美術作品評価法の研究


「サザビーズで朝食を Breakfast at Satheby's」
オークショニア 競売人が明かす美とお金の物語 An A - Z of the Art World

- フィリップ・フック Philip Hook -
<美術作品を評価する>
 あなたは絵画や彫刻などの美術作品をどう評価していますか?
 映画なら、その作品がどれだけの興行収入を上げたのか?映画賞を受賞しているか?ネットの口コミサイトでの平均点は?など、いくつかの客観的な評価基準があります。
 小説でも、同じようにどれだけ売れているか?本屋大賞や直木賞などをとっているのか?ネットの口コミサイトの評価は?など、同じような評価がなされています。
 もちろん、これらの評価基準の多くは人気投票的な「質より量」の評価であり、「芸術性」についての評価とはいえません。プロが選ぶ映画祭や直木賞などは別ですが・・・
 では絵画や彫刻などの美術作品はどうでしょう?
 絵画作品の興行収入は基本的にはありません。カンヌ映画祭やブッカー賞のような評価もありません。(まったくないわけではありませんが・・・)
 ただし、その作品がオークションにかけられることがあれば、その作品には客観的な値段がつけられることになります。これはかなり重要な評価基準になるかもしれません。もちろん、そんな値段は評論家と金持が勝手につけたものであり、作品の評価はそれを見た個人それぞれがつけるべきもの。そう考えるのももっともであり、それが正しいのは確かだと僕も思います。
 では、あなた自身にとってレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」の価値は?
 あなたにとって、「モナリザ」とあなたの息子が描いた「パパの顔」の値打ちは、較べられますか?
 映画や小説なら、「面白さ」や「感動」、「怖さ」、「涙の量」、「読み終えるまでの時間」など、様々な評価基準もありえます。でも美術作品の場合、絵の前で涙を流したり、興奮して拍手したりすることは、めったにないことです。(もしそんな体験がある人なら、絶対に芸術家になるべきだと思います)
 そんな絵画や彫刻に値段をつけるオークションは、実は本番前にある程度その結果は予測されているそうです。そうでなければ、最低価格をつけられないし、失敗すれば大きな損害を被る可能性もあるのですから。いったい「サザビーズ」や「クリスティーズ」はどうやって作品を評価し、価格を予想しているのでしょうか?
 そもそもオークションのシステムってどうなっているのでしょう?
 どんな作品なら高値がつくのでしょう?それは本当にその作品の価値を示しているのでしょうか?
 サザビーズとクリスティーズ、両方で働き、そのシステムを知り尽くしている人物が書いた本を読みました。絵画の価値をお金に換算することを否定するのは簡単ですが、彼らが用いている様々な評価基準は実に興味深いです。
 なぜ「印象派」の作品は人気があるのか?
 なぜ「現代美術」の作品には高い値段がつくのか?
 この本を参考にすると売れる作品が描けるかもしれません。
 著者が選んだ巨大なイメージを作り上げた偉大な作品ベスト10が、彼らの考える売れる作品の基準からどれもはみ出しているのはなぜか?
 もし、あなたがアーティスト志望なら、この本に書かれている売れる作品の基準をことごとく無視することで、歴史に残る芸術作品を生み出すことができるかもしれません。逆に、この本を参考に売れる作品を描くのもありですが・・・。
 先ずは、絵画作品に価値をつけるのは誰か?というところから始めましょう。

