- セックス・ピストルズ Sex Pistols -

<追記>2003年12月4日(締めのお言葉)

<パンクもピストルズも奥が深い!>
 セックス・ピストルズは奥が深い。一般的に彼らは、底が浅いように見られがちですが(失礼!)、それでもいざ語ろうとすると、なかなかどうして奥深いことに気づかされます。たぶんそれは、けっして彼らが底の浅い存在ではないからなのですが、同じように「パンク」そのものを語ろうとする行為もまたかなり奥が深いものです。

<マルコム・マクラーレンによるパンクの輸入>
 元々パンク・ロックが誕生した場所は、アメリカのニューヨーク、若者達がたむろするクラブでした。(CBGB's、マクシズ・カンサス・シティなどが有名です)やり手のイギリス人マルコム・マクラーレンは、そのムーブメントの盛り上がりの中、パンクの元祖とも言われるニューヨーク・ドールズのマネージャーを勤めるなどして、時代の空気をたっぷりと自分の中に取り込み、それを故郷のロンドンに持ち帰りました。

<1970年代不況のイギリス>
 マルコムは、ロンドンに戻るとキングス・ロードでブティック「セックス」をオープンさせます。しかし、その当時のイギリスの経済状況は、まさに不況のどん底で、音楽シーンも60年代にブリティッシュ・インベイジョン(イギリスの侵略)と名付けられていたころのパワーをすっかり失っていました。かつての大物ロック・アーティストたちは、皆税金対策のために、イギリスを離れてしまい、若者達が聞きたい音楽は失われて久しい状態でした。

<セックス・ピストルズの誕生>
 そんな状況の中、ブティック「セックス」の常連客たちの中から誕生したバンドが、セックス・ピストルズでした。メンバーは、ジョニー・ロットン(V)、スティーブ・ジョーンズ(G)、グレン・マトロック(B)、ポール・クック(D)の四人。彼らは、彼らを焚き付けたマルコムをマネージャーとして、メジャーのレコード会社EMIと契約、1976年に「アナーキー・イン・ザ・UK」で華々しくデビューを飾ります。しかし、あまりに歌詞の内容が過激だったためEMIとの折り合いがつかず、契約が破棄されてしまいます。続くA&Mからも、一ヶ月ともたずに契約破棄されてしまいます。その間に、ベーシストもグレン・マトロックからシド・ヴィシャスへと代わったのですが、人気は相変わらずで、1977年「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」が全英2位まで上昇します。その勢いで、ヴァージン・レーベルから初のアルバム「勝手にしやがれ」を発売(プロデューサーはクリス・トーマス)、このアルバムは予約だけで10万枚を売り上げ、いよいよ彼らはパンク・ムーブメントの旗頭となります。

<パンクの爆発>
 アメリカという国は、あまりに広く、地域間の格差が大きいため、パンクはニューヨーク限定の音楽になり、それ以外の地域にはほとんど広がりませんでした。それに対して、小さな島国イギリスでは、逆にパンクはいっきに全国に広がって行き、その勢いは誰にも止められないほどになっていました。イギリスの若者たちの社会に対する怒りや不満は、誰かに火をつけられればいつでも爆発する危険な状態になっていたのです。

<ミスター・パンク、シド・ヴィシャス>
 セックス・ピストルズは、まさにパンクの象徴でしたが、中でも途中から、セックス・ピストルズに参加したベースのシド・ヴィシャスは、生き方自体がパンクそのものでした。彼はバンドに加わったとき、ベース・ギターなど全然弾けなかったし、歌もろくに歌えませんでしたが、怒りの感情を音楽化しようというパンクの基本である初期衝動のパワーに関しては、誰にも負けませんでした。彼の歌った「マイ・ウェイ」(もちろん、フランク・シナトラで有名な曲)は有名ですが、まさに彼は我が道を突っ走り、ヘロインの過剰摂取によって21歳の若さでこの世を去りました。

<パンクの限界>
 シド・ヴィシャスのパンクな生き方に対し、バンドのリーダーだったジョニー・ロットンは、早くからパンクの限界に気づき、自らの次のステップを目指すべく、早々とバンドからの脱退を表明します。(それは、1978年アメリカ・ツアーの途中でした)彼は、一度爆発してしまったパンクの炎を制御することは、もう誰にもできないのだと言うことを、知っていたのかもしれません。こうして、セックス・ピストルズは、いち早くその活動を終え、他のパンクのバンドたちも、それぞれ独自の道を歩み始めることになります。

<ジョニーのその後>
 ジョニー・ロットン改めジョン・ライドンが結成したPIL(パブリック・イメージ・リミテッド)は、すでにパンク・バンドではありませんでした。その意味では、ここから本格的に彼をミュージシャンとして語ることができるようになったと言えるのかもしれません。もちろん、セックス・ピストルズのサウンドが音楽的に劣っていたというわけではありませんが、1979年の「メタル・ボックス」、1981年の「フラワーズ・オブ・ロマンス」などのアルバムのテンションの高さとエスニック風味は、セックス・ピストルズの延長線上にあるバンドとは思えない作品です。(個人的には、「フラワーズ・オブ・ロマンス」のパンク版レッド・ツェッペリン風アラビック・ロックが大好きです!)もちろん、それはジョン・ライドン以外のメンバー、キース・レヴィン(G)、ジャー・ウーブル(B)、ジム・ウォーカー(D)の3人がそれぞれ優秀な連中だったこともあげられますが、確かにジョン・ライドンに音楽的才能があったことの証明でしょう。1996年のセックス・ピストルズの再結成もやはり彼の才能の現れだったと言えそうです。数多くのバンドが、何気なくバンドを再結成し、何となくアルバムを発表している中で、彼らほどバンドの再結成という行為に意味をもたせたバンドは、未だかつてないのですから。

<セックス・ピストルズ=パンク>
 セックス・ピストルズが、流行の最先端を行くブティックの客たちによって作られたのは、決して偶然ではなかったのかもしれません。それは、セックス・ピストルズが、ひとつのファッションだったことの証明なのです。ただし、ここで言うファッションとは、着る物だけではなく、もちろん音楽のことだけでもありません。それは、「パンク」と言うライフ・スタイル全体を指すのです。(元々ファッションという言葉は、ライフ・スタイルを表す言葉なのです)セックス・ピストルズは、その存在自体が「パンク」でした。そこには、裏も表もなく、過去も未来もありませんでした。ただ永遠に続くその瞬間だけが存在していたのです。それこそが、パンクのもつ最大の意義だったのかもしれません。

<締めのお言葉>
「あの手のバンドの興行を打って食いぶちを稼いでいきたいか、と訊かれれば、その答えはノーだ。連中は今日にいたるまで、わたしがずっと嫌悪してやまないスタンスを体現していた。だが演しものとして考えた場合、あれは群を抜いてすばらしかった。・・・」
セックス・ピストルズ・アメリカン・ツアーをプロモートしたビル・グレアムのツアー後の言葉

「永遠が時間の無限の持続のことではなく、無時間性のことと解されるなら、現在のうちに生きるものは永遠に生きる」
 山野浩一「SFと気楽」より

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