「七人の侍」 1954年

- 黒澤明 Akira Kurosawa -

<自衛隊と七人の侍>
 「七人の侍」が公開されたこの年、日本では自衛隊が誕生し大きな議論を巻き起こしていました。日本を占領したアメリカが一度は日本から完全に軍隊を消滅させ、なおかつ恒久平和を宣言した「憲法第九条」を制定したにも関わらず、中国、ソ連という共産主義国家に対する防壁として日本が重要になると判断したことから、再び日本には警察予備隊という防衛組織が創設され、それがこの年「自衛隊」として本格的に活動を開始したのです。「自国を守るための軍隊は、戦争を放棄した平和憲法に抵触するものではない」この発想によって、日本は再び軍備を増強してゆくことになります。
 もちろん、黒澤明がこうした日本の再軍備を支持するために「七人の侍」を作ったということはないでしょう。なぜなら、黒澤明という人物は限りなく個人を重視し、組織や国家に忠誠を誓うなどという発想を持ち合わせていない人物だからです。それは彼の作品を見れば明らかでしょう。
 「生きる」では市役所職員の官僚主義を、「悪い奴ほどよく眠る」では高級官僚の腐敗を、「わが青春に悔いなし」では共産主義者への政府の弾圧を、常に彼は国家などの権力機構を信じず、それから自由であることを理想としていました。
 しかし、そんな彼が作った映画がまるで日本人も自らを守るためには、武器を取って闘うべきである、そのためには他国の応援も良しとすべきである、と解釈されてしまったのは実に皮肉なことです。考えてみると、この後彼が撮った「天国と地獄」は、あの有名な誘拐事件を引き起こすきっかけになったと批判されることになり、そのショックで彼は自殺未遂にまで追い込まれたといわれています。
 おまけに1970年代になると、日本の映画会社は映画界の不況から完璧主義ゆえに多額の資金を必要とする黒澤作品への出資を恐れるようになり、実質的に日本から締め出されてしまいます。「世界の黒澤」はある意味、日本を追い出されたゆえにたどり着いた皮肉な現実だったともいえるのです。どうも黒澤明という人物は、日本という国とは愛称が悪く、アメリカやヨーロッパの文化との方がしっくりいっていたようです。だからこそ、彼の作品「七人の侍」や「羅生門」は世界的なヒットになったということなのかもしれません。

<「七人の侍」は西部劇である>
 「七人の侍」は、その後の世界の映画に多大な影響を与えることになりますが、意外なことにそれは黒澤オリジナルのアイデアではありませんでした。彼はジョン・スタージェスやジョン・フォードらの西部劇を時代劇に焼きなおすという発想から、この作品を作ったのでした。
 ジョン・フォードの影響大と思われるのは、その人物描写です。最後の見せ場となる決闘のシーンに向けて、そこで闘うことになる男たちの人物像を丹念に描くことで観客を画面に引き込むこと。これもまた西部劇の影響を受けたものと言われています。特に、そうした描き方を重視していたジョン・フォードの影響は大きかったといえそうです。
 馬に乗って村を襲う盗賊たちと侍たち、村人たちとの戦闘シーンについても意外な新しさがありました。実は、それまでも時代劇で馬が登場する戦闘シーンはありましたが、そのほとんどは侍が馬に乗って走るシーンだけで、馬に乗りながら戦うというシーンはなかったのだそうです。特にこの作品では、馬に乗る侍とそれを迎え撃つ槍で武装した百姓たちとの戦いが、雨と泥の中で行われるというリアリズムに徹した演出でした。こうした、演出も西部劇からの影響を受けたものです。
 さらにリアリズムといえば、三船敏郎演じる菊千代が最後の戦闘で敵を切りながら何度も刀を取り替えるシーン。血糊によって刀の刃が切れなくなり、交換する必要があるというのは、その後の映画でもめったに見られません。(これは西部劇とは関係ありませんが・・・)
 特にこの作品の場合、1952年公開の西部劇不朽の名作「真昼の決闘」からの影響も大きいように思われます。かつて自分が逮捕した殺人犯が釈放され、復讐のために仲間を連れて戻ってくると知った保安官が、彼らを迎え撃つため、町民に協力を求めますが、復讐を恐れた人々は誰一人保安官を助けようとせず、ついに保安官は一人で4人を相手にすることになってしまうというストーリー。それまでの西部劇とはことなり、当時行われつつあった「赤狩り」に対する明らかな反対声明でもあったこの作品の影響は、この村の臆病な村人たちの行動にそのままいかされています。
 実は、この映画において農民たちが村に立てこもるようにして盗賊たちと戦うゲリラ戦のモデルは、かつて黒澤明が体験した東宝争議におけるスタジオ立てこもり闘争が下敷きになっているという説もあります。軍艦以外、アメリカ軍の武器がすべて東宝のセットの周りにやってきたとも言われるその伝説的な労働争議には黒澤明だけでなく三船敏郎も参加していました。結局は敗北に終わったその時の戦いは、彼の人生を大きく変えただけでなく作品にも大きな影響を与えることになりました。