<絵画の価値を決めるのは誰か?>
 絵画の価値を決めるのは、一般的には「サザビーズ」のようなオークションに参加する人々と思われているかもしれません。しかし、それを仕切る側が、ある程度価格を誘導しているともいえそうです。そこに出品される作品を評価し、オークションの基準となる最低価格を決めているのは、オークションの主催者ですし、彼らはそれぞれの作品を購入しそうな顧客の把握もできているはずです。彼らこそ、ゴッホの「ひまわり」やムンクの「叫び」に値段をつけた仕掛け人なのです。(とはいえ、彼らも誰が購入するのか、最後までわからなかったようですが・・・)
 そこで先ずは、そうした美術作品のオークションにおける世界的な大手「サザビーズ」と「クリスティーズ」の生い立ちから始めます。
美術作品を販売する二つの流れの登場
<サザビーズの誕生>
 絵画作品の販売を行う「画商」という職業が生まれたのは、いつなのかははっきりしないようですが、それが商売として急激に伸びたのは、絵画を求める資産を有する市民階級という新しい階層が誕生してからでした。(それまでは王族や貴族など限られた支配階級だけで、彼らの多くはお抱えの画家を有していました)ヨーロッパでは18世紀にそうした新しい市民階級が急速に増え、1799年には初の市民革命であるフランス革命が起きています。植民地との交易などで利益を得て、資産を持てるようになった裕福な中産階級の人々は、自分の家を飾るため、一族の歴史をそれなりのものに見せるため、家に絵画や装飾品を飾るようになって行きました。
 そのために必要な絵画、本、調度品、宝飾品などを卸売り販売するために誕生した業者の中で今でも生き残る数少ない企業が「サザビーズ」や「クリスティーズ」です。
 「サザビーズ」の創立は、1744年ですが、当初は書籍販売が主な取扱商品でした。(といっても、当時は本はその豪華な装丁や価格から美術作品並みに価値があったのですが・・・)それに対して、1766年に誕生した「クリスティーズ」は美術品の販売が元々中心で王家や貴族の顧客を数多く抱えており、ある意味保守的な業者でした。しかし、その美術界におけるクリスティーズの独占は第二次世界大戦が終わるまで続いていました。
 しかし、「サザビーズ」の新会長にピーター・ウィルソンが就任して以降、より開放的で革新的なやり方で現代美術などへの積極的進出などにより急速に成長し、「クリスティーズ」に並ぶ存在になって行きました。
 フランスにも同じような業者はありましたが、生き残った二つの企業はいずれもイギリスで生まれです。フランスの業者は貴族や王族にべったり過ぎて時代の変化について行けなかったようです。それに比べると、イギリスの業者には文化的な優位性があったようです。
 あらゆることを賭けの対象にするブックメーカーもまたイギリスが本家ですが、これは偶然ではないでしょう。それに、フランス人と違いイギリス人は何事も分類、分析、数値化することが大好きです。実際、イギリスのブックメーカーの優秀さは美術作品の売買価格の予想オッズでも実証されています。

 英国の写実主義者たちは、よく言われるように、確実な真実やゆるぎない事実を追求することを好むが、その際にも正しくあろうとする彼らの本能を抑え込むことはできない。・・・
 だが、これに対して印象派は、私が思うに、もっと一貫している。彼らは、そうした美徳はまったく捨て去って、あるがままに選んだ主題をよりおおざっぱに扱うべきだと表明している。細部描写など投げ捨て、全般的な表現に専念するのだ。・・・
 英国人は一言でいうなら、杓子定規な衒学家(学問、知識をひけらかす人)であり、一方、フランス人は冷笑家(社会的慣習を無視する人)である。

ヘンリー・ジェイムズ(アメリカの作家)

 ムンクの名画「叫び」の4バージョンのうちの一つがオークションにかけられた際、当時としては史上最高額の1億1990万ドル(約95億円)で落札されました。この時、最低価格をいくらに設定するかは当初まったくわからず、購入希望者が誰なのかもまったくわからなかったそうです。ところが、イギリスのブックメーカーが設定したオッズで最も低い値は、1億2500万ドルだったそうです。なんという正確さ!

