NYの街をカメラで描き続けた孤高の天才


- ソール・ライター Saul Leiter -
<哲学と芸術>
 多くの芸術作品は、作者の優れたセンスによって生み出されます。ただし、時を越えるほどの不滅の傑作となると、センスだけでは足りないはず。なぜなら、「センス」は時代と共に古くなるからです。では何が必要か?それは時を越えるほどの不滅の哲学です。
 ビリー・ホリディやエディット・ピアフのように逃れられない苦難の人生が与えてくれた「哲学」は、他者にはマネのできないものです。そこから生まれた作品だからこそ、彼女たちの歌は永遠不滅の魅力をもつのです。しかし、多くのアーティストは不幸な幼少期を送っているようですが、不幸な人生でなければ芸術が生み出せないわけではありません。
 多くのアーティストは様々な過去のスタイルを模倣したり研究したりすることで、独自の「哲学」を獲得しています。そしてその哲学が時代を超えるほどの強靭なものに育つこともあるのです。

 ソール・ライターというアメリカの写真家の作品集を見ました。それは報道写真でもなく、美しい風景写真でもなく、お洒落なファッション写真でもなく、過激な前衛写真でもありませんでした。
 そこには、ただ写真家が切り取りたかった世界の一部がありました。それは、まるでターナーの絵画のようだったり、ヒッチコックの「裏窓」から見える風景だったり、自分自身の自信なさげな肖像画のようでした。
 なぜ、そうした写真が生まれたのか?
 そこにソール・ライターという写真家の「哲学」が反映しているから、そう思えました。

<ソール・ライター>
 ソール・ライター Saul Leiter は、1923年12月3日ペンシルバニア州の都市ピッツバーグで生まれました。父親はユダヤ教のラビで、彼も将来は同じ道を歩むよう求められていました。そのため、彼はニューヨークのタルマデック・アカデミーというユダヤ教の神学校に通うことになります。
 1935年彼は母親からデトローラ製のカメラをもらい写真を撮り始めます。翌年1936年、世界初の35mmカラー・リバーサル・フィルム「コダクローム」がイーストマン・コダック社から発売され、写真は一気に大衆文化として広まり始めました。
 1940年代に入り、彼はクリーブランドにあるテルシュ・イェシバ・ラビ養成学校に入学しますが、ラビになるより、芸術家になる道を選択。父親の反対を押し切り、大学を中退し芸術の都ニューヨークに戻ります。
 1947年、ニューヨーク近代美術館で開催された20世紀を代表するカメラマン、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真展を見て感動。カメラマンの道を目指し始めます。
 1951年、彼が撮影した写真シリーズ「葬式のような結婚式」が「LIFE」誌9月3日号に掲載され、11月号には「靴磨きの靴」が掲載されました。
 1952年、彼はニューヨークのイーストビレッジ東10丁目に住み始め、その後生涯その街に住み続けることになります。
 1953年、ニューヨーク近代美術館で開催された<Always the Young Strangers>に彼のモノクロ写真が出品されます。
 1958年、ヘンリー・ウルフがファッション誌「Harper's Bazaar」のアート・ディレクターに就任。彼からの依頼により、ファッション誌の写真を撮るファッション・カメラマンとしての道を歩み出します。こうして1980年代まで、彼は「Elle」、「Show」、「British Vpgue」、「Queen」などのファッション誌で大活躍することになりました。
 さらに彼は、「LIFE」、「U.S. Camera」、「Esquire」などにも写真を発表する売れっ子カメラマンとなりましたが、1981年5番街に会った商業用写真スタジオを閉鎖。突如、彼はファッション・カメラマンの仕事を捨て、業界の表舞台から姿を消してしまいます。

「雨つぶに包まれた窓の方が、私にとっては有名人の写真より面白い」

 そもそも彼はファッション業界での仕事に対し後ろ向きだったようで、彼を見出したヘンリー・ウルフは彼にこう言ったといいます。
「君はチャンスを避ける才能に恵まれている」 
 しかし、彼にとっては業界で騒がれることは苦痛でしかなかったのでしょう。

