時代精神をビートに乗せた吟遊詩人
佐野元春とその時代 
<PART 2>
- 1984年「VISITORS」 -
<1984年「VISITORS」 in New York>

<佐野元春、NYにて>
 1983年、佐野元春は日本を離れ、ニューヨークでの生活を始めます。
「ニューヨークのストリートにはヒップホップ/ラップの文化が激しく炸裂していた。色々な国から若くて才能ある連中が集まっていた。ニューヨークに暮しながら段々と自分が作るべき音楽がわかってきた。それは、今ここに起こりつつある出来事をジャーナルな視点で詞を書き、曲を作り、1983年のニューヨークのサウンドと情景を真空パックにしてアルバムを作ること、そう思った」
「SWICH」2021年佐野元春特集号より

 彼がこうした明確な目標を持つことが出来たのには、当時のニューヨークの状況がそれだけ「熱かった」せいでもありました。とはいえ、未だ海外どころか、アメリカ国内でも知る人ぞ知るローカルな文化だったヒップホップ。彼はその現場の熱量がまさに爆発寸前であることを感じたからこそ、その現場に迷うことなく飛び込んで行きました。先ずはそんな1980年代初めのヒップホップの現場を振り返ります。

<ヒップホップ、ブレイクへ>
 1984年、ニューヨークでブレイクの時を迎えていたヒップホップは、1970年代の初めにニューヨークの中でも黒人とプエルトリカンが多く住むブロンクス地区で生まれました。薬物の蔓延や犯罪の多発などによって荒廃し他の地域から隔離されたその街で育った少年たちが、ストリートで生み出した独自の文化。それがブレイクダンス、グラフィティー、ヒップホップからなるヒップホップ・カルチャーでした。それは沸騰する街のエネルギーを吸収しながら急速な進化・発展を遂げましたが、1980年代初めにはまだまだローカルな文化に過ぎませんでした。
 そんな独自のアンダーグラウンド・カルチャーがブロンクスを出て世に知られるきっかけとなったのは、ニューヨークの地下を走る地下鉄のおかげと言われています。独特なペインティングがほどこされた地下鉄の車両が都心のマンハッタンにまで走って行き、多くのニューヨーカーの目にとまることになったのです。
 1983年にニューヨークに移り住んだ佐野元春は、そのマンハッタンに住んでいました。

 1978年、ビルボード誌が初めてブロンクスのヒップホップ・シーンに注目。その現状を取材し記事にしました。最高のサウンドシステムを武器にしたクール・ハーク、スクラッチなどの技術を駆使したグランドマスター・フラッシュなど、個性豊かなアーティストたちについての現場報告により、ブロンクスに一気に注目が集まり始めます。
 1979年、ブロンクスの外からシュガーヒル・ギャングによる世界初のラップ・レコード「ラッパーズ・ディライト」が発売され大ヒット。ブロンクスを出たヒップホップが、アメリカのメジャーシーンでもビジネスとして成功する可能性があることを証明してみせました。
 さらに80年代に入ると、「ハウス」という呼ばれることになるジャンルが誕生。よりダンサブルなディスコのための音楽である「ハウス」と社会のリアルを言葉によって描く「ラップ」への分岐が始まり、それぞれが急速に進化し始めます。
 1983年、ミュージシャンのクラウス・ノミがエイズにより死亡したことが発表され、エイズ問題が音楽界に大きな影響を与えることになりました。当初、同性愛者を中心に感染が広がったことから、ジェンダーレス化が進んでいたディスコ・カルチャーである「ハウス」は大きな影響を受けることになりました。
 それに対して、ジェンダーレスよりもマッチョイズムが中心だったラッパーたちは、独自のファッション文化を生み出しながらメジャーシーンに進出し始めます。そしてそんな黒人文化とのメッセージを込めることで時代の象徴となったのが、1984年にグランドマスター・フラッシュが発表したアルバム「ザ・メッセージ」でした。

<ヒップホップ、世界へ>
 1980年代初め、いよいよヒップホップは世界へと広がり始めます。
 1982年、様々なジャンルのレコードを駆使するアフリカ・バンバータが、テクノとラップを融合させた歴史的ヒット作となる「プラネット・ロック」を発表。
 1983年制作のテレビ用ドキュメンタリー「スタイル・ウォーズ」に続き、同年製作のドキュメンタリー映画「ワイルド・スタイル」は、1984年には海外でも公開されヒップホップ文化の全体像を世界中に広める役割を果たしました。
 さらにこの年、白人のリック・ルービンが黒人のラッセル・シモンズとデフ・ジャム・レコードを立ち上げ、L・L・クールJとT・ラ・ロック&ジャジー・ジェイのアルバムを発表。ラップの白人層への浸透も始まりました。
 この頃、RUN D.M.C.はアディダスのスニーカーをはき、金のチェーンとポークパイ・ハットにより、ラッパーたちのファッション・リーダーになりつつありました。
 ヒップホップのブレイクはまさに目の前にあったと言えます。

