「世界終末10億年前 異常な状況で発見された手記」

- アルカージイ&ボリス・ストルガツキイ
Arkadii & Boris Natanovich Strugatskii -

<映画「ストーカー」の原作者>
 この小説の作者アルカージイとボリスのストルガツキイ兄弟は、ロシアが生んだ巨匠アンドレイ・タルコフスキーが映画化し高い評価を得た「ストーカー」(原作のタイトルは「路傍のピクニック」)の原作者として世界的にその名を知られることになったロシアのSF作家コンビです。彼らがゴルバチョフによって進められたペレストロイカが始まる10年前の1977年、まだまだ検閲が厳しかったソ連で発表したのが、この小説です。「路傍のピクニック」同様、この小説もジャンル的にはSFと呼べますが、異星人もUFOもレーザー光線も、SF的要素はほとんど何も出てきません。それどころか、小説の登場人物たちは、自分たちが巻き込まれている異常な状況を単なる偶然とみなそうと必死になるばかりで、典型的なSFの展開「異星人との接触」や「異空間の探検」「超常現象の目撃」、そうした事件もさっぱり起きません。
 前述の映画「ストーカー」も異常な現象が多発する「ゾーン」に潜入した人々の探検のドラマでありながら、結局は事件らしい事件は起きないという内容で、ラストにゾーンの案内人である「ストーカー」の娘が超能力を発揮するのですが、その場面は監督のタルコフスキーが映画のために追加した小説には設定でした。
 事件が起きそうで起きないスリルと、自分たちが巻き込まれている不思議な状況を何とか理解、説明しようと登場人物たちが展開する極限状況での対話。それがストルガツキー兄弟の作品がもつ特徴なのかもしれません。ロシアの作家である彼らの作品がこうした思弁的な特徴をもつのは、ポーランドが生んだSF界の巨人スタニスワフ・レムも同様で、神の存在を否定し唯物論的な観点からすべてを説明しようとする共産圏の文化が生み出した必然的なものといえます。
 この小説もまたその典型的な作品といえるわけですが、じゃあ哲学的で面白くないのか?・・・けっしてそんなことはないと思います。前半部は確かに何がなんだかよくわからないかもしれません。しかし、その後、登場人物たちが出揃い彼らが地球の存亡に関る重大な秘密を明らかにしつつあることがわかってきます。もしかすると、このまま研究を続けるとそれが何かの新理論を生み出し、その宇宙の大いなる秘密が明らかになるのかもしれない・・・。
 しかし、その発見は何者かにとっては許されないことであるため、それを阻止しようと、警告のための不思議な体験をもたらしたのではないか?というわけです。この展開がわかるとSFファンならずともワクワクしてきます。

<1977年のソ連>
 あらゆるSF的な要素をそぎ落とした不条理小説紙一重のこの小説からは、実は現実社会、旧ソ連の当時の状況が見えてきます。この小説が発表された1977年。ペレストロイカのきっかけとなるチェルノブイリ原発事故が起きたのは1986年のこと。旧ソ連の社会主義システムはまだ磐石のように見えましたが、あらゆるところで軋みが生じ始めていました。そして、その軋みは修正されることもなく放置され、ついには社会主義体制そのものが崩壊し、ロシア自体も分裂することになります。
 この小説の中で起きるドタバタ喜劇のような事件の数々は、当時始まっていたソ連における社会システムの崩壊を描いているようにも思えます。彼らが巻き込まれた馬鹿げた事件は、歯車が狂ってしまったソ連の体制が行なうメチャクチャな妨害工作のようにも思えるのです。なぜならストルガツキイ兄弟も、ソ連政府から睨まれ作品の発表を妨害される立場だったのです。

<ストロガツキイ兄弟>
 ストルガツキイ兄弟Arkadii & Boris Natanovich Strugatskiiの父親ナタン・ストルガツキイは、ロシア革命前にボルシェビキに入党。国内の革命戦争に参加した後、党の役人として働いていました。彼はその後、兵士として命を落とすことになりますが、実際は芸術学の教育を受けた知識豊かな人物でした。
 兄のアルカージイは1925年8月28日、グルジアの都市バツーミで生まれ、弟のボリスは1933年4月14日レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)で生まれています。1939年に第二次世界大戦が始まると、父親は義勇軍の中隊長として戦場に向かい、兄のアルカージイも兵士となります。有名なレニングラードの攻防戦において、父親は命を落とし、兄のアルカージイも大ケガを負います。その間、飢餓と戦いながらボリスと母親はレニングラードの街で生き延びることができました。
 戦争が終わると、アルカージイは陸軍外国語大学東洋学部日本語科で日本語を学び、日本人の戦犯を裁くために行なわれた「東京裁判」にも関ることになり、1955年に除隊するまでソ連の極東でアジア方面の情報収集を行なう職務につきました。(スパイ活動!)
 ちょうど同じ時期、1954年3月に南太平洋のビキニ環礁でアメリカによる核実験が行なわれ、日本の漁船、第五福竜丸が被爆するという事件が起きました。そして、この事件について調査を行なった彼は友人のレフ・ペトロフと共同で「ビキニの灰」という小説を書きます。この作品は彼が除隊した後、「児童文学出版社」から出版され、彼が小説家となるためのきっかけとなります。その後、モスクワに住むことになったアルカージイは弟と再会。彼はレニングラード大学の理学部を卒業後、天文台の助手として働いていました。その後、アルカージイはボリスと共著でSF小説を書くことを思い立ち、最初の中編SF「紫雲の国」を発表。コンテストで入賞したこの小説は、1959年に出版され一躍ロシア国内で脚光を浴びます。こうして、SF作家コンビ、ストルガツキイ兄弟が誕生しました。

