「エドガー・ソーテル物語 the Story of Edgar Sawtelle」

- デヴィッド・ロブレスキー David Wroblewski -

「まさに現代版『ハムレット』、そして全体の、あるようでないような構成といい、所々に顔を出す犬と遺伝について、あるようでないような構成といい、復讐のテーマといい、まさに現代版『白鯨』。・・・」
 これはこの本の訳者、金原氏のあとがきからの抜粋です。
 偶然なことにこの本を読む前に、僕がこのサイトのために書いたのが「白鯨」のページでした。本に関するこういう偶然の出会いって、多くないですか?「白鯨」は、以前から取り上げようと思いながら分厚いので、手をつけずにいたのですが、・・・家の本棚から呼ばれているような気がして?なんとなく読み出して取り上げたのでした。
 その後、久しぶりに図書館に行ってみて本棚を眺めていたら、この本から呼ばれている気がして手に取ると、すぐにその表紙の美しいイラストにひかれてしまいました。アメリカの原風景のような田舎の景色をバックに立つ犬と少年。その絵だけでもう物語が語りかけてくるようでした。さらに、表紙をめくると、その帯には僕の尊敬する文章の師匠、スティーブン・キングのこんなお言葉が書いてあるじゃないですか。

「・・・残り少なくなってきたとき、しょっちゅう言い訳を見つけては、しばらく本を置いた。読みたくなかったからではない。読みたくてたまらなかったからだ。終わってほしくなかったのだ。・・・」
スティーブン・キング

 そこまで書かれては読まないわけにはいかないでしょう。というわけで、僕はほとんどなんの情報もないまま、この本を読み始め、やはりこの本が「白鯨」と共通する点が多いことに気づきました。
 「白鯨」のページで、僕は多くの優れた文学作品は、人間以外の生物を描きこむことで、より深く「人間の本質」をとらえることに成功していると書きました。例えば、「我輩は猫である」の猫、「フランケンシュタイン」の人造人間、「変身」の虫、「星の王子様」の異性人たち、そして「白鯨」の鯨などの作品に、また新たな作品が加わることになりそうです。
 この小説の魅力は、主人公とその家族が育てているソーテル犬の魅力にありますが、架空の犬種を生み出すための主人公の努力と彼らにアドバイスを送ってくれた専門家の手紙のやり取りは、実に興味深いものがあります。そこでは、「理想の犬」とは何か?そもそも「犬」とはいかなる存在なのか?など、かなり深い問題について語られていて、それがこの小説に深みを与えています。ここもまた、「鯨」の生態に関する博物学的リポートが面白かった「白鯨」を思い出させます。これらのわき道なしに「白鯨」の魅力は語れないのと同じです。

「・・・それでもきみが『次の犬』について考えたいのであれば、これだけはいっておこう。なにからなにまで科学的な繁殖プログラムにも、出来ることには限界がある。どの血統を繁殖の基本に使うかということや、犬を評価する正確さに限界があるということだけでなく、わたしたち自身に限界があるからだ。いいかえれば、それはわたしたちの想像力の限界、また、人間に良心があるがための限界でもある。結局、よりよい犬を作るためには、わたしたちがよりよい人間にならなければならない。
 そういう結論が出てくるとは、きみにはまったく予想外だったのではないだろか。」

アルヴィン・ブルックス(犬の交配に関する専門家)

<あらすじ>
 主人公の少年エドガーは、生まれつき声を出すことができず、その原因がわからないため治療もできずにいました。
 物語は、彼が生まれる前、彼の祖父の移住から始まります。彼の祖父ジョン・ソーテルは、1919年にシュルツという農夫からアメリカ中西部にある土地と建物を購入。そこで犬の育種と訓練を行う仕事を始めました。ただし、彼は単に犬の訓練を行うのではなく、自分独自の理想の犬種を交配によって生み出そうという夢を持っていました。そのために彼は、当時やっと明らかになり始めたばかりの遺伝学の手法について独自に研究をしていました。

 そもそも、うちの犬はどうしてうちの犬なんだと思う?父親は意地悪そうににやりと笑った。
「おまえのじいさんは血統なんかどうでもいいと思ってた。どこかにもっといい犬がいる、いつもそんなふうに思っていたんだ。ただ、品評会のステージにだけには、そんな犬はいないと信じてた。だから、人生のほとんどの時間を費やして、犬を飼っている人をみつけては、その犬のことをあれこれきいてたよ。よさそうな犬がいると - 毎日みかける犬だろうが - 生まれた仔犬を一匹譲るという条件で、自分の犬とかけ合わせようという話を決めてしまう。・・・」


 ジョンの息子であり、主人公エドガーの父親ガー・ソーテルは、ジョンの意志を継ぎ、妻のトゥルーディとともにソーテル犬を育て、それを売ることで生計を立てていました。エドガーはそんな父親の元でソーテル犬のアーモンディンとともに育ちました。彼にとってアーモンディンは家族以上の存在だったといえます。

