時代精神をビートに乗せた吟遊詩人
佐野元春とその時代 
<PART 3>
- 1986年「Café Bohemia」 -
- 1989年「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」 -

<1986年Café Bohemia」 in London>
 アルバム「VISITORS」は売れ行きこそ良かったものの、日本でのヒップホップ・ブームの火付け役とはなりませんでした。それはあまりに時代の先を行き過ぎていたのかもしれません。佐野元春自身も、同じ路線を繰り返すつもりはありませんでした。彼が次に目指したのは、「SOMEDAY」で成功した「メロディ」と「VISITORS」で身につけた「言葉」を融合させることでした。そして、その挑戦の場として彼が選んだ場所はイギリスでした。でもなぜ、イギリスだったのでしょうか?
 1985年のイギリスの状況は、10年前の混沌としたパンクの時代から大きく変わっていました。その一番の原因は、「英国病」と呼ばれた長い不況からイギリスが抜け出そうとしていたことにあります。その主役だったのは、エルヴィス・コステロなど多くのロック・ミュージシャン、英国の巨匠ケン・ローチ監督らにとっての天敵として悪名高い「鉄の女」マ―ガレット・サッチャーでした。

<不況からの脱出>
 1979年に女性初の英国の首相となったサッチャーは、それまでどのトップにも出来なかった徹底的な政治改革を実行します。
 1984年には、大規模なストライキにも臆することなく炭鉱労働者2万人の削減を断行。
 1986年には、金融の大幅な自由化を行うことで、イギリスの金融業を世界的な成功に導くことに成功しました。「鉄の女」サッチャーは、弱者を切り捨てることで着実のにイギリス経済の立直しに成功したと言われています。この流れはその後も続き、あのロンドン・オリンピックの成功へと結びつくことになります。
 そうした経済状況の元、イギリスには多くの移民が流入し、それにより様々な音楽文化も持ち込まれました。それが音楽界の活性化にもつながり、イギリスはロックだけでなく様々なポップミュージックの発信地となっていたのです。1982年の初開催は赤字だったワールド・ミュージックのイベントWOMADも、この時期にはいよいよ軌道に乗り、海外、日本などへと進出することになります。
 もちろん「勝ち組」がいれば「負け組」もいます。「負け組」の側からは、ザ・スミスのようなアーティストが現れ、そんな状況から脱出するための享楽的なダンス音楽を生み出す、ニューオーダーストーン・ローゼスのようなバンドも登場しています。

<個性爆発の1985年イン・ロンドン>
 いかに1985年のイギリス音楽シーンが盛り上がっていたのか?それはその年に生まれたヒット曲、ヒットアルバムからも明らかです。
 先ずこの年にデビューしたアーティストとしては、ドリーム・アカデミー、シンプリー・レッド、ストーン・ローゼスらがいます。
 この年のヒット曲には、ユーリズミックスの「Be Yourself Tonight」、MTV界の大御所ゴドレー&クレームの「Cry」、スクリッティ・ポリッティの「Cupid & Psyche」、ティアーズ・フォー・フィアーズの「Shout」、ワムの「Careless Whisper」などがあります。
 アルバムで見ると、スティングの「The Dream of Blue Turles」、ザ・スミスの「Meat Is Murder」、スタイル・カウンシルの「Our Favorite Shop」、ニュー・オーダーの「Low Life」、シャーデーの「Promise」、ポール・ヤングの「The Secret of Assotiation」、プリファブ・スプラウトの「Steve McQueen」などがあり、それにイギリス初の世界的イベント「ライブ・エイド」もこの年に開催されています。
 テクノ、ソウル、ロック、ファンク、トラッドなど様々なスタイルの個性的なアーティストたちが、それぞれの名盤を生み出した年でしたが、なかでもポール・ウェラーを中心とするスタイル・カウンシルは、グループ名の通り洗練されたスタイルを売りにこの時代を代表する存在となりました。

「リリックも大事、メロディも演奏も大事だけれども、一番大事なのはアティチュード。『君はスタイルを持っているのか?』、そこが最も問われるようになった。・・・」
「SWICH」2021年佐野元春特集号より

 この言葉の通り、イギリスでは自らがゲイであることをカミングアウトしたり、反サッチャーとしての主張を展開したりすることが当たり前で、音楽のスタイルだけではなく、生き方のスタイルを明確に示すアーテイストたちの時代になっていました。

 こうしてイギリスで生まれた彼のアルバム「Café Bohemia」は、同じように経済的に好調な日本のバブルを感じさせる作品であると同時に、彼の新たなスタイルを追求した作品となりました。しかし、それはまだ完成されたわけではなく、その後再びイギリスでより挑戦的なアルバムが作られることになります。

