時代精神をビートに乗せた吟遊詩人
佐野元春とその時代
<PART4>
- 1990年「TIME OUT !」 -
- 1991年「SLOW SONGS」-
<デビューから10年>
 1990年という節目の年、佐野元春もまたデビュー10年周年を迎えていました。
 そもそもロック・ミュージシャンという存在が、世に現れたのが1950年代半ばのこと。彼らが、将来どう年をとって行くのか?その目標も模範も、まだ存在しませんでした。
 「つまらない大人にはなりたくない」と歌っていた彼もまた確実に年を重ねていました。
 これからの10年、自分はどう活動して行くべきなのか?このまま突っ走れば良いのか?変化を続けるべきなのか?
 1990年1月に彼が対談したニール・ヤングは、前年に傑作アルバム「Freedom」を発表したばかりで、多くのロック・ミュージシャンにとって、レジェンドであり、ある意味目標と言える存在でした。彼との対話のおかげで、節目の年に彼は新たな覚悟を持って歩み出したに違いありません。

<バブルの崩壊前夜>
 区切りの時を迎えようとしていたのは、彼だけではなく彼が生まれ育った日本も同様でした。80年代に始まったバブル景気は、いよいよその名の通り「バブル期」に入り、1992年ついに破裂することになります。そして、そこから始まる不況は長くダラダラと続き、後に「失われた10年」と言われることになります。
 そこまで事態が長引いたのは、責任の所在を明らかにせず、失敗の本質的な原因を明確にできない日本人の精神構造が原因でした。同じ間違いは、第二次世界大戦での軍の暴走についても同様で、2020年の「新型コロナ」対策における失敗も、同じ構図が生み出した結果でした。
 1990年当時、すでにその兆候は表れており、このままでは行かないことを多くの人は感じていながら、見て見ぬ振りをしていたように思います。
 そんな時代の空気は、当然、佐野元春の作品にも大きな影響を与えることになります。

<ワールド・ミュージックの時代>
 1990年代の初めは、音楽ビジネスにおいて、「ワールドミュージックの時代」がピークを迎えていた時期でもありました。
 1982年に初開催されたWOMAD(World of Music And Dance)は、世界中の音楽とダンスを紹介する一大イベントとしてその後、日本でも開催されるほど成長を遂げました。
 1980年代にアイランド・レーベルがレゲエのスーパースター、ボブ・マーリーにより、急成長したことは音楽業界を大きく刺激し、各レコード会社は次なるボブ・マーリーを求めて、世界各地のスターを発掘することになりました。
 日本においては、そうした音楽業界の流れは「バブル景気」と重なり、世界中の音楽が商品として扱われることで、「ワールドミュージック」という新たなジャンルが誕生しました。
 1990年には、新宿にヴァージン・メガ・ストアがオープンし、日本で世界中のポップスを入手できる状況が生まれることになりました。
 そうした時代の波に乗り、この年は多くのワールドミュージックの名盤が日本で話題になりました。それを地域別に見て見ると・・・。
<アフリカ>
ユッスー・ンドゥール「Set」(セネガル)、サリフ・ケイタ「Amen」(マリ)、シェブ・マミ「Let Me Rai」(アルジェリア)
<アジア>
ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン「Mustt Mustt」(パキスタン)、ディック・リー「Asia Major」(シンガポール)、Campur DKI「Campur DKI」(インドネシア)
サンディ・ラム「Faces And Places」(香港)、ジャグジート&チトラ「Someone Somewhere」(インド)、シーラ・マジッド「Legenda」(マレーシア)
<ヨーロッパ>
3ムスタファズ3「Soup of Century」(東欧風無国籍)、ザ・オイスター・バンド「Freedom And Rain」(アイルランド)、マドレデウス「Existir」(ポルトガル)
アルタン「The Red Crow」(英国トラッド)、デイヴィー・スピレーン「Shadow Hunter」(英国トラッド)
<中南米>
セレーナ「Ven Conmingo」(メキシコ系)、マキシー・プリースト「Bonafide」(ジャマイカ)、デヴィド・ラダー「1990」(トリニダード・トバゴ)、ロス・ロボス「The Neighborhood」(チカーノ・ロック)

 世界各地のポップ・ミュージックの登場は、それまでロックやR&B、ジャズ、ラテンぐらいしか知らなかった日本人の音楽にも大きな影響を与えるようになります。昔は、バンドを組むとは「ロック・バンド」のことでしたが、もうそうではなくなりました。当然、日本にもそうした新たなジャンルの影響を受けたバンドが次々に誕生することになります。当時、一大ブームを巻き起こした「いかすバンド天国」からも、そうしたエスニック音楽をルーツとしたバンドが登場しています。そして、それらのバンドの多くがその後も長く活躍を続け現代にまで到ることになります。
<日本のエスニックバンド>
サンディー「マーシー」(アジア)、上々颱風「上々颱風」(アジア)、知名定男「島うた」(琉球)、りんけんバンド「ありがとう」(琉球)、BEGIN「音楽旅団」(琉球)
東京スカパラダイス・オーケストラ「スカパラ登場」(スカ)、Jagatara「おあそび」(アフリカ)、The Boom「ジャパネスカ」(レゲエ)、ボ・ガンボス「ジャングル・ガンボ」(ニューオーリンズ)
KUSU KUSU「世界が一番幸せな日」(アフリカ)、伊藤多喜男「タキオ・スピリット」(民謡)