<混沌の中の撮影>
 リアリズムにこだわる彼の撮影は、時に大きな混乱を伴いました。この作品も例外ではなく、一時は作品が未完成に終る可能性もありました。撮影開始は1953年5月。秋までに撮影が完了するはずでしたが、夏の天候不順や馬の調教不足のために予定はどんどん延びてしまいました。このままでは年内に撮影を終えることは無理かもしれない。そして、それによって経営的に厳しくなっていた会社が悪影響を受けることになるかもしれない。そう考えた彼は製作を中止にしても仕方ないと、当時の製作部長、森岩雄に申し出たといいます。ところが、撮影済みのフィルムを見た森はその出来に感動。費用と期日のオーバーはすべて自分が責任をもつと言明。そのまま撮影は冬になっても続行されることになりました。そのおかげで、消防車で水を汲み上げながら降らせた雨の合戦シーンはなんと真冬に撮られたのでした。しかし、この雨の中の合戦シーンは、映画史に残る場面となりました。(ハリウッドでは戦闘シーンといえば晴れた空の元で撮影されていて、雨の中で戦うという発想はなかったので世界中を驚かせました)

<海外への逆輸出>
 黒澤明の作品が海外で高い評価を受けていたことは、彼の作品の多くがリメイクされていることからも明らかでしょう。(残念ながら、その多くは著作権を無視したパクリでしたが・・・)「用心棒」からは、セルジオ・レオーネの「荒野の用心棒」(1964年)。「七人の侍」からは、ジョン・スタージェスの「荒野の七人」(1970年)をはじめとして、「宇宙の七人」など数多くの「七人もの」が作られています。ちなみに、フランシス・フォード・コッポラ「地獄の黙示録」も、最初の原作を書いたジョン・ミリアスが「七人の侍」を見て感動したところから誕生しました。貧しい農民たちを助ける武士たちをヴェトナムで戦うアメリカ兵に置き換えて書かれたものが「地獄の黙示録」の原案だったのです。(ジョン・ミリアスは、ヴェトナム戦争を肯定するタカ派の作家でした)結局、ジョン・ミリアスの原案は無視されることになり、ジョセフ・コンラッドの「闇の奥」が原案になってしまったため、悔しい思いをしたジョン・ミリアスは同じヴェトナムを舞台にした戦争映画「地獄の七人」の脚本を書き自ら監督を担当しました。さらに彼は、それでも満足できなかったのか、メキシコを舞台にして「ワイルド・バンチ」と「七人の侍」を合体させた現代版の西部劇「ダブル・ボーダー」も撮るほど、「七人の侍」を愛していました。
 その他、黒澤の名を世界に広めることになった最初の作品「羅生門」は、アメリカの名監督マーチン・リットによって「暴行」(1963年)というタイトルでリメイクされています。そして、もっとも有名なのは、作品の方向性について悩んだら必ず「七人の侍」を見るというジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ」でしょう。2007年には日本でもリメイクされた黒澤作品「隠し砦の三悪人」がその原作なのは今や有名です。その他、黒澤明が残した原案をもとに作られたアンドレイ・コンチャロフスキーの「暴走機関」(1985年)もあります。

