時代精神をビートに乗せた吟遊詩人
佐野元春とその時代
<PART5>
- 1992年「sweet 16」 -
- 1993年「THE CIRCLE」 -
「sweet 16」
 アルバム「TIME OUT !」発表の1990年11月から1年、佐野元春にとって初めての長い空白期間をおいて、ニューアルバム「sweet 16」が発表されました。その間に佐野元春は、まだ若かった父親を失い、失意の時を過ごしたと言われています。
 しかし、発表されたアルバムのタイトル曲は、バディ・ホリーのロックン・ロールを現代に蘇らせたようなご機嫌なロックンロール・ナンバー。次の曲「レインボー・イン・マイ・ソウル」では、失うことの悲しみから力強く蘇る前向きな意志が感じられます。

「レインボー・イン・マイ・ソウル」
あの頃 何かが壊れかけて せつなく揺れていた
夢が終わらないように 失くしてしまうことは 悲しいことじゃない
輝き続けている いつまでも
There's a rainbow in my soul
「さよなら」と言えないで 夜明けまで過ごした 街の空は高く晴れて
・・・・・
あせらずにゆくさ 何も迷うことはない
失くしてしまうたびに 君は強くなる
輝き続けている いつの日も
There's a rainbow in my soul

 ポップで元気なアルバムに仕上がっているものの、このアルバムにはそれまでの佐野作品にはあまりなかった「世界の現状」へ向けられた視点で書かれた曲「が収められています。「廃墟の街」は、その代表的な作品。その視点は、その後の彼の作品において、さらに重要な役割を果たすようになります。

「廃墟の街」
柔らかく気の触れたこの世界
くるおしく踊る君を見てる
街では救世主達に溢れて 誰もが幸せに滅びてる
真夜中に漂うサテライトニュース
電話のベルで聞えない 君の唇 君のムード
自由な世界が好きさ

街あかりの消えた夏の午後
見捨てられた子供達の群れ 退屈な夜が訪れる
罠に気づくのはむずかしい
街路にさざめくバイオレンス
まばたきをしているひまもない
少しづつ命がかくれて 今夜はまともじゃいられない

 もうひとつこのアルバムが他の作品と異なるのは、リアルで重い現実描写による曲の後で、そんな危機的な世界を救うべく二人の女神を登場させていることです。共に素晴らしい天才アーティストの夫を持ち、素晴らしい子供を育てたオノ・ヨーコ矢野顕子の二人とのデュエットは、それまでの彼の作品にはなかった展開でした。
 矢野顕子とのデュエット曲「また明日」は、未来を変え得るのは、「女性」であり「母親」の活躍を待つしかない。そんな意図を感じるのは、深読みし過ぎでしょうか?

「また明日」
・・・・・
荒地を眺めて歩き続けよう 君と一日中
愛を重ねていた 愛を重ねていた
虹のように空をかけて傷ついた自由
かまわない もうかまわない
Say Goodbye and Kiss Me
また明日 また明日 逢えるなら

 それまでにないポップさとリアルさを兼ね備えた完成度の高い「sweet 16」が評価も売り上げも好調だったのは必然と言えます。この作品での成功で自信を得たのか、この後、彼は時代代の流れを取り込みつつ、より深い批評性を持つ曲作りをするようになります。
 自らをヴォーカルとしたロックンロール・バンドとしてスタートして、様々なスタイルを取り込みながら進化を続けた10年。
 佐野元春にとってアルバム「sweet 16」はその集大成となりました。そしてそれは、一つの進化の歴史のサークルが閉じたことでもありました。その閉じた輪の象徴がアルバム・ジャケットのパイだったのかもしれません。
 「パイ」と言えば、佐野元春のアイドルの一人バディ・ホリーの死を歌ったドン・マクリーンの歴史的名曲「アメリカン・パイ」では、バディ・ホリーの死をアメリカの青春の終りに例えていました。だからこそ佐野元春にとって、そのアルバム「sweet 16」は彼の青春の終わりを示す作品だったのかもしれません。そしてそれは、彼にとってラブソングだけを歌う時代の終わりであり、そこから先へと踏み出すスタート地点でもありました。こうしてアルバム「THE CIRCLE」を生み出す準備が整いました。

「sweet 16」 1992年7月22日 
 1 ミスタ―・アウトサイド
 2 スィート16
 3 レインボー・イン・マイ・ソウル
 4 ポップチルドレン(最新マシンを手にした陽気な子供たち)
 5 廃墟の街
 6 誰かが君のドアを叩いている
 7 君のせいじゃない
 8 ボヘミアン・グレイヴヤード
 9 ハッピー・エンド
10 ミスタ―・アウトサイド(リプリーズ)
11 エイジアン・フラワーズ(with オノ・ヨーコ)
12 また明日(with 矢野顕子)

さらにこの年の詳細について知りたい方は
1992年の事件・音楽・映画・文学などへ


<バブル崩壊とバブルの共存>
 1992年は歴史上日本における「バブル崩壊元年」と言われます。しかし、1930年の世界恐慌が株価の大暴落というわかりやすい事件から一気にアメリカ経済を崩壊させたのとは異なり、90年代日本の長い不況は少しづつ人々の首を絞めるように始まり、ゆっくりと日本全体を巻き込んで行きました。そして、そのダラダラとした変化は、そこからの復興をもダラダラとしたものにして行きます。「失われた10年」はそんな不気味な10年だったのです。そのことは具体的に歴史を振り返るとわかりやすいかもしれません。
 もちろん人それぞれ、異なる10年を過ごしたはずですが、あなたにとって、1990年代はどんな10年でしたか?

