記述はほとんどありませんでした。フランスではこの頃まだ野菜はメインディッシュの添え物的扱いに甘んじていたようです。

 1699年、イギリスの酪農家、園芸家、学者のジョン・イーヴリンは、著書「アケタリア - サラダ説義」の中で、こうサラダを定義しています。
「自然のままの新鮮な野草を一定の組み合わせで混ぜたもので、通常は何らかの酸味を含む調味液、油、塩とともに安全に食べられるもの」

 17世紀に入りフォークの使用が一般的になり、それと同時進行するようにサラダの食べ方も少しずつ現代のそれに近づいてきたようです。
 18世紀にはいると「サラダ」はさらに進化します。
 1747年イギリスの料理研究家ハンナ・グラッセは著書「シンプルで簡単な料理」の中で、「サルマガンディ」という贅沢なサラダを紹介しています。
「サルマガンディ」
 レタスかキャベツの千切り、鶏肉(胸肉)の薄切り、アンチョビ、固ゆで卵、酢漬けタマネギ、パセリみじん切り、そこに油と酢のドレッシングをかける

<サラダと新大陸>
 新鮮さよりも調味料や調理法を重視するヨーロパの料理に対し、新大陸のアメリカは農業国としてスタートしたこともあり、料理は素材の新鮮さを重視するシンプルさが基本でした。そのため、新大陸においては、生の野菜とドレッシングからなる「サラダ」は、早くからテーブル上の大切な顔となっていました。
 18世紀のペンシルヴァニアのドイツ系アメリカ人クリストファー・ザウアーは、サラダに適した植物を35種類もあげています。主なものとしては、キャベツ、フェンネル、クレソン、ホウレンソウ、ラディッシュ・・・(なぜかレタスは入っていませんでした)新大陸では土地によって、様々な野菜が作られ、それが様々な素材を使うサラダを生み出すことになります。意外なことに、ハンバーガーとホットドッグしかないと言われる料理不毛の地アメリカは、サラダに関しては世界をリードする国だったようです。
フルーツ・サラダ、ミート・サラダ、シーフード・サラダ、ツナ・サラダ、チキン・サラダ、シュリンプ・サラダ、コール・スロー、卵とマヨネーズのサラダ・・・etc.
 1884年、アメリカ人エマ・パイク・ユーイングは著書「サラダとサラダ作り」の中で4種類のドレッシングを紹介しています。
(1)透き通ったドレッシング(フルーツ・サラダ用の甘味または酸味のもの)
(2)フレンチ・ドレッシング(油、酢、塩、コショウ、マスタード)
(3)クリーム・ドレッシング(小麦粉、バター、香味料、を混ぜて温めたもの)
(4)マヨネーズ・ベースのドレッシング
<マヨネーズ物語>
 ヨーロッパ発祥のマヨネーズを瓶詰し世界中に広めたのもアメリカでした。
 1912年、ニューヨークで食料品店を営むリチャード・ヘルマンは忙しい主婦たちのために自家製マヨネーズを販売し始めます。当初は、1ガロン(3.8ℓ)の陶製容器で販売を開始し、その後、小型化し硝子の瓶で売り出すと大ヒット。ヘルマン社は、マヨネーズの製造販売に専念し始めます。
 1919年にシカゴ、1925年にはサンフランシスコにも工場を建設し、一気に全米を制覇します。
 1925年にマヨネーズ製造のライバル企業「クラクト社」は、新商品としてフレンチ・ドレッシングの販売を開始。それに対し、ヘルマン社は「ミラクル・ホップ」の販売を開始します。
 マヨネーズの登場により、サラダは一躍食卓の定番的存在となり、様々なドレッシングが登場することになります。
<サウザンドアイランド>ピクルスの風味でケチャップが入ったドレッシング
<グリーン・ゴッデス>サワークリーム、チャイブ、タラゴン、レモン汁などから作るドレッシング
<ランチ>バターミルク、塩、ニンニク、チャイブ、パセリにヨーグルトやクリームを混ぜたドレッシング

<世界のサラダ>
 サラダは、マヨネーズに代表される様々なドレッシングの登場とヨーロッパ発のサラダ文化の世界的拡散によって、20世紀以降急速に発展することになります。ここからは、そうして誕生した世界各地のサラダとドレッシングについて書いてみようと思います。