<オークションのシステム>
 2社が現在行っているオークションのシステムも、ブックメーカーのシステム同様、長い年月をかけて集積されたデータ、経験に基づいて築き上げられた高度なシステムです。
 例えば、あなたがものすごい「お宝作品」を持っていたとします。そして、それをできるだけ高い値段で売りたいと思い、「サザビーズ」と「クリスティーズ」にその作品の評価を依頼します。両社はあなたのその作品を鑑定し、その最低販売価格をあなたに報告します。
 あなたはとりあえず、高い価格をつけてくれた方に作品をあずけるとよいでしょう。もし、オークションで買い手がつかなくても、最低販売価格でオークション業者が保証してくれるからです。(これが続くとオークション業者は破産してしまうので、最近は最低価格を下回ってしまった時、販売先を確保して不良債権化を防ぐようなシステムもできているようです)
 こうして世界のトップを行く2社は常にお互いを意識しながら、オークションへの出店作品を集めているわけです。しかし、こうしたオークションで扱われる作品は、基本的にはすでに知名度の高い作者のものです。当然ですが無名の新人作家の作品が、そこに登場することはほとんどありません。ということは、こうしたオークションから新たな時代を切り開くような作品は現れないということです。
 では、どこからそうした革新的な作品は登場するのでしょうか?
<プロモーターとしての画商>
 元々すべての絵画作品がオークションにかけられているわけではありません、逆にほとんどの作品は「画商」と呼ばれる絵画の仲買人によって販売されています。もしくは「画廊」で作者が直接販売しなければ、美大出の若者が作品を売る場所はなく、いつまでもプロとして食べて行けるようにはなれないはずです。(最近はネットで販売するという新たなスタイルも登場しましたが・・・知名度のない作家の作品が簡単に売れるとは思えません)
 実は、上記のように新人アーティストを発掘し育てる役割を担うような画商は、最近(20世紀初め)まで存在していませんでした。19世紀の中ごろまでフランスの画家たちは仲間たちと自費でサロン展を開催し、そこで評判を獲得することで自らプロモーションを行っていました。しかし、この方法ではそれなりの知名度がなければ、そもそも集客することすらできず、こうしたサロン展を開催しても、保守的な批評家たちに酷評されていたことは歴史が教えてくれています。
 そうした状況の中で登場したのが、人時代の画商ポール・デュラン=リュエルでした。現在の画商の仕事につながる彼の革新的な手法が生まれたきっかけは、同じく革新的な手法によって絵画の世界に革命を起こした印象派の登場だったようです。新しすぎて画壇に受け入れられず、当然売れるわけもない印象派の作品をプロモートし、それを世に出すことから彼の仕事は始まったのでした。
 彼は印象派の作品についての解説を自ら行い、それぞれの作家を紹介するための個展を開催し、有力な新聞の批評家に記事を書かせるようお膳立てをするなど、様々な手法を駆使して行きます。こうしたプロモーターとしての画商の仕事は、今では当たり前ですが、この時、彼によって生み出されたようです。
 こうして、彼が始めた画商の新たなスタイルのおかげで、世に知られることになったともいえるシュルレアリストの中心人物マルセル・デュシャンは画商とは「アーティストの背中についたシラミ」だと言い切っています。しかし、画商の存在なしにシュルレアリストの名は世界に知られることはなかったかもしれないのです。
 さらに彼ら画商たちは、絵画を単品としてだけではなく、「コレクション」として関連する作品を集めることでその価値を高めることも推奨しました。

 最高のコレクションというものは、それ自体が一つの美術品であり、その全体が各々の作品の単なる総計よりも高く評価される。

 事実、20世紀は画商の時代であり、アーティストの評判を高め、また永続的な重要性をもつコレクションを構築させる力をもっていた。ヨーロッパとアメリカのモダンアートの歴史は、画家の視点からとほぼ同じほど、有名な画商の視点からも書かれるのだ。・・・

 なぜ、何を描いているのかもわからないような現代美術の作品が売れるのでしょうか?
 それは「印象派」の名画に高額な値段がつくのとは違う理由によるものです。現代美術作家の作品を購入することは、無名のアイドルのブレイクを信じてCDやグッズを購入し続けるファンのようなものです。アイドルは大スターになってもファンに見返りはありませんが、美術作品は一攫千金の可能性があります。画商という職業は、そうした投資のための「予想屋」だとも言えそうです。
 過去の大物作家たちの作品がそうは動かず、未発表の作品ももうそうは出てくることはなさそうなだけに、現代アートの新人作家への投資熱は今後も高まるでしょう。(ゴッホやモネの作品に較べれば、桁違いに安い投資です)画商とのタッグで美術界での評価をあげることができれば、それはそのまま経済的に成功に結びつくことになるのですから。

