雄大な大地と歴史の記録者

「大地のうた」、「遠い雷鳴」

- サタジット・レイ Satyajit Ray -

<インドを代表する監督>
 インドと言えば、世界で最も多くの映画が作られる映画大国であることは、映画好きにはよく知られています。しかし、そのほとんどはミュージカルなど独特の娯楽映画で、海外で受け入れられるような映画は意外に少ないことも知られています。と書いていたのは、20世紀のこと。今や、ボリウッドと呼ばれるインド映画からはSF、サスペンス、社会派、人間ドラマ、恋愛ドラマ・・・様々なタイプの作品が生み出されています。
 とはいえ、インドの映画人で海外でも知られる存在はそう多くはありません。そんな中、間違いなく20世紀中、海外で最も高い評価を得ていた監督は、サタジット・レイだったと思います。日本でその存在を知られるようになったのは、神田神保町の岩波ホールが彼の作品を紹介してくれたからです。僕も、その岩波ホールで彼の作品「遠い雷鳴」を始めて観ました。それまで観てきた映画とは、時間の流れ方が違うかのような彼の映画の世界は、多くの映画ファンに新鮮な驚きをもたらしました。1988年、僕は2週間ちょっとかけてインドを旅して、その時間の流れを身体で感じることができました。そこには、日本とはまったく異なる文化をもつ国がありました。そんな異国であるインドを象徴する存在であるサタジット・レイの映画にもまたインドならではの時間の流れがありました。
 21世紀に入り、中国以上の経済発展を遂げつつあるインドではもう過去のようなゆったりとした時間の流れは存在しないのかもしれません。(少なくとも都市部では・・・)しかし、サタジット・レイの映画には、小津安二郎の映画の中の古き良き日本のような「古き良きインド」がしっかりと刻まれているはずです。

<インドが生んだ巨匠>
 インドでは「ショトジット・レイ」もしくは「ショット・レイ」とも呼ばれるサタジット・レイ Satyajit Ray は、1921年5月2日インドの大都市カルカッタに住む名門の家庭に生まれました。彼の祖父は画家、詩人、科学者として有名な人物で、父親はベンガル文学の古典「ナンセンスの本」の著者として知られる文学者でした。世界一の格差社会とも言われるインドで、知識階級の頂点に近い位置に育った彼は、様々な分野でその才能を発揮したようですが、やはり芸術の分野に向かいます。
 1943年、カルカッタの広告会社の美術部に就職した彼は、当時のベストセラー小説「パテル・パンチャリ」の挿絵を担当。運命的なことに、その小説を後に自らの手で映画化することになります。それが彼の代表作となる「大地のうた」(1955年)でしたが、それはまだ先のことです。
 1949年、インドを舞台にした映画「河」の撮影にやって来たフランスの巨匠ジャン・ルノワールの助監督をつとめた彼は、偉大な監督から大きな刺激を受け、映画監督という仕事に大きな魅力を感じることになりました。
 1950年、出張先のイギリスで観たイタリア映画「自転車泥棒」(ヴィットリオ・デ・シーカ監督)の徹底したリアリズム描写に感動した彼は、自らもインドを舞台にしてインド版のネオリアリズモ映画を撮る決意を固めます。そして、前述の「大地のうた」が生まれることになりました。

「大地のうた Pather Panchali」 1955年
(監)(脚)サタジット・レイ
(原)ビフティブシャーン・バナージ
(撮)スブラタ・ミットラ
(音)ウヴィ・シャンカール
(出)シュビル・バナージ、カヌ・バナージ、コルナ・バナージ、チュニバラ・デビ
 ベンガルの小さな村を舞台に、貧しい下級官吏の息子オプーの成長を描いた大河ドラマ

「大河のうた」(1956年)は、「大地のうた」の続編。ガンジス川にのぞむ都市ベナレスに出たオプー一家は、相変わらず貧しい生活を続けていますが、それでもオプーは大学に苦学して合格。一人大都会カルカッタへと旅立ちます。
「大樹のうた」(1959年)でオプーを主人公とした3部作は幕を閉じました。

 1963年の「大都会」では、インドに長く続く大家族制度と貧しい暮らしの中で自立のために苦闘する女性を描きます。この作品の主役でインドのトップ女優マダビ・ムカージーは、その後の「チャルラータ」(1964年)、「臆病者と聖者」(1965年)にも出演し、彼の映画の人気を支えています。

「遠い雷鳴 Ashani Sanket」 1973年
(監)(脚)(音)サタジット・レイ
(原)ビブーティ・ブーション・バナージ
(撮)ショーメンドゥ・ロイ
(出)ショウミットロ・チャタージ、バビータ、ションディーヤ・ロイ、ボビンダ・チャクラバーティ、ロメシ・ムカージー
 日本軍がマレーシア、ビルマに軍隊を侵攻させ、インドへと迫ろうとしていた第二次世界大戦中のインド西部ベンガル地方が舞台。戦火が迫り、そのために食料の輸入がなくなり、生きるのが精いっぱいの状態に追い込まれた人々の中、地域では上流階級に属するバラモン階級の一族の苦難を描いた大河ドラマ。
ベルリン国際映画祭金熊賞受賞
 曇り空の向こうに雷鳴のように戦闘音(雷の音?)が聞こえてくるだけの戦場が出てこない戦争映画です。映画の中をゆったりと流れる時間は、1980年代日本のバブリーな時間とは正反対のものでした。岩波ホールでこの映画を観たときのゆるーい衝撃は忘れられません。

 1981年、「遠い道」では、バラモンからの命令によって重労働をさせられ死んでゆく農夫を描いた作品で、カースト制度に対する強い批判がこめられていました。
 1984年、「家と世界」は、インドを代表する文豪タゴールに同名小説を映画化した作品。1900年代初めのベンガル地方を舞台に理想主義に燃える男と妻、その友人の激動の人生を描いたリアリズム大河ドラマでした。
 1991年、遺作となった「見知らぬ人」ではヴェネチア国際映画祭批評家連盟賞を受賞しています。同年、彼は黒澤明に続くアジア人として二人目のアカデミー賞名誉賞を受賞しています。

 彼の作品の魅力は、インド社会の様々な顔を描き出すリアリズムに徹した描写にあります。ただし、そのリアルな描写は「冷徹なまなざし」というよりも「暖かなまなざし」がに感じられます。児童文学や幻想文学の書き手でもあった彼は、現実社会の厳しさを客観的に描きながらも前向きにとらえる姿勢を貫いていました。ゆったりとした時間をかけながらも、インド社会はその後、21世紀にかけて急激に近代化し、今や中国を越える経済大国になる勢いです。
 あのゆったりとした時間を感じることができなくなっても、彼の映画の中には雄大な国の壮大な歴史が記憶され続けるはずです。

20世紀名画劇場へ   トップページヘ