時代精神をビートに乗せた吟遊詩人
佐野元春とその時代 
<PART 1>
- 1980年「BACK TO THE STREET」 -
- 1981年「Heart Beat」 -
- 1982年「SOMEDAY」-
<時代と共に歩んだ吟遊詩人>
 芸術家とは、炭坑内に洩れ出す有毒ガスを検知するために、鉱山労働者が持ち込んだカナリアのようなものだ。
 そう言ったのは、アメリカの作家カート・ヴォネガットです。確かに時代を超える作品を生み出した多くの芸術家は、誰よりも早く「時代の変化」を感じ取り、その変化を自らの作品によって表現する才能を持っていました。
 ピカソと「ゲルニカ」、ボブ・ディランと「風に吹かれて」、デヴィッド・ボウィと「ヒーローズ」、チャップリンと「独裁者」、ローリングストーンズと「悪魔を憐れむ歌」、ヴィヴィアン・ウエストウッドと「パンク・ファッション」、ゴダールと「勝手にしやがれ」、アンディ・ウォーホルと「キャンベル・スープ」、スパイク・リーと「ザ・ファイブ・ブラッズ」・・・「時代」は彼らとその作品と共に語られ続けるはずです。
 そして、佐野元春の曲もまたそんな時代の空気と共存する存在になっていくはずです。
 このページでは、そんな佐野元春の代表作とその作品が生まれた時代を振り返ってみようと思います。
<1980年「BACK TO THE STREET」 in Tokyo>

<危機的世界情勢>
 1979年から1980年にかけて、世界は僕が憶えている限り、20世紀後半で最も危機的な状況にあったという印象があります。
 1979年、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻し、アフガン紛争が勃発。翌年も戦闘は続き、ソ連と自由主義国のリーダーを自認するアメリカが対立。その影響でモスクワ・オリンピックは日本も含めた西側諸国の多くがボイコットする異例の大会となりました。
 同じように前年に起きたイランのアメリカ大使館占拠事件もまたこの年に持ち越されていました。そのうえ、人質救出作戦の失敗もあり、与党民主党の大統領ジミー・カーターは国内世論の批判にさらされ、その年に行われた大統領選挙では、共和党のロナルド・レーガンが勝利をおさめることになりました。
 こうしてアメリカ国民がタカ派のレーガンを大統領に選んだ頃、イランではイスラム原理主義のカリスマ的指導者ホメイニが前年に政権を掌握。イラン・イスラム革命を始めていました。イランはこの年隣国イラクとの戦闘を開始。さらにこれ以降イスラム原理主義者によるテロ事件が世界各地で起き始めることになります。
 ヨーロッパに目を向けると、東欧のポーランドでは、ワレサ書記長を中心に自主管理労組「連帯」が誕生。民主化運動はその勢いを増しますが、それに対しソ連による軍事介入が懸念され始めていました。しかし、それ以上に危険だったのは、長年国をまとめてきたカリスマ的指導者チトーの死去により、多民族国家ユーゴスラビアの分裂が始まったことでした。セルビアを中心とするバルカン半島での紛争は、その後、多くの悲劇を生み出す悲惨な戦争へと発展することになります。
 アジアでは、カンボジアのポルポト政権を倒すためベトナム軍が侵攻作戦を開始。それに対し、ポルポトを支援していた中国が反発し、中越紛争へと発展。
 日本のお隣の韓国では、民主化を訴えるデモ隊に対し、軍が武力での弾圧を開始。多くの市民や学生たちが命を落とすあの「光州事件」が起きました。

<ジョン・レノンの死と多くの悲劇>
 そんな世界の不穏な状況に追い打ちをかけるように起きたのが、12月8日のジョン・レノン暗殺事件でした。そして不気味はことに、音楽界の悲劇はこの年それだけではありませんでした。
 ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティス、レッドツェッペリンのジョン・ボーナム、ハワイアンの最高峰ギャビー・パヒヌイ、サンバ界の大御所カルト―ラ、シンガー・ソングライターのティム・ハーディン、マーシャル・タッカー・バンドのトミー・コールドウェル、R&B界でO・V・ライト、プロフェッサー・ロングヘア―など、多くの現役ミュージシャンが、この年この世を去っているのです。その数の多さは、なぜか他の年の比ではありません。