Café Bohemia」 1986年12月1日
 1 Café Bohemia
 2 WILD HEART
 3 SEASON INTEHE SUN
 4 カフェ・ボヘミアのテーマ
 5 STRANGE DAYS
 6 月と専制君主
 7 YOUNG BLOODS
 8 虹を追いかけて
 9 INDIVIDUALISTS
10 99 BLUES
11 Café Bohemia(INTERLUDE)
12 CHRISTMAS TIME IN BLUE
13 Café Bohemia(REPRISE) 
<第三期 THE HEARTLAND>
佐野元春(Vo,Guitar)、長田進(Guitar)、古田たかし(Drums)、小野田清文(Bass)、西本明(Keyboads)、阿部吉剛(Keyboads)
Tokyo Be-Bop ダィ柴田(Saxophone)、石垣三十郎(Trumpet)、ボーン助谷(Trombone)

さらにこの年についての詳細を知りたい方は
1986年の事件・音楽・映画・文学などへ

「クリスマス・タイム・イン・ブルー」について
 この曲は、佐野元春がニューヨークで過ごしたクリスマスのイメージを元に作られ、そこにUKレゲエのリズムが加えられています。ミックスは、ニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオで行われ、トムトムクラブやトーキングヘッズのリミックスで知られるプロデユーサー、エンジニアのスティーブン・スタンリーが担当しました。
 佐野元春唯一のこのクリスマスソングは、クリスマスの喧噪よりも、去り行く一年に思いをはせるタイトル通りブルーでノスタルジックでな名曲として忘れられません。

 全てはMoney この街はFunny
 いつもなやませる
 大切なキャッシュカード、クレジットカード
 永遠に夢は買えない
 得意げな顔したこの街のリーダー
 シナリオのチャックに忙しい
 ユーモアもない真実もない
 フェイクしたスマイルはとても淋しい

「99 BLUES」
より

<1989年「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」 in London>
<バブルの終焉>
 1989年、日本は大きな時代の転換点を迎えました。
 先ずは1月7日の天皇崩御により、「昭和」から「平成」へと変わりました。さらに美空ひばり手塚治虫、松下幸之助がこの世を去ったことで、昭和の歌謡曲、漫画、企業経営にひとつの区切りがついた年となりました。そんな中、日本経済はバブルのピークを迎え、株価が史上最高値の3万円台に突入。ただし、その終わりはもうすぐそこまで来ていました。
 そんな日本から脱出するようにこの年、再び佐野元春はイギリスへと渡ります。もちろんそれは新しいアルバムを録音するためでしたが、今回の録音には前回とは大きく異なる目標がありました。

「…アルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」では英語混じりのリリックはやめて、日本語表現の可能性を追求した。美しい日本語を使って現代詩でありながら同時にロックンロールでもあるリリック。そう簡単なことじゃなかった。でもロンドンでセッションを繰り返していると、だんだん答えが見えてきた」
「SWICH」2021年佐野元春特集号より

<世界史における激動の年>
 その当時、時代の変わり目を迎えていたのは、日本だけではありませんでした。
 この年、中国では民主化を求める学生たちに対し、軍隊が出動。あの世界を揺るがせた「天安門事件」が起き、多くの命が失われました。
 アメリカでは、右派のジョージ・ブッシュが大統領に就任。パナマに軍隊を侵攻させ、独裁者ノリエガ将軍を逮捕するなど、世界の警察としての活動を本格化。ソ連との和平は実現するものの、中東や中米でのアメリカ軍の活動が活発化し、それが多くの敵を生み出すことになります。
 しかし、最も大きな変革の時を迎えようとしていたのは、ヨーロッパでした。
 ドイツでは「ベルリンの壁」の撤去が始まり、長く続いた東西冷戦が終わりを迎えようとしていました。もちろんこの出来事はヨーロッパ全体にとってはポジティブな出来事であり、ヨーロッパ連合(EU)誕生に向けての大きな一歩でもありました。しかし、「ベルリンの壁」の撤去は、ルーマニアのチャウシェスク政権の崩壊など東ヨーロッパの国々すべてが混沌とした状況へと向かうきっかけともなりました。その最大の変化は、やはり1991年のソ連崩壊でしょう。そしてその後は、バルカン半島をまとめていて英雄チトー亡き後のユーゴスラビアが分裂し、悲劇的な戦乱が始まることになります。
 21世紀に向けた世界の激変が、この年、ヨーロッパから始まったと言えるのです。

<佐野元春、ヨーロッパへ>
 1988年、佐野元春のアルバム「Heartland」は、ヒットチャート1位となり、40万枚を売り上げました。彼の人気もまたピークを迎えようとしていたと言えます。ところが、彼はバブルの絶頂から逃れるように再び日本を飛び出し、再びロンドンへと向かいます。