 当時は、全国的にはバンド・ブームでしたが、東京近辺では渋谷系のブームも盛り上がりをみせていました。世界中の音楽が、古さも新しさも関係なく、どの国の音楽かも関係なく平等に聞かれる時代が訪れつつあったのです。このことは、後に渋谷系が世界へも広がる重要なカギになりますが、ワールドミュージックを受け入れる重要な基礎にもまりました。もうロックはポップ・ミュージックの一ジャンルにすぎない。そんな時代の波を感じつつ、佐野元春は次なる10年へと漕ぎ出そうとしていたのです。
 今振り返ると、彼にとって大切だったのは、彼には素晴らしいバンドがあり、素晴らしい観客がいて、ライブこそが最重要の活動の場だったことかもしれません。次なる回答はライブから得られるはず。そんな思いがあったのではないか?後に発表されるこの時期のライブを記録したアルバム「Golden Ring」は、そのことを示している気がします。

<立ち止まる時>
 1990年、佐野元春は名盤「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」の録音を共にしたイギリスのバンド・メンバーとのライブ活動が実現せずに帰国。すぐに彼は新メンバーで補強されたハートランドとライブ活動を行いながら、わずか一か月で次なるアルバム「TIME OUT!」の録音を終えます。そして、音の仕上げは再びロンドンで行われ、前作の流れを汲む続編的作品となりました。
 時代の変わり目の年、佐野元春もまた立ち止まり、次なる10年について考えていたことは、アルバムに収録された曲の歌詞からもわかります。しかし、そうした未来についての思い悩む気分に対し、サウンドは決して暗くなく、逆にポップな曲が多いことは印象に残ります。この後、90年代に入り、彼のサウンドがぐっと重くなるのとは対照的です。時代の気分は、まだ80年代を抜け出してはいなかったのかもしれません。

「クエスチョンズ」
 誰かここに来て 救い出してほしい
 部屋の壁際に追い詰められているのさ
 傷が深すぎて 何も感じられない
 枯れた風に舞うただの焦げたシマウマさ
 Question Question Question You
 君を呼ぶたびに希望、絶望

「君を待っている」
 だれのことも 信じられず
 ひとりの夜に おびえているならば
 過ぎたことは すべて忘れて
 いつでもここに 伝えてほしい
 昔のままのその声で

「空よりも高く」
 夏の嵐が近づいてる Hum・・・
 風がほえる前に 胸の襟を立てて会いに行くよ
 誰にもみえないかげろう つきぬけてゆく
 家へ帰ろう・・・
 空よりも高く 舞い上がる君を
 会いにゆくよ 雨が降る前に
 車を走らせて すぐにゆくよ

 アルバムのタイトルどおり、この作品の後、彼はオリジナル・アルバムの制作を小休止させることになります。

「TIME OUT!」 1990年11月9日 
 1 ぼくは大人になった
 2 クエスチョンズ
 3 君を待っている
 4 ジャスミンガール
 5 サニーデイ
 6 夏の地球
 7 ビッグタイム
 8 彼女が自由に踊るとき
 9 恋する男
10 ガンボ
11 空よりも高く

さらにこの年の詳細について知りたい方は
1990年の事件・音楽・映画・文学などへ

 1991年、彼はバラード曲を集めた新たなベスト・アルバム「SLOW SONGS」を発表します。
 ロックンローラーとしての佐野元春とは別の魅力が満載のこのアルバムは、もっとも繰り返し聴ける彼のベスト・アルバムの中のベスト作かもしれません。
 「アメリカのボス」ブルース・スプリングスティーンのパワーに疲れたら、心優しき「ピアノマン」ビリー・ジョエルが聞きたくなるように・・・。
 そのアルバム・ジャケットは、ランディ・ニューマンの名盤「Sail Away」のジャケット写真を逆向きにした構図になっています。
 サングラスをかけ、色を抑えたうつむき加減のポートレイトは、その時期の彼の精神状態を表わしていたようにも思えます。
 この時期に彼の父親が若くしてこの世を去っており、そのショックが大きかったことも後に明らかになりました。
 後に映画音楽作家ともなるランディ・ニューマンによる素晴らしいオーケストレーションの名曲「Sail Away」を意識したであろうオーケストラをバックにした再録音曲「情けない週末」と「バッド・ガール」、それに「バルセロナの夜」は特に印象深い作品です。

「SLOW SONGS」 1991年8月28日 
 1 恋する男
 2 こんな素敵な日には
 3 情けない週末(フル・オーケストラVer)
 4 ふたりの理由
 5 真夜中に清めて
 6 バルセロナの夜
 7 週末の恋人たち
 8 バッド・ガール(フル・オーケストラVer)
 9 彼女
10 君を待っている
11 雪 - ああ世界は美しい
12 グッドバイからはじめよう 

さらにこの年の詳細について知りたい方は
1991年の事件・音楽・映画・文学などへ

佐野元春とその時代(パート5)へ   佐野元春のページへ   トップページヘ