亡き村人たちへのレクイエム


「サン・ロレンツォの夜 La notte di San Lorenzo」

- パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ -
<タビヴィアーニ兄弟>
 「サン・ロレンツォの夜」は、イタリアを代表する兄弟監督タヴアーニ兄弟が自らが体験した「サン・ミニアート村の虐殺事件」を題材に撮った代表作です。ここでは、この映画について説明する前に、その事件の体験者となるタヴィアーニ兄弟の生い立ちから始めようと思います。
 タヴィア―二兄弟は、兄のヴィットリオが1929年9月20日、弟のパオロが1931年11月8日に、いずれも北イタリア・トスカーナ地方のサン・ミニアート村で生まれています。父親は反ファシズムの闘士でもあった弁護士で、この映画の主人公ガルヴァーノ(オメロ・アントヌッティ)は、彼がモデルのようです。
 二人は、子供時代、音楽教育を本格的に受け、ヴィットリオがピアノ、パオロがバイオリンを演奏。そのためにオペラが大好きな少年として少年時代を過ごしました。当時の二人はいつかオペラのバックで演奏することを夢見ていたのかもしれません。しかし、そんな兄弟の人生を大きく変える事件が起きてしまいます。

<北イタリアの混沌>
 1944年7月、北イタリアのトスカーナ地方は複雑な状況におかれていました。第二次世界大戦にドイツ、日本と共に参戦していたイタリアはいち早く連合軍の攻撃にさらされていました。イタリアを支配していたムッソリーニ率いるファシスト党は、前年にすでに解散。そして、1943年7月にはクーデターが起き、ムッソリーニは逮捕されてしまいます。しかし、ドイツ軍はイタリアの奪回に動き、北イタリアに侵攻。ムソリーニを救出して北イタリアに新政権を樹立させます。こうして、トスカーナ地方は、ドイツ軍と黒シャツ隊(元ファシスト党員)、連合軍とレジスタンスが、権力奪取を繰り返す混乱状態となりました。しかし、この後、8月には連合軍によってフィレンツェが解放され、トスカーナ地方に平和が訪れることになります。それまで、あとわずかでした。
この時期のイタリアについて

<サン・ミニアート村虐殺事件>
 1944年7月22日、ドイツ軍は村周辺でのパルチザンの活動に対する報復のため、村を爆撃すると通告します。そのため村人たちは、身の安全をまもるために教会に集まります。ところが、その教会に村人たちは閉じ込められ、ドイツ軍により爆破されてしまったのです。この爆破により、村人たちのうち女性や子供も含めた52人が犠牲となりました。
 21世紀に入って、アフリカや中東各地で起きているイスラム過激派によるテロ事件と同じようなことが、ヨーロッパでも行われていたのでした。その後、ドイツ空軍は村を爆撃し、タヴィアーニ兄弟の家も破壊されてしまいました。幸い事件の際、教会に行かなかったタヴィア―二家は、命だけは失わなかったものの家や財産を失ったため、村を離れ、ピサの街に引っ越すことになりました。

<ピサでの新生活>
 こうして、中学、高校時代をピサで過ごすことになったタヴィアーニ兄弟は、街で初めて映画と出会い、人生を大きく変えられることになります。1946年に二人は、学校をさぼって、ネオリアリズモの巨匠ロベルト・ロッセリーニの傑作「戦火のかなた」を見に行き、大きな衝撃を受けることになりました。音楽家になる夢は、この頃から映画監督になる夢へと変わったようです。
 その後、二人は父親に弁護士か技師になるよう期待され、ピサの大学へと進学しますが、街のシネ・クラブに通いながら映画監督になることを本気で考えるようになります。
 当時、彼らが観て、大きな影響を受けることになった作品としては、ロッセリーニの「ドイツ零年」(1947年)、ヴィスコンティの「揺れる大地」(1948年)、ドブジェンコの「大地」(1930年)、エイゼンシュタインの「イワン雷帝」(1943~1944年)などがありました。
 さらに、このシネ・クラブで二人は、この頃ヴァレンティーノ・オルシーニと出会い、3人で1950年からの15年間に10本のドキュメンタリー映画を撮ることになります。しかし、劇映画の監督になりたかった二人の夢の実現には、まだまだ遠い道のりが必要でした。地方都市ピサの街では映画の仕事はなく、仕方なく彼らは地方紙に映画評を書いたり、演劇の演出を行うなどしながらチャンスを伺うことになります。