「アーモンディンはとうとう気がついた。この家にはなにか秘密がある。冬の間も、そして春の間もずっと、もうすぐなにかが起こると思っていた。ところが、どこをさがしてもなにもみつからない。部屋に入ると、なにかが起こりそうな気配がいまのいままでここにあった、と感じることもあった。・・・」
アーモンディン

 ある日、ガーは突然原因不明の病で倒れ、この世を去ってしまいます。その時、障害のため電話をかけることもできず、父親を助けることができなかったエドガーは、責任を感じるだけでなく、何かそのときにおかしなところがあったことにも気づいていました。しかし、父の死の衝撃のせいで、その違和感がどこから来たのかを把握することができませんでした。
 落込むエドガーと夫を失ったトゥルーディ、そんな二人を支えていたのは獣医のパピノーと兄ガーとは犬猿の仲だった弟のクロードでした。そして、いつの間にかクロードは、トゥルーディとの関係を深めてしまいます。以前からそのクロードをエドガーは信じることができなかったため、そんな母親にエドガーは反発するようになります。しだいにイラつきを抑えられなくなった彼は、ついには自分が育てることになった犬たちにまで当たるようになります。
 しかし、その間にも母親とクロードの関係は深まります。

「遠くまで待っている死を眺めながら生きているのと、両手で死を抱えるのはまったく違う。トゥルーディはひと月のうちに死を二度も抱えた。その夜、トルゥーディは自分は死と協定を結んだのだと思った。死の存在を認める限り、自分は生きていられる。生を選んだとき、トゥルーディはその矛盾を受け入れたのだ。夜が過ぎる。翌朝ガーが来たとき、大きな悲しみの波はもうひいたあとだった。そのとき、黒い穴は小さな種子に変わっていた。」

 再び不幸が家族を襲います。彼ら親子を助けてくれていた獣医のパピノーが彼らの家の階段から転落し、命を落としたのです。その時、彼が階段から落ちたのは、エドガーが突き落としたからではないか?そう思ったトゥルーディは、息子をその場から逃がしてしまいます。こうして、エドガーと犬たちの旅が始まります。
 彼は旅立つ前に町外れにある食料品店を営む謎の老女アイダ・ペインから幻を見せられていました。それは古ぼけたガラスの小瓶でした。その小瓶は何を示しているのか?
 犬たちとの旅を続けながら、彼は様々な危機に見舞われますが、その苦難を乗り越えながら彼は父親のことを事を思い出し、その仕事の意味を理解し始めます。そして彼は家に帰る決断を下します。しかし、彼は何のために家に戻るのか?
 ラストには衝撃的な結末が訪れることになります。しかし、その結末からは深い余韻が感じられるはずです。

<物語、その後>
 物語が終わった後、ソーテル犬たちがどうなったのか気になります。どう考えても、続きが書けそうなラストのように思えます。人間を入れ替えて新たな主人のもとで活躍するソーテル犬物語PART2も読んでみたいです。より賢くなった彼らが、別の土地、別の飼い主のために新たな能力を発揮するかも?
 良い物語というのは、読者に物語のその後を想像させるものです。
 当然ながら、この小説は映画化も決定していて、準備も進んでいるようです。主人公のソ−テル犬にはどんな犬種を選ぶのでしょうか。やはりシェパードを使い毛並みをいじるとか?それともCGでどこにもいない犬をつくるのか?楽しみです。
 動物小説であると同時に、少年の成長を描いた冒険小説でもあるこの小説ですが、最後になって著者は「人間の心の闇」に深く迫ります。子供向けの小説だったはずが、いつしか現代版の「ハムレット」になっているわけです。そして、ここで「生きるべきか?死ぬべきか?」と悩むのは主人公だけではありません。死を意識するのも、主人公だけではなく、犬までもが死を意識するという発想、これがこの小説最大の魅力かもしれません。

「生きているうちにわかったことがある。時間はそれぞれの体の中にある。自分自身が時間であり、時間を吸ったり吐いたりしている。若い頃は時間がどれだけあっても足りないと思った。いまは、自分のなかで時間が雑音をたてるようになり、最近では世界は雑音だらけだ。・・・」
アーモンディン

 エドガーの父親ガーの葬式の場面も忘れられません。全米各地に住むソーテル犬の飼い主たちが、彼の棺が埋められる墓地に次々と現れる場面は、映画化された時には最も観客に深い感動を与える場面になることでしょう。それぞれも飼い主たちには、それぞれ異なる物語があることを想像させるそんな素敵なシーンです。
 ある意味「ソーテル犬」とは、人間のために役立つ様々な能力を備えた究極の品種といえます。そこには色とか、美しさとか見た目の良さは関係なく、純潔性も無視されています。でも人間のために役立つ能力を遺伝的に高めてゆくと、犬は最終的に人間と変わらなくなってしまうのではないでしょうか?
 ということは、夢のある目標の行き着く先は言葉をしゃべれない奴隷の想像とイコールなのでしょうか?それとも言葉をしゃべれない友人の創造と考えるべきなのでしょうか?

「エドガー・ソーテル物語 The Story of Edgar Sawtelle」 2008年
(著)ディヴィッド・ロブレスキー David Wroblewski
(訳)金原瑞人
NHK出版

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