<東ヨーロッパのサラダ>
 寒冷地であるために新鮮な野菜を食べられる期間は限られます。そのために、サラダに使用される野菜は根菜類が中心となります。
 キャベツ、ラディッシュ、ビーツ、ルバーブ、ニンジンなどを茹でてサラダにするのが主流。ドレッシングには、南方系のオリーブ・オイルよりもサワー・クリームを使います。
<ドイツ>
 ドイツは葉物野菜には向かない土地なため、ジャガイモを使ったポテトサラダが昔から主役です。
<スウェーデン、デンマーク>
 マリネしたキュウリ、ビーツ、リンゴ、ジャガイモなどに特産のニシンを酢漬けにしてものを加えたもの
<ブルガリア>
「ショプスカ・サラダ」(同様のサラダはマケドニア、セルビア、ボスニア、クロアチアなどにもあります)
 トマト、パプリカ、キュウリ、タマネギ、シレネ・チーズなどを混ぜ、そこにフレンチ・ドレッシングをかけ、そこにすりおろすか角切りにしたチーズを振りかける。
<イタリア>
「インサラータ・カプレーゼ」
 ナポリ生まれのサラダ。完熟トマトとモッツァレラ・チーズのスライスを交互に重ねたもの。そこにオリーブ・オイル、塩、フレッシュ・バジルを加えます。
「ニース風サラダ」
 地中海のマグロが主役のサラダですが、缶詰のツナを使うので起源がフランスのニースかは?
 茹でたサヤインゲン、缶詰めのツナ、固ゆで卵、トマト、オリーブ、(アンチョビ)などにヴィネグレット・ソースをかけるサラダ。
「パンツァネッラ」
 トスカーナ地方で生まれた夏のサラダ。堅くなったパン、完熟トマト、バジル、オリーブ・オイル、酢を使います。白、緑、赤とイタリア国旗の色がお洒落です。
<フランス>
「リヨン風サラダ」
 伝統的なフランスのサラダ。リヨンのシルク工場で17~18世紀に食べられていたサラダが基本。
 葉野菜(フリゼなど)、ベーコンの厚切り、半熟卵、アンチョビに油と酢のドレッシングをかけます。
<トルコ>
「羊飼いのサラダ」
 キュウリ、タマネギ、パセリ、薄切りトマトにオリーブ・オイルとレモン汁をかけたもの。
「レンズマメとブルグルのサラダ」
 緑レンズマメ、ブルグル(挽き割り小麦)、トマト、華タマネギ、ピーマンの角切り、クルミのみじん切り、パセリ、レモンに塩コショウで味付けしたもの。
<レバント地方>
「タブーレ」
 中東レヴァント地方のサラダ。ブルブル小麦、みじん切りのパセリ、トマト、キュウリ、ミント、タマネギにオリーブ・オイル、レモン汁をかけるサラダ。
<日本>
 日本のサラダで特徴的な素材としては、海藻、大根、水菜、サツマイモなどがあり、ドレッシングにはごま油、米酢、みそ、醤油、ショウガ、レモンなどを使います。
<タイ>
「ラープ」
 タイ北部やラオスのスパイシーなサラダ。
 鶏のひき肉、炒った米粉、レタスなどをレタスで巻き、それを魚醤、ライムの皮、チリ・ペッパー、ミント、コリアンダーなどのドレッシングにつけて食べます。

<アメリカ>
 アメリカのサラダには、そのほとんどに民族的ルーツがあり、それがアメリカ独自の多彩なサラダを生み出すことになりました。それでも、それぞれのサラダが世界的に有名になったのはアメリカでの流行が世界的に広がったおかげでもあります。
「イスラエル・サラダ」
 アメリカに住むユダヤ系の人々が生み出したサラダと考えられます。細かく切ったトマト、キュウリ、タマネギ、パセリ、レモン汁、オリーブ・オイル、ニンニク、ミントなどを加えたサラダ。
「ウェッジ・サラダ」
 レタスを楔形に切り、たっぷりのブルーチーズ・ドレッシングをかけたサラダ。ブルー・チーズ、ベーコン、トマトを入れることもあります。
「ウォルドーフ・サラダ」
 細かく切ったリンゴ、セロリ、マヨネーズをレタスの上にトッピングしたサラダ。刻んだクルミを使うこともあります。映画にもよく登場するニューヨークの有名ホテル「ウォルドーフ」の支配人オスカー・チルキーが20世紀初めに考案しました。
「グリーク・サラダ」
 ギリシャ風のサラダですが、ギリシャ系移民がアメリカで流行らせたサラダです。当初はレタス抜きでしたが、レタスが入り、それにトマト、キュウリ、フェタチーズ、オリーブとオレガノ、油と酢のドレッシングをかけます。
「コブ・サラダ」
 レタス、アボガドの角切り、ベーコン、鶏の胸肉かハム、ブルーチーズ、トマトにヴィネグレット・ソースをかける。1930年代にロサンゼルスのレストランでオーナーのロバート・H・コブが考案。
<ヴィネグレット・ソース>
 オリーブ・オイル、酢、塩コショウ、デジョン・マスタードで作るドレッシング
「コール・スロー」
 アメリカで最も食べられてきたサラダ。千切りキャベツ、マヨネーズ、バター・ミルク又はヴィネグレットを混ぜたサラダ。オランダ発祥と言われます。
「シーザー・サラダ」
 1924年、ティファナのレストランでオーナーのシーザー・カーディニが残り物の食材を使って作ったサラダ。
 ロメイン・レタス、ニンニク、クルトン、ウスターソース、パルメザンチーズ、アンチョビで作ったのが始まりでした。
「チャイニーズ・チキン・サラダ」
 茹でた鶏胸肉、キャベツ、ニンジン、白ぐわい、ごま油、米酢を加えた醤油ドレッシングで作るサラダ。中国発祥ではなくロサンゼルスの中華街で1930年代に生まれたようです。

<参考>
「サラダの歴史 Salad : A Global History」
(食の図書館シリーズ) 2016年
(著)ジュディス・ウェインラウブ Judith Weinraub
(訳)田口未知
原書房

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