<海外からの援助>
 こうして、海外からのリスペクトを受けるようになったおかげで、彼はハリウッドから製作資金を得ることができ、復活を果たすことができました。1980年、ジョージ・ルーカスとフランシス・フォード・コッポラの二人が製作総指揮を担当することで資金が集まり、彼は復活作となる「影武者」を撮ることができたのです。
 それ以前、彼がアカデミー外国語映画賞を受賞することになった「デルス・ウザーラ」(1975年)も、ソ連からの共同制作依頼があったからこそ撮ることができた作品でした。ソ連での高い評価は、彼がかつて「白痴」、「どん底」2本のロシア文学の映画化を実現、さらに戦後すぐに彼が撮った「わが青春に悔いなし」では共産主義者への弾圧を批判しているなど、彼が左翼よりの監督であると考えられていたからでもありました。

<リアリズムとその限界>
 娯楽映画としてだけでなく、悪と戦うために結束する熱い友情を描いた感動作としても楽しめるという点で、「七人の侍」は「用心棒」の娯楽性と「生きる」の感動の両方を併せ持つ傑作といえそうです。しかし、この作品のすべてがリアリズムを重視した素晴らしい作品というわけではありません。そのことは、映画評論家の佐藤忠男氏も指摘しているのですが、僕自身も「七人の侍」を見ていて引っかかってしまった部分でした。それは、映画に登場する農民たちがやけに無個性で情けない人間として描かれていることです。前半部で七人の侍たちがオーディション形式で一人ずつ試されるシーンでの彼らの人物描写は実に素晴らしく、それぞれのキャラクターは見事な輝きを放っています。それに比べると、彼らを雇った村人たちは、村の長と土屋嘉男演じる青年以外、ほとんど性格描写がなされていません。国内公開のロング・ヴァージョンの方では農民たちの生活をじっくりととらえたシーンが納められているのですが、それは個人の性格描写にまでは及んでいません。(海外公開版は2時間40分、国内公開版は3時間20分となっていました)
 こうした、黒澤明の大衆の描き方は、彼の作品の多くについて共通していえることです。彼は国家や企業などの組織に対して批判の目を向けるのと同様に、弱き者、勇気をもたないものに対しても厳しい目を向けたのです。このことについて、前述の佐藤忠男氏はこう書いています。
「黒澤明は、弱き者に同情はしないのである。黒澤明にとっては、弱い者は、強くなろうと努力しないという罪を犯しているのであり、そのために、強い者のエサにされてしまうのである。同情はするが、けっして、甘やかしてはならないのである。黒澤明の映画が、戦後の日本映画のなかできわだった個性をもっているのはその点である」
 だからこそ、彼の映画は個人の裁量を重視するアメリカ人に受け入れられやすかったのでしょう。

<その後の西部劇、時代劇>
 彼の映画の影響は、海外だけではなく国内でも大きなものがありました。「七人の侍」は日本の時代劇にも当然大きな影響を与えるようになり、時代劇は西部劇の影響を強く受けるようになってゆきます。戦闘シーンで黒澤が使ったスロー・モーション映像は、その後、サム・ペキンパーに影響を与え、それが「ワイルドバンチ」を生み出しとも言われます。
 そして西部劇に対する影響はというと、彼がこだわったリアリズム重視の姿勢は、より残虐な描写を生み、それがさらにすすめられることでパロディー化されてイタリア産の新しい西部劇マカロニ・ウェスタンの原点になったとも言われています。
 西部劇は、ハリウッド映画としては完成の域にあり、それを変えるには、まったく新しい血の導入が不可欠なほど硬直した状態にありました。そこに現れたのが、黒澤明の時代劇やマカロニ・ウェスタンであり、ヌーヴェル・ヴァーグの影響で生まれたニューシネマ西部劇の数々だったのです。こうして、辛うじて蘇った西部劇は、サム・ペキンパー、クリント・イーストウッドらの登場により、「ほろびの美学」として芸術の域にまで高められ、その後、同じクリント・イーストウッドのアカデミー賞受賞作「許されざる人々」によって、その役割を終えることになるのです。

「七人の侍」 1954年公開
(監)(脚)黒澤明
(製)本木荘ニ郎
(脚)橋本忍、小国英雄
(撮)中井朝一
(音)早坂文雄
(出)三船敏郎、志村喬、津島恵子、藤原釜足、加藤大介、木村功、千秋実、宮口精二、小杉勇、左ト伝