 この当時、世界のロック界はパンク、ニューウェーブの時代を経て、明らかに低迷期を迎えていました。それに対し、世界各地の様々な民族音楽や独自のポップスが次々にブレイク。1982年に始まったワールド・ミュージックのイベントWOMADも定着し、「ワールド・ミュージック」の時代が本格化しつつありました。
 そんな流れのせいもあり、ロックはいよいよ過去の音楽になりつつありましたが、ロンドンの街だけは新たなロックの発信地としての勢いを保っていました。そこでは新旧様々なアーティストたちが活躍し、イギリスは勢いのあるロック・ミュージシャンたちの活躍の場になっていました。
 この年1989年には、ローリングストーンズの「スティール・ホイールズ」、ポール・マッカートニーの「フラワーズ・イン・ザ・ダート」、XTCの「オレンジ&レモンズ」が発表され、久々に大物アーティストたちが復活をアピール。ロンドンを中心に活躍するアイルランド系のミュージシャンたちの存在も目立っていました。エルヴィス・コステロ、ザ・ポーグス、ウォーター・ボーイズ、ホット・ハウス・フラワーズ、ヴァン・モリソンU2、シニード・オコナー、そしてアイリッシュ・トラッド系のドロレス・ケーン、メアリー・ブラック、デ・ダナン、エンヤ・・・などの活躍により、イギリスのロック界はパブロックやアイリッシュ・トラッドなど、生演奏によるバンド・サウンドの時代へと回帰しつつありました。そして、この傾向は、しだいに世界的なものになります。
 この年アメリカではMTVアンプラグド・ライブがスタート。エリック・クラプトンのライブ・アルバムが大ヒットし、「アンプラグド・ブーム」が世界中に広がります。
 日本ではTBS「いかすバンド天国」の放送が始まり、バンド・ブームが盛り上がっていました。そしてこの番組から、フライング・キッズ、たま、KUSU KUSU、ビギン、マルコシアス・バンプ、ブランキ―・ジェット・シティーらの活躍が始まることになりました。

 ロンドンで彼はエルヴィス・コステロなどのプロデューサー、コリン・フェアリーを共同プロデューサーに迎え、バック・バンドにブリンズレー・シュワルツやコステロのバック・バンド、ジ・アトラクションズのメンバーらを招き、アルバムを録音。そのバンドのメンバーとは録音だけでなく一緒にライブも行う前提で制作が行われていました。その意味では、よりバンドとして一体感とライブ感のあるサウンドをも追求することで、アルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」が誕生しました。
 こうして佐野元春の新たな名盤が、世紀末を前に、まだ世界がポジティブだったギリギリの時期に世に出たのでした。

「1989年当時日本は好景気で、誰もが何の苦労もなく生きていける時代になった。いわゆるバブル社会だ。若い世代もその恩恵を受けていた。それを思えば、煌びやかでゴージャスなサウンドというのは当時の街の中で鳴り響くには合っていたんだろうなと思う。
 でも僕は少し違和感を感じていた。バブルと一緒にスイサイド・ハネムーンをしているような気分だった。・・・」

「SWICH」2021年佐野元春特集号より

「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」 1989年6月1日
 1 ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
 2 陽気にいこうぜ
 3 雨の日のバタフライ
 4 ボリビア - 野性的で冴えてる連中
 5 おれは最低
 6 ブルーの見解
 7 ジュジュ
 8 約束の橋
 9 愛のシステム
10 雪 - ああ世界は美しい
11 新しい航海
12 シティチャイルド
13 ふたりの理由

さらにこの年についての詳細を知りたい方は
1989年の事件・音楽・映画・文学などへ

「ジュジュ」について
「・・・僕はプロテスタント系の学校に通っていたので、時々聖書を読んでいた。聖書の詩篇は文学詩としてもとても面白いのです。吉本(隆明)さんが聖書を引っ張り出してあのような作品(「マチウの書試論」)を書いたことに当時の僕は強く興味を持ちました。その時、ハッとさせられたのですが、彼はこの本の中でジーザス・クライストのことを”ジュジュ”と書いていた。それが僕の多感な魂にずっと居座り続けて、アルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」では、無謀にも”絶対者の不在”というテーマでポップソングを書けないかと思い立ち、「ジュジュ」という曲を書きました。・・・」
「SWICH」2021年佐野元春特集号より

 世界は少しずつ形を変えてゆく
 俺達は流れ星 これからどこへ行こう
 So Good Night いつか君の腕に抱かれて
 Good Night どこか行きつく所もなく


 「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」より 

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