 モダンアートがますますエリート主義でわけのわからないものになるにつれ、画商の姿を装った解説者が、美術品を売るプロセスにおいてますます重要な要素になっていった。 


 ここからはいよいよ「売れる作品」の条件についてみてみましょう!
<分類できるアート>
 一般的に最も人気がある絵画は、「印象派」の絵画だと言われています。しかし、「印象派」以外でも様々な「・・・イズム」の作品は、それぞれ知名度があり人気があります。作品の価値には「・・・イズム」として分類されていることが重要だということなのです。例え無名作家の無名な作品でも、それが「印象派」に属している作品と分類されれば、それだけで作品の価値はある程度保証されるということです。
 もともと「印象派」という分類も、評論家が作品の解説や評価をするために便利なようにつくった言葉でしたが、最近では作家自身が自らの作品を差別化し、価値を上げるために名前をつける傾向にあるようです。
 ジョルジュ・スーラによる「新印象派」、パブロ・ピカソの「キュビズム(立体派)」、アンリ・マティスの「フォビズム(野獣派)」などは、自ら名付けたと言われています。シュルレアリズムに至っては、名前だけでなく「シュルレアリズム宣言」まで発表し、その基準を世に公表しています。
 もし、あなたが何か新しいスタイルを編み出したなら、是非、それにぴったりの名前をつけましょう!
 ちなみに、たとえその作品が「・・・イズム」に属していなくても、それが描かれた場所がある特定の場所、グループの中で描かれているなら、それも十分に価値があると言えます。例えば、20世紀初めのパリ郊外モンマルトル(ピカソ、モディリアーニ、ヴァン・ドンゲン・・・)とか17世紀末のロンドンのチェルシー(ロセッティ、ホイッスラー・・・)、1970年代のNY、ファクトリーなどで制作された作品と証明できれば、その価値は一気に跳ね上がるでしょう。

<作家の苦悩が生み出したアート>
 アーティストがどんな過程を経てその作品を生み出したのか?そこに、もし何らかのドラマチックな要素があれば、その作品の価値はあがることになります。絵画作品は、その作品の中にドラマが描かれているよりも、その裏側にドラマがある方が評価されるのです。このことは非常に重要です。かつては、絵画の中に聖書や伝説を題材に数多くの作品が作られましたが、今はもうそうした作品は求められていないようです。
 逆に今求められているのは、より普遍的、より謎めいた表現です。その意味で重要なのは、作者の「精神状態」の問題です。人々は、その作品の中に作者の意図や思いを見ようとするからです。そのため、そこにアーティストの心の葛藤が見えるほど、魅力的なのです。
 少なからぬアーテイストは単なる「苦悩」を越えたレベルの「精神的な病」と闘いながら作品を生み出しています。ファン・ゴッホ、ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコ、ウィレム・デ・クーニング、エドヴァルド・ムンク、ジェリコーなどは特に有名です。

 アーティストの狂気はそのアーティストの神話の一部であり、創造力というロマンスであり、またミステリーでもある。狂気と闘い、苦悩のなかから作品を生み出したことは、アーティストのブランドを強化する。

 アーティストの作品価値にとって、自殺や早世が有利に働くことにはほとんど疑いがない。それはロマンティックなかたちの悲劇であり、また同時に、市場に出回る作品数を減らすことでもある。それに、彼らが老齢まで生きていたとしたら、おそらくはより劣った作品を生み出していたかもしれない。そうした良くない作品を供給することを差し止めるという意味でも、自殺や早世は市場にとって有利だからである。

 音楽のように複製可能な場合は、死してなお売れる作品を残せるかもしれませんが、「絵画」はまさにワン&オンリーです。逆に、長生きした作家の作品の価値を下げないために、失敗作と呼べる作品をあえて購入する人もいるといいます。ピカソの出来の悪いデッサンをあえて購入した収集家のスタン・シーガーはこう語っています。