<ソ連のSF作家として>
 ソ連が世界初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功したのが1957年。同じ年にイワン・エフレーモフが発表した共産主義的なユートピア小説「アンドロメダ星雲」が高く評価されたこともあり、「SF」という文学ジャンルは人民に科学を理解させる優れた分野として共産党により積極的に推進されることになります。ストルガツキイ兄弟はそうしたソ連における科学振興の流れに上手く乗ることで1960年代、次々に作品を発表することができました。ところが、1960年代の後半になると時代は急激に変化し始めます。西側では学生たちを中心に反体制運動が活発化。それに呼応するように東側でも、チェコで起きた「プラハの春」をはじめ各地で民主化運動が盛り上がります。ストルガツキイ兄弟の作品も、そうした時代の流れを反映するように娯楽的なSFの範囲を超えるものへと変化してゆきます。そのため、彼らの作品「トロイカ物語」「そろそろ登れ、蝸牛」などの小説は政府によって発禁処分となってしまいます。
 当時、一部の地方紙などに発表された彼らの作品は、その後ソ連国外に持ち出され、海外で勝手に出版されたため、国外の方が彼らの作品を読めるという不思議な状況となりました。そして、このことでかえって、彼らは政府に睨まれることになり、その後、彼らにとっては不遇の時代が続くことになります。
 彼らの作品が再び日の目を見ることになったのは、1987年にペレストロイカが始まったおかげでした。

<自由に作品を発表できる幸福>
 考えてみると、世界の数多い国の中で自由に創作を行なえて、それを発表できる国は、どれだけあるでしょうか?ペレストロイカの後のソ連もけっして自由になったわけではありません。中国もネット上の会話ですら常にチェックされる管理社会です。イスラム圏の国々もまた宗教上の教義によって、創作活動には厳しい規制が存在します。
 アメリカなら自由なのか?それも怪しげです。2001年同時多発テロ事件後のアメリカによるイラクへの攻撃の際、それを批判した数少ないアーティストへのバッシングはその証明でしょう。
 しかし、こうした検閲活動は誰が誰のために行なっているのか?それを単純に説明することは、近年どんどん困難になっています。インターネットの登場とグローバリズムの拡がりは世界をどんどん複雑で入り組んだものにしています。誰がなんのためにそうした検閲を行なうのか?それはしだいに不明確になりつつあります。
 その逆に、世界の片隅で起きた小さな発見がすぐに世界中に拡がり社会を根本から変えてしまうことがあり得るのも確かです。もし、そんな発明の誕生をいち早く知ることができ、それを管理することができたら・・・。例えば、世界の病気をなくせる発見とか、世界のエネルギーを救う発見とかが、発表されたとしたら・・・これを阻止したい人はどれだけいるでしょう。

<エントロピー増大の法則>
 宇宙のあらゆる法則の中で絶対的に否定不可能なもの、それは「エントロピー増大の法則」だろうといわれています。それは「すべての物事は必ず乱雑さ、崩壊、拡散へと向かう」簡単にいうとこんなことです。この宇宙最強の法則に唯一抵抗する存在。それが「生命」だとも言われています。一時的にとはいえ、なぜ生命は秩序を維持できるのか?それは秩序を守ろうとする何らかの意志もしくは法則のようなものが存在するからではないのか?そうした考え方もありえるわけです。そして、それを「神」の仕業と考えるのが宗教家であり、それを「宇宙」の法則と考えるのが科学者なわけです。
 問題は生命が秩序を維持しようとする存在でありながら、人類は秩序を崩壊させ世界の終末をもたらす存在なのだということです。こうしている今も人類は世界各地で終末に向けた準備を着々と進めています。それはどう考えても10億年も先のことではなさそうです。もちろん、その企みを進めているのは、この小説の主人公たちのような優秀な科学者とは限らず、今この画面を見ているあなたもその一人の可能性は高いのです。

<あらすじ>
 異なるジャンルにおいて研究を行なっていた学者たちがある日突然、不思議な事件に巻き込まれ始め、それぞれ生活がメチャクチャになってしまいます。それぞれの事件はまったく異なるものなのですが、まるで何者かかが彼らの研究を止めさせるために妨害工作を行なっているとしか思えない。そのことに彼らは気づきます。
 では、いったい誰が?何のために?彼らの研究を妨害しなければならないのか?彼らは主人公の家に集まり、それぞれの意見をぶつけ合います。しかし、「井の中の蛙」が海辺の波を見て、その原因、その意味を知ることができないのと同じように、人類にも理解不能なことがあって当然なのかもしれない。しかし、人類にとっては、まるで神のごとき存在が行なっているとしか思えないそれらの超常的でドタバタ喜劇のような現象の数々に、なんらかの目的があるようには思えません。あるとすれば、それはやはり自分たちに対する警告なのだ。
 こうして、彼らは自らの研究を捨てる決意を固めます。ところがその中でただ一人だけ、隠れてでも研究を続け真実を追うと宣言するものが現れます。彼の運命は?そして地球の運命は?

「世界終末十億年前 異常な状況で発見された手記」 1977年
アルカージイ&ボリス・ストルガツキイ(著)
深見弾(訳)

この小説は映画化もされています。映画版のタイトルは「日陽はしづかに発酵し・・・」。監督は、アンドレイ・タルコフスキーの愛弟子アレクサンドル・ソクーロフです。僕は見ていないのですが、けっこう良い作品みたいですね。

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