<あらすじ>
 時は戦国時代、ある農村が野武士の集団にたびたび襲われ、その被害に耐えられなくなった農民たちは、町に用心棒になってくれる侍を探しにゆきます。食べるにも困っている侍が多い時代だったこともあり、村には七人の侍がやってくることになりました。しかし、敵の野武士たちは人数も多く馬も持っており、侍たちだけで勝てる相手ではありませんでした。そこで、彼らは村人たちにも武器を持たせ、なおかつ村が襲撃された時のために数々の仕掛けも準備することにしました。初めは侍たちを恐れ隠れていた村人たちも、しだいに侍たちと打ち解けるようになり、共通の敵と戦うため結束を固めてゆきました。
 しかし、実際に戦闘が始まると状況は予想以上に困難でした。数にまさる野武士たちの攻撃により、侍たちは一人、また一人と命を落としてゆきます。ただひとり、農民あがりだった侍で皆の人気者だった菊千代(三船敏郎)もついに力つきました。彼らは勝利をおさめることができるのでしょうか?
 戦の後、侍たちのリーダー(志村喬)がいう名台詞「また負け戦だったな。勝ったのはあの百姓たちだ。わしたちではない」は忘れられません。



「現金に手を出すな」の世界的ヒットでフレンチ・ノワール作品のブーム始まる

「ヴェラクルス Vera Cruz」(監)ロバート・アルドリッチ(悪役バート・ランカスターの輝く歯が格好いい!)
「麗しのサブリナ Sabrina」(監)(製)ビリー・ワイルダー(出)ハンフリー・ボガート、オードリー・ヘップバーン
「裏窓 Rear Window」 (監)(製)アルフレッド・ヒッチコック〈脚)ジョン・マイケル・ヘイズ〈出)ジェイムス・スチュアート、グレイス・ケリー
「エデンの東」(監)(製)エリア・カザン(原)ジョン・スタインベック(脚)ポール・オズボーン(出)ジェームス・ディーン、ジュリー・ハリス
「喝采 The Country Grils」 (監)(脚)ジョージ・シートン(原)クリフォード・オデッツ(出)ビング・クロスビー、グレイス・ケリー
「カルメン Carmen Jones」 (監)オットー・プレミンジャー(オール黒人キャストのブロードウェイ・ミュージカルの映画化)
「紅の翼 The High and the Mighty」(監)ウイリアム・A・ウェルマン(原)(脚)アーネスト・K・ガン(出)ロバート・スタック、ジョン・ウェイン
「グレン・ミラー物語 The Grenn Miller Story」(監)アンソニー・マン(出)ジェームス・スチュアート、ジューン・アリソン
「最後の橋」(監)(脚)ヘルムート・コイトナー(脚)ノルベール・クンツェ(出)マリア・シェル、ベルンハルト・ヴィッキ
「ショーほど素敵な商売はない There's No Buisines Like Show Buisines」(監)ウォルター・ラング(音)アルフレッド・ニューマン(出)エセル・マーマン
「洪水の前」(監)(脚)アンドレ・カイヤット(出)マリナ・ブラディ、ベルナール・ブリエ(カンヌ映画祭国際批評家連盟賞
「スター誕生 A Star Is Born」(監)ジョージ・キューカー(脚)モス・ハート(音)レイ・ハインドーフ(出)ジュディ・ガーランド、ジェームス・メイスン
「大砂塵 Johnny Guitar」(監)ニコラス・レイ(脚)ロイ・チャンスラー(出)スターリング・ヘイドン、ジョーン・クロフォード
「しのび逢い」(監)(原)(脚)ルネ・クレマン(脚)ヒュー・ミルズ(出)ジェラール・フィリップ、ヴォレリー・ホブソン(カンヌ映画祭審査員特別賞
「ダイヤルMを廻せ! Dial M for Murder」(監)アルフレッド・ヒッチコック(脚)(原)フレデリック・ノット(出)レイ・ミランド、グレイス・ケリー
「夏の嵐」(監)(脚)ルキノ・ヴィスコンティ(脚)スーゾ・チェッキ・ダミーコ(原)カミッロ・ボイト(出)アリダ・ヴァリ、ファーリー・グレンジャー、マッシモ・ジロッティ
「裸足の伯爵夫人 The Barefoot」(監)ジョセフ・マンキウィッツ(エドモンド・オブライエンがアカデミー助演男優賞
「波止場 On The Waterfront 」(監)エリア・カザン(出)マーロン・ブランド
アカデミー作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞(エヴァ・マリー・セイント))(ヴェネチア映画祭銀獅子賞
「フレンチ・カンカン」(監)(脚)ジャン・ルノアール(出)ジャン・ギャバン、フランソワーズ・アルヌール
「ホワイト・クリスマス White Christmas」(監)マイケル・カーティス(出)ビング・クロスビー、ダニー・ケイ(音楽は詞、曲ともにアーヴィング・バーリン)
「道 La Strada」 (監)フェデリコ・フェリーニ(出)アンソニー・クイン、ジュリエッタ・マッシーナ(ヴェネチア映画祭銀獅子賞
「掠奪された七人の花嫁 Saven Bride for Seven」(監)スタンリー・ドーネン(音)ジーン・デ・ポール(出)ハワード・キール
「ロミオとジュリエット」(監)レナート・カステラーニ(出)ローレンス・ハーヴェイ(ヴェネチア映画祭金獅子賞