「そうしなければならなかったんだよ。分るだろう。あのデッサンはあまりにひどかったから、流通させないようにしなくてはいけなかったのだ」

 なるほど、それはピカソの価値を高める行為であると同時にピカソへの愛の証だったともいえそうです。

 芸術には、二つの怒りがある。一つは悪い怒り、一つは良い怒りだ。悪い怒りは感情的なもので、それが伝統的な具象絵画に表れたときには、市場からは好意的には受けとめられない。描かれた顔に微笑が浮かんでいれば、しかめっ面よりもずっと良い。・・・・・
 第二の種類の怒りは絵画の商品性にとっては肯定的なものだが、これら不安や恐怖をともなう怒りの不安は、商業的には良いものだ。

 誰も怒りで顔を真っ赤にした人物の絵を部屋に飾ろうとは思わないでしょうが、ムンクの「叫び」の凄さは誰もが理解できるはずです。

<魅力的な女性の肖像画>
 女性を描いた歴史的名作の多くは、描かれている女性モデルの魅力のおかげで傑作になったといえます。フェルメールの「真珠の首飾り」、ダ・ヴィンチの「モナリザ」など、数え上げるときりがありません。さらには、優れたモデルとの出会いは、名作を生み出すだけでなく、二人の間に生じる愛憎やインスピレーションにより、新たなスタイルの誕生を誘発することすらあります。ピカソとモデルとの関係は、まさにその典型です。

・・・人生において、5年か10年おきに新しい女性から刺激を受けることがなかったならば、ピカソははたして絵を描くことができただろうか?フェルナンド・オリヴィエ、オルガ、マリー=テレーズ、ドラ・マール、フランソワーズ、シルヴェット、ジャクリーヌ。彼女たちのそれぞれがピカソの人生に異なる芸術様式の時代を呼び起こしたが、それはその都度、ほとんど別人のアーティストを誕生させたかのようだった。英国の文芸評論家シリル・コノリーであれが、女性たちは前兆であって原因ではないし、彼女たちからインスピレーションを受けたというよりもむしろ、彼女たちはその新しい芸術様式の余波なのだと論じることだろう。「我々に概括できる限りでは、芸術的な創造のためのほとばしりのほうが、情事に先行しているように見える。女性たちはアーティストのインスピレーションの源ではなく、そうしたインスピレーションの結果なのだ」

 ちなみに、著者は「画家とモデル」の関係についてこう書いています。
 ミューズ(モデル)との関係が芸術的に実り多い結果をもたらす場合、その要因は次の四つのカテゴリーに分けられるようだ。
(1) 特定のモデルの肉体的な美しさ(よっぽどの美人モデルを描け!ということ)
(2) 情事による刺激(もちろんピカソのようにモデル=愛人は理想なのでしょう)
(3) 肉体的な愛の好意への讃美(ようするにセックスを美しく描けったこと)
(4) 深刻な恋愛から生じた不幸な記憶からんぼ脱却(悲劇の愛こそ傑作を生み出す!これは今も昔も変わらないのでしょう)

 「モデル」といえば、ここで「エロティック」な表現の有効性についても書いておく必要があるでしょう。
 「映画」で「美人女優」や「アイドル俳優」の主演作が売れるよりも、もしかすると「人気AV女優の出演するAV作品」の方が売れる作品かもしれません。したがって、「エロス満載の絵画」もまた売れる可能性は高いはずです。ただし、「AV作品」とは違い、「絵画作品」は自分の部屋に飾って見せびらかしたいのが人情です。でも、それが妻や子供に見せられないエロティックな作品だった場合は、どうすればいいのでしょうか?そこが「売るためのポイント」になるのでしょう。

 エロティックなアートをうまく売るための鍵は、セックスよりもむしろ「アートである」ことを強調することだ。顧客に対し、「スカートを膝までたくしあげた彼女の、この信じられないほど挑発的な姿をごらんください」などと言ってはいけない。そんなときはこう語るのだ。「なんと妥協のない写真主義でしょう」。あるいは「我々の消費社会は、なんと素晴らしくても皮肉な視覚イメージを引き受け始めているのでしょう」と。