<ドキュメンタリー映画でのスタート>
 1954年、二人はオルシーニと3人で初のドキュメンタリー映画「サン・ミニアート’44年7月」を撮ります。この作品は、「サン・ロレンツォの夜」のドキュメンタリー版ともいえる作品で、事件の生存者や犠牲者の家族らの証言をもとにドイツ軍による虐殺を再現しています。この作品は、ピサで行われたドキュメンタリー映画祭で2等に入賞します。しかし、事件からまだ年月が過ぎていなかったためか内容的に残虐な事件を扱っていたせいか、映画に対する拒絶反応も強く、ごく限られた場所でしか公開されないまま上映が終わってしまいました。
 その意味で二人にとって、事件の再映画化ともいえる「サン・ロレンツォの夜」は、リアリズムに徹しながらも、逆に反発を受けることになったドキュメンタリー作品のリベンジ的意味合いもあったかもしれません。この映画が、リアリズムへのこだわりよりも、寓話性の重視にこだわっていたのは、そんな過去の反省に基づいていたとも考えられます。

<映画の道はローマに通ず>
 1955年、タヴィアーニ兄弟とオルシーニは、ピサの街を出て、映画の都ローマに向かいます。しかし、彼らがローマに出た時期は、まだまだ戦後の復興期であり、映画の仕事がもっとも困難な時期だったともいえます。そのため、彼らは映画の脚本を頼まれて書いたり、助監督を務めたりしながら、映画を監督できる日を待つことになります。
 1962年、二人は念願の長編劇映画として「火刑台の男」を完成させます。マフィアに暗殺されたシチリアの組合活動家カルネヴァーレを描いた処女作品は、ヴェネチア・ヴィエンナーレ国際映画芸術展で最優秀「処女作」批評家賞を受賞します。
 ところが、上記の作品も含め初期の作品群は左翼思想に基づくネオリアリズモの流れをくむ作品ということもあり、興業的には成功せず、評論家からの高い支持も得られませんでした。こうして、二人の作品はなかなかヒットには結びつかなかったのですが、1977年に転機となる作品が誕生します。それが、カンヌ国際映画祭でグランプリと国際批評家大賞をダブル受賞した彼らの代表作「父 パードレ・パドローネ Padre Padrone」です。この作品は、原作者でもあるガヴィーノ・レッダが映画の中で語り部的に登場。それにより、それまでの作品とは異なる寓話的色彩を強めたことで、ローカルな作品でありながら、より多くの観衆に受け入れられ、映画界からも高い評価を得ることになりました。この手法は、その後も用いられることになり、「サン・ロレンツォの夜」でも、当時6歳だった女の子が、自分の子供に昔話のように語り聞かせることで映画が始まっています。