二本立て興行が一般的になる(日)

「女の園」(監)(脚)木下恵介(原)阿部知二(出)東山千栄子、毛利菊江、高峰三枝子
「黒い潮」(監)山村聡(原)井上靖(脚)菊島隆三(出)山村聡、東野英治郎、津島恵子
ゴジラ(監)本多猪四郎(特)円谷英二(この映画は当時極秘で行われたそうです)
「山椒太夫」(監)溝口健二(出)田中絹代、花柳喜章(ヴェネチア映画祭銀獅子賞
「七人の侍」(監)(脚)黒澤明(脚)橋本忍(出)三船敏郎、志村喬(ヴェネチア映画祭銀獅子賞
「近松物語」(監)溝口健二(原)近松門左衛門、川口松太郎(出)長谷川和夫、香川京子、進藤英太郎
地獄門(監)衣笠貞之助(カンヌ映画祭グランプリアカデミー外国語映画賞!和田三造はアカデミー衣装デザイン賞受賞)
「晩菊」(監)成瀬巳喜男(原)林芙美子(脚)田中澄江、井出俊郎(出)杉村春子、見明凡太郎
「二十四の瞳」〈監)〈脚)木下恵介(原)壺井栄(出)高峰秀子、天本英世、八代敏之
「宮本武蔵」(監)(脚)稲垣浩(脚)若尾徳平(出)三船敏郎(1956年度アカデミー外国語映画賞


アメリカの最高裁でブラウン判決が下される。(教育の現場における人種隔離を違法とする判決)
リチャード・ライト著「ブラック・パワー」出版
ベトナム内戦に突入
ジュネーブ会議開催
 (インドネシア休戦協定調印へ)
ロバート・キャパ、ヴェトナムで地雷により死亡
東南アジア集団防衛条約機構SEATO
原子力潜水艦ノーチラス号出航
ビキニ環礁で米国が水爆実験実施
バルカン軍事同盟設立(ギリシア、トルコ、ユーゴ)
ソ連で原子力発電所が操業開始
エジプトの首相兼革命軍事会議議長にナセル氏就任
<日本>
警察予備隊が保安隊を経て自衛隊となる

<芸術、文化、商品関連>
「悲しみよ、こんにちわ」フランソワーズ・サガン著(仏)
「蝿の王」ウィリアム・ゴールディング著(英)
「ブリキの太鼓」ギュンター・グラス著(独)
「オーギー・マーチの冒険」ソール・ベロウ著(全米図書賞)
「アメリカン・スクール」小島信夫著
映画「麗しのサブリナ」のヒットでジバンシー・デザインのサブリナ・パンツが大流行
<音楽関連(海外)>
第一回ニューポート・ジャズ・フェスティバル開催
エルヴィス・プレスリーがサン・スタジオで「ザッツ・オールライ」を録音
ロバート・モーグがモーグ社を設立。シンセサイザーの開発始まる
フランス映画「過去を持つ愛情」のヒットで、ファドの女王アマリア・ロドリゲスの「暗いはしけ Barco Negro」が世界的ヒットとなる(ポルトガル)
フェンダー社の「ストラトキャスター」登場
<音楽関連(国内)>
銀座の銀巴里がシャンソン喫茶となり、シャンソン・ブームの火付け役となる
(ジョセフィン・ベイカー来日)
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