<売れる肖像画とは?>
 売れる肖像画が美しいモデルを描く方が有利なのは、その購入者のほとんどが男性であることから当然ですが、「売れる肖像画」は女性像だけとは限りません。著者はそんな売れる肖像画について、こう書いています。

 肖像画を商業上の好みに従って順位づけすれば、次のようになる。
(1) 美しい女性の肖像
(2) 有名な人物の肖像
(3) 心理学的に洞察力に富んでいる肖像


 考えてみると、「肖像画」というのは基本的に描かれている人物から依頼を受けて描いているもののはず。ということは、「肖像画」とは描かれている人物に気に入られることが「売れる」ための必要条件はずです。そんな観点から見ると、売れる肖像画家にはそれなりの手法があったはずです。例えば、英国の流行肖像画家だったジョン・ホップナーはこう語っていたそうです。(似顔絵でバイトをお考えの方は是非ご参考に!)
「まず可能な限り美しい顔を描き、それからそれをモデルに似せていったものだった。最初の美しい顔の状態から、見物人たちが『おお!似てきたのがわかった!』と叫ぶまで作業を続ける。そして叫びが上がったその瞬間に仕事をやめ、あえてそれ以上似させる危険は冒さないのである」

<異国風(エキゾティズム)アート>
 「印象派」の作品が日本画の影響を強く受けていたことは知られていますが、絵画の中のエキゾティズムの要素は「売れる作品」の重要なポイントです。

 ドラクロワが1832年の最初のアフリカ旅行で描いた作品や、ファン・ゴッホが日本風にプロヴァンス地方を葦ペンで描いたインクによるデッサン、そしてゴーギャンが南洋のタヒチで描いた作品。これらは、今日の美術市場で最も需要が高い三人の画家による。なかでもきわめて望ましい作品だ。なぜかと言えば、「エキゾティズム(異国趣味)」は売れるからだ。人々は、地球上の遠く離れた、あるいは自身に馴染みのない場所での経験を活かして制作するアーティストに好反応を示すものだ。
(1)北ヨーロッパ人にとってのイタリア(16~19世紀)
(2)アラブ世界(トルコ、エジプト、モロッコ・・・)
(3)日本(19世紀、20世紀・・・)
(4)タヒチなど南洋の島々


<描かれた場所・モノ・天候と「鉄道」>
 風景画は基本的に人気はあるようですが、どこにでもある風景を描いた普通の作品では売れないでしょう。
 そこで重要なのは、その作品が描いているのが、どの場所で、どの時代なのか?ということです。もし、それが特定できるなら、その作品の価値はそれだけで上がるようです。そのことで、その作品には歴史的価値が生じるわけです。当然、その場所が誰もが知っているような有名な場所だったり、有名な事件が起きた場所ならその価値は倍になるかもしれません。風景画とは言っても、そこに時代や文化を感じさせるモノや風俗が描かれている作品も人気があるようです。
 例えば、作品の中に、空に浮かぶ気球、クリケットの試合、穏やかな海と人々などが描かれているとよく売れるとか・・・。もし、サッカーをしている作品があれば、将来高い値段がつくような気がします。
 そうした時代を反映し、文化を反映しながら、なおかつノスタルジックな気分にさせてくれる究極兵器として「鉄道」があります。

 私には、絵画において鉄道はいい兆しだという持論がある。人々は汽車が好きだ。今となっては歴史の一部となっている機械の進歩の記憶として、汽車は人々の気持ちに応えてくれる。ノスタルジックだが、依然として刺激的なのだ。都会の鉄道線は能率的な都市生活のシンボルであり、田舎の線路は自然のなかへと入り込み、幾何学的に充分な正確さを保って風景のなかへと突き進む。・・・・安心できる未来へのメタファーともなるのだ。

 僕も大好きなターナーは、鉄道を本格的に描いた最初の画家です。そう山下達郎の「ターナーの機関車」のターナーです!
 蒸気機関車の運行という現象に対するアーティストの反応のうちで、最も早い時期の、そして最も忘れがたいものとなったのは、英国の画家ターナーが1844年のロイヤル・アカデミーの展覧会に出品した絵画「雨、蒸気、スピード - グレート・ウエスタン鉄道」だった。これをただ暴風雨のなか、機関車がメインヘッド橋を渡っている絵だと説明することは、ターナーが達成したことを正当に評価していることになる。なぜならターナーは、地理と気象に打ち勝った蒸気機関車の動力を、素晴らしくも本源的な再現したのだから。・・・