<寓話的語り口>
 こうして、寓話的な話法という新たな手法によって再生された「サン・ロレンツォの夜」もまた「父 パードレ・パドローネ」と同じく高い評価を受け、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞しました。この映画における「寓話的」な手法は、さらに進化していて、他にも注目すべき点があります。
 村人たちの運命を分けることになった教会に向かうグループと近くまで侵攻して来ているはずのアメリカ軍を探しに行くグループとの別れのシーン。そこで、後者の道を選択した村人たちは、夜の闇の中を移動するために黒い衣装に着替えます。真黒な衣装に身を包んだ人々は、まるで葬儀に向かう集団ように見えますが、実はそれは教会に行ったために命を落とすことになる人々のための喪服だったことが後に明らかになります。
 黒衣の逃亡者たちが、村への爆撃が始まる瞬間、そろって耳をそばだてる場面も印象的です。この場面で、クローズ・アップされる村人たちの「耳」と「鍵」も、この作品における大きなポイントです。爆撃するならさっさとしてほしい・・・と複雑な心境の人々が、そばだてる「耳」。村に帰れることを信じて、村人たちが「鍵」を肌身離さず持ち歩いている家々の「鍵」。そのアップが交互に映し出されることで、村人たちの複雑な心が見えてきます。
 タヴィアーニ兄弟の分身的な少女は、爆撃で家がなくなれば、フィレンツェに引っ越せると、喜んでいましたが、その瞬間、懐かしい家での様々な思い出がよみがえり、悲しみに襲われます。この気持ちもまた、彼ら兄弟に共通の思いだったのかもしれません。
 しかし、運命とは皮肉なもので、その悲劇のおかげで二人は村を出ることができ、そこで映画と出会うことができ、映画監督として成功を収めることができたわけです。なんだか、そんな彼らの人生そのものが、運命によって生み出された「おとぎ話」のようにも思えてきます。もしかすると、様々なジャンルにおける傑作が誕生した裏には、ことごとくそんな「おとぎ話」のような歴史があるものなのかもしれませんが・・・。

<その後の作品>
「カオス・シチリア物語 Kaos」(1984)

「グッドモーニング・バビロン! Good Morning Babilonia」(1987年)
 アメリカに移民したイタリア系の兄弟が映画の都ハリウッドで、彫刻など美術品製作の才能を買われて活躍するアメリカとの合作大作映画。ハリウッドというイタリア移民にとっては、おとぎ話の世界を背景にしたアメリカン・ドリームの物語。映画史に残るD・W・グリフィス監督の伝説的大作映画「イントレランス」の撮影現場が再現されるなど、映画ファンにとってはおとぎ話のような作品でもあります。映画ファンなら必見の娯楽大河歴史大作です。

「太陽は夜も輝く Il sole anche dinotte」(1990年)
「フィオリーレ 花月の伝説 Fiorile」(1993年)
「親和力 Le affinita elettive」(1996年)
「笑う男 Tu ridi」(1998年)
「復活 Resurrezione」(2001年)

<タヴィアーニ兄弟のこだわり>
 タヴィアーニ兄弟は、映画撮影の際、役割分担をせず、両方が同等の立場でカメラを覗き、演出を行うそうです。(ドキュメンタリー映画時代は3人で同じように監督していた!)そして、そうやって撮る題材は、「グッドモーニング・バビロン!」以外はどれもイタリア国内、それも都会ではなく彼らの故郷トスカーナ地方の農村部やシチリア島のような田舎ばかりです。そうした土地に住む農民たちを中心とする社会を、美しい映像によってカメラに収め、そこに寓話的な要素も交えることで、彼らは世界中の誰が見てもなぜか懐かしく思える世界を生み出すことに成功しているのです。それは日本製のアニメにも関わらず「トトロ」が世界中の人々の郷愁の気持ちに訴えるのに誓いのかもしれません。
 そんなトスカーナが生んだ懐かしき寓話の世界にあなたも是非旅立ってみて下さい。


「サン・ロレンツォの夜 La notte di San Lorenzo」 1981年
(監)パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ Paolo Taviani&Vittorio Taviani
(脚)パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ、ジュリアーニ・G・デ・ネグリ、トニーノ・ヴェッラ
(撮)フランコ・ディ・ジャコモ
(編)ロベルト・ペルピーニャ
(音)ジャンニ・ズバッラ
(衣)ジュリアーニ・G・デ・ネグラ
(出)オメロ・アントヌッティ、マルガリータ・ロサーノ(以上二人が当時プロの俳優だった)
   クラウディオ・ビガーリ、マッシモ・ボネッティ、ノルマ・マルテッリ、エンリカ・マリア・モドーニュ

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