<バブルへ向かう日本>
 そんな世界情勢の中、日本国内もやはり暗いムードに包まれていたのでしょうか?否、実はそうではなかったと思います。今考えてみると、そもそもあの年、多くの日本人は世界が危機的状況にあることをあまり認識していなかったように思います。
 世界各地のニュースを映像によってリアルタイムで発信するメディアCNNが誕生したのはこの年のこと。インターネットも80年代にはまだ存在せず、世界の状況を多くの人がリアルタイムで共有できる時代はまだまだ先のことでした。
 そのうえ日本はこの年、初めて自動車の生産台数で世界一になり、経済面でいよいよ黄金期を迎えつつありました。テレビではThe MANZAIがブームとなり、原宿には「竹の子族」が集まっていた時代です。混沌とした世界の中で日本は一人勝ちによりバブルへの道を歩み出していたのです。
 そんな時代を象徴するかのように、今も売れ続けているロングセラー商品「ガンプラ」、「ウォシュレット」、「チョロQ」、「ポカリスウェット」、「ルービック・キューブ」がこの年に誕生。「ビックカメラ」、「ドン・キホーテ」、「無印良品」が登場したのもこの年です。

<日本のポピュラー音楽界>
 そんな勢いのある世相を反映し、この年の音楽業界は歴史上二度とない数の超ロングセラーヒットを生み出していました。
 「雨の慕情」、「異邦人」、「別れても好きな人」、「贈る言葉」、「大都会」、「ダンシング・オール・ナイト」、「さよなら」、「昴」、「順子」、「パープルタウン」、「青い珊瑚礁」、「哀愁でいと」、「不思議なピーチパイ」、「TOKIO」・・・どの曲も今でもカラオケなどで歌われる大ヒット曲です。歌謡界は、フォーク、ロックの影響を受けた新しいタイプの大ヒット曲を次々に生み出し、その頂点を迎えていたのです。
 そして、歌謡曲以外からも、後にJ-ポップと呼ばれることになるジャンルがいよいよ生み出されようとしていました。山下達郎の「ライド・オン・タイム」、YMOの「ライディーン」が大ヒットしたのはこの年です。いよいよJ-ポップ、J-ロックの時代が始まろうとしていたましたが、まだそれは一時的なブームに過ぎませんでした。RCサクセションの「雨上がりの夜空に」が発表されたのもこの年ですが、後の名曲も当時はブレイクにはほど遠かったのです。

<佐野元春登場!>
 そしてこの年、ロック・シンガーになる夢をあきらめきれなかった24歳の青年、佐野元春がサラリーマンを辞めてデビューを果します。そしてラジオから都会の喧騒とエネルギーに満ちたデビュー曲「アンジェリーナ」が聞こえてきたのでした。ロック・ミュージックと日本語詞を見事に融合させたその曲は、それまで海外のロックしか聞いていなかったロック・ファンをも驚かせ、喜ばせました。ただし、メガヒットが次々に生まれ黄金時代を迎えていた日本の歌謡界にとって、J-ロックの先駆となった「アンジェリーナ」はまだ早すぎたのかもしれません。客観的に見ても、これだけのヒット曲が連発する中、新人アーティストがヒットを飛ばすことは不可能に近かったと思います。そしてその曲を生み出した佐野元春も、アルバムこそ売れだしたもののヒット曲には恵まれず、当時の状況に違和感を抱いていました。

・・・80年代初期はまだ洋楽が上で、日本語のロックはその形を借りた紛い物と思われていた。
 自分はそんな洋楽至上的な考えをどうにかぶち壊したかった。そのためには一度洋楽の様式に分け入っていき、ますは模倣から始め、そこから換骨奪胎する形で日本の新しいポップ・ロックを生み出していくしかなかった。
・・・
「SWICH」2021年佐野元春特集号より

「BACK TO THE STREET」 1980年4月21日 
 1 夜のスウィンガー
 2 ビートでジャンプ
 3 情けない週末
 4 Please Don't Tell Me Alive
 5 グッドタイムス&バッドタイムス
 6 アンジェリーナ
 7 さよならベイブ
 8 バッドガール
 9 Back to the street
10 Do What You Like(勝手にしろよ) 