<「動物もの」のアート>
 大衆文化の世界でいつの世も大衆に受ける究極のネタのひとつに「動物」があります。映画でも動物ものの映画は、どの時代にもそこそこヒットするものです。(歴史に残る名作は無いでしょうが・・・・)
 主題としての動物には常に変わらず人気があり、それは伝統的な美術でもモダンアートでも同様だ。ルネサンス以来、猫や犬や馬、また家畜や野生動物の数々が絵のなかに描かれてきた。そうした動物たちの姿は、成功を収めたかなりの数の近現代のアーティストたち、とりわけ彫刻家たちの手で今も表されている。

<室内画、静物画>
 現在、室内画は流行となっていて人気もある。主題としての室内画には、何か限定されたような、そして何かそれ自体で完結したような印象がある。その何かに包み込まれたような感覚は、アーティストにとっても観る者にとっても心地良いものだ。

 確かに、お洒落な絵ハガキでも、室内を描いた静かな絵画作品はよく見ます。というか、僕の店でもよく売れています。(もちろん絵ハガキ)
 特に印象に残るのは、大きな空間、浴室、ニースのホテル、椅子一つ、窓から見えるローマの部屋、屋根裏部屋からパリが見える部屋・・・そこに人は描かれていない方が良いようです。
 室内画の中で描かれるべき、テーブル上のモノとして売れる題材としては・・・
(1)花(2)果物(3)楽器(4)本(5)靴や道具など持ち主が見えてくるモノ・・・・最悪なのは「死んだ動物」とか・・・

<売れる絵画の天気は?>
 誰でも自分の部屋に飾る絵が曇天の空の下のピクニックや雨に濡れた人物よりは、青空の下の街並みや海辺の風景の方が良いに決まっています。

 天候は、風景画の商品性にとって重要な要因だ。晴れ渡った空は予想道り、雨や嵐よりも望ましい。洪水も人々を動揺させる。だが、悪天候が常に悪い徴候だとうのは真実ではない。

<売れる色彩とは?>
 色彩は売れる。この純然たる真実に仕事の基礎をおく画商は、たとえ倒産して破産することがあったとしても最後の生き残り組に入るだろう。

 (「印象派」の作品の人気の秘密はこの色彩の魅力によるところ大でしょう!)
 赤と青は、モダニズムの芸術において最も重要な色だ。
 (風景のせいか、色彩感覚は英国人よりもフランス人、イタリア人が優れている傾向がありそうです)

<額装も忘れるな!>
 忘れられがちですが、絵画の価値を最後の最後に左右するのはその絵を収める「額縁」です。どんなに素晴らしい作品も、間違った額縁に入れることでその価値が一気に下がる可能性もあります。逆に絵は大したことないにも関わらず、額縁の価値に気づいた買い付け人が、予想外の高額で絵を購入する場合もあるそあうです。

 絵にどのような額縁をつけるかは、我々がその絵から受ける印象や、それを売るときの価格に非常に大きな違いをもたらす。間違った額縁をつけると、その作品のインパクトを大幅に減らしてしまう。もっと合う額に変えてやれば、作品のもつ力を変えることにもなる。
 


<印象派が売れるのは当たり前!>
 「印象派」の絵画が売れるのはなぜか?
 ここまで「売れる絵画」について分析してみると、「印象派」の作品が売れる理由が明らかになってきました。
 そこにはいくつかの理由がありますが、その一つとしてそこに描かれている「題材」があります。売れる作品は、売れる題材を描いているのです!
 印象派の運動がなぜこれほどまでに人気があり、またなぜ人々がこんなにも高額の金を支払うかを理解するためには、印象派の画家たちに好まれた主題をリスト化すれば充分だろう。それは絵画のかたちをとった抗うつ剤であり、人々の不安感に対する木漏れ日による療法だ。浜辺、花、橋、カフェ、コンサートホール、陽気な活動、とうもろこし畑や麦畑、旗と吹き流し、庭、休日、日傘、ピクニック、競馬場、レクリエーション、休息、レストラン、海の景色、雪景色(晴れ)、街の通り、日差し、劇場・・・