「取るに足りない存在でいることには、はかりしれない利点がある」

 1992年、「The New York School : Photographs 1930-1963」(著)ジェーン・リビングストンにより、彼のモノクロ写真が紹介されました。
 1997年、ハワード・グルーンバーグ・ギャラリーにおいて、彼のカラー作品の写真展が開催。
 2006年、シュタイデル社(ドイツ)から初の写真集「Early Color」刊行。
 2009年、ニューヨークのクノードラー・ギャラリーで30年がかりで制作した絵画作品の初個展開催。
 2012年、ドイツのハンブルグで大回顧展開催。<Saul Leiter Retrspektive>
 2013年11月26日、ニューヨークで死去。享年89歳。
 2017年、日本で初の回顧展開催。

<写真についての言葉>
「私に写真が与えてくれたことのひとつ、それは、見ることの喜びだ」

「私の好きな写真は何も写っていないように見えて、片隅で何か謎めいたことが起きている写真だ」

「写真を撮るとき、絵のことは考えなかった。
写真を撮ることは、発見すること。
それに対し、絵を描くことは創造することだ」


「重要なのは、どこである、何である、ではなく、どのようにそれを見るかということだ」

「写真家からの贈り物は、日常で見逃されている美を時折提示することだ」

<芸術についての言葉>
「美術ははてしない再評価の連続だ。
誰かがもてはやされ、やがて忘れられる。
そして、再びよみがえり、また忘れ去られる。
それが、延々とつづくのだ。


「本があるのは楽しかった。
絵を見るのも楽しかった。
誰かが一緒にいるのも楽しかった、互いに大切に思える誰かが。
そういうことのほうが私には、成功より大事だった」


「たとえ流行遅れだとしても、ある美の規範に大きな敬意を抱いている。苦しみが、幸福より深遠なものとは思わない」

「神秘的なことは、馴染み深い場所で起こる。
なにも、世界の裏側まで行く必要はないのだ」


<ハンク・ヴァルゴナの人生>
 偶然ですが、先日、世界的には無名の高齢の画家ハンク・ヴァルゴナの日々を追ったドキュメンタリー映画を見ました。
 雑誌や新聞などのイラストレーターとして活躍していながら、その職を捨て、自由に絵を描く道を選択しました。
 ソール・ライターの人生となんだか重なっています。

「何も変わらない : ハンクとして芸術家の魂」 2018年
Nothing Change : Art for Hank's Sake 
(監)(製)(撮)(編)マシュー・カプロヴィッツ(アメリカ)
(製)ポール・フランシス、アンドレア・レヴィン他
(出)ハンク・ヴァルゴナ、アンディー・フレンチ、チップ・キッド、バーナデッド・ピータース 
1960年から同じクイーンズのスタジオで画家としては活動するハンク・ヴァルゴナのドキュメント。
世界的には無名の画家ですが、かつてはイラストレーターとして稼いでいました。
1980年代に画家に転向。稼げる職を捨てて、自由に絵が描ける道を選びました。
ニューヨークの地下鉄などを舞台に普通の市民を描き続ける87歳の芸術家の生き様と覚悟を描いた作品。
毎日、スタジオへ1時間以上かけて通勤。その中で人々を見つめ描く。それもまでもが創作活動。
「生きる事」=「芸術活動」=「神を描く行為」=「ハンクのすべて」
たとえ世の中から認められなくても、自分が満足できることを続けるだけ!という覚悟が素晴らしい!
なんとも地味な作品ですが、「芸術」に興味がある方必見の作品です。 


「永遠のソール・ライター」 2020年
Forever Saul Leiter
(企画)佐藤正子
(ブックデザイン)おおうちおさむ、有村葉月
(制)遠山礼子
(編)磯貝晴子
小学館

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