さらにこの年についての詳細を知りたい方は
1980年の事件・音楽・映画・文学などへ

「Heart Beat」 1981年2月25日
 1 ガラスのジェネレーション
 2 Night Life
 3 バルセロナの夜
 4 It's Alright
 5 彼女
 6 悲しきRADIO
 7 Good Vibration
 8 君をさがしている(朝が来るまで)
 9 Interlude
10 Heart Beat(小さなカサノバと街のナイチンゲールのバラッド)
 個人的には、このアルバムが僕が最初に買ったアルバムです。(アナログ盤)それだけにどのアルバムよりも聞いているかもしれません。
 特に好きだったのは「彼女」です。この曲はその後、2013年公開の堤監督による映画版「SPEC」(最終章)のエンディングで使用されました。そのシーンも僕は大好きです!永遠に見ていたいくらい素晴らしい時間でした!映画の中身は忘れても、あのエンディングだけは忘れません。

さらにこの年についての詳細を知りたい方は
1981年の事件・音楽・映画・文学などへ

<名曲「サムデイ」誕生>
 佐野元春の代表曲「サムデイ」は、元々前作「Heart Beat」のために準備された曲でしたが、歌詞が完成せずにお蔵入り。
 「ステキなことはステキだと無邪気に笑える心がステキ」の部分が書けたことで完成し、3作目「SOMEDAY」に収録されました。
 ゴスペルとロックを融合させ、大瀧詠一から学んだフィル・スペクター風の「ウォール・オブ・サウンド」によって完成されました。
 アルバム・タイトル曲となり、先行シングルとして自信をもって発売されます。ところが誰もがヒットすると思ったにも関わらず、なぜか売れませんでした。
・・・僕も血気盛んな頃だったから、シングルの売上を知った時は不遜にも”こんなもんかよ?”という気持ちだった。そのくらい「サムデイ」には自信があった。・・・

 「サムデイ」の中の”Happines & Rest”というリフ、若い頃の私は佐野さんを好きにだった理由です。パッションではなくRest。幸福と並ぶものとして静かな安らぎを求めている。40年経つと、これが全然違う意味を持って湧き上がってきます。・・・」
小川洋子(「SWICH」の佐野元春との対談より)

<アルバム「SOMEDAY」について>
 1枚目の「BACK TO THE STREET」、2枚目の「Haert Beat」、その完成形を3枚目の「SOMEDAY」で作る。そんな流れだった。ライブとスタジオワークを行ったり来たりしていたのが良かったのかもしれない。ビートの効いたロックンロールも、メロウな曲も、ひとつのバンド・サウンドで表現できるようになった。フォーマットは自分が聴いてきた60年代、70年代の欧米のポップ・ロック音楽。そこにそれまでなかった新しい日本語をぶち込むことで僕自身のユニークな新しい音楽を作りたかった。その悪戦苦闘がアルバム「SOMEDAY」に集約されている。
「SWICH」2021年佐野元春特集号より

「SOMEDAY」 1982年5月21日 
 1 シュガータイム
 2 ハッピーマン
 3 ダウンタウンボーイ
 4 二人のバースデイ
 5 麗しのドンナ・アンナ
 6 サムデイ
 7 アイム・イン・ブルー
 8 真夜中に清めて
 9 ヴァニティ・ファクトリー
10 ロックンロール・ナイト
11 サンチャイルドは僕の友達 
<第一期 The Heartland>
佐野元春(Vo,Guitar)、伊藤銀次(Guitar)、古田たかし(Drums)、小野田清文(Bass)、西本明(Keyboads)、阿部吉剛(Keyboads)、ダディ柴田(Saxophone)

さらにこの年についての詳細を知りたい方は
1982年の事件・音楽・映画・文学などへ

 そして1983年、アルバム「NO DAMAGE」発表後、彼は突然それまでの活動を否定するかのように日本を旅立ったのでした。それは日本という国もしくはその音楽文化への反発だったのか?それとも日本という国が置かれた状況に疑問を持った結果だったのか?ただ単に、新しい何かを探求する好奇心の旅だったのか?
 その答えは、次に生まれる音楽に託されました。

 どうしてあなたは遠くに去ってゆくのだろう
 僕の手はポケットの中なのに
 ちょうど波のようにさよならが来ました
 あなたはよくこう言っていた
 終りははじまり
 終りははじまり


 「グッドバイからはじめよう」(1983年のシングル)より

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