<ラッパー佐野元春誕生!>
 1983年から1984年にかけて二ューヨークで生活していた佐野元春は、ブロンクスを出て急速に発展し始めていたヒップホップを現地でリアルタイムで体験しただけでなく、それを同時進行で自分のものにし、「VISITORS」を制作します。しかし、まだアメリカ人ですら、そのほとんどがヒップホップとは何かを知らなかった時代。多くの日本のファンが彼の変化について行けなかったのは当然のことでした。
 ここで一つ忘れてならないのは、佐野元春にとってラップという音楽スタイルは、流行を取り入れた一過性のブームではなかったことです。それは彼がその後もラップのスタイルを何度も曲に盛り込んでいることからもわかります。そもそもラップという音楽スタイルのルーツには、アメリカ文化の中にある詩の朗読文化があることを忘れてはいけません。ビートに乗った彼の歌唱スタイル、それはアレン・ギンズバーグやボブ・ディランたちビート詩人に憧れていた彼にとって、ごく自然なスタイルだったのです。

「・・・ライミングや、言葉のビートに対する当て方、そうしたラップ・ミュージックのフロウをそこから学んだ。ただ、これは説明が難しいけれども、彼らと同じような音楽を作りたいとは思っていたわけではなかったんだ。僕がリファレンスしたのは50年代のビート・ジェネレーションの連中たちがやっていたオーラルなポエトリー・リーディングだ。ラップ音楽はその現代版だと僕は捉えていた。そして60年代にディランが「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」で行ったナラティブな表現。新しい時代の自分が鳴らすのは、その文脈の延長線上にある新しいアティテュードの、新しい形式を持ったポップ・ロックだと思った。・・・」
「SWICH」2021年佐野元春特集号より

<ビート文化とポエトリー・リーディング>
 佐野元春の新たな音楽スタイルにテクニックの部分で重要な意味を持ったのがヒップホップだとすると、スピリチュアルな部分で重要な意味をもったのは、50年代のビート文化でした。
 ビート文化は、1955年にサンフランシスコでアレン・ギンズバーグが自らの詩集「吠える」を朗読した頃に誕生しました。1957年に6年間もの間お蔵入りになっていたジャック・ケルアックの「路上」が出版されたのも、そんな時代の流れのおかげでした。そこから、後にビート文化と呼ばれることになる新たな若者文化がアメリカ各地で盛り上がりをみせることになります。
 ジャズのインプロビゼーションの影響を受けることで、自由に言葉を駆使しながらも、ビートを重視したポエトリー・リーディングのスタイルがアメリカの新たな文化として定着することになります。
 1950年代ポエトリー・リーディングの本場となったニューヨークには、多くのビート詩人たちが集まり、そこからフォークソングの新たなスタイルが生まれることにもなりました。ボブ・ディランはまさにその象徴的存在ですが、後の「パンクの女王」パティ・スミスもまたニューヨークでポエトリー・リーディングに演奏を加えるところからスタートしたアーティストです。
 曲と言葉、その両方にこだわり続けてきた佐野元春にとって、ニューヨークの街はヒップホップの聖地であると同時にポエトリー・リーディングの聖地でもあったのです。ニューヨークでの聖地巡礼の旅により、彼は「ビート族のラッパー」という新人種に生まれ変わりました。そして音楽と言葉、それとビートを自由自在に操るための基礎を学び日本に帰国したのでした。
 そもそも単にラップ的な歌詞を生み出すことができたとしても、そこに乗せる歌詞にスピリットが感じられなければ聞き手に届くはずはありません。そのことを彼は十分に理解していたようです。

「最初からライミングを意識すると駄洒落のようになりがちだ。激しいインスピレーションに任せて曲を書けば、ライミングは自然に湧いてくるものです。・・・」
「SWICH」2021年佐野元春特集号より

「VISITORS」 1984年5月21日 
 1 COMPLICATION SHAKEDOWN
 2 TONIGHT
 3 WILD ON THE STREET
 4 SUNDAY MORNING BLUE
 5 VISITORS 
 6 SHAKE - 君を汚したのは僕
 7 COME SHINIG
 8 NEW AGE
<第二期 THE HEARTLAND>
佐野元春(Vo,Guitar)、横内タケ(Guitar)、古田タケ(Drums)、小野田清文(Bass)、西本明(Keyboads)、阿部吉剛(Keyboads)、里村美和(Percussion)
Tokyo Be-Bop ダィ柴田(Saxophone)、石垣三十郎(Trumpet)、ボーン助谷(Trombone)

さらにこの年についての詳細を知りたい方は
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 つかの間の自由をビートにまかせて 転がり続ける
 センチメンタルなギャツビー気取って じょうずにシェイク・ダウン
 すべての使い古されたブーツ 窓から投げ捨て
 新しいマッチに灯をともして


 「コンプリケーション・シェイクダウン」より

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