「欲望」
物憂げな顔したこの街の夜 天使たちが夢を見てる
コスモスの花束を抱えて 君に話しかける
「これからどこへゆこう?」 誰も答えられない
「これから何をしよう?」 誰にも見えない
君が欲しい

「レイン・ガール」
時の流れに答えを求めて 迷子のひとたちはまだ
哀しみにおぼれて
終りのない欲望のない街に耳を閉ざしてる
いつか君と話したい
Rain Girl

1992年、大蔵省が都銀など21行の巨額不良債権を発表。銀行の採算が危機にあることを指摘。これが経済不況の最初の引き金となりました。しかし、このことで一気に経済不況が始まったわけではありません。この年には、絶好調の任天堂がイチローが所属するシアトル・マリナーズを買収。長崎では巨大観光施設ハウステンボスが開業しています。
1993年、この年は「Jリーグ」スタートの年。皇太子の結婚ブーム。横浜ランドマークタワー、東京レインボーブリッジ、屋内スキー場「SSAWS」などがオープン。部分的にバブルはまだまだ盛り上がっていました。しかし、この年あたりから「平成大不況」という言葉が使われるようになります。
1994年、バブルの象徴と呼ばれ、映像でも頻繁に使用される巨大ディスコ「ジュリアナ」は、この年にオープンしています!それに対し、流行語になったのが「就職氷河期」と「価格破壊」。デフレ社会を象徴する様々なジャンルの激安ショップの時代が始まっています。(紳士服、酒、電化製品、家具、食品など)

 多くの人が「バブル崩壊」の象徴的事件としてイメージする「山一証券の廃業」や「北海道拓殖銀行の破綻」が起きたのは1997年のことです。
 こうして振り返ると、「バブルの崩壊」は「バブルの残像」は常に共存していて、実はゆっくりと崩壊が進み、その中で社会の二極化を進めていったと考えられます。(具体的には、正規労働者と非正規労働者と分けることも可能ですが・・・)

「君を連れて行く」
家を失くしてしまった
お金を失くしてしまった
暇を失くしてしまった
少しだけ賢くなった
昨日のこと 昔の仲間を連れ出して
久しぶりに夜明けまでさわぎ散らかした
・・・・・
重い荷物は捨てて遅すぎることはない
光の中の波のように 二人の力あわせて
これから新しいルールを作るのさ

 それから21世紀の現在まで、安倍政権により経済復興が進み、経済成長は続くことになったと歴史的には言われているようですが・・・。
 二極化が進んだ日本社会の底辺部分はあの時以来浮上していないように僕には思えます。
 佐野元春がどうとらえていたのか?わかりませんが、こうした社会状況が彼のアルバムにさらに影響を及ぼすことになりました。時代は新しいシステム、新しい秩序を求めますが、それはなかなか見つかりませんでした。

「新しいシャツ」
この街もようやく落ち着きを取り戻して
いつものおだやかな風が吹きはじめている
散らかしたガラクタをひとつに集めて
元の場所までそっとかたづけるのさ
あせらない 迷わない
涙も溢れ過ぎない
Whey-hey-hey-yeah-yeah !
新しいシャツを見つけにゆく

<閉じた世界からの脱出>
 1992年は日本にとっては「バブルの崩壊」が最大の事件でしたが、世界にとってはどうだったのか?
 ソ連の崩壊から始まった東ヨーロッパの混乱は、しだいにヨーロッパ全体へと広がり、紛争や内戦が本格化し始めることになります。
 「セルビア紛争」はその最悪の結果でした。
 アメリカでは人種差別問題が再燃し、ロサンゼルス暴動が発生。全米を巻き込む人種対立が表面化します。
 中国では天安門事件の逮捕者が釈放されますが、事件の全容は闇に葬られ、共産党による支配が21世紀に向けさらに強まることになります。
 第二次世界大戦が終わり「東西冷戦」が始まって以降、ソ連の崩壊による冷戦の終わりは、世界を再び混乱に落とし入れようとしていました。
 アルバム「THE CIRCLE」には、そうした世界の混乱が未来への不安と共に描かれています。

「ウィークリー・ニュース」
なぜ。戦車の下敷きになる人たち
なぜ。暴力にくみしかれる人たち
なぜ。バカな知恵を比べ合う人たち
遠い国の出来事じゃない
なぜ。煉瓦の下敷きになる人たち
なぜ。権力にくみしかれる人たち
なぜ。バカな夢を競い合う人たち
遠い国の出来事じゃに
強い者たちが闇にもたれあい
弱い者たちが身をすりよせあう
どんな気がする どんな気がする
決して傷つかないように うまく立ち回るのは

「ザ・サークル」
探していた自由はもうないのさ
本当の真実ももうないのさ
もう僕は見つけに行かない
もう僕は探しにいかない
時間のムダだと気づいたのさ
今までのようには悲しまない
今までのようには叫ばない
今までのようには踊らない
今までのようには迷わない
今までのようにはあせったりしない
今までのようにはドジったりしない・・・

 21世紀の世界の分断を予見したかのような歌詞は、今聞くとさらにその重みが伝わってきます。
 それは世界が変わらないからなのか?
 佐野元春の歌が普遍的だからなのか?
 少なくとも、彼の歌が今なおまったくその価値を失っていないことだけは間違いありません。

「THE CIRCLE」 1993年11月10日 
 1 欲望
 2 トゥモロウ
 3 レイン・ガール
 4 ウィークリー・ニュース
 5 君を連れてゆく
 6 新しいシャツ
 7 彼女の隣人
 8 ザ・サークル
 9 エンジェル
10 君がいなければ 

さらにこの年の詳細について知りたい方は
1993年の事件・音楽・映画・文学へ

佐野元春とその時代<パート6>   佐野元春のページへ   トップページヘ