- スコット・フィッツジェラルド(前編) Scott Fitzgerald Part 1 -

<成功と挫折のヒーロー>
 60年代から70年代にかけて、ロック・ミュージックの黄金時代は多くのヒーローを生み出すと同時に、そこから転落する悲劇のヒーローをもまた数多く生み出しました。例えば、ジャニス・ジョップリンやジミ・ヘンなど多くのミュージシャンが自らの手でその人生を縮めてしまいました。その理由はもちろん色々ですが、時代の影響をぬきに考えることはできません。
 しかし、そんなミュージシャンたちの悲劇の人生のことを思うと、それと同じような悲劇的な人生を送った人物は、それとは別の時代にも存在することに気づかされます。例えば、このスコット・フィッツジェラルドです。若くして大きな成功を成し遂げることのできるあこがれの職業として、小説家は現代の60年代のロック・ミュージシャンにあたっていたように思えます。しかし、彼の人生はアメリカン・ドリームの体現者としての幸福なものではなかったと言うべきでしょう。
 どんなに素晴らしい成功を収めた人物も、その人生には必ず下り坂の時期がやってくる、それは避けられないことである。そうした挫折と転落を望むかのような負の人生観こそが、彼の作品がもつ特徴ですが、彼はまさにそんな「挫折と転落」の人生を自ら歩みながら作品を書き続けました。その意味で、彼の残した作品の数々は若者文化が時代をリードするようになった20世紀という時代が生んだ数多くの悲劇的ヒーローたちの生き様をいち早く文章化したものだったように思えます。

<挫折した父親の元で>
 スコット・フィッツジェラルドは本名をフランシス・スコット・フィッツジェラルドといい、1896年9月24日アメリカ中西部ミネソタ州のセントポールで生まれました。父親のエドワードは家具工場を経営していましたが、彼が2歳になる前に不況で倒産してしまいます。その後はセールスマンとして働いていましたが、不況による人員カットによって再び職を失ってしまいました。そのままだと一家は路頭に迷うところでしたが、幸い母方の実家が資産家だったため、一家は再びセントポールの街に戻り、父親はそこで新しい仕事を与えられ何不自由のない生活が再び可能になりました。

「・・・僕らの一族はアメリカの歴史に、ささやかなりにも関わってきた。僕の曽祖父の兄弟は『星条旗よ永遠なれ』を作詞したフランシス・スコット・キーで、僕はその名前をもらっている。父の叔母はミセス・シュラットといって、リンカーン暗殺のあとで絞首刑に処せられた。というのは犯人のブースはもともと、彼女の家の中で暗殺をおこなうことを計画していたからだ。君は記憶しているだろう。その事件で3人の男と一人の女が処刑されたことを。」
1936年のインタビューより

 しかし、かつては実業家だった父親にとって、実家で与えられた営業管理の簡単な仕事は、やりがいのないものでした。おまけに母方の実家で喰わせてもらうということは、当時の常識からするとかなり屈辱的なことでした。そのため、父親はいつしか酒に溺れる哀れな人生を送るようになってゆきました。こうして、後に彼が描くことになる栄光から転落して行く悲劇的人物の物語は、子供だった彼の目に痛いほど焼き付けられることになったのです。
 ところが、彼はそんな父親を憎んだり憐れんだりはせず彼を愛し続けました。そして、そんな父親の影を踏むかのように悲劇的な人生を歩むことになるのです。

<自信過剰の青年>
 彼は若くして人生における挫折や苦労を知ったわけですが、そのために彼が初めから敗北主義者だったわけではありません。それどころか、彼はクラスの誰よりも自信家であり、常に自分がトップであることにこだわりをみせる嫌なタイプの人間だったようです。
 たとえ先生に出された問題が解けなくても、その問題に対してイチャモンをつけたり、逆に質問をかえしたりすることで、自分の能力不足を隠してしまうのも彼の得意技だったとか、・・・。最悪な奴です。しかし、逆に考えると、いつしかそうしたやり方には、終わりが来てしまうこと知りながら、そんな生き方を止められなかったこと自体が彼の悲劇だったのかもしれません。
 もちろん、彼は中身のない単なる見栄っ張りだったわけではありません。彼は自らの実力でアイビーリーグに所属する名門の大学プリンストンに合格しています。そこで先ず今も昔も若者たちにとっての憧れであるアメリカン・フットボールに挑んでいます。高校時代のアメリカン・フットボールをやっていた彼は名門大学のアメフト部にクォーター・バックとして参加。しかし、小柄な彼は到底アメリカの一流チームで通用するはずはなく、すぐに挫折してしまいます。幸いなことに、その挫折は彼にとって吉と出ました。