 それだけではありません。「印象派」の絵画には、「売れる色彩」があり、「売れる女性像」があり、「エキゾティズム」(ジャポニズムの影響)もあり、売れる要素が満載なのです

<象徴としての傑作10選>
 さて最後に著者があげている美術の歴史を変えたともいえる10の作品をご紹介します。実はここにこそ、美術を愛する著者の本当の思いが込められているようにも思えます。下記の10の作品は、「・・・イズム」という枠を越え、描くべき売れる題材の枠を越えており、部屋に飾りたい作品とは限らないタイプの作品がほとんどなのです。

 絵画や彫刻のなかにはきわめて数少ないながらも、あまりに有名で馴染みの深い作品であるがゆえに、そのイメージが美術作品としての本来の役割を超えてしまったものが存在する。
(1)レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」(1503~1519年)(謎に満ちた美の魅力の象徴であって、単なる美女の笑顔ではない)
(2)エドヴァルド・ムンクの「叫び」(1893年)(売れないはずの「恐怖」「怒り」「不安」「孤独」といった感覚の象徴)
(3)ミケランジェロの「アダムの創造」(1508~1512年)(ヴァチカン、システィーナ礼拝堂の天井画、これもまた売りにくい「神」と「人間」の関りの象徴)
(4)オーギュスト・ロダンの「接吻」(1882~1887年)(普遍的抽象的心理的な愛の象徴)
(5)オーギュスト・ロダンの「考える人」(1881~1882年)(男っぽくもなく肉体美への称賛でもない「知性」と「苦悩」の象徴)
(6)ミケランジェロの「ダヴィデ像」(1501~1504年)(ザ「男性」の象徴ですが、けっして男の肉体美だけではない同性愛的な雰囲気もあり)
(7)サンドロ・ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」(1482~1485年)(ザ「女性」の象徴でも、そこにはエロティックさは感じられません)
(8)ファン・ゴッホ「ひまわり」(1888~1889年)(ザ「絵画」、値段といい題材といいこれこそ究極の「売れる印象派作品」かもしれません)
(9)ウジェーヌ・ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」(1830年)(「革命」、「自由」、「英雄」の象徴、そこにはエロスはなく、人気がないはずの戦場が舞台の作品です)
(10)アンディ・ウォーホル「キャンベルのスープ缶」(1960年代)(「大衆」、「アンチ美術作品」、「ポップアート」の象徴であって、売れる要素は絵自体にはまったくない!)

<天才の色彩・タッチ>
 上記のような「売れる絵画」の条件を徹底的に守り、それなりの技術と才能を有していれば、もしかするとあなたも「売れる画家」になれる可能性があるかもしれません。しかし、上記10作のような作品もしくは、上記の作品を生み出した歴史的な作家たちに迫る作品が生み出せるか?たぶん、それは無理でしょう。そこには、技術や経験や研究では越えられない大きな壁が存在しているはずです。
 例えば、藤田嗣治だけの「フジタの白」やイブ・クラインが生み出した「クライン・ブルー」など、作家オリジナルの色の存在があります。他にも、天才作家ならではの独特な筆にタッチもあるでしょう。

 ぼくは、天才のもつ困惑するほどの単純さに気づいていた。ベラスケスもゴヤも、どのタッチも怖ろしく素早く、そして驚くほどの「幸運」に恵まれて描いていたようだ。どれほど近づいて観察し、分析したとしても、ここでなされていることがどのようになされたのかを理解することはかなわない。・・・
ジャン・コクトー(フランスの詩人・作家)

<参考>
「サザビーズで朝食を Breakfast at Satheby's」
 2014年
オークショニア 競売人が明かす美とお金の物語 An A - Z of the Art World
(著)フィリップ・フック Philip Hook
(訳)中山ゆかり
フィルムアート社

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