<ミュージカルの台本作家>
 彼はもうひとつの目標であったプリンストン大学のミュージカル劇団トライアングル・クラブに参加。そこで台本や作詞の仕事を担当することになったのです。ついに彼は自分にとってぴったりの場所を見つけ、そこで自らの能力を発揮し始めることになります。こうして、1914年彼が書き上げた台本と歌詞をもとに上演されたミュージカル「ファイ・ファイ・フィ・フィ」が上演され高い評価を受けました。この作品に彼は後にこの時代を代表する言葉となる「フラッパー」を登場させ、音楽的にも当時流行のラグタイムをいち早く取り入れていました。
[フラッパーとは、ニューヨークを中心に登場した新しい若者たちの総称です。経済的に豊かになったことで「遊び」に時間とお金を使うことができるようになり、それが新人類フラッパーを生み出しました]
ところが、成功を束の間、彼はこのミュージカルの公演旅行に参加することができなくなってしまいます。彼はあまりにも劇団にのめり込み、大学の授業をほったらかしにしていたため、大学を離れることを禁じられてしまったのでした。
 さらに大学の授業のほとんどを無視していた彼は当然のごとく落第してしまい、ついには劇団への参加をも禁止されてしまいました。

<小説家を目指すも、戦場へ>
 劇団から離れることになったおかげで、彼はそれまでほとんど読んでいなかった文学作品を読む暇ができ、そのおかげで本格的に小説家を目指すようになってゆきました。もともと文章が得意だった彼は、学内の文学誌の常連となりますが、学業の方は相変わらずおろそかにされたままで、ついには落第を免れなくなります。その結果、ついに彼は大学の卒業をあきらめざるをえなくなったのでした。自らの未来に対する希望が早くも崩れ始めた彼は自暴自棄になり、多くの若者たちとともに第一次世界大戦の戦場、ヨーロッパへと向かう決意を固めました。
 現代の戦争と違い、当時の戦争にはまだヒロイズムという言葉が存在していました。若者たちの多くは国と自らの名誉のために戦場へと向かい信念をもって自らの命を捧げていました。(それはけっして素晴らしいことではありません。名誉とか信念ほど人間を盲目にしてしまうものはないのですから・・・)
 スコットもまたある種のロマンを求めて軍隊に入ったのでしょう。しかし、現実の軍隊はそうロマンチックなものではありませんでした。1917年から始まった軍隊の生活は、おぼっちゃま育ちの彼にとって心地よいわけではなく、その厳しい規律はすぐに彼のロマンを打ち壊してしまいました。そうした彼のやる気のなさのせいか、結局彼にはヨーロッパへの出撃命令は出されず、アメリカ国内の基地をいったり来たりするだけの怠惰な毎日が続くことになります。
 おまけに彼はこの時期、自らにとって初の小説「ロマンティック・エゴティスト」を書き上げ、出版社に持ち込むものの、商業的に成功するとは思えないという理由で出版を断られています。彼は深く落ち込むとともに目標を再び見失いそうになっていました。

<宿命の女性との出会い>
 1918年7月のある日、彼はアラバマ州モントゴメリーのカントリー・クラブで行われたダンス・パーティーでゼルダ・セイヤーという女性と知り合いました。彼女の父親はアラバマ州最高裁の判事でした。しかし、判事とはいっても現在のように高い給与を得ていたわけではなく、そのせいもあり、彼女は南部の田舎町から自分を助け出し大都会の社交界へと自分を連れて行ってくれる王子様の登場を夢見ていました。そんな夢見る女の子の目の前に、ブルックス・ブラザース製のお洒落な軍服を着た二枚目の若者スコット・フィッツジェラルドが現れたのです。それはまさに運命的な出会いでした。
 この二人の出会いについては、彼の短編小説「氷の宮殿 Ice Palace」(1920年)に生かされているようです。この小説の恋人たちは結婚を前にして別れることになりますが、幸いスコットとゼルダは無事結婚に至ることになります。ただし、そこに至るまでには、やはりかなりの紆余曲折がありました。
 1919年、彼は軍隊を除隊します。小説家としてデビューもしていない彼は、食べてゆくために働かなければならず、ニューヨークで広告代理店に就職しました。しかし、芸術家として食べて行くつもりの彼にとって、その会社での仕事は実につまらないものだったため、彼はすぐにそこを止めてしまいました。元々都会での華やかな生活に憧れていた彼女は、そんな将来の見えない彼の生き方に幻滅、一方的に婚約を破棄してしまいます。

<デビュー作「楽園のこちら側」>
 彼はそんな状況の中、ついに初の長編小説「楽園のこちら側」を完成させ、無事出版にこぎつけます。「ローリング・トゥエンティー」と呼ばれるアメリカの経済的繁栄に支えられた享楽的な時代を描いたその小説は、時代の要求にぴたりとはまったこともあり大ベストセラーとなります。彼自身もまたそんな時代を代表するアイドルとして一躍脚光を浴びることになりました。
 これをきっかけに再びゼルダとの仲が復活。1920年、ついに二人は結婚にこぎ着けました。(やれやれ、どっちもどっちのに似たもの夫婦ということでしょうか)翌年二人はフランス、イギリス、イタリアを旅した後にアメリカに戻るとお腹の中にいた長女スコティーを出産しました。この時、二人はまさに幸福の絶頂にいたと言えるでしょう。そして、スコットとゼルダのラブ・ストーリーは、この時期を境にして少しずつ下り坂を転げ落ち始めることになります。それはまさに彼が自らの小説で描き続けることになる挫折と転落の物語の焼